マギカ・タクティカ ~戦術武装の魔法使い~
髙田野人
第1話 現世界/新世界
強い光だ。
それから、圧倒的な質量をもつ鉄塊が迫っていた。
どうして、と、自身の過去に問いかけても答えはない。
記憶が失われているからだ。
現状を認識するために、自身の記憶を辿ろうと試みた結果だった。
喉元まで這い上がった言葉が、具体的な形になりきらないもどかしさを感じる。
記憶喪失という言葉を記憶していた。
他のことは何一つ思い出せないというのに、ずいぶん都合のいいことだ。
だが、記憶喪失とは、このようなものであるらしいことも俺は記憶していた。
俺の目のまえには二つの扉があった。
扉と扉のあいだには、ひとつの看板がたっていた。
『←現世界 新世界→』
それぞれの言葉が意味するところは確かではなかったが、これらのものから現状を推察することは可能だった。
まず、地面は果てしなく白かった。
地面からわずかでも離れたなら、すべての空は黒だった。
モノトーンの世界に、ドアノブがついた木製の簡素な扉が二つ浮かんでいた。
浮かんでいるといっても、遥か上空ではない。握りこぶしが一つ分。少し間違えると段差につま先をひっかけてしまう程度でしかなかった。
俺の記憶する
そもそも、扉というものは単独で存在するものではなかったはずだ。
だが、俺の目の前にある扉ときたら、壁面や床に貼りつくことなく、ただそこにポツリと浮かんでいるだけだ。扉の背後の景色さえも見えている。常識を語れるほどの過去を持たない俺ではあったが、現状が常識から大きくはずれたところにあることは認識できていた。
そして、光源だ。
二つの扉と一つの看板、それから地平線まで続く白い地面が見えていた。
けれど、空にあたる黒一色の、世界の上半分には月や星や太陽といった輝かしいものは欠片も見つからない。
空に光源が存在しないのだから、扉や看板、それから白い地面も、すべては闇であるはずだった。
見えないはずのものたちが、すべて見えていた。
オーライ。諦めて認めようじゃないか。
どうやら俺は、死んでしまったようだ。
目も眩む光源をかかげた巨大な鉄塊。トラックか、電車か、あるいは戦車か、そのあたりの重量物が、きっと俺の元の肉体を挽肉に変えてしまったのだろう。
そして、浮かんだ扉をまえにした現状は、生まれ変わりの前段階にあたるのだろう。
現世界。新世界。どちらかの扉を選択しろと迫られているのだ。
二つの扉に背を向けて、地平線を目指して歩き出すという選択もあるにはあるのだろうが、この白と黒だけのモノトーンの世界に、俺を楽しませてくれるような素敵な何かは期待できそうにない。
ひねくれた選択をして、背中を向けて歩きだし、二つの扉や看板を見失ってしまえば、それらを二度と見つけられなくなる可能性すらあった。そうなれば、永遠に、白の地面と黒の空だけを友達として生き続けることになるのだろう。
おそらく、選択の放棄は、賢い選択にはならないだろう。
あるいは――、すべては夢かもしれない。
だが、それについては考える必要がなかった。
俺は夢のなかから目を覚ます方法を記憶していない。夢のなかでどれだけ努力しようが、それは夢のなかの話で、現実で目を覚ますための助けにはならないからだ。
目が覚めるときには勝手に目覚める。
眠りとはそういうものだ。
だから、俺はその可能性について考える必要はなかった。
現世界と新世界、どちらの扉を選ぶか、それだけが現時点で考えるべき重要事項だ。
過去の記憶をもたない俺にとって、現世界と新世界のどちらを選ぼうとも、新しい世界になることは間違いない。だから、俺の主観としては、どちらの扉を選ぼうとも一緒ということになる。
だが――、と考える。
同じであるなら、なぜ、選択肢が与えられているかということだ。
生前の俺が、どんな神を信仰していたのか、そもそも神や宗教を信仰していたのかさえ思い出せはしなかったが、選択肢が存在する以上、それを設問として用意した何者かの存在は仮定できる。その意図もだ。
答えは簡単だ。
神、あるいは神に類似した何者かは、俺に新世界の扉を選ばせたがっている。
現世界への転生を推奨するなら、そもそも選択の機会を設ける必要がないのだ。
現世界における何らかの問題、たとえば過剰な人口増加を緩和するために、現世界と新世界の二つの扉を用意したとも考えられた。人口増加以外の問題が理由かもしれない。いくつかの例を考えられたが、真相は、それこそ神のみぞ知る、だ。
俺はそれら
現世界の抱える問題が何事であれ、現世界が問題を抱えているのは間違いはない。
ならば、あえて問題を抱えた世界に飛び込む必要もないだろう。
きっと、新世界にも問題はあるのだろう。問題のない世界など無い。だが、現世界のそれと比較した場合、新世界のほうが易しいであろうことは状況から推察できた。
俺は、看板が新世界と示したほうの扉を選び、そのドアノブをひねった。
そして、扉の開かれた先、新しい世界の光景を目のあたりにして、自身の失敗を悟ったのだった。
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