2-4 書庫の解体

 できたての赤塗り仮面を被って、シィーはエルと一緒にリッカクの家を出た。

「うん。普通の煙草だね」

 と、シィーは口に草を入れたままつぶやいた。リッカクからもらった、噛み煙草の一握りだった。

「昔、メキシコで見たのと同じ味だ。このあたりで野生化してるんだ」

「お前さん、その顔で煙草の味とか言い出すと、かなり違和感あるんだが」

 エルは小声でささやいた。村の小川が水しぶきを立てているので、人目さえ避ければ会話を聞かれることはない。

「顔は、いま、見えないでしょ」

「うるせえな。見た目が子供なのに、ってことだ」

「そういうのは人間の基準だよ。僕はニコチンとか、カフェインとか、アンフェタミンとかはんだ。受容体の遺伝子が違うからね。味を確かめてるだけ」

「けど、お前さん、あの建設委員長んとこで、紅茶飲んでたろ」

 シィーは家の影に隠れて、仮面をちょっと上にずらして、草をぺっと吐き出した。

「言ってるでしょ。味を確かめてるだけ、って」

 吐き出したものに足で土を被せて、ふたたび道を歩き出した。

 道沿いで何人もの仮面たちが、広場に積んだ葉を噛みながら世間話をしていた。彼らは通りかかったシィーをちらりと見たが、特に気に止める様子もなく話を続けた。そばを歩くエルには目もくれなかった。このあたりの山では、こういった小動物は珍しくもないのだろう。

 広場を少しうろついて、シィーは自分の記憶と重ね合わせた。382年の間に村の形は大きく変わったが、広場の位置はほとんどそのままだった。建物が何度も入れ替わっても、こうした人里の骨格は長い年月保たれることを、シィーは経験から知っている。

「あの、すみません」

 と、シィーは座っている老人に声をかけた。光沢のある銀色の仮面で太陽をぎらぎらと反射していたが、背骨の曲がり具合と動作の遅さから、老人であることは明らかだった。背負い籠の中にいっぱいに積まれた桃を、ひとつひとつ点検している。

「広場のこのあたりに小さな書庫があったはずですが、どこに行ったか、ご存知ですか?」

「ショコ?」

「本がたくさん、積んであったはずですが」

「ホン、なんだ」

「こういう感じの紙の束で、言葉を書いておくものです」

 と、カバーを開いてページをめくる手振りを見せた。シィーの荷物に本はなかった。必要がないからだ。

かみか」

 と、老人は合点して言った。

「昔、この村に紙の実、沢山あった。綺麗な模様、一杯詰まってた。みんな剥がして、面、作った。紙の実、たねなくて、もう作れなくなった。爺さんの爺さんのずっと爺さんだ」

 と言って、老人はふたたび桃選びに興じ始めた。品質を選別しているというよりも、ただ形の美しさを愛でているだけのようだった。


 広場を少し離れて、物陰でエルに話しかけた。

「この村の人たちを作った遺伝設計技術者は、自分の思想を本にして、書庫に残してたんだよ。でも、ここの人たちはそれを、仮面の材料にしちゃったんだね」

 と、シィーは苦笑いした。

「そりゃ残念だな。お前さんは読みたかっただろうに」

「いや。僕は前に全部読んだから。ただ、塔の町の建設委員長みたいに、創造主の思想を知りたいと願ってる人もいるのに、この村が自分でそれを壊したってのが、ちょっとね」

 と、シィーは寂しそうな声で言った。人間が他人の痛みを自分のものとして感じることがあるように、記憶人のシィーは世界から記録が失われることに、痛みを感じる性質があった。

「ま、過去に興味ナシ、ってやつもいるだろ」

 とエルが言ってシィーの顔を見上げたが、その表情は仮面に隠れて見えない。

「……ちなみに、どんなことを書いてたんだ? このトーゲンキョーのぬしは」

「自分の経歴とか、若い頃の苦労とか、関係ないことが一杯書いてあったけど、要するに」

 と言って、シィーは目を閉じて、少し時間をかけて、内容の必要な部分だけを読みだした。

「私が数十年学んだ遺伝工学に基づいて、あなたたちを創造しました。あなたたちはみな平等です。貧富や、尊卑や、美醜の差に悩むことはありません。桃を育てて、それだけを食べなさい。桃はたくさん実るように作ったので、奪い合うことはありません。人間にできなかった理想郷を、あなたたちが実現するのです」

 シィーの語りを聞いて、しばらく黙ってから、

「何が間違ってるってわけでもねぇが、絶妙にイラッとするやつだな。きっと偽善のカタマリみたいなやつに違えねえ。裏で横領とか児童虐待とかしてただろ、そいつ。なんか表情まで見えてきたぞ。うわっ、そのニタニタした目つきをやめろ」

 と、エルはとっくに死んでいる人間を、そこにいるかのようになじりはじめた。目の前の虫を払うふうに、前足をぶんぶんと振った。

「あの頃は、そういう思想の人間が大勢いたんだよ。人間が平等を実現できないのは、自然進化で生じた生物が根本的に闘争本能を持つからであり、理想郷のためには遺伝子から再設計する必要がある、とか言ってね」

「間違っちゃあいねぇかもだが、人間がそれを言うのがウゼぇんだよ。猫代表の俺としてはな」

「ねえ、エル、普通の猫は、猫を代表して意見を言ったりはしないよ」

 と言うと、エルはなおさら苛立って、前足で架空の虫を払い続けた。

「だが、これで仮面の謎が解けたな、シィー」

「……そう?」

「ああ。この村のやつらは、設計者の思想に逆らうことにしたんだ」

 シィーが仮面の内側で黙っていると、彼は言葉を続けた。

「つまり、設計者に押し付けられた平等思想が嫌になって、遺伝子が変えられねえから、仮面のデザインで競い合うことにしたんだよ。本を仮面の材料にしちまったのが、その証拠だ」

 エルは猫に似合わない勝ち誇った笑みを浮かべたが、シィーが不満そうにしているのは、なぜか仮面越しにも読み取れた。本の破壊を合理化されるのが、気に入らないのかもしれない。

「でも、そのわりにここの人たちは、競い合ってる様子はないよ」

 と、シィーはつぶやいた。

「……確かにな」

 エルから見た印象でも、仮面が何かの個性を表現しているのは明らかだったが、それによって社会的なヒエラルキーが構築されている気配はほとんどなかった。広場に円形に並んだ大人たちも、枝のルーレットで物事を決めるのも、村人たちの平等主義を象徴しているように見える。

「それに、ヒトの別種は相当慎重に作られるから、そういう設計ミスはまず起きないよ」

「こいつ、設計とか絶対下手だぜ」

 とエルは根拠もなく断言した。

「外部機関の審査もあったんだよ。移動抑制がちゃんと入ってないと困るし」


 結局、その日は村のまわりを散歩するだけで一日を終えた。山間の村は日没が早く、夜は平地よりも早く訪れた。果樹園より外側も人の入った跡はあったが、動植物の繁殖は野生に任されており、設計者の意図による人工植物は見当たらなかった。

 その夜はリッカクの部屋に泊めてもらうこととなった。荷物置きになっていた片方のベッドを片付けて、シィーがそこで眠れるようになった。

「あなたはここで一人で暮らしているのですか?」

 と尋ねると、

「私たち3人、同じ春に生まれた。仲良し」

 と彼は答えた。ラクダ車で出会ったときの薔薇とシマウマの仮面を指しているのだろう、とシィーは推測した。

「あの2人、やがて子供、生まれる」

 家族に関する話はなかったが、彼の言いたいことは、おおむね理解できるような気がした。

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