第13話 魔法使いの退去勧告

 厨房に立つシーラは、生き生きとしていた。部屋がきれいに片付くことが、どうにも嬉しくてたまらないようだ。俺の記憶が確かであれば、そういった仕事は下働きのすることなのだが、「ペルシアは雑」であるらしい。


「なによ? なにか言いたいの?」


 俺の無言の視線が気に入らなかったようだ。


「食べられない野菜などはありますか?」

「うむ、記憶がないため、さっぱりわからん。食えなかったものが苦手なものだ」

「はい、わかりました」


 その気になれば、アリでも芋虫でも食えそうな気はしていたが、かといってそれが好物というわけではないだろうから、黙っておくことにした。


 手際の良い作業は、見ていて気持ちがいい。野菜の皮が剥かれ、干し肉の筋に刃が入れられ、小麦の粉がチーズかバターで溶かされている。それと並行しながら、水で溶いた小麦粉を鉄板の上で薄焼きにして何層にも重ねていた。パンの代わりだ。酵母が見つからないため、薄焼きの生地を何層にも重ねることで、柔らかな食感を生み出そうとしているのだろう。


「シーラを妻にする者は、幸せ者だな」


 何気なく言ったつもりだった。

 シーラの手がぴたりと止まり、それを隠すように作った笑顔で振り向いた。

 なにか、この世界の常識に反するおかしなことでも口にしてしまったのだろうか?


 彼女は彼女で料理のことを考えている間、俺は俺でつぎの戦いのことを考えることにした。


 おかしいのだ。

 ここは旅人や隊商を襲う賊たちの根城であったはずだ。干し肉があるのは良い。麦があるのも理解できる。だが、芋や菜の用意があるのは、おかしいのだ。砦のなかやそとに菜園があった形跡はない。偶然、野菜を売る行商人を襲ったばかりでもないはずだ。


 植物、とくに菜は、しなびやすい。ほかの植物もおおよそはそうだ。地面から引き抜かれた時点から弱り始める。陸に打ち上げられた魚ほどではないが、急速に衰弱しはじめるものだ。


 つまり、保存のきかない食料品が定期的に補充されていることになる。

 賊の側から市場に出かける機会もあるのだろうが――、想像するのは難しい。


 この砦には、思っていたよりも長い時間、隠れてはいられないのかもしれない。

 長くて半月、短ければ一週間というところだろう。


「シーラ、おかしなことを訊ねるが、答えてくれ」

「なんでしょうか? 私に答えられることなら」


「常識的なことだ。俺は記憶がないからな。このあたりの地方では、こよみをどのようにして区切っているのかわかるか?」

「暦の区切りですか?」


 シーラは手を休めずに、首をかしげる。どのように説明すべきかを考えているのだろう。それに並列しながら調理を行い続けているのだから大したマルチタスクだ。CQBを教え込めば、相当の強者になれる素質をシーラのなかに見た。


「一日が40回で一か月です。月によって41回のときもありますが、増えた日は休日と決まっています。10日で一週間になります。一週間が4回で一か月です。一か月が10回で一年。一年は405日です」


 太陰暦、ふたつの月の満ち欠けを基準とした暦を使っているのだろう。太陽暦の場合は数学上、12分割になると決まっている。30°が12個で360°の円になる。よほど大きな楕円軌道でなければ、4、8、12のどれかになるものだ。



「なるほど。……その菜っ葉の野菜だが、収穫されてから何日目か判断がつくか?」


「難しいです。まだ、しなびていませんから、二日から三日、だと思います」


「なるほど。では、残された時間は長くて17日。短ければ7日ということだな」


「さっきから何を悩んでるのよ?」


「うむ、説明が必要か?」

「説明が必要よ。もったいぶってないで、さっさと言いなさいよ」


「この砦の賊は、近隣の農村と定期的に取引をしていた。新鮮な菜がその証拠だ。襲わないことを条件にしたか盗品を融通するかして、農村から食料を調達していたのだろう。そうでなければ六〇人からの賊は養えない。領主とは別口で自分たちで徴税していたといったところか」


「あのね、そんな勝手なことをしたら、この地を治める領主だって黙っていないでしょ?」


「黙っているさ。六〇人の賊が相手だ。まっとうに砦を攻めたなら、落とすまでに100は犠牲がでる。出兵の費用も馬鹿にならん。さらには攻め落としたところでまた新しい賊が湧くだけだ。終わりがない。それなら、多少の悪事には目も瞑るだろう。近隣の農村が苦しむ程度のことに、わざわざ兵士を差し向けはせんさ」


「そんな根性の腐った領主……まぁ、たくさん居るわね」


「まずいくつかの農村が、賊が来ないことに気づく。やがて、賊が砦からいなくなったことにも気がつく。賊の不在が領主の耳に入れば、この砦を占拠するために兵を送るだろう。そして俺たちは、よくやった、褒めてやる、出ていけと言われるわけだ。……ここはひとつ、領主とも一戦やらかすか?」


「やらないわよ。……なんで悔しそうなのよ」


 せっかく一国一城のあるじになれたのだ。ここはひとつ大改装をして戦える砦にしようと考えていたのに、水を差されたからだ。森のなかの砦だ、極めて少数でも戦いようはある。大量の罠の用意と火で焼きつくす用意をしておけば、一〇〇〇や二〇〇〇の兵士は始末できたというのに。


「アンタ、顔が悪人になってるわよ」


「もともとそうだ。俺は善人ではない」


 職務に怠惰な兵士は嫌いだが、責務を忘れた上官はもっと嫌いだ。


 悪い意味での、君臨すれど統治せず、だ。税は徴収するが、安全を保障しない。そのための努力すら行わないとなれば、話は別だ。業務を怠るトップの首など、物理的に取り換えてしまった方が世の中のためにもなるだろう。


 だがしかし――、それは俺の仕事ではない。

 俺の仕事は、別にある。


「すまない。俺の判断ミスだ」


「きゅ、急に謝りだして、気持ち悪いわね……」

「なにか、私たちに謝罪するようなことがあったのですか?」


「もう少し長く、おまえたちを休ませられるものだと試算していた。二か月か三か月か、だ。それが7日だ。肉体を休めるには十分な時間だが、精神の疲労を癒すには短すぎる。……これは俺の判断ミスだ。すまない」


 厨房と食堂で、距離は離れていたが、シーラとペルシアが目を交わしあっていた。

 それから、ふきだすように笑い始める。


「良いわよ。7日で我慢してあげる。あたしたちの寛大さに感謝しなさいよ?」

「ペルシア、そんな意地悪なこと言わないの」


「でも、7日よ7日。短すぎると思わない?」

「短くないでしょ? 私たちが国を出てから半年。7日どころか1日、いえ、半日も心を休められる時間なんてなかったはずよ? でしょう?」


「そうだけどねー。7日だもんねー。三か月が、たったの,,,,7日だもんねー」

「ペルシア!」


 シーラの声は咎めるような口調ではあったが、ふたりがともに冗談を口にしあっているようだった。どこがおかしかったのか俺にはわからないが、俺のなにかが、ふたりを笑わせたのだろう。


「7日で、肉体フィジカル精神メンタルのコンディションを可能な限り整えてくれ。必要であれば、俺も手を貸す。なんでも言え」


「なんでも? それじゃあねぇ、まずは肩でも揉んでもらおうかしら。足もお願いね。ほら、あたしって昨日まで奴隷だったじゃない? 狭いところに閉じ込められて、身体が硬くなっちゃったのよねー」


「ペルシア! あんまり、わがまま言わないのっ!」


「いや、構わない。ペルシアが口にしたことは正しい。長期間、狭い空間に閉じ込められて運動ができなければ、肉体はそのバランスを崩してしまものだ」


 俺は座っていた椅子から立ち上がり、ペルシアの肩に手を置いた。

 ペルシアは、なぜだか満足げだ。


「ちゃんと優しくしなさいよー?」


「うん? 優しくしてどうする?」


「――え?」


「優しく揉みほぐすのは筋肉中に蓄積された乳酸を押し出すためのマッサージだ。骨格や筋膜の歪みを治療するときには、相応の力を加える必要がある。なに、俺の握力は1800キログラムを軽く超える。どんな肩こりであろうと、一発だ。まかせろ」


「ちょ、ちょっと? ちょっと、待って!?」


「待たない。時間がないと言っただろう?」

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