第20話 魔法使いと神明裁判

 剣先が、砦の門を切り裂いてみせた。

 おおよそ人間の技ではない。おそらくは魔法のなせる業なのだろう。


 バレウスのそれは、堂々たる行軍だった。

 まるで、逃げろ、といわんばかりに隠れることなく道なりに歩いてやってきた。

 数は五〇だ。砦の周囲に配したものを含めれば二○○を超える。


 他国の領土内だというのに、ずいぶんと好き勝手な真似ができるものだ。

 それだけ、帝国の国力が強大であるということなのだろう。


 二○○の数を迎え撃つのは三人だ。

 砦の入り口、その先にひろがる広場に陣とも呼べぬかたちで待ち受けていた。


「門の鍵なら開いていたのだがな。無駄に壊すな」


「それは気がつかなんだ。失礼。閉じた門を打ち破るのは、城攻めの礼儀だ」


 そんな礼儀作法があってたまるか。

 冗談を述べられるほどに、彼は余裕に満ちあふれていた。

 背後に控えた部下たちの威を借りたわけではない、彼自身に由来するものだ。


 鎧装束の騎士たちを筆頭して立つバレウスに向かい、シーラが一歩、足を進めた。

 迎えるバレウスは、夜の暗闇からだろう、兜の面当てを開けていた。

 いや、そもそもそれが、貴人に対する礼儀なのかもしれない。


「バレウス卿、遠路、ご苦労でした」

「老いた身に長旅はつらいものがありますな。若さが恋しいと久しぶりに思いましたぞ」


「……バレウス卿、月が、綺麗ですね」

「そうですな。今宵の月は美しゅうございます。天上の神々の笑みが見えるようです」


「はい、神々の御姿が見えるようです。神々にも、私たちのすがたが見えているのでしょう」

「でしょうなぁ……」


 シーラ、そしてバレウスの瞳が、空にあるふたつの月を眺めていた。

 3対50、その圧倒的な不利を覆す、たった一つの手段が月だった。

 赤に染まった月と、薄い緑に染まった月が、天の頂上で輝いていた。


「バレウス卿、私は、帝国には戻りません」

「陛下の勅に、否を唱えると申されますか?」


「はい。私は父上。いえ、皇帝陛下の意思を否定します」

「では、反逆の徒として、皇女殿下のことを裁かねばなりませぬな」


「はい、私は謹んで、抗命への裁きを受け入れます」

「ふむ、では帝国に戻り、大審院の場に立つということでしょうか?」


「いえ、この場にて。私は神々の裁きを受け入れます。私が生きるべきか死すべきか、その判断を私は神々の意思に委ねます。バレウス卿、私はこの場にて、神明裁判が執り行われることを望みます」


 神明裁判、それが唯一残された勝ち筋だった。

 この世界の二つの月には、天上の神々が住むのだと言う。


 赤い月には男の神が、緑の月には女の神が住み、ふたつの月が交わるときには、新たな神が生まれるのだという。なんとも、オープンな性事情だ。隠す気など更々ないらしい。


 そしてそんな月の光の下で行われる決闘は、神々の意思を反映する神聖な儀式となる。簡単に言えば、勝ったほうが正しい。なぜならば、間違った側を神々が勝たせることはありえないからだ。


 ずいぶんと時代錯誤な風習だが、現に魔王や魔神が存在するというのだ。

 天上の神々もまた存在するのだろう。少なくとも、そう信じられてはいる。


 帝国の皇帝は地上の権威ではあるが、天上の神々の権威はそれに優先する。

 天上の神々が認めるのなら、皇帝の勅命さえ無効とすることができるのだ。


「決闘の場に立つのは、シーラ皇女、ご自身でよろしいのですかな?」


「私は女の身です。決闘は殿方の領分。私は、この方を代理人として立てます」


 すべてが段取りの通りだ。

 シーラに促されるかたちで、俺は一歩まえに踏み出す。

 俺の顔を見て、バレウスが獣じみた笑みを浮かべた。


「かしこまりました。では、こちらは代表として私が立ちましょう。本来ならば色々と、細かくうるさい、わずらわしい儀式の数々がありますが、場所が場所です。一切の儀式を省いてもよろしいですかな?」


「はい。場所が場所です。神々も、お許しくださることでしょう」


「こちらが立会人として用意するは、背後に控えし五〇の騎士。不足はありませんな?」


「では、こちらが立会人として用意するは、ペルシア、貴女です。見届けてください」


「畏まりました、皇女殿下」


 わずらわしい儀式の数々を省いたというが――、わずらわしい。

 もはや止まらぬ戦いなのだ、さっさと火ぶたを切るがいい。宣戦布告はすんでいる。


 だが、これらの退屈な手順も必要だった。


 神明裁判の立ち合い人となったものは、その勝敗の結末を記憶し伝え、また実行する義務を負う。


 こちらが勝利したにも関わらず、シーラを殺害しようとする者がいたならば、バレウスの連れた五〇の騎士たちは神意の代行者として、シーラの命を守らなければならないのだ。


 そして、こちらが敗北したならば、ペルシアは神意の代行者として、シーラをその手に掛けなければならないのだ。これでようやく、賭けは、成立する。


「……天上の神々の御許において、正義を求める神明裁判をここに始めます」


 空の月に向かってシーラの告げた宣言が、戦闘開始の合図だった。

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