第23話 魔法使いはかく語り
誰かが言った。おまえは小さな敵を撃つとき、なにを考えているんだ?
俺は考えて答えた。撃つことだ。
彼は笑った。敵の気持ちを考えたりはしないのか?
俺は即答した。考えている。俺は敵の回避行動を予測しながら撃っている。
彼は、哲学だな、と言った。
回答に困ったとき、彼はそれを哲学だと答えるのだ。いつも、そうだった。
ペルシアが泣いていた。血だまりのなかに倒れ伏せた、バレウスの老いた体にすがりつくようにして泣いていた。手は血に染まり、衣服は汚れ、瞳は涙をこぼし、彼の命をつなぐためのなにかの奇跡がないかと探していた。
バレウスを敵に回すだけの覚悟はできていたが、彼を喪うだけの覚悟はできていなかったのだろう。見苦しい、と、思い。人間らしい、と、思う。ペルシアが敵のために流す涙を、人間らしいと俺は思った。
もはや手遅れとわかっていながら、手を尽くさずにはいられないのだ。
無駄な努力に、一生懸命にならずにはいられないのだ。
彼女の視線が俺をとらえた。
誰かに救いを求める、痩せた子供の目をしていた。
彼を、壊してしまったのは、この俺だというのに。
俺は首を、ちいさく振って、彼女のすがりつく瞳を断ち切った。
シーラもまた、自分にできることは無いと、顔をうつむけ視線を避けた。
バレウスは、もう少しだけ生きていて、自分にすがりつくペルシアのことに気がついているようだった。静かに死なせてくれといわんばかりに、すこし、わずらしそうに苦笑いを浮かべる。それから、とつとつと言葉を語り始めた。
それらはペルシアに向けられたもので、たいした中身があるものではなかった。怠けるなとか、身体に気を使えとか、強く生きろとか、そういった遺言の数々だ。
ペルシアはひとつひとつの言葉に、「はい」と返事を繰り返す。
外見こそ無傷でも、身体の奥深くが壊されたのだ。呼吸ひとつでさえ厳しいものがあるだろうに、バレウスはそれに耐え、ペルシアを慰めるための言葉を紡いでまわる。
「ペルシアとバレウスは、どういった関係なんだ?」
「バレウス様は、ペルシアの名付け親なのです。育ての親でもあります。親子というよりも、祖父と孫娘のような関係でした。バレウス様には実の子がありませんでしたから、目に入れても痛くないほどに可愛がっておられました。甘やかしておられました。……それが、この世界の名付け親と子の関係なのです」
「そうか、この世界の名付け親と子の関係は、実の親よりも深いと言っていたな……」
「はい……この世界の」
続く言葉を待ったが、シーラはそれ以上を告げなかった。途中で切られた言葉の続きを予想して――、それが存在しないことに気がついた。
俺は強い視線を彼女に送ったが、シーラの表情が変わることはなかった。
戦闘の高揚がいまだ残っていた。頭蓋骨のなかに満ちたアドレナリンが、思考を鈍らせていた。冷静を欠いていた。言い訳だ。迂闊だった。彼女がしこんだ、ちょっとした罠に俺はしてやられたのだ。
俺は、“この世界の”と言ってしまった。
まるで、“別の世界の”名付け親のことを知っているかのように。
警戒すべきは彼女のほうだと知りながら、俺は警戒心を鈍らせ、ついに足元をすくわれた。
この世界の人間ではないと知られたからといって、即座になにかがあるわけではない。だが、俺は記憶喪失などを通り越して、この世界のあらゆることに無知なのだと悟られてしまった。他人の無知につけこむことは、あまりにも容易い。
シーラの思う別の世界が、地球とは限らない。神々の世界かもしれないし、魔族の世界かもしれない。魔法という幻想が幅をきかせている世界だ。天国や地獄、魔界といった、人間の住む地上とは別の世界が存在していてもおかしくはない。
彼女の視線が、柔らかな微笑みとともに俺を優しくつらぬいていた。
動揺はない、と、俺は表情をつくる。
あえて、悟られたことに気がついていない間抜けな新兵の顔をしてみせた。
彼女は不敵に微笑み、俺は不思議がるように首を傾げる。
「私は、この先、どうすれば良いのでしょうか?」
「しばらくのあいだ逃げまわり、それから、故国に帰れば良いのではないか?」
「……帝国に帰れば、私を待つものは死刑だと聞きます」
「それはない。安心しろ。せいぜいが城の奥深くに護衛とともに軟禁される程度のものだ。戦争さえ終われば、また、自由の身になるだろう」
シーラが俺の言葉の真意を測りかね、戸惑いの表情を浮かべていた。
やられっぱなしというのも癪にさわる。
どうやら俺という人間は、負けるということが極端に嫌いらしい。恐怖しているといってもいい。俺の過去とは、そういう人間であったのだろう。
なにか、良くない、教育に熱心すぎる親にでも育てられたのだろうか?
常に勝利を目指せと、常に性能を示せと、誰かに背後から迫られているかのようだった。
あえて、口を閉ざしていた。
シーラがねだってくるまでは、答えてはやらないつもりだった。
そう、顔に書いて、わかりやすく見せてやった。
俺の意地悪に気がついたのか、シーラが拗ねた顔をみせる。
「私の身が無事であると思う理由を、聞かせてください」
そうか。聞きたいというのなら、聞かせてやろう。それが彼女の選択だ。
俺の言葉はとても残酷で、きっと、おまえの心を大きく傷つけることだろう。
「そもそも、シーラ、おまえを国外へ逃がしたこと自身が帝国の策略なのだ。帝国の力は強大。ゆえに魔王や魔神の復活を望む、眷属や信徒たちは徒党を組んで侵攻してきた。個々の力では、帝国に打ち勝つことが適わないからだ」
「それがどうして、私を逃がすという選択になるのでしょうか。父上が命じられたように、私の命を絶ってしまうことが、一番に確実な策ではありませんか?」
「帝国の威信に傷がつく。それは、バレウスが説明したように、やがて内乱の種となる。帝国はそれを避けたかったのだ。ゆえに、シーラ、おまえをあえて国外へと逃がした。帝国の軍という堅牢な守りを失わせ、魔族たちの手が届くところへおまえを置いたのだ」
彼女のなかでは、まだ、話の筋がつながらないのだろう。
人心を掴むすべには長けていても、軍略に関しては、やはり素人だ。
俺は、空に浮かぶ、ふたつ月を見上げ、すこし、もったいぶってみせた。
「魔族の軍勢は強大だ。だが、寄せ集めだ。帝国の軍という共通の敵があったからこそ結束できていた。だが、いまは違う。奴らの目的は、シーラ、おまえを手に入れることだ。聖女を手に入れることだ。戦わずして手に入るなら、彼らもその道を選ぶ。帝国を攻める意味が失われてしまえば、戦争を継続する意味もなくなる」
「では、帝国の滅びを避けるために、私はわざと国外へと逃がされたのですか?」
「いや、違う。帝国の策略は、さらに深慮遠謀なものだ。まず、おまえを国外に逃がす。つぎに魔族に追わせる。そして、おまえを帝国に帰還させる。この一見したところ意味がないように思える行動の裏には、大きな意味が隠されている。わかるか?」
シーラは首を振り、答えを求めた。
「魔族の軍勢は、寄せ集めの軍だ。個々の集団が、自身の信仰する魔王のために動いている。極論、自分たちの魔王さえ復活できれば良いのだ。自分たちのものではない魔王に復活されては困るのだ。彼らには彼らの勢力争いがある。帝国の軍という強い守りがあったからこそ共闘関係でいられた。いまは違う。魔族たちは個別の集団に別れ、それぞれに敵対しながら、シーラ、おまえを追いかけている」
「魔族が、仲間割れを起こして争っているのですか!?」
俺はうなずいた。
彼らは合従軍だ。呉越同舟の関係だ。
ひとつの目的のために手を結んだだけの、ただの寄せ集めの軍隊でしかない。
帝国の軍という共通の敵を失ってしまえば、その共闘関係は簡単に崩れ去るものだ。
「敵の軍が、ひとつの巨大な塊であったからこそ帝国も苦戦した。だが、一○○に分かれた個別の軍であれば、これを打ち破ることは容易い。一度、仲間割れをしてしまったのだ。聖女が国に戻ったからといって、もはや元には戻らん」
「帝国は、シーラ、おまえという駒を使って敵のあいだに不仲をもたらし、細分化された魔族の軍勢を各個に撃破するつもりだったのだ。つまり、勝利する気でいたのだ」
誰が絵図を描いたのかはわからないが、それなりの策だ。
たとえ、敵軍が策略の意図に気がついたとしても、奪い合いの競争に参加せずにはいられない。どこかの軍がシーラを捕らえてしまったなら、自分たちの王だけを封印から解放するだろう。そして彼女を殺してしまうか、外交上の主導権を握るための道具にするだろう。
「では、私は、バレウス様の言葉に従い、帝国へと戻れば良かったのですか!?」
「そうだ。国に帰れば良かったのだ」
「それではなぜ、あなたとバレウス様が戦われたのです!? これではバレウス様の死が、無意味ではありませんか!!」
「無意味ではない。バレウスが死んだのは、ペルシアのためだ」
「ペルシアの?」
「シーラ、おまえは良い。皇族だ。聖女だ。命は助かる。だが、ペルシアは違う。おまえを攫った賊だ。罪人だ。帝国は彼女の罪を裁かなければならない。彼女を殺さねばならない。すべてが帝国の策謀だったとしても、皇女殿下を誘拐した罪人は殺されなければならない。そうでなければ、帝政たる国家の規範が成り立たん」
最初から、すべてに気がついていたわけではなかった。
気がついたのは、すべてのことが終わってしまったあとだった。
ペルシアとバレウスの関係を知るまでは、確信がもてなかった。もはや動かず、体温が宙に散って、ただ冷たくなっていくだけのバレウスの老いた身体に、ペルシアがしがみつき離れないすがたを目にするまでは、確信することはできなかった。
これ以上、俺が説明する必要はないだろう。
すべてのことが最初から理解できていたなら、彼女は、ペルシアだけを連れて逃げるよう俺に頼んだに違いない。引き受ける義理はないが、乗り掛かった舟というやつだ。それくらいであれば、引き受けても構わなかった。
シーラが判断を誤ったことに気づき、とりかえしのつかない後悔に顔を歪めていた。涙を流す資格がない者の泣き顔を見せていた。過程はどうあれ、彼女こそがこの結末を選んだのだ。彼女が選択し、俺が殺した。
未来から見たとき、どうして過去の選択とは、こうも愚かに見えてしまうのだろう。
無知のもたらす結末は、いつだって悲劇ばかりだ。
バレウスという老境の騎士は、シーラのためにやってきたのではない。孫娘のような、ペルシアのためにやってきたのだ。帝国の地で罪人として無惨に裁かれるまえに、自身の手で決着をつけるために、だ。
だが――、その必要はなかった。
すべての情報が明かされていたなら、その必要はなかった。
俺が居た。
俺がペルシアを連れて逃げていたなら、誰の血も流れることはなかった。
なにが、ヒーローだ。人間を殺すことしかできない殺人機械が。……糞くらえ。
「ペルシアには、このことを告げないでください」
「わかった」
俺はただ、彼女の言葉にうなずいた。
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