第21話 魔法使い、決戦(前編)

 バレウスという男については前もって聞いていた。もとは帝国における騎士団団長ナイトリーダーであった。老いにより一線を退くものの、いまだその剣技の冴えは健在。後任たちの指導者として現場に残り続けているという。


 魔力を伴なう身体操作術を得意の技とし、その剛剣は巨岩をも砕くという。信じがたいが信じよう。少なくとも、木の板を鉄板で補強して作られた砦の門を、薄紙のように斬ってしまえる程度には、物理科学の常識を超えている。


 彼は大剣を構えていた。人を斬るには大袈裟すぎる。

 月明かりのしたであったから、兜の面当ては開けられていた。

 夜の暗闇に面当てが重なれば、さすがに視界が悪すぎると判断したのだろう。


 牽制の一撃。

 踏み込み、右、逆手で繰り出した短刀の一撃は、彼の技量を試すつもりだった。


 バレウスの大剣が迎え撃ち、俺が手にした刃は、なかほどから断たれた。

 俺はその光景に驚き、思わず短刀をバレウスの顔にめがけて投げつける。


「小細工を弄するかっ!!」


 さらに動いたバレウスの大剣は折れた短刀を空中で迎え撃ち、そして二本目の短刀の刃を籠手をつけた左手で掴み取った。投げた短刀は二本。そのどちらもが、予想通りのかたちで防がれた。


 二本目の短刀は煤で黒塗りにしてあったのだが、この程度の細工は通用しないようだ。


「奇策を弄するな。これは神々がご照覧になられる決闘であるのだぞ?」


「勝ったほうが正義じゃなかったのか? 過程など、どうでもよかろう?」


「確かに貴殿の言葉は正しい。だが、卑怯者に神々は微笑まぬものぞ?」


「俺の知る戦場の神は、卑怯者にこそ祝福をあたえてくれるものだと記憶している」


 嗤っていた。

 ふたりが共に嗤っていた。

 表情を曇らせたのは、バレウスが先だ。


「……これは? 己になにを仕掛けした?」


「松脂だ。煮込み粘性を増したものを二本目の刃にたっぷりと塗りつけておいた。投擲の速度が遅いからといって、迂闊に受け取るな。自分の技量を自慢しすぎだ。まずは左手の自由を奪わせてもらったぞ」


「貴殿は魔法使いではなかったのか? これは、奇術師の領分であろうに」


「バレウス、おまえこそ魔法使いだろう。力任せに大剣を振りまわしておきながら何を言うか」


 左手に魔法の杖、右手に新たな短刀を構え、飛びかかる前の獣のように重心を沈める。


 バレウスは自負するに足るだけの達人だ。剣で鉄を斬るという技が魔力によるものだとしても、煤で汚した黒塗りの刃を掴み取ったのは偶然ではない。だが、達人であるおかげで握らせることができた。ただの名人なら、籠手に弾かれていたところだ。


 達人ゆえの慢心。その隙をついたことを足掛かりとして、さらに付け込む予定だった。が、彼は焦りも苛立ちも見せることなく、むしろ自分の失策を楽しみ、それ以上、俺の挑発にのってくることはなかった。


 片手でも大剣を扱うすべを心得ているのだろう。両手で扱う武器であっても、片手で扱わなければならない状況は多々あるものだ。彼には人生の長さだけ、訓練を行う時間があった。そのうちの何割かは、万全ではない状況を想定して行われたに違いない。


 彼の構えには、付け入る隙がなかった。松脂に侵された左手のことはもう忘れたらしい。いや、籠手を文字通り鉄拳として扱うことに決めたようだ。煤に塗れた黒塗りの短刀を、まるで見せつけるように握ったまま左拳を上げた。


 松脂の糊を剥がそうと左手に意識を集中したなら、その空白を狙い飛び込めもしただろう。だが、そこまでの迂闊は見せてくれないようだ。ケチな奴だ。賢い。


 しかし――、まいった。


 まさか、一合の打ち合いにすら短刀が耐えられないとは思わなかった。賊の砦に置かれてあったものとはいえ、粗悪にすぎる。製造元に苦情を言いたい。紛争地帯のナタでさえ、ここにあるどの剣よりもマシだろう。


 斬りかかるたびに刃を失ってしまえば、備えがすぐに底を突いてしまう。用意した短刀は五本。すでに二本を消費した。あと三回を無策に斬りかかって、まさか徒手空拳になるというわけにもいかない。


 バレウスの剣は大きくて長い。膝下から胸丈までの長さがあり、長さに耐えるだけの厚みと幅をもっている。まさしく鉄塊だ。それを片手でも軽々と扱ってみせるのだから、たまらない。


 彼のものが、魔法本来の力なのだろう。自然にあるすがたがすでに、パワードスーツを着込んでいるも同じだ。俺の杖も、それくらい出来てくれても良いのだが、まだ難しい。


 ここは、いまあるもので、なんとか彼を攻略するしかない。


「次の攻め手は、ないのか?」


「無い。といったら信じてくれるか?」


「信じるというよりも失望であるな。せめて、シーラ様の代理決闘人として恥じぬ戦いをして見せて欲しいほしいものよ」


「ふむ。断る。大いに失望させてやる。シーラに必要なのは堂々たる正道の剣ではない。むしろ、邪剣と呼ばれるものこそ、この先を生きのびるためには必要だ。こちらがどれだけ正道を歩もうとも、向こうは邪道でもって攻めてくるものだろう?」


「一理ある。だが、一理しかない。正道の剣をやぶれぬ邪剣では、物の役には立つまい? いまは良いだろう。神明裁判の途中であるからな。だがしかし、だ。いますぐに決闘のことなど忘れ、五〇の騎士が姫様に襲い掛かったなら、貴殿はどう守る? オレひとりになど、大きな時間をかけている余裕はないはずだが?」


「そのためのペルシアだ。五〇や一○○の騎士など、物の数にもならん。二秒だ」


「であると、良いのだがなぁ……」


 バレウスが肩を揺らして笑う。

 視界の隅では、ペルシアが「無茶いうな!」と慌てていた。


 ――考えるな。

 そう、俺は考えていた。


 バレウスの語ったことは正論であり、彼の配下の騎士たちが決着を待たず動き出すことは十分に考えられた。しょせんは、信仰に基づいた約束事だ。神罰を畏れないのであれば、約束事を破ることに躊躇ためらいはない。


 この世すべての人間が、神々の真面目な信徒とは限らないはずだ。

 むしろ、不真面目であるほうが多いくらいだろう。

 殺すな、という神の言葉を、殺せ、に書き換えるくらいのことは朝飯前なのが宗教だ。


 騎士たちの動向に注視し、バレウスから意識を逸らせば、次の瞬間には斬られているだろう。彼は、魔法の力により人間の限界を超えた身体能力を有しており、それらを余すことなく自由自在に使いこなしている。


 自分の身体なのだから扱えるのは当然なのだが、昨日今日、EXAMSを着込んだ身としては耳に痛い。EXAMSが、『新兵、おまえに俺を着せるのはもったいない。紙オムツを着るところからやり直してこい』と、俺の未熟を嘲笑っていた。


 訓練に捧げた時間が違う。

 人間を超えた身体能力を扱うために費やした時間が、違いすぎる。


 バレウスは一生を費やして超人の身体能力を使いこなし、俺ときたら四日目だ。シーラに向かって叩いた辛口が、いまさらになって耳に痛い。剣の勝負であれば、剣を長く握ったほうが勝つ。それが道理だ。だとすれば、俺はこの超人対決に負けることになる。


 だから今まで、俺は、EXAMSの力を一切使ってはいなかった。


「EXAMS、エンゲージ」

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