1-6 建設委員会本部
「話が長えんだよ、シィー」
周囲に人影がないのを確認すると、溜まっていた鬱憤を晴らすようにエルが言葉を吐き出した。机の下でふたりの話をずっと聞いているのが、気の短い彼には余程の苦痛のようだった。
「そんなに長く話してないよ」
「お前さんにとっちゃそうかも知れねえが、黙って座ってる俺にゃ十分長え。何度、話に割って入ってやろうかと思ったぜ」
「別に混ざってもいいけど」
と言ってシィーは壁を見た。「道路変更につき市場を移転します」という張り紙と、方角だけを示した矢印が書かれている。店の外には薄暗い日陰が続いていた。塔に近づくほど城壁が高くなるので、地面まで日が届かないのだ。流れる空気も少し涼しくなっている。
「なるべく普通の猫をやりたい、って言ったのは、君だよ。エル」
「ほう、俺はそんなことを言ったのか」
とエルは何かを思い出すような目をしたが、その目はどこにも焦点を結ばないようだった。
「ま、言いそうな気はするな。で、だ。お前さんにとっちゃあの姉ちゃんとのおしゃべりは、有意義な会話だったのか」
「そうだね。おかげでこの町について、いくつかのことは分かったよ」
「例えば」
「ここの人たちは、建物が好きなんだね」
「また、それかよ」
エルは呆れたようにため息をついた。
「俺の中で、お前さんに対する敬意が揺らいできたぞ。お前さんは実は、大したこと無えんじゃねぇのか?」
「もちろん。僕は、大したことは無いよ。ただ見て、覚えておくだけなんだから。何かを創り出したり、誰かを守ったりすることはできない。そういうものだから」
そう言いながら壁を曲がると、そこは、ちょっとした広場になっていた。
城壁が満ちているこの町では広場は珍しいらしく、小さな子供たちが集まって遊んでいた。石を積んで城をつくり、ボールを投げてそれを取り合う合戦ごっこをしていた。シィーたちは合戦を避け、壁に沿って広場の奥へ向かった。
奥には、大規模な城壁を壁の一面とした巨大な庁舎があった。すぐ後ろに中央塔がそびえて、玄関には浮き彫り細工の文字で〈中央塔建設委員会本部〉と書かれている。シィーたちがこの町で見た中で、いちばん巨大な建物だった。もちろん中央塔を除いて。
「俺のカンが正しければ」
とエルは言った。エルは浮き彫りの文字が読めなかった。
「ここは、市役所だな」
シィーは頷いた。
「そうだね。つまり、この町では市役所のことを、というよりも政府そのものを、建設委員会って呼んでるんだ。最初の門番の人も、そんなことを言っていたし」
「なるほど」
とエルは頷いてから、しばらく考えて聞いた。
「ってことは、どういうことだ、シィー」
「町が中央塔を建設しているというよりも、中央塔の建設のために町ができた、ってこと」
「なぁーるほど、道理でみーんな、建物が好きなんだな」
と、エルは小馬鹿にしたような間延びした声をあげたが、その間にシィーは躊躇もなく「建設委員会本部」の門に入っていった。
「おい、市役所なんて見てどうすんだよ」
「どうするって、決まってるでしょ。見るんだよ」
壮大な玄関口を通ると、中はどの都市にもあるような役所の庁舎だった。窓口の行列でシィーの前に並んでいた老爺は、自分の家を隣人に勝手に壊されてしまった、と苦情を申し立てて、委員会の公正な裁定を申請していた。
シィーが門番に渡された入場許可証に〈記憶人シィー〉と書かれているのを見ると、窓口の事務員はそれを別の役人に回し、ドアの後ろ側で何人かの手を経て、やがて、
「我々の委員長がお会いになります」
と声がかかり、シィーは本部の最上階にある「委員長執務室」と書かれた部屋に通された。
「建設委員会」が政府であるこの町では「委員長」が最高権力者なことが容易に推測できたが、その執務室の外観もその推測を裏付けしていた。
執務室に置かれた大きな机は杉材を塗装したもので、木材の貴重なこの町では堂々たる威容を放っていた。広い床に敷かれた色鮮やかな絨毯も、おそらくこの地で手に入りうるもっとも上等のものだ。
その奥で待ち受ける委員長は、白い髭の生えた初老の男だった。他の者と異なる社会的地位を現すのは、帽子の
その後ろには、髪の長い女が円筒形のブラウン管画面の前に座り、キーボードをかちかちと叩いている。秘書官のようだった。
「ようこそ、我らの塔へ。〈記憶人〉の方がこの塔をご訪問と伺ったので、ぜひ話をさせていただきたいと思いましてね」
と委員長は名乗って、シィーの姿を見た。
「はじめまして。シィーです。記憶人のことをご存知でしたか」
とシィーが言うと、委員長はいくらか不思議そうな目でシィーを見つめ、少し目を逸してその背後を見た。その流れはシィーにとってはごく見慣れたものだった。
〈記憶人〉の存在を聞いた者はたいてい、世界中の知恵をその身に蓄えた老賢者の姿を想像する。権力者の場合は、それが自身の権威に結びつくと信じて、記憶人との面談を希望する。
いささか緊張した面持ちで客人を待っていた彼らは、現れた少年の姿にいくらか面食らう。
目の前の少年がただの従者で、その後に本物の記憶人が現れるのだろうかとドアの後ろ見る。しかしシィーの後から現れるのは、一匹の黒猫である。黒猫は四本足でひょこひょこと歩いて、少年の脇に座り、少年が名乗る。そこでようやく、目の前の少年が話に聞く記憶人だと受け入れるのだ。そうした一連の流れが、シィーの記憶には何重にも刻まれている。
かしこまった姿勢をしていた委員長は、ごく自然に足を組んで姿勢を崩し、シィーにも楽にするようにと目で促したが、シィーはそのまま両手を小さく握って膝の上におき、背を伸ばしていた。その姿勢がシィーにとって一番自然のようだった。
「うむ。文献で読んだだけで、実物を見るのは初めてだがね」
と言いながら、委員長は背後にいる秘書に、何か菓子類を用意するように促した。ブラウン管の前に座っていた秘書官は立ち上がり、黙って部屋をあとにした。
「なんでも、人間とその後の社会を記憶し、後世に残すために、遺伝設計技術で生み出された〈別種〉ということだが」
「はい。そのようなものです」
「見たものをすべて記憶できる、と聞いたが、それは一体、どういうことなのかね」
「先程の秘書官の方が、キーボード入力をする際の指の動きでよければ、正確に思い出すことができます。建築用モルタルの生産量に関する指令書でした」
と言うと、委員長はふふんと笑った。
「いや、別に君の能力を試したいわけではないのだ。ただ、我々と違う、別種の生き方というものを知りたいと思ってね。なにしろこの塔には、訪問者などそうそう来ないものだから」
と委員長は腕を組んだ。彼は一貫して、自分たちの居場所を町ではなく塔と呼ぶようだった。
「つまり……いささか失礼な疑問になるのを許してほしいが、君がどれだけ世界のことを記憶しても、君が死んだら、すべてが灰燼に帰してしまうのではないかね? シィー君。記憶人の寿命がどれほどなのかは知らないが、生物ならばいずれは死ぬだろう」
この質問も、シィーにとっては慣れ親しんだものだった。自分の耳を指差して、
「そうならないように、常にバックアップをとっています」
と言った。真珠のような小さな膨らみが、両の耳に垂れている。一見するとピアスのようだが、それはシィーの耳に直結していた。
「記憶
委員長はシィーに顔を近づけて、その器官をまじまじと見た。
「引っ張ったら、取れそうに見えるのだが」
「はい、年に二度か三度、自然に取れます」
と言ってシィーは、指でそれをつまんで床に落とすような仕草を見せた。
「これは単体の生物として、自己複製する能力があるんです。土壌の微生物と同じように、地中の有機物を分解し、増殖し、拡散します。遠い未来に地球に来た訪問者がこれを掘り出し、DNA配列を解析すれば、人間たちの残した社会の姿を、彼らに伝えることができます」
委員長はしばらくその膨らみを見て、
「……ふむ。君の仕事を無碍に否定するつもりはないが」
と、いささか不安そうな顔で言う。
「私には、頑丈なものの方が、永い時を越えられるように思えるのだが。中生代に滅びた恐竜の存在が今に伝わっているのは、DNAではなく、化石資料が残っていたからだろう。後世に何か残したいと思うのなら、目に見えない分子よりも、石を刻むべきではないのかね」
するとシィーは、あらかじめ準備していたように速やかに答えた。
「恐竜化石が残っているのは、恐竜がそれだけ増えたからです。つまり、DNAの複製能力のためです」
委員長は少し黙ると、皮肉そうな笑みを浮かべて言った。
「面白い考え方だな。まあ、君と私は別の生物種だからね、方針で議論しても仕方がないか」
シィーは秘書官の持ってきた菓子を、ひとくち食べてから答えた。
「その通りです。人間の歴史が後世に伝わったのは、石に刻まれた碑文と、紙に記された写本のおかげです。あなた達は碑文を作り、僕は写本を作ります。共に生きましょう」
「うむ。共に生きよう」
と言い、委員長とシィーは握手を交わした。委員長の手はシィーの倍ほどもあった。何世代も石を積み続けた彼らの日々が、そこに象徴されているようだった。
「で、我らの塔の内部を見たいのだね、シィー君。記憶人の仕事として」
「はい」
「あれを外部の者に公開することは想定していないのだが、君には、我々の事業の過程を見せる価値があるだろう。我々の歴史にも、記憶人が塔を見にきたことが刻まれるだろう。許可証を発行するから、持っていきたまえ」
と言って秘書官に指示を出すと、秘書官はブラウン管モニターに文字を入力し、粒子の荒い書類がごりごりと鈍い音をたてて出力された。委員長がそこにサインを記してシィーに手渡した。
「とはいえ、今日はもう暮れる。作業員たちも夜は休む。宿を手配するから、明日にでも登りたまえ」
「ありがとうございます。助かります」
シィーが席を立ち、一礼をしてドアに向かうと、ソファの脇で丸まっていたエルもそれについて行った。
「ところで、そちらの小さい君は、これも文献で見ただけなのだが、……猫、かね?」
エルが反射的に振り向いて委員長の顔を見ると、シィーはエルの後頭部を見下ろして、小さく話しかけた。
「エル。普通の猫は、猫って呼ばれても振り向かないよ」
その声にしばらく考えてから、エルはシィーを見上げて言った。
「そうか、言われてみるとそうだな。うっかりしていた」
「……ふむ」
委員長は怪訝そうな目で、エルの顔を見下ろした。普通の猫は喋らないという事実は、彼の文献には書かれていなかったようだ。
「ま、俺のことは深く考えないでくれ、委員長さん。シィーと違って、俺は人間の文化を記憶するとか、そんな御大層な使命は持っちゃいねえ、どこにでもいる普通の猫ちゃんだ。んじゃ、しばらく世話になるぜ」
と言い残して、前足で執務室のドアを押して出ていった。シィーは委員長に挨拶をして、その後を追った。
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