第14話 魔法使い、新兵になる

 食卓となるテーブルには、小麦とバターでとろみをつけた肉と野菜のスープ、薄い生地を何層にも重ね一つになるよう外側から生地で包み込んだパン、それから、大の字になったペルシアが置かれていた。


「ペルシア、行儀が悪いよ」

「聞いて。ねぇ、聞いて。コイツひどいのよ。アタシが泣いてるのにやめてくれないの」


「ペルシア、ねぇ、テーブルから降りて? ちゃんと椅子に座って食べよう?」

「……ごめん、無理。痛いの。全身、あますところなく痛いの。アタシ、泣いちゃう」


「泣きたいときには素直に泣いたほうが良いぞ。涙には痛みとストレスを和らげる効果がある」

「いつか、キサマを泣かせてやる……」


「うむ。その時を楽しみにするとしよう。それよりもさっさと飯を食え。食事は体調管理の基本だぞ」

「シーラ、おねがい。食べさせて……」

「子供じゃないんだから、もう」


 シーラはそう言いながらも、パンをちぎってはペルシアの口に運ぶ。

 かいがいしい。愛玩動物への餌付けのようだった。

 動物の種類としては、カメだな。似ている。


 ペットか――、俺はペットを飼ったことがあるのだろうか?

 俺はパンを一口大に手でちぎり、ペルシアの口へと運んだ。


「え? え? ふぇ?」

「食べろ。口を開けろ」


「い、いや、自分で食べられるし……」

「無理をするな。いまは指先を動かすのもつらいはずだ。口を開けろ」


 ペルシアは謎の抵抗を示したが、やがて諦めたらしい、唇を開けた。

 パンをそっと乗せて、指で軽く押し込む。唇の端に触れた。


 慣れない。

 指先の感覚から馴染みがない動作であることがわかった。

 俺は、カメを飼った経験はないようだ。


 気がつけば、なぜだか、シーラが頬を赤らめてこちらを見ていた。

 シーラの唇が、物欲しそうに開いていた。


 パンをちぎって口元に運ぶ。

 唇に咥えさせ、指先でそっと押し込む。


 なんとも、形容しがたい、表情だった。

 例えるなら、真夏の炎天下でかたちを失ったソフトクリームのそれだ。


「おいしいです……」

「うん? 自分が作ったものだろう?」

「それでも、おいしいです……」


 食事の前に手は洗ったはずだが、指先に汗の塩分でも残っていたのだろうか?




 遅い食事をとったあと、俺はEXAMSの赤いラインを光らせながら森のなかを駈けていた。スーツを扱うための習熟訓練だ。EXAMSが発生させる強すぎる出力を乗りこなすためにあえて障害物の多いコースを選んでいた。


 すべての筋力が30倍になるということは、メリットばかりではない。むしろデメリットのほうが大きいようにも感じられた。


 走るということは全身運動だ。足裏、ふくらはぎ、太ももはもちろん、腰や背中、腕の振りのすべてがひとつの運動として完全に同期していなくてはならない。少しでもその同期が乱れてしまったなら、30倍の出力は途端にバランスを崩させ、容赦なく俺を地面に叩きつける。


 ミオスタチン関連筋肉肥大という言葉を俺は記憶していた。この症状をもつ人間は俗に超人と呼ばれる。筋肉が自動的に肥大化するこの症状が、持ち主に怪力を与えるからだ。だが、それだけだ。常人に数倍する筋肉パワー骨格フレームに備えながら、彼らがスポーツの世界で陽の目をみることは少ない。


 ピッチャーの投げる球速よりも遅い。バッターのスイングよりも遅い。ランナーの脚よりも遅い。ボクサーのパンチよりも遅い。他のさまざまなスポーツ選手の、ひとつの競技のために特化した肉体には、すべての筋肉が無駄に肥大化した肉体では勝てない。もちろん、戦闘においても、ただのノロマな筋肉のかたまりでは勝利できないのだ。


 彼らは弱い。

 そしていまの俺は、それに近い。


 まるで、重力が30分の1になった世界で生きているかのようだった。それはほとんど、無重力状態に近い。月が地球の6分の1なら、月面のさらに5分の1だ。地面のうえに足を置いていながら、宙を浮かんでいるような感覚を覚える。


 スーツの性能を、まるで使いこなせてはいなかった。


 いまの俺は、ただの力自慢だ。まっとうな戦闘のプロをまえにしたとき、満足に戦うことは適わない。現に、砦で遭遇した剣士の彼には、手も足もでなかった。筋力の倍加をあえてオフにすることでしか戦えなかったのだ。


「糞ったれのなかの糞だ」


 使いこなせない兵器など足手まといでしかない。と、俺が口にすれば、EXAMSはきっと、使いこなせない兵士など足手まといだ。と、俺のほうをこそ責めるだろう。この場合、彼の言い分のほうが正しい。


 地面や樹木に叩きつけられるたびに、彼の、挑発の声が耳に聞こえるようだ。


『おいおい、勘弁してくれよ新兵ニュービー。俺はおまえのような訓練所あがりの二等兵にこき使われるなんてごめんだぜ。なんて無様なすがただ。うちの三歳になる娘のほうがおまえよりもずっとマシに歩くぞ。いまからでも遅くない。家に帰っておまえのヨボヨボの婆ちゃんに代わってもらえ。僕は弱い子ですって泣きつきながら、なぁ?』


「黙れっ!!」


 EXAMSは何も語ってはいないのだが、妄想のなかの彼にむかって叫んでいた。

 性能を引き出しきれない、自分自身の未熟さに苛立っていた。


 俺という人間から戦闘能力を引き算したなら、いったいなにが残るだろう。

 おそらくは、ほとんど何も残らないはずだ。



 誰かが言った。おまえ、休みの日には何をしてるんだ?

 俺は即座に答えた。トレーニングだ。


 彼は笑った。おいおい、休んで体調を整えることも俺たちの仕事のうちだぜ?

 俺は言った。コンディションを整えるためのトレーニングだ。間違いか?


 彼は、哲学だな、と言った。

 回答に困ったとき、彼はそれを哲学だと答えるのだ。いつも、そうだった。



 まただ。断片的な記憶が一瞬のまたたきのうちによみがえる。

 誰なのかもわからない彼の言おうとしていたことの意味ならわかっていた。


 もっと、遊べということだ。休日には街に繰り出し、酒を飲み、喧嘩をして、勝利の女神のキスを受け、戦場のなかに置かれたままの心を、人間の住む街にいっとき戻せと言いたかったのだ。だが俺はきっと、できなかった。最後まで、できなかったに違いない。


 いまだ俺の心は戦場にある。

 シーラとペルシア、それからビッグルを助ける必然性は皆無だった。鞄、杖、鎧を理由にして強引に助ける理由をこじつけたのだ。そこに、戦いがあったからだ。ビッグルの走らせた奴隷商人の木箱の馬車に、賊の放った矢が刺さっていなければ、俺は無視したことだろう。


 馬車を襲った賊を倒し、賊の籠った砦を落とし、つぎは、なんだ?

 いったい俺は、つぎに何と戦おうとしているんだ?


 この地域の文明にあって、EXAMSは明らかなオーバーテクノロジーだ。M1エイブラムス主力戦車で竹やりをもった民兵を相手にするようなものだ。戦車砲をつかうまでもない。搭載機銃をつかうまでもない。ただ、キャタピラで轢き殺せば良い。それで敵はミンチ肉だ。


 スーツを使いこなす必要性など、どこにもない。

 これ以上、俺のうえに新たな戦闘技能を積み上げる必要性はどこにもない。

 だが俺は、このEXAMSという暴れ馬を乗りこなそうと訓練を重ねている。


 あぁ――、これなのか。

 これが、遊ぶという行為なのか。


 土に汚れることも気にせず、地面のうえに寝そべりながら、声をあげて笑っていた。EXAMSというあまりにも物騒なオモチャを手にして、俺はいま、遊んでいるのだ。これは、なかなかに気分が良い。楽しいとは、こういう気分だったのか。


「EXAMS、俺はおまえを使いこなしてみせるぞ」

『やれるものならやってみろ、新兵』


 俺は声をあげて笑っていた。

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