第22話 魔法使い、決戦(後編)

 黒地に入った赤いラインが輝きを増す。光の効果に意味はないが、身体の線に沿って防御力場が発生する。戦車砲ですら貫けない防壁だ。だが、敵は幻想の存在。科学と幻想、どちらの力が勝つか、スーツをぶつけて試してみたい気分にはなれない。


 だから、ぶつけるべきは短刀。一足で距離を詰めた。バレウスの大剣が袈裟懸けに迫る。速い。本来、武器とは長いほうが有利だと決まっている。俺の刃を届かせるには、彼の大剣の殺傷圏レンジを通り抜けなければならないのだ。だが、予想通りだ。


 片手の不利を重力で補う。

 それは至極真っ当な考えだ。


 直上から落ちてきた大剣の刃を、短刀の刃で受け止める。彼は勝利を確信しただろう。短刀ごと切り裂けば良いと。だがそれが適うのは、防御力場をまとわなかったときの粗悪な剣だ。


 あえて一度、短刀が斬れるところを見せたのだ。

 さらに前回の衝突は両手だった。いまは片手だ。力は半分でしかない。


 軽く、切り殺せると思ったのだろう。だが、そうはいかない。短刀の歪んだ刃を喰いこませ、力任せに押し返す。ただ持ち上げるという単一能であれば、使いこなすもなにもない。30倍、俺の片手が50キログラムを支えるなら、1.5トンのリフトアップだ。


 彼はこれをひとつの勝負とみたのか、全身の力をもって大剣を押し下げる。が、無理だ。大地のうえで生きている以上、自重以上の重量は生み出せない。それが重力の道理だ。バレウスは全身に金属鎧を着込んではいるが、それらを加算したとしても、総重量1.5トンは超えないだろう。


 それに――、だ。

 俺は力比べなど挑んではいない。


 右手の短刀が悲鳴をあげる音を耳にしながら、左手の杖を向ける。想像するは火。熱。炎。狙うべきは彼の左手。振りは小さく、意図を気づかれないように着火する。松脂は、書いて字のごとく油だ。可燃性物質だ。松明につかわれる、しぶとくのこる火の原料だ。


「火か!!」

「あぁ、火だ。早く消さなければ、左手が使い物にならなくなるぞ?」


「……ふん!! 舐めるなっ!!」


 彼は俺のものいいを鼻で笑った。左手の消火のために魔法を使えば、自然、身体操作の魔法が切れる。魔法とは精神の集中だ。つまりは精神の統一が必要であり、ふたつの魔法は同時に発動できないのだと、シーラから聞き及んでいた。


 身体能力を強化する魔法があってこその大剣であり全身鎧だ。魔法の補助を失ってしまえば、それらはただの鉄の塊。行動を邪魔するだけの死重量デッドウェイトになってしまう。


 一瞬でも、左手のために魔法の使用を切れば、俺が即座に飛び込んでくる。


 彼は左手の肉が焼けるに任せて、身体操作の魔法を使い続ける選択をした。


 苦痛に対応する訓練など、とうの昔に済ませていたのだろう。相当の熱と痛みが左手を焼いているはずなのだが、彼の集中が途切れることはない。並みの相手であれば、消火どころか、いまごろ腕を抱えて地面を転がっているところだ。


「気合ひとつで耐えるとは、つくづく、敵に回すのが嫌になる男だな……」


「お互いさまであろう。卑怯のみが頼りの男かと思えば、それなりの剣を持っているではないか。そうでありながら、さらに卑怯を重ねてくる。どちらが貴殿の剣なのだ?」


「しいて言うなら……そもそも俺は、剣士ではない。邪悪なペテン師ウォーロックだ。勝つための手段であれば、すべてを使う。剣も魔法も、松脂も、だ。勝利に綺麗も汚いもない。勝ったものこそが正義だ。それこそが、神明裁判というものなのだろう?」


「神々に御照覧いただくための戦いとは思えぬがな。だが、貴殿のような戦いを好まれる数寄者の神も、なかにはおられるのだろう。貴殿に神々の祝福があれば良いな?」


「残念。俺は、神を頼りにはしない主義だ。あいつ等は、いつも気まぐれだからな」


 痛みはある。確実にある。金属は容易く熱を通過させる。彼の籠手は火に包まれている。肉が焼ける匂いがした。だが、それでも彼は倒れない。呼吸だ。呼吸をコントロールすることで、痛みの流れを抑えているのだ。しかしそれは、戦闘のための呼吸ではない。


 戦闘と魔法のために五分と五分に配分していた精神のバランスが、苦痛のために偏りを見せているはずだった。見かけほど、余裕というわけではない。擬態だ。この程度の炎で傷つく自分ではないと大げさに見せかけているのだ。


 時間を稼ぐほどに、戦況は俺の有利になる。

 だがそれは、バレウスのほうこそ強く理解しているはずだ。

 一撃、そして必殺、大剣の一振りに勝負をかけて来ることだろう。


「魔法使いが、己の杖を投げ捨てるか」


「左右に剣が、俺の本来の戦闘スタイルだ。バレウス、そもそもおまえ自身、剣しか持っていないだろうが。人のことを言える立場か?」


「たしかに言えぬな。己が頼みとするのは、一振りの剣のみよ」


 左手の魔法の杖の役目は終わった。

 強引な扱いかたをしたため、すでに刃物としての役目を果たさなくなった右手の短刀も投げ捨てる。


 そして新たな短刀を、左右の逆手もちにして構えた。これが最後の二本だ。

 構えは、ボクシングのように頭の上に拳を構える姿勢、明らかな守勢をとった。


 狙いがはっきりとしすぎている。両手の刃を交差させ、振り下ろされる大剣の一撃を受け止める。返す刃で切る。さきほどは一本の短刀でさえ断てなかったのだ。二本同時となれば難度はさらに増すだろう。バレウスもまた構えを変えた。


 大剣を肩に担ぎ、その刃の背に、握ったままの左拳さけんを添える。右手で振り下ろすと同時に、左手で刃を押しこみ、強引にこちらの防御を突破する狙いだ。剣は大剣。鉄塊だ。たとえ刃筋が通らなくとも、彼の人間離れした膂力であれば、兜もろとも頭蓋骨を叩きつぶせることだろう。


 ここにきて大剣は、巨大な鉄鎚に変わった。

 振り上げて、振り下ろす、あまりにも単純な動作であり、そのために避けられやすい。

 そんなことは重々承知であり、逃がさないだけの速度と踏み込みで、彼は動くだろう。


 にらみ合いが続く。

 軽口を叩けば、それが衝突の合図になってしまうだろう。


 視線を感じていた。シーラにペルシア、そしてバレウスが連れた五〇の騎士たち。

 ……まぁ、もしかすると、ふたつの月に住むという神々の視線も、だ。


 静かだ。

 まるで時間が止まったかのように静かだ。

 だが、ずっとこうしてはいられない。バレウスの左手は、たしかに今も焼けているのだ。


 彼の足が動いた。

 俺は素早く反応を見せる。


 だがそれは、バレウスの見せたフェイントだった。軸ではない足を動かし、こちらの動きを誘ったのだ。いまだ重心は、その場に残っていた。老境の騎士は、ここにきてその老獪さを見せる。


 フェイントに釣られた俺が、苦し紛れに両手の短刀を投げつけた。


 バレウスはわずかに腕を動かして、左の籠手でむき出しの顔を覆い隠す。全身に金属の鎧を着込んでいるのだ。ただ投げつけられた刃など捌くまでもない。掴むまでもない。ただ鎧の隙間を隠し、金属の守りに身を任せれば良かったのだ。


 金属と金属が衝突する甲高い音が、二度、響いた。

 弾かれた短刀が、むなしく宙を舞う。


 バレウスは勝利を確信し、大剣を振り下ろすべく左の籠手を持ち上げ、そして息が触れるほどそばにある俺のすがたを認識した。燃える籠手。わずかなりとも光源を自身の目の前にかざしたのだ。視界は光に慣れ、そして闇から遠ざかっていた。


 反応が、一瞬遅れた。

 一瞬、空白があれば、どんな精鋭部隊も良い射撃の的になれるものだ。


「EXAMS、グラビトロン放出」


 彼の鎧、その腹部に手のひらを押し当てる。EXAMSに搭載された慣性制御装置が人工的な重力場を生み出し、彼の鎧を吸い付ける。そして鎧の守りを貫通し、その向こう側にある彼の肉体も、EXAMSの重力子グラビトロンは掴み取る。


「バレウス、終わりだ」


「そうか、終わりであるか。……ならば、終わらせよ」


 神明裁判の決闘は、必ずしも死をもって終わるものではないと聞かされた。明らかに勝敗が決したなら、決闘者は降参することを許される。バレウスは、それを選ばなかった。愚かだ。あまりにも愚かな選択だ。


 だがしかし――、だ。


 そうもいかぬのだ。死をもってしての決着でしか、この神明裁判を終わらせることはできないのだ。抗うのは皇帝の勅命。彼の命をもってでしか、正義を問う、この馬鹿げた儀式に正当性をもたせることができないのだ。


 どれだけ金属を纏おうとも、どれだけ筋肉を鍛えようとも、重力の手からは逃れられない。重力に抗えば、地面のうえには立っていられない。ちょっとしたジレンマだ。彼の纏う鎧には、重力子を遮蔽しゃへいする機能など備わってはいなかった。


 彼の鎧に添えた手のひらを回転させる。

 可能な限り素早くだ。


 重力の見えざる手に掴まれた胃や、臓や、肝臓や、その他もろもろの臓器が重力場の乱流にかき混ぜられ、そして、力尽くに引き千切られる。遠巻きに見ている者には、それが攻撃とさえわからなかっただろう。


 バレウスでさえ、自身になにが起きたのかを理解できなかったはずだ。


 ただ、肉体の奥深くで致命的な、なにかが起きた。

 それだけを理解し、彼は口から大量の血を吐いた。


「見事、と、言ってやりたいが……。最後の最後まで、卑劣な奴よ……」


「それこそが俺にとっては最大の賛辞だ。バレウス、おまえはなかなかに強かったぞ」


「ぬかしてくれるわ、小僧めが……」


 もはや決着はついた、と、彼は悪あがきもせず嗤いながら地面に崩れおちた。


 刃物と刃物がぶつかりあう、わかりやすい決着にはならなかった。周囲の人間が、この神明裁判の決着がついてしまったことに気がつくには、あと数瞬の時間を必要とした。

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