1-2 門番
塔の町は何重もの城壁で囲まれていた。
雲まで届くような中央塔がひとつあり、その周りに築かれた城壁は外側に行くほど低くなっている。遠くから見ると、巨大な墳墓の中央に、巨大な墓碑が立っているように見える。
いちばん外側の壁は大人の背丈ふたり分ほどで、これが町と外界の境界になっている。
壁の西側に門がひとつあり、そのそばに門番の詰所がある。詰所には窓に面した小さな机と、反対側に石造りのタンスがある。天井には煙突のような小さな管があり、熱された空気を外界に逃がす構造となっている。
門番の男はその中で、机の上に銅貨を積み上げて、ミニチュアの門を作っている。中央塔のすぐそばにある門を模したものだ。
この町の鋳造技術は、その建築技術に比べるとだいぶお粗末なもので、硬貨は完全な円盤とは程遠く、ところどころに歪みがあった。だが門番の男は、そういう銅貨一枚一枚の癖を慎重に見抜いて、余計な窪みに余計な出っ張りを噛み合わせて、もっとも適切な形に積んでいくことが出来た。
彼の求める完成形のためには、あと11枚の銅貨が必要だ。だが机の上に残っている銅貨は7枚だけだった。これではとても、神聖なる塔を守る中央門とは言い難い。
机に置かれた銅貨は、門番の一週間分の給料だ。
内側の門番であれば週給も上がるので、これよりも多くの銅貨や、ひょっとすると銀貨を積むことも出来るだろう。そうしたらどんなに見事な建物が作れるだろう。と門番はいつも思う。外側ほど給与が安いのは、この町が外敵というものをほとんど想定していないことを意味していた。
「あの、すみません」
ふいに子供の声が聞こえて、門番は指の間に持っている銅貨をゆっくりと机に置いた。空気を揺らさないように慎重に首を上げると、そこにはひとりの赤毛の少年が立っていた。
「すみません。門を開けていただけないでしょうか」
「いらっしゃい、坊や。この町の子じゃないね。旅行者かい」
「はい」
門番は椅子を机にぶつけないように慎重に引いて立ち上がり、少年を頭の上から足先までじろじろと見た。白い顔に淡褐色の目と赤い毛、黒いコートの下には灰色のセーターを着ていて、茶色い革のアタッシュケースをひとつ持っている。
足元には黒猫が一匹、気だるそうな様子で首をゆっくり上下に振っている。壁ごしに見える中央塔を上から下まで眺めているようだった。首輪には小さな鈴が付けられているが、いくら揺れてもちりんとも鳴らないようだった。
「ひとりで来たのかい? お父さんやお母さんは?」
「親はいません」
少年が無表情でいうと、門番は少し困った顔をして尋ねた。
「町に入りたいのか?」
「はい。仕事で来ました」
「ふーん。外国人じたい滅多に来ないんだけど、子供がひとりで来るなんてのは初めて見たな。ええと、ちょっと待ってくれ」
そう言って門番は、机の引き出しを引いて「入国者カード」と書かれた用紙を取り出す。ペン先をインクに浸しながら、カードの記入欄を見て言う。
「名前は?」
「シィーです」
「姓は」
「姓はありません。親がいないので」
「孤児か」
「いえ。最初からいないんです」
「それは困ったな。システムの都合上、識別しやすいセカンド・ネームがいるんだ。何かないか? 別種名とか、出身地でもいい」
「別種名は〈記憶人〉です。生まれはロンドンです」
「ふむ。〈記憶人シィー〉ね。はじめて聞く別種名だな」
「そうですね。人口はすごく少ないはずです。非生殖性の別種ですから」
「まあ、旅行者なんてものは、だいたい非生殖種だけどな」
そう言って門番はカードの下のほうに目をやる。
「生年月日は」
「西暦で、2309年2月12日です。こちらの暦に換算すると……ええと、ここは何暦を使ってるんですか?」
「ああ、それはいいよ。こっちで計算しておく」
と門番はカードの欄外に小さく数字を書き込む。
「坊やの地元……ロンドン? ってところは、今も西暦を使っているのか」
「いえ」
シィーが小さく首を振ると、耳の下にある、小指の先ほどの白い膨らみが小さく揺れる。
「ロンドンはもうありません。でも、ブリテン島のあのあたりに、まだ西暦を使っている人はいると思います」
「そうか」
門番はそう言って、カードの残りの欄を見る。
「あと滞在期間と目的だが……期間が未定ならそれでも構わないよ。目的は?」
「さっきも言いましたが、仕事です」
「仕事か。小さいのに、大変だね。ええと、あとは生体記録か。どこに置いたかな」
と言って門番は背後の引き出しを上から順に開けていき、いちばん下に入っていた金属製の箱を取り出した。箱の天板にはガラスの板が貼られている。
「データをとっていいか。宗教、プライバシー、その他の理由で拒否するなら、別の認証用IDを発行することもできる。ただ、手続きが3日ほどかかる」
「生体で構いません」
「じゃ、ここに手をあてて。えーと」
門番が入国者カードを裏返すと、そこに書かれている文面を抑揚のない声で読み上げた。
「貴方の個人情報は、この町の中央塔建設委員会が厳重に管理します。正当な目的以外には使用せず、本人の同意なく第三者に引き渡しません。一年後に廃棄いたします。っと。まあ、安心してくれ。見てのとおりこの町は、セキュリティだけは堅い」
「建設委員会?」
「ああ。これは決まり文句だから、あまり気にしないでくれ。さあ」
門番に促されてシィーが白い手をガラス板の上に乗せると、ピーッと甲高い電子音が流れて、赤い走査線が下から上に向かってゆっくり動く。指紋と静脈のパターンを取っているようだった。カリカリと音を立てて、感熱紙のシートが吐き出される。
二部印刷されたシートに「許可」のスタンプを押して、片方をシィーに渡す。
「はい、手続き完了。通っていいよ」
「DNAは取らなくていいのですか?」
「坊やが中で悪いことをしたら、取らせてもらう事になる。これは旅行者も住民も一緒だ。そうならないように頼むぞ」
そう言って門番は壁のボタンを押すと、門の脇の小さなくぐり戸がするりと開く。ほとんどの旅行者の出入りはこのくぐり戸で、大門は外部から大勢が来たときだけ開けると聞いていたが、門番はこの大門が開くのを一度も見たことがない。
シィーは門番にぺこりと頭を下げて、黒猫と一緒に城壁の中に消えていく。
門番はまた机の上で銅貨を積み上げる。あと4枚あればどんなに良いか、と思う。
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