第19話 魔法使いは負けたくない

 さて、大見得を切ってはみせたが、状況は最悪だ。

 俺は、チェスにも似た遊戯板に駒を並べて状況の再確認を行った。

 並べられる駒は、たったの三つだ。


「まず、この駒がシーラ、おまえだ。敵の主目標はこれを討ち取ることであり、まず守られるべきは、おまえの安全だ。良いな?」


 俺の言葉にシーラがうなずく。

 ペルシアが、それは司教の駒だけど、と、うるさいが無視する。


「つぎに、この駒がペルシア、おまえだ。シーラを守る盾だ。おまえ自身の身も守らねばならないが、優先されるべきはシーラの命だ。そうでなければ、ここで戦う意味がない」


 もっとも貧相な駒を選んだことに不満の声をもらしたが、これも無視する。


 そして俺は次の駒を手にした。

 駒のかたちは突き立てられた剣。これの意味するところはわからない。


「この駒が、俺だ。戦場に切り込み、押し寄せる敵の駒を刈り取る剣だ。本来のゲームであれば敵の王の首をとれば勝ちとなるが、あいにく、その王は不在だ。おまえ達の故郷に出向いて、シーラの父を殺すだけの時間的余裕はない」


「アンタね、言って良いことと悪いことがあるでしょ?」


「父が娘を殺すといったのだ。娘が父を殺すといって何が悪い?」


「それでも、言いかたってものがあるでしょ!?」


「かまいません。続けてください」


 シーラの言葉にうなずき、そして残った駒をすべて盤上に並べる。こちらの駒が三つに対して、敵の駒は三〇を超える。実際には、これ以上の数の差になるだろう。


「これらが敵だ。戦力差は圧倒的だな。ゲームのように一手ずつ進むわけではない。同時に攻めてくる。そして、この駒のひとつでも、シーラの駒に触れさせたなら、俺たちの敗北が決まってしまう」


 駒を適当に寄せ集め、シーラの駒の周囲に並べた。

 こうなってしまえばチェックメイトだと、あまりにもわかりやすく提示した。


「敵の武器は剣だけではあるまい。魔法に弓、遠くからの攻撃も考えなければならない。さて、この絶望的なゲームで勝利を収めなければならないわけだが――、一向に策が思いつかん。これは、お手上げだ」


「アンタでも勝てないの? 化け物みたいに強いんでしょ?」


「敵を皆殺しにはできるだろう。だが、そのあいだにシーラの首が取られてしまう。敵は自身の損害を省みない死兵たちだ。皇帝陛下の勅命だ。彼らに撤退の選択肢はない」


「…………」


 シーラが盤面を見つめていた。真剣な、まなざしだ。


 俺は絶望的だと判じたが、彼女は彼女なりの思考をもって勝ち目のないゲームに挑んでいるようだった。これに勝利するには、盤面をひっくり返すほどの奇策が必要だ。


 逃亡。それがもっとも適切な選択だ。大をもって小を叩くことこそ戦術の基本だ。小をもって大を叩いた戦争は名前こそ残るが、実際には、名前がつけられることもない物量戦こそが戦術史の大半を占める。


 数よりもたしかな暴力は、この世にはない。


 自分が少数側に立ってこそ、つくづく、実感させられる。シーラの祖国が、数に圧倒され彼女の死を望んだ気持ちもわからなくはない。勝ち筋がないのだ。国が亡ぶくらいであれば、姫のひとりくらい差し出しもするだろう。


 だが、彼女を処刑してしまったなら、むしろ敵意を煽りかねない。敵の侵攻の手がとまるとは限らないのだ。戦争はときに単純な損得を無視してしまう。時代が浅いほどにその傾向は高まる。ヨーロッパのキリスト教圏国が、イスラエルに送り出しつづけた十字軍の数々がそれだ。


 居るのだろう。封印された不滅の魔王というものが。それらはいま、魔族の信仰の対象となっており、復活の鍵がシーラなのだ。鍵を壊したならば、壊した者に対する怒りは留まるところを知らないだろう。


 亡国どころではなく、皆殺しだ。

 あるいは、それすらも理解したうえで、シーラの殺害を命じたのかもしれない。

 不滅の存在だ。それこそ、地上においては神にも等しい存在なのかもしれない。

 人の世が終わるくらいなら、国のひとつくらい、代償として安いものだ。


 ボタンが欲しかった。

 黄色に黒縞模様の核ミサイルのボタンだ。

 押し寄せる魔族の軍勢を、熱核兵器ですべて薙ぎ払ってしまえば問題は解決する。


 だが、俺の手にあるのは魔法の杖だ。

 杖と鞄とEXAMSで、なんとしてもこの状況を乗り越えなければならないのだ。


 ――いや、本当にそうなのか?

 俺は、大前提とするものを、間違ってはいないか?

 精神のどこかが、違和感を覚えて、無自覚に警鐘をならしていた。


 考える。

 理解した。


 彼女たちは、たった四日を共に過ごしただけの――他人だ。


 他人のために、なぜ俺が戦う?

 なぜ、他人のために俺が人を殺さなければならない?

 この思考は――、異常だ。


 そうなのだ。俺が、シーラとペルシアのために戦う義務は、最初から存在しない。彼女たちを置いて逃げだしても、それは、罪ではない。敵前逃亡ですらない。彼女たちの敵は、俺の敵ではないからだ。これは、彼女たちの問題だ。


 俺は、気がついてしまったらしい。

 心が急速に冷めていくのを感じた。


 賊のことは良い。彼女たちとは利害が一致していた。

 水や食料などの生活環境を手に入れるために、行動をともにしただけだ。


 だが、この戦いはどうだ。俺の生存とは無関係の戦いだ。彼女たちの国が滅んでも一向にかまわないように、彼女たちが死んでも、俺は一向にかまわないはずだ。俺とは、そういう人間のはずだ。


 女が欲しいのなら、べつのものを探せば良い。

 金はある。言葉もわかる。力もある。俺一人なら、どうとでもなる。


 理由が必要だ。

 戦いには理由が必要だ。

 見つめていた。彼女たちを。


「なに? アタシの顔になにかついてる?」

「いや、べつに。絶世の美女ではないなと思っただけだ」


「そんな回りくどいけなされかたしたのは、アタシも初めてだよ!!」


 替えはきく。

 いくらでもきく。

 人間とは替えのきく道具だ。

 そうとも、そうでなければ、どうして軍隊が維持できるものか。


 ――彼女たちは、仲間と呼べるほどに優秀か?

 ――おまえは、負ける戦いはしない。そんな人間だろう?

 ――性能を示せ。敗北を回避しろ。勝ち目のないゲームには参加するな。


 ささやく声が聞こえる。

 きっとこれは、かたちをなさない俺の過去が語りかける声だ。

 冷たい理性が、損でしかない人間関係を清算しようとしていた。


 お願いだ。

 誰か、とめてくれ。


『いいだろう、俺が止めてやる』


 声が聞こえた気がした。

 どこだ、音のした位置が掴めない。

 シーラとペルシアに視線を送り、だが、彼女たちの口は閉じられていた。


『ここだ、ここ。おまえのすぐそばだ、新兵ニュービー


 これは――、EXAMSだ。

 いや、これは俺の幻聴だ。彼が喋ることはない。そんな機能は備わっていない。


『そんなことはどうでもいい。それよりも、その様はなんだ。戦いが目の前にある。女子供が命の危機にある。なのに何を思い悩むことがある。戦え。守れ。でなければ脱げ。臆病者に俺を着る資格はない!!』


 EXAMSの語る言葉は、道理を無視していた。

 女がいる、子供がいる、ならば助けろ。それはコミックヒーローの論理だ。

 現実の冷たい計算など鼻で笑う、ご都合主義のカタマリだけが語ることのできる戦術論だ。


 だがしかし――、だ。


『俺をなんだと思っている? 俺はヒーローが着るスーツだぞ? ――逃げるな。戦え!!』


 彼の言うことも、もっともだ。

 EXAMSはただの戦闘機械ではない。ヒーローが着るためのパワードスーツだ。


 笑っていた。

 俺は、笑っていた。

 ペルシアやシーラが驚くのも構わず、俺は大声をだして笑っていた。


「そうだとも、EXAMS。おまえはヒーローのためのスーツだ。……勝つぞ?」


「うわ、なに、急に頭がおかしくなっちゃった?」


「ペルシア、シーラ、この戦い……勝つぞ?」


「だからいま、そのための話をしてたんでしょうが!! うるさいっ!!」


 策などない。だが、勝つ。

 ヒーローとは、そういうものだ。


 精神論も良いところだ。だが――、悪くない。

 戦おう。女で子供の彼女たちのために。俺は、戦おう。……負けるとしてもだ。


「よろしいでしょうか?」


「なんだ、シーラ。良い作戦でも思いついたか?」


「はい。ひとつだけ、思いつきました。バレウス様が、その策を残していかれました」


「……バレウス。奴が、か?」


 疑いの目を向ける俺に向かって、シーラはハッキリとうなずいてみせた。

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