1-5 道中の飯店

 轍を追っていく先で、煉瓦でできた小さな塀に出くわした。

 シィーの背丈ほどしかない低い塀で、真ん中に小さな通路が開いて、轍はその中で消えている。どうやら最近までここに道路があって、それを塀が塞いでしまったようだ。

 油のはねる音と肉を焼く匂いが塀の中から漂っている。視界の低いエルにも、それは感じ取れたらしい。

「俺のカンによると、こいつは、メシ屋だな」

 エルの声を聞きながら、シィーはつま先立ちになって塀の中を見た。

 それは塀ではなく、作りかけの建物だった。壁が途中までしか積まれていないので、少し背伸びをするだけで中が一望できる。

 客席らしき場所にはテーブルと椅子がいくつも並んで、数人の客らしき姿が肉とパンを食べている。奥には厨房らしき部屋があり、コンロらしき構造物が据え付けられている。シィーはそのひとつひとつを、視線で塗りつぶすように見ていった。

「そうだね。もしこれが飲食店じゃなかったら、僕たちは世界に対する認識を、ずいぶん改めないといけない」

 と、シィーは店の中に入っていった。床板は敷かれておらず、地面に直接テーブルが置かれている。反対側の塀に道が開いており、そこから轍が続いているのが見える。本当に道路の途中に店を建てたのだ。

「いらっしゃーい」

 厨房から若い女の声が響いた。この町の他の住民と同様に、黄色い服にメットのような帽子で平鍋を振っている。

「ごめんね、まだ出来たばかりだから、簡単なサンドしか出来ないのよ。いい?」

「はい。あるもので構いません」

 シィーは返事をしながら、流れるように一番近くの椅子に腰掛けた。カバンを隣の椅子に置くと、中でちゃらんと金属音がした。エルはそのシィーの動きに沿って、テーブルの下に入り込んだ。

「おい、食ってくのかよ」

「もちろん。飲食店に入っていいのは、ご飯を食べる人だけだよ」

 シィーはエルの方を見ずに答えた。店内の景色を目に焼き付けるように、ゆっくりと視線を動かしている。

「俺たちの進路に、店が勝手に建ってたんじゃねえか」

「それは僕たちの事情だよ。ここの人たちは、ここの論理で動いてるんだ。道の途中にお店を作ってもいい、とかね」

「けっ。勝手にしろ」

 と言ってエルはシィーの隣の椅子に登って丸くなった。顔と手足を綺麗にまるめこんでしまうと、存在感自体がひとまわり薄くなり、ただの黒い毛玉のように見える。

「そうだ、エル。店員さんが近くにいるときは、黙っていた方がいいよ」

「なんでだ」

 毛玉の中からくぐもった声がする。シィーは手を口にあてて、そっとエルに話しかけた。

「実はね。普通の猫は、言葉を喋らないんだ」

 エルは丸めた身体からにゅんと顔を出し、左右を見て、誰も自分を見ていないことを確認し、囁き声で返事をした。

「……そうなのか?」

「うん」

「もっと早く言えよ、そういうことは!」

「しっ」

 とシィーが手で合図をすると、厨房で平鍋を振っていた店員が、お盆にお皿を持って現れた。

「……ありゃ、君、ひとり? 大人の男の声がしたんだけど」

 シィーは黙って頷いた。こちらの人数を会話で判断したのか、お盆にはふたり分の皿が置かれていたが、そのうちひとつをシィーの前にどんと置くと、

「まあ、いいか。あたしもお腹空いてたとこだし」

「ありがとうございます」

 シィーが店員に礼を言うと、彼女は帽子を外して手に抱え、シィーの顔をまじまじと見た。

「ねえ、君、変わった格好だね。町の外から来たんでしょ?」

 と言いながら、シィーの前にもうひとつの皿を置いた。自分も今から昼飯を食べるからここに座っていいか、とシィーの意思を確認しているようだった。

「はい。どうぞ」

 と言うなり、店員の女は椅子にどさりと腰をおろした。皿に置かれたのは、黒いパンに肉と野菜を挟んだシンプルな料理だった。水の入ったプラスチックのコップがシィーの前に置かれた。コップは相当に年季が入っているようで、乾いた地面のような小さなヒビが全体に入っている。

「ひとりで来たの? お父さんやお母さんは?」

「両親はいません。いただきます」

 と言いながら、シィーはサンドを一口噛んだ。舌にからまるような肉の脂が、パンにも染み込んでいる。

「外の人は、ここには滅多に来ないのですか?」

「たまに歩いてるの見るけど、話すのは初めてかなぁ。まあ、お店じたいが新しいからね。外の人の口に合うといいんだけど」

「とても美味しいですよ」

 とシィーは答えた。

「昔、この近くにあった村で、同じものを食べたことがあるんです」

「へえ、近くに村があるんだ」

 と店員は言った。他のほとんどの都市の住民と同様に、自分の住む以外の場所にほとんど関心を持ったことがないようだった。

「ありました。83年と11ヶ月前に行ったきりなので、もう無いと思います」

「83年?」

 彼女は見開いた目でシィーを見た。

「人間って、そんなに長生きなの? あたし達は、70年くらいで死んじゃうんだけど」

 シィーはしばらく肉を咀嚼しながら、適切な説明の順序を頭の中で組み立て、それから口を開いた。

「人間の寿命も、あなた達と同じくらいでしたよ」

 コップの水をひとくち飲んで、口の中の脂を流し込んだ。

「僕は、人間ではなく〈記憶人〉という別種なんです」

「そうなの?」

「はい」

「外は人間がたくさん歩いてる、って、お父さんが言ってたんだけど」

「そういう時代もありました。ずっと、昔のことです」

 とシィーは言ったが、彼女にはその意味がよく飲み込めなかったらしく、

「人間は、こういう形の絨毯に乗って、びゅーん、びゅーんって、中央塔より高いところを飛べるんだってね」

 と両手の指で三角形を作った。シィーはその動きをしばらく見ながら、

「そうですね。それはおそらく、デルタ翼航空機のことですが」

 とつぶやいた。

 コップが空になっていることに気づいて、店員がかわりの水を促すと、

「ありがとうございます。紅茶をいただけますか?」

 とシィーは答えた。

「紅茶?」

「茶葉を、お湯で濾しただけのものです」

「茶葉……ああ、チャイの葉ならあるけど、ミルクは入れないほうがいいのね?」

「はい。それでお願いします」

 店員は厨房に向かいながら、

「外の人は変わったものを飲むのね。他に何かいる? あんまり出せるものも無いんだけど」

「そうですね。できれば、屋根ができると嬉しいです」

 シィーは手で頭を抑えながら言った。太陽が天頂から照りつけて、シィーの赤い髪をちりちりと焼く。住民がみんな帽子を被っているのも納得の天気だった。

「そうね。早くそこまで建てられればいいんだけど、いま、ちょっとお金がなくって。壁の材は頑張って集めたんだけど、天井をつくるならはりがほしいから、どうしても、ね」

 と店員は茶を入れながら言った。そのあたりの城壁から材を集めることを、この町では「頑張って集める」と表現するようだった。

「天井に使う材は、どちらで手に入れるのですか?」

「北門の市場に行けば、新しいのが売ってるんだけどね。うちはそういうのは無理だから、近くの家を壊すときにもらってくる、とかかなあ。お父さんが生きてた頃は、もう少しうちの羽振りも良かったんだけど」

 先程と同じコップに紅茶が注がれていた。

「それは、ご愁傷様です」

 と言ってシィーは紅茶をひとくち飲んだ。葉をずいぶん煮込んだらしく、通常の紅茶よりもいくぶん渋みが強い。

「ううん。いつも言ってたから。中央塔で死ぬのは、名誉なことだって」

 厨房の奥の写真立てには、父親らしき男の写真と、娘ふたりが映っていた。その隣に置かれた写真には母親らしき女の姿もあったが、紙の日焼け具合から、母はもっと昔に物故者となったようだった。

「妹さんがいらっしゃるのですか?」

 と、シィーはカップを置いて言った。

「そうなのよ」

 と店員は思い出したように手を叩いた。

「今は妹が塔で働いてるんだけどね。建設作業じゃなくてご飯作りだから、あんまり給金もよくないのよ。一緒にお金を貯めて、早く天井を作りたいんだけどねえ」

 と話しながら、店員は自分とシィーの食べた食器をすでに片付け終えて、厨房に置かれたバケツで皿を洗っていた。昼時を過ぎたせいか、店にほかの客はすでに見当たらない。

「あら、ごめんね、こんなつまんない話ばかりしちゃって」

「いえいえ」

 シィーは首を振った。

「そういう普通の話を聞くのが、僕の仕事なんです」

 そう言うと、店員は少しだけ嬉しそうな顔をした。自分の話を聞いてくれる者の存在に、長らく飢えていたようだった。

「この町には長くいるの?」

「何日かいます。中央塔を見てから、他の町に行くつもりです」

「他の町って、随分遠いんでしょう?」

「数日はかかるとは思います」

 とシィーが言うが、彼女は数日歩く距離がどの程度のものなのか、うまく想像できないようだった。

「お父さんが中央塔で働いていたとき、他の町の塔はここから見えない、って言ってたから、そのくらい遠いんだな、って思ってたけど」

「ここみたいな巨大な塔はありません。他の町の人たちは、あまり、塔を作らないんです」

 とシィーが言うと、店員は不思議そうな顔をした。

「じゃ、その人たちは何をしてるの?」

「生活を、しています。畑を耕したり、魚をとったり、布を編んだり」

「……へぇ、何のため?」

については、それぞれの人の考え方がありますが」

 と、シィーは空になったコップを置いた。

「僕の仕事は、そういうのをひとつひとつ見て、覚えておくことなんです」

「ちょっと、君の言ってることがよく分からないなあ」

「すみません。僕は覚えておくのが仕事なので、理解してもらうのは得意でないんです」

 シィーが申し訳なさそうに頭をさげると、店員が苦笑いしながらコップを片付けた。その背中に語りかけるように、シィーは言った。

「たとえば、ある巨大な塔のある町に、屋根のないご飯屋さんがあって、お金をためて屋根を作ろうとしている。そういうことを、ひとつひとつ、僕は覚えておくんです」

 シィーの渡した銀貨を手にとると、キッチン用の電子秤でその重量を見て、電卓をいくつか叩いたあと、彼女なりに適切と思われる銅貨を、釣り銭としてシィーに手渡した。

「屋根ができたら、また来てね」

「はい。そうします」

 と言ってシィーは、入った側とは逆のほうへ出ていった。後ろを四足の獣が黙ってついていくのを、店員は気にもとめないようだった。

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