2-5 滑落

 よく冷えた朝の風が村に吹いていた。

 シィーとエルは山の空気を浴びながら、家の前でぼんやりと座っていた。リッカクが中で仮面を外して桃を食べている間、ふたりは外で待たねばならなかった。

「トイレやお風呂は家族にも隠すものでしょ。ここの人たちにとっては、食事が、それに含まれるんだ」

 と、シィーが赤い仮面の中からつぶやいた。

「だったら、家にそういう小部屋を作ればいいんじゃねえのか」

「家自体がそういう場所という認識なのかもね。囲炉裏とベッドしかないし。それに、君も外にいる方が退屈しないでしょ」

「そりゃそうだけどよ」

 村を見回すと、同じように家の外に出された者たちが暇そうにうろついていた。この村では日常の風景のようだった。

「男を覗く趣味はねえんだが、見るな、と言われると俄然見たくなってくるな。あいつ、どんな顔してんのかな」

 とエルはドア下の隙間を覗いたが、薄暗い屋内にはかすかに動くものが見えるだけだった。ぱちぱちと何かを炙る音と、焦げた匂いが漂ってくる。

「やめときなよ、エル」

 と言ってシィーはエルの尻尾を引っ張った。

「気にならねえのか? 大体、そういうのを見るのもお前さんのじゃねえのかよ」

「ある意味ではそうだね。でも、この村の人たちの顔は、見なくても大体わかる」

「ほー、なんでだ」

「前に来たときに覚えた。顔の造形は遺伝の影響が大きいから、世代を経てもそんなには変わらないよ」

「そうか。仮面で隠したくなるような顔だったか?」

 と言うと、シィーは少し考えてから答えた。

「君はこう言ってたよ。なんだこいつら、全員同じ顔じゃねえか、って」

「俺が?」

 とエルは少し考えた後、

「……ああ、そうか。そん時は俺も一緒だったのか。300年前だっけか?」

「382年前」

「ま、猫の俺から見りゃ、人の顔なんざみんな似たようなもんだろ」

「そういう次元じゃないよ。顔の造形に関わる遺伝子をわざと重複させて、変異による個人差も出ないように設計していたんだ。男女差すらほとんどないんだ。黒子ほくろの位置とか、加齢にともなう皮膚の変質とか、そういう差はあったけどね」

「ほー。で、皆それが嫌になって、仮面を作ったってわけだな」

 と、エルは昨日の自説に固執して言った。

「それなら仮面よりも、入墨を彫る方がいいんじゃないかな。ご飯のときに一人にならずに済むし。人間にもそういう部族はいっぱいあった」

「痛いのが嫌だったんじゃねえか?」

「これも、結構痛いよ。肌にこすれるし」

 と、シィーは自分の仮面を指して言った。


 リッカクが朝食を終えると、昨日言われたように、彼の塗料採取について行くこととなった。

 彼らが仮面づくりに使う塗料や染料は、植物、昆虫、鉱物など多岐にわたっており、周辺の山から採取できるものの他に、による取引の品目にも数えられていた。樹液からとれる赤色は、その中では入手しやすい素材だった。

 彼はまず広場のそばにある家の戸を叩いて、

「コンファ」

 と呼ぶと、昨日会った薔薇の仮面が暗闇からぬっと顔を出した。

「赤、取る。来い」

 とリッカクが言うと、奥にいたシマウマの仮面が部屋のリュックを取って、コンファと呼ばれた薔薇仮面に渡した。コンファはそれを受け取って出てきた。万事言葉少なく進む村のようだった。

 桃の果樹園の斜面からさらに登ったところに、斜面にナイフで水平に削ったような登山道が形成されていた。ごつごつした岩の多い道で、下は崖になっているところもある。深いところを谷川が流れて、ざわざわと音を立てている。

 崖沿いの道を歩くとき、シィーは一歩歩くたびに、首をぐるぐると振る奇妙な動きを見せた。

「何やってんだ、シィー」

 とエルが足元でつぶやくと、

「この仮面、視界が狭いから、こうしないと地形が見えれないんだよ」

 と、シィーは少し息を切らしながら言った。

「そうか。落ちねえようにな」

「水平方向の移動なら大丈夫だよ。登りがつづくと辛いけどね」

 妙な動きをするシィーを、リッカクとコンファも不思議そうに見たが、何も言わずに歩を進めていった。ふたりはこの道を歩き慣れているらしく、身体を横向きにしなければ通れないような狭い道も、砂を落とさずにさくさくと進んでいく。

 一時間ほど歩くと、塗料の木のある林についた。リッカクとコンファは目当ての木にナイフで傷をつけ、流れてくる樹液を受け止める壺をくくり付けた。林の木はどれも、すでに沢山の傷がつけられている。村人たちが長いこと、この林に通いつめているのが分かる。

 その間のシィーの仕事は、花の実を集めることだった。染料として使われる天然の花をシィーはすべて記憶していたため、この作業に関しては大人たちに劣るところはなかった。

 樹液を貯めた壺を蓋で封じると、彼らは帰り道を歩み始めた。

「さっきみたいな首振りは、しなくていいのか」

 と、シィーを見てエルが尋ねた。

「もう覚えたからね。道の形が変わらないかぎりは大丈夫。動物が這った跡がちょっとあるだけ」

 リッカクとコンファは、まともに歩くようになったシィーを見て安心したらしく、往路よりも早いペースでシィーたちの先を進んでいく。

「あいつ、昨日いたシマウマのやつと、夫婦なんだってな」

 と、エルはコンファを後ろから指して言った。

「そうみたいだね。子供が生まれる、って言ってたし」

「……どっちが男なんだ?」

「確信は持てないけど、多分あの人」

 と、シィーはコンファを指した。

「こいつら、夫婦でいるときも、仮面してんのかね。人間の服と同じだとしたら、やる時は外さねえとな」

「服は脱がないとできないけど、仮面は外さなくてもできるよ」

「……物理的にはそうだけどよ、無理じゃねえか?」

「性的なものは文化の影響が大きいからね。もしかしたら仮面のデザインに、男女の区別があるんじゃないかな。僕たちが見ても分からないだけで」

 エルは少し考えて、シィーの言いたいことを飲み込んだ。

「あー。つまり、男は女物の仮面を見ると興奮するってわけか」

「かもしれないね。人間にも、そういう人はいた」

「で、外したら萎えちまうんだな」

 と言ってエルは声を押さえてグフフフっと笑った。リッカクと薔薇仮面は少し離れたところを歩いていた。

「となると、お前さんのそれは、男用なのか、女用なのか」

 と、エルは前足でシィーの赤い仮面を指したあと、

「あいつが、どう判断したのかは気になるな」

 とリッカクの背中に足を向けた。シィーは仮面をつくる前に、リッカクに名前を聞かれたことを思い出した。あれは性別を判断しようとしたのかもしれない。

「子供用、じゃないかな。子供は毎年仮面を作られるって言っていたから、交易で手に入れるような希少な塗料は使わないだろうし……」

 その時。

「ぎゃっ」

 突如、悲鳴のような音が、前方からこだました。

 声にもほとんど個人差のない彼らだったが、それがコンファの声であることは、シィーには分かった。

 崖をまっさかさまに落ちていく人影が、シィーの位置から微かに見えた。

「蛇だ!」

 とリッカクが叫ぶと同時に、崖の遥か下のほうで不穏な鈍い音が聞こえた。ひとの身体が岩に叩きつけられる音だった。


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