1-7 中央塔を登る

 朝日が地平線から顔を出すよりも先に、中央塔は日の光を受けて曙の空を割るように煌々と輝いていた。その神秘的な景色は、中央塔が「天国への門」と呼ばれていることを、否応なく納得させる美しさだった。

 日の出とともにシィーとエルが宿を出ると、中央塔では既に、作業員たちがエレベーターに荷物の積込をはじめていた。

 珍しい外部の訪問者、それも動物連れであるシィーに、塔の門番は不審そうな顔をしたが、委員長のサインが本物であることを慎重に確認すると、慇懃そうな顔でふたりを塔の中に招き入れた。

 内部構造は極めてシンプルだった。円筒状の塔の真ん中に巨大な柱があり、そこから外壁へと放射状にはりを伸ばして、各階層の床を支えていた。柱には何機ものエレベーターがあり、ひとの腕ほどもある黒いロープがその箱を支えているのが見えた。

「自己修復性カーボン繊維だね。宇宙エレベーター用に開発された素材だよ」

 と、シィーがそのロープを指して言った。

「ほー。人間はそんなモンまで造ったのか。大したもんだな」

「造ってないよ」

 シィーは首を振った。

「素材はできたけど、結局建設されなかった。その頃はもう宇宙に行く人が減っていて、需要が足りなかったんだ」

「ふん。まあ、使い道があってよかったじゃねえか。んじゃ、あれに乗せてもらうか」

 エルが前足で、たったいま降りてきたエレベーターの箱を指して言った。空になった貨車が外に運び出され、作業員たちがそこに荷物を積んでいく。

 素材の技術力に反して、動力は原始的なガソリン駆動だった。柱を囲むように設置されたエンジンが、腐臭を立てながら排ガスを吐き出している。奥には再生石油のタンクが何本も並んでいる。窓はどれもガラスが嵌められていないので、室内でエンジンを燃やしても問題ないようだった。

 作業員たちが資材を入れた貨車をエレベーターに積み込むと、その隙間に収納されるように自分たちの身体を収めた。長い時間とともに熟練した、精密機械のような動きだった。数機のエレベーターが数分ごとに地上階に降り立ち、その動きを繰り返していた。

「いや。あの人たちの邪魔になるし、歩いて登ろう」

 と言ってシィーは塔の外壁を指した。壁の内側には螺旋状の階段が延々と続いていた。螺旋の半径がきわめて大きいので、階段はほぼ平面になっている。

「正気か?」

「正気。ほら、これを見てよ」

 と壁を指した。

「この町の歴史が、壁に刻まれてるんだ。見たところ、階段に沿って上までずっと。こういうのは端から見ていかないと。それに」

 と言ってから、シィーは少し声のトーンを落としてつぶやいた。

「これを言うのは21回目なんだけど、僕は、長距離のエレベーターが苦手なんだよ」

「そうなのか。なんでだ」

「高山病になるんだ。記憶人は神経細胞が多くて、酸素をたくさん使うから、人間よりも気圧の変化に弱い」

「おいおーい、お前さんは人間よりもタフなんじゃねえのか?」

 エルはヒャハハハっと笑った。

「得意不得意ってものがあるんだよ。でも、少しずつ登って高地順応すれば大丈夫。人間のヒマラヤ登山と一緒」

「少しずつって、どのくらいだ」

「この高さなら、3日だね。下りはエレベーターを借りよう」

「オーケイ。そんじゃ俺は、宿で待ってるぜ」

 と言って塔を出ようとするエルを、シィーは足で遮った。

「駄目」

「なんでだよ。こんな塔を3日も登ったら、退屈で死んじまうだろ」

「でも、宿で3日待ったら、エル、僕のことも、なんで自分がこの町にいるかも忘れちゃうよ。3日経ったとき、僕と一緒に塔にいるよりも、ひとりで宿にいるほうが困るでしょ」

 そう言われて、エルはしばらく考え込むふりをした。その事実を認めたくないという心理が、彼の返事を無駄に遅らせた。

「……仕方ねえな。お前さんがバテた時のために、ついてってやるとするか」


 それはもちろん強がりの言葉だったが、結果はエルの言う通りだった。

 気圧の変化に弱いシィーは、300メートルも登ったあたりから、徐々にエルから引き離されていった。

 エルは右前足を壁に当てながら、残り三本の足で平たい螺旋階段を登っていった。昨日シィーに否定された迷路のを、これみよがしに実践しているようだった。だが背後を見ると、シィーの姿はすでに見えなくなっていた。

「おい、シィー? 大丈夫か?」

 エルの叫びは螺旋階段に響き渡り、自分の声が四方八方から聞こえてきたが、返事はなかった。下まで降りると、シィーは自分のカバンを抱いて、青い顔で階段に座り込んでいた。

「情けねえやつだな。歩くのが好きってんなら、身体が鍛えられるもんじゃねーのか?」

 肩で息をしながらシィーは答えた。

「記憶人は、身体を鍛えたりは、できないんだ。身体の構造を、細胞が記憶しちゃってるから」

「ふーん。じゃ、お前さんはずっと、子供のままか」

「そうだよ」

 と言って、シィーは何度か深呼吸をしたあと、言葉の続きを吐き出した。

「これ、言うの、2434回目……」

「うおっ、そんなに聞いたのかよ」

「うん。お前さんが大人になったら云々、って、何度もね」

「そりゃ、……悪かった」

 と、エルは目線を少しそらした。

「大丈夫だよ。身体のサイズは、別に、不便して、ない、から……」

「無理して喋んな。少し壁際に移ろうぜ、他のやつが来たら邪魔になる」

 エルはシィーの腕を前足で掴んで引いた。それが多少なりとも手助けになったのかは分からないが、ふたりは階段の端に腰かけた。

 とはいえ、他の者が階段を登ってくる様子はまったく無かった。

 遅いペースで登っているはずの二人を追い越す者も、上から降りてくる者の姿もない。作業員たちが何人も住み込みで働いているはずだが、彼らに関心があるのは煉瓦を積み重ねる最上階だけで、途中の階にはほとんど忘れられているようだった。

「窓にガラスとか嵌めねえのかよ、この塔は」

 とエルは窓に近づいて外を見た。壁には窓がいくつか開いているが、景観というよりも空気と外光を取り込む穴といった印象だった。安全柵もないので、うっかり近づくと下に落ちかねない。

「何か、見える?」

「言うまでもなく、下の町が見えるぜ」

「僕も見る」

 シィーは這うように慎重に窓に近づいて、外の景色を見た。

 都市計画といった概念は片鱗も見当たらない。ミクロな遺伝物質の命令に従って増大した、巨大生物の小腸のような構造になっていた。

「そうか。地図が欲しければ、ここに来ればよかったんだね」

「ここに来るために、地図が必要だったんだろ?」

「この後で役に立つんだよ。僕の仕事は、塔を見るだけじゃないからね」

 と言う。自分たちのいる中央塔から外側に向かって、ほぼ正方形の城壁が何重にも重なって、不規則な通路ができている。

「しっかしなあ。普通こういうでっけえ建物は、なんかテナントを入れるとか、階層ごとの用途ってもんがあるはずだろ? マジで何もねえんだな、これ。変な構造材でフロアが埋まってやがる」

「何もなくはないよ。町の歴史が、ずっと書いてあるから」

 シィーは壁に刻まれた文字を指した。エジプトのピラミッドに刻まれた神聖文字のように、彼らは自分たちの歴史を、この塔の壁に刻み込んでいた。

「そうかそうか。何か面白い歴史的イベントでもあったか?」

「ここまで百年分くらいだけど、まず初めに……」

「要約してくれ。3行くらいで頼む」

 エルが口を挟むと、シィーは目を閉じて考えた。全てを記憶できるシィーにとって、要約という行為はあまり得意分野ではなかった。

「最初、この町には王がいて、天国まで続く塔を建てるように命じた。王は圧政を敷いて、反抗する臣下や民を塔から突き落としていた」

「ふむ。道理で窓ガラスがないんだな。突き落とすときに邪魔になる」

「あるとき革命が起きて、王は殺された。住民はみんな喜んだけど、建設途中の塔をどうするのかが問題になった」

「ほう」

「で、建設委員会が組織され、投票で選ばれた委員長が、建設指揮と町の統治を行うことになった。昨日行った委員会本部は、もとは王宮なんだって」

「……よく聞く話だな」

 ふたりがしばらく黙って、シィーの要約が終わったことを認識すると、エルは前足で頭をぽりぽり掻いて、

「けどよ。そんな革命が起きたら、王の命令でつくった塔なんて、ぶっ壊しちまうか放置だろ。なんでまだ造ってんだ」

「王がいなくなっても、天国への信仰が残ってるからじゃないかな。そういうのは、政治体制よりももっと深いところに、組み込まれていたりするものだから」

「そういうもんかね」

「そうだよ。たとえば、人間社会はどんな時代、民族、体制でも、とにかくピラミッド型の社会を作る。少数の支配者が多数の一般人を統治する、ってことね。革命が起きても、各層の名前が変わるだけで、結局はピラミッド型になる。これはつまり、人間の本質にピラミッド建設の性向が組み込まれてるってこと。キャロルはそう言ってたよ」

「誰だよ、キャロルって」

「もう忘れたの」

「仕方ねぇだろ。俺の記憶は、3日で消えるようになってんだから」

 エルはキーッと喉を鳴らした。

「でも、昨日、君が自分で言ったじゃない、『さすが優秀な博士様だな』って。迷路の説明をする時に」

 と言うと、エルは口に前足をあててしばらく考え込んだ後、

「あー、そりゃ確かに、言ったな。俺がその名前を、ってことは、覚えてる」

 と言った。

「が、そいつが誰なのかは、もう忘れた」

 あっけらかんと話すエルに、シィーは少しだけ寂しそうな顔をした。

 忘れるということをあっさり受け入れられるのが、シィーとエルの根本的な感覚の違いだった。どれだけ長く旅を続けても、この違いはふたりにとって埋まりようがなかった。

「4日前の夜に、村の教会で、キャロルのことを話した。キャロルがどうやって〈記憶人〉の僕を作って、育てて、送り出したかの話をした。時計職人のおとぎ話もした。それは、覚えてる?」

 エルはしばらく考えてから言った。

「まるっきり」

「うん。いつもどおりだ。じゃ、もう1回説明するよ」

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