第17話 魔法使いと老境の騎士
砦からの出立が7日後だと俺が宣言してから、3日が過ぎた。
彼女たちとであって……まだ、4日目だ。
生後、4日目にもなる。
「なにそれ、便利ね、ちょうだい」
「やらん」
シーラに用意させた堅焼のパンを鞄に詰めていると、ペルシアが覗き込んできた。明らかに容積を超えた量を詰めながら、便利、のひとことで済んでしまうあたり、この世界では科学よりも幻想の力が幅を利かせていることが予想できた。
空を飛ぶホウキや絨毯が存在しても、驚きこそすれ疑いはしないのだろう。自分が不思議だと思うことのすべては、魔法や奇跡のひとことで説明がついてしまうのだ。科学や魔法の学者でないかぎり、エンドユーザーの反応とはそんなものだ。
銃やテレビに携帯電話も、こまかな原理を知らずとも利用はできる。わざわざ、科学的な理論に反するかどうかを疑ったりはしない。自分にとって便利であれば、それで良いのだ。それ以上に疑ったりはしない。
賊の砦のなかには、六〇人からの人間が生活できるだけの物資があり、そして金銀財宝の山とまではいかないが、それなりの貯えが眠っていた。
これらのものも鞄に詰め込み、砦を出る用意を手早く揃えていた。
「そんなに急がれて、どうかなされたのですか?」
「うむ。想定していたよりも敵の動きが速い。隠れることで7日は稼げると思っていたが、すでにこの砦は発見されたようだ。正体は不明だが、昨晩から何者かに見張られている」
「……気のせい、じゃないの?」
「そうであれば良いが、考えにくい。昨晩、砦のそとへ哨戒に出たとき、三人のものではない足跡を見つけた。向こうも俺たちの足跡を追ったのだろう。時間が経った足跡を見つける連中だ、精鋭部隊とみて間違いない。いざとなれば砦を放棄する覚悟は決めておけ」
精鋭と聞いて、ペルシアとシーラの表情が曇った。
敵の正体について、覚えがあるのだろう。
「いますぐ逃げるの?」
「いや、逃げない。それこそ向こうの思うツボだ。足跡の発見から半日、すでに砦は包囲されていると考えられる。いま出ていけば、集団に囲まれるだけだ。雨を待ち、街道とは別の方向へ、山の側に逃げて振り切る。いつでも動けるように準備はしておけ」
もちろんその逃走経路は、敵の側も想定していることだろう。だが、正面突破よりはまだ成功の確率が高い。
シーラに堅焼のパンを焼かせているのは保存食であることはもちろん、煮炊きの煙を人数分以上に見せかけるためだった。
たった三人ばかりでは、石壁の守りもほとんど意味を為さない。せいぜいが泥棒除けだ。攻め落とすと覚悟を決めた相手からは5分と身を守れはしない。
多数の賊に捕まっている、と、思わせることが出来ればよいのだが、敵はそれでも準備を整えて、いずれは攻めてくるだろう。
そのときには二人を抱え、EXAMSの力に任せて走り去るだけだ。乗り心地は最悪だろうが、人の脚では追いつくことはできない。馬の脚から逃げることは難しいが、登坂の速度で負けることはない。
撤退戦について頭のなかでシミュレーションを走らせていた。
だが、敵は俺の想定を上回った。
「頼もう。
朗々とした武人の名乗り上げだった。
これはさすがに、俺の想定外の出来事だった。
時代錯誤もはなはだしい。だが、この世界においては時代相応の行動になるのだろう。
「どうする? 呼びかけを無視しても構わんが?」
敵の指揮官が堂々とすがたをあらわしてくれているのだ。
いっそ、砦のなかに引き込んで暗殺しても良い。
「会いましょう。バレウス卿が堂々と名乗りをあげているのです」
「……バレウスという男は、おまえたちの味方か?」
「いいえ、敵です」
「そうか」
シーラの返事にうなずきを返した。
ペルシアは、自分が口をはさむべきことではないと口を閉じていた。不満というよりも、苦々しげな表情だ。決して逃れられない不幸な結末が、ついにやって来てしまったという顔をしていた。
砦の門を開けると、老境の男がひとり、騎士甲冑に全身を固めたすがたで立っていた。
背中には剣、人間を斬るには大袈裟すぎる、長大な大剣を背負っている。
深い皺に隠された、鋭い眼光をはなっていた。
「出迎え、ご苦労。ペルシア、長旅のあいだ息災であったか?」
「はい、バレウス様。皇女殿下にあられましては、御壮健に障りはありません」
「そうか、ならよし。そなたの忠義には讚しよう。よくぞ仕えた」
ペルシアが、らしからず、宮中の作法であるのだろう礼儀作法を見せていた。
しかし――、俺は思っていた。
ねぎらいの言葉を掛けながら、心配であったのはシーラのことだけであったらしい。貴族や王族の社会がそうであるとしても、彼女が無碍に扱われることには苛立ちを感じていた。
「して、ペルシア、そちらの御仁を紹介いただけるか?」
「はい、バレウス様。彼は――、彼はぁ?」
ペルシアは口を開き、どう説明したものかと迷ったのだろう。そもそも、だ。俺にはいまだに名前がなかった。シーラが思いつくかぎりの名前を片端から却下してきたからだ。どうにも彼女が挙げる名前は、貴族趣味でキザが過ぎる。
「ペルシア、どうした?」
彼女の戸惑いに、バレウスが怪訝な表情を浮かべる。
しかたがない、助け船をだすとしよう。
「俺は、通りすがりの魔法使いだ。これも旅の奇縁というものか、シーラ皇女の一行に同道させてもらっている身だ。ペルシアたちには名前を明かしていない。祖国の習慣だ」
「そうであったか。貴殿にも世話になったものと察する。帝国を代表し謝意をしめす」
「旅の苦労はお互いさまだ。こちらこそ皇女様には世話になっている」
バレウスの推し量るような視線が俺をなめる。あえて身体の重心を崩しているが、あまり戦力を隠し通せてはいないようだ。ことさらに杖を強調し、魔法使いであることを主張しているが、どこまで信用されたかには疑問が残る。
ペルシア、俺、それから砦の窓に一通り視線を送り、総戦力を確かめてから彼は足を進める。
貴人として、ひとつ奥まったところに立っていた、シーラの前で彼は片膝をついてみせた。
「シーラ皇女におかれましては、御壮健のほどおかわりなく、このバレウス、心より安堵いたしました」
「心配りには感謝します。バレウス卿、用向きは?」
「はい。シーラ皇女には帝国へとお帰りねがいますよう、お迎えにあがりました」
「国の戦争は、どのように?」
「はい。シーラ皇女の不在が判明したようで、魔族の側の足並みは乱れ、大規模な侵攻は収まっております。現状は、偶発的な衝突による戦闘が起こる程度の小康状態といったところです」
「そうでしたか。国が落ちていないことには安心いたしました。……帝国に戻ってのち、私の身の上はいかように処されるのでしょうか?」
「……皇帝陛下への抗命による反逆罪をもって、死刑に処されるものと宮中では噂されております」
「わかりました。では、そのように――、」
「待て。ふたりで勝手に話を進めるな、俺にもわかるようにして話せ」
舞台の中心にありながら、蚊帳の外におかれるのは気分が悪い。皇女だの、魔族だの、戦争だのと聞かされてもサッパリだ。
「……貴殿が何者であるかは知らぬが、一国の皇女の言葉を遮るとは、あまりの無礼とは思わぬか?」
「悪いが、キサマもシーラも、俺の上官ではない。シーラがどこの国の皇女だろうが女王だろうが、家臣として振舞わなければならぬ道理はない。シーラ、わかりやすく述べろ。おまえの隠していたことを、全部だ」
バレウスの手が剣の柄に伸びたが、さすがにこの体勢からでは不利を悟ったのだろう。
ちらりと俺に鋭い視線を送るだけに留まった。
「……私は、“聖女”なのです」
シーラは、なにか重大な秘密を明かしたかのように強く述べた。
彼女のまなざしは、とても真剣なものだった。
「ふむ、“聖女”とは何なのだ? 俺が記憶を失っていることを忘れてはいないか?」
「ごめんなさい。そうでした。“聖女”とは、すべての魔法や呪いを打ち消す力を持って生まれた者のことです。その力は、神の奇跡や悪魔の呪詛であっても打ち消すことが適うと伝説には謳われています」
「ふむ。魔法を消すことができるのだな。なかなか不便で便利だな。それが、どうしてシーラが死なねばならん理由につながるのだ?」
「……姫様の口で語らせるには、酷な話だ。某が説明しても構わぬか?」
「まかせる」
バレウスが大きくひとつ、うなずいた。
「世界には、その不死性や再生能力のために滅ぼしきれぬ魔王や魔神、邪神といった存在が各地に存在している。その多くは古の勇者たちの手によって封印された。だが、姫様の力をもってすれば封印は解かれるのだ」
「もちろん、姫様が進んでそれを為されるはずがない。ゆえに力尽くでことを為すために封印された魔王や魔神、邪神たちの眷属や信徒が徒党を組んで帝国に攻め入ってきた。それが話の始まりとなる」
「……負け戦か?」
バレウスは素直に認め、うなずいた。
魔族がどういったものかを俺は知らないが、数こそたしかな暴力だ。一国の軍事力を超えるだけの物量で攻め入ってきたに違いない。そこで、シーラの命運が決まったというわけだ。
「戦争を終わらせるため、ことの発端であるシーラ様に、皇帝陛下は自害を命じられた。だが、シーラ様の近くにあった者たちは陛下の命に背き、姫様を国外へと誘拐したのだ。ここにある、ペルシアも同罪だ」
「……自害の命令に従わなかったから処刑する。それは、ずいぶんと素敵な法律だな。本人には、なんの罪もないというのに」
「国のためだ。仕方がなかったのだ。某とて、無為に姫様の死を望んでいるわけではない。言い訳になるが、生きてほしいと望んでいる。だが、国は存亡の機にあるのだ。ひとりの犠牲によって皆が救われるのであれば、判断を挟む余地はない。――違うか?」
彼の言葉は正しい。
あまりにも正しすぎる。
正論だ。非の打ち所がない正義を貫いた言葉だ。
真っ当な理性の持ち主であれば、やむを得ない犠牲として彼女を磔刑に処すことだろう。
だからもちろん俺は、
「違う。大間違いだ。見当外れも良いところだ」
こう答える。
「どこが違うというのだ。言ってみろ?」
バレウスの声には面白がるところがあった。
「命の価値だ。バレウス、おまえは命の価値を数のみで判断している。それはひとつの尺度だ。為政者としては、たしかに正しい。だが、別の尺度で測ったなら、命の価値は簡単に変わるものだ」
「別の尺度だと?」
「シーラを生かすために自分を犠牲とした者たちがいる。死んだ者たちがいる。彼らの命は重いぞ? 測りきれぬほどに重いぞ? 他人のために自身を犠牲にした者たちの命は、たった一つであろうとも、自身のために他人を犠牲にする者たちの億千万倍は重いぞ?」
「それは詭弁だ!! そのような理想論で国家が回るものかっ!!」
「ならば滅べ。俺はかまわん。おまえ達の国がどうなろうと一向にかまわん。国のためにシーラの死を望むのなら、シーラのためにおまえたちが滅べば良い。自己犠牲の精神が尊いというのなら、おまえたちこそが犠牲になれば良いのだ」
「それは、他所者である貴様が決めることではない!! 姫様!!」
「シーラ、生きろと願った者のために生きろ。死ねと願った者のために死ぬな」
決断の矛先を向けられ、シーラは困惑の表情を浮かべる。
考えているのだろう。国のことを。そして、自分のために死んでいった者たちことを。
「バレウス……わかりません。私には、何が正しいのか……」
「ふむ。そうか。では、おまえが決めろ、ペルシア」
「え? あたし?」
急に話が振られるとは思ってもみなかったのだろう、地が出ていた。
「シーラが決められないと言うのだ、ペルシア、おまえが決めろ。ペルシア、おまえは、シーラに生きてほしいと願うか?」
「あたしは、そりゃあ……シーラには生きてほしいと、思う、けど?」
「決まりだ、バレウス。交渉は決裂だ。シーラの命が欲しければ力尽くでこい。俺とペルシアが相手だ。手強いぞ。なにしろペルシアの剣の強さは、シーラよりも弱いからな」
「あ、あれは、たまたまだし!!」
「十戦して十敗、もはや疑いの余地もなかろうに、見苦しい」
哄笑。豪放磊落。肩を大きく震わせて、老境の騎士が笑い声を挙げる。顔はうつむき表情は見えないが、その背からは鬼気がたちのぼり、あるいは怒気ともとれる闘志の圧が目に見えるようだった。
バレウスが、片膝をついたままに嗤っていた。
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