第24話
道は細く、曲がりくねり、その両脇の片側は山が、もう一方は谷が支配していた。木々はあいかわらず鬱蒼と茂っていたが、もう、視界のすべてを遮るほどの元気はなかった。人里が近くにある気配がしていた。
結局、賊のつかっていた砦を出たのは宣言通り、七日目のことだった。神明裁判があった。決闘があった。決着がついた。それで、万事解決とはいかないのが人間の世の中だ。シーラの命の安全が保障されたとはいえ、こんどは神々の意思の解釈によって論争が起きた。
二○○人もの騎士――いわゆる、一家言ある高貴なる人々がいるとこうなる。
神学的な解釈の違いと、手ぶらで帰るわけにはいかないという本音が論争の的となった。
誰かひとり、とびぬけて頭のでた地位ある人間が不在であったことも大きく影響した。
……俺が、「バレウスの死体でも、200に分割して持ちかえれ」と口に出したことも影響しなかったとは言わない。この世界では、神々の恩寵により死者がよみがえることがあるのだという。――医療科学が未熟である地域では、死んだと思ったものが生きていた、なんてことは稀にあることだ。魔法があるのだから、神秘的な作用がないとは言い切れもしないのだが。
死者の肉体を切り刻むなどということは文化的にも許されず、ましてやそれを火にかけるなどさらに許されない蛮族の行為であると口々に責められた。たとえ罪人の死体であっても死者はそれ自体が一種不可侵の神聖なるものであり、貴人のそれともなれば、かならず霊廟に祀られなければならないのだ。
死者の身体を引き裂き、火で焼くのは、けっしてよみがえらせてはならないほどの邪悪に対してのみ許される行為なのだという。――戦闘の途中経過によって四肢が粉砕されるぶんには構わないというのだから、じつに文化的な発想だ。
敵は蛮族を見る目を隠さず、俺もまた蛮族を見る目を隠さず、シーラはあいだに割って入り、そしてペルシアは敵に回った。衛生上の観点から火葬にしてしまおうと薪の上にのせたものが、バレウスのそれだったからだ。背後から、本気の殺意でもって斬りかかってきた。
だが、バレウスは最初から決めていた。
もしも神明裁判に発展し、もしも自分が敗れることがあったなら、そのときは、シーラを帝国の皇女としてひとりで行かせることを決めていた。暴力でもって、自分が生きのこる道を切り開いたのだ。ならば、その道を独り行け。覇道を行け、と言葉を遺していた。
二○○の騎士たちは、彼の言葉を冗談だと思っていたらしい。まさか、自分たちの知るなかでも指折りの強者であるバレウスが、万に一つも――死者を焼いて冒涜するような蛮族に負けるはずがないと。……なにもかも、俺の存在こそが悪いのだと彼らは思いたかったらしい。
いろいろとあった。
たいていのことはシーラ皇女殿下の説得と、俺の拳で解決できた。
これも、ひとつの戦後処理だ。三日で済んだのは処理が迅速に進んだほうだろう。
騎士たちは一○○が北へ、五〇が東へ、五〇が西へ、それぞれの経路をたどり、やがて北の帝国に帰ることになった。陽動作戦だ。どれかひとつの集団に、シーラ、聖女が居るのだと思わせながら敵の目をひきつけつつ帰国を試みるのだ。
たとえ、帰国の過程で全滅したとしても、それはそれで魔族の軍内に猜疑心を引き起こす罠となる。聖女を手にしながら、じつは隠しているのではないか、と、互いを疑いだせばきりがない。不在の証明。悪魔の証明だ。魔族にたいして悪魔というのも皮肉なものだが、自分たちが聖女を捕らえていないことを証明することはできない。推定無罪という概念は、いまだこの地には存在しない考えらしい。
そして俺たちは――、南を目指して歩いていた。
帝国から、さらにはなれた遠くの地を目指して歩いていた。
「本当に、よろしいのでしょうか?」
「なにが、だ?」
「私が行けば、その地が魔族に襲われるかもしれません。私の存在が災いの種になるかもしれません。そうと知りながら、私が旅を続けるのは……悪いことなのではありませんか?」
馬鹿げた問いかけだった。
答えるまでもないのだが、答えろというなら俺は答えよう。
「魔族の問題は、人類すべての問題だ。不死の魔王が復活すれば人類全体が困るのだ。ならば、人類は一丸となって協力しあうべきだ。それは、たとえ強制的にでもな」
シーラやペルシアの故国である帝国が、魔族の軍勢に襲われた。では、そのとき他国はなにをしていたのか? もちろん、なにもしていなかった。自国の国境沿いに兵を動かしたのかもしれないが、それ以上は、なにひとつとして動いてはいなかった。
援助の兵を興し、帝国に組することなどありはしなかった。同盟関係でもない国が他国領内へ兵を進めたらなら、それはそれで侵略行為ととられることは必定である。とはいえ、魔族に対する牽制や物資の援助すら行わなかったのだというのだから、もはや、同情にも値しない。
「ならば、動かそう。他の国々にも協力させよう。俺は馬を走らせる良い方法を知っている。馬のしっぽに火をつけるのだ。そうすれば馬は嫌でも走り出す。シーラ、おまえは火だ。戦争の火種だ。無責任にも静観を続ける国々の尻を焼いてまわれ。おまえの炎で世界のすべてを焼き尽くすのだ」
「それは、とてつもなく悪いことなのでは?」
「良いことだ! 人類全体のことを考えたなら、最良の善だ!!」
「アンタって、口で損をするタイプだよね」
シーラとバレウス、そのふたつの間で揺れていたペルシアだったが、最後には俺たちと共に旅することを選んだ。バレウスが死の間際にそう告げたからだ。――シーラを守れと。俺の手から守れと。もっと正確に述べるなら、俺の上半身ではない側面から守れと。これで彼女は一国の皇女様だ。
泣きはらした目はいまだ赤いし、涙をぬぐった跡が強くこすられて団子のように腫れていた。
だが、ペルシアの視線は、もう前を向いて歩いていた。
人間、後ろ向きには歩けない。人生を後ろ向きに歩けば、つまづき転んで、後頭部を打ち付けて、さらに泣きをみるに決まっている。
森がひらけた。
唐突にあらわれた緑の野、草原は印象的な風景だった。環境破壊の産物だ。人間が横着をして、街に近いところから木を切り倒していくと、こうなる。かつて森であったところが草原となり、かつて草原であったところが畑となり、かつて畑であったところが街になる。こうして人間の街は拓かれていくものだ。
石の市壁に守られたひとつの街が見えた。
バロック調、ゴシック調、それらの名前は記憶していたが、どういった建築様式であるのかまでは記憶してはいなかった。どうやら過去の俺は、建築技師ではなかったようだ。
ずいぶんと遠回りになったが、ようやく、文明社会との邂逅のときが迫っていた。
そんなときだ、シーラが言った。
「そろそろ、名前が必要ではありませんか?」
「うむ、たしかに。街に入ってまで名無しの身では困ることもあるか」
「では、ゲシュトベルヒレーベン……」
「却下だ。もっと平民らしい名前にしろ」
「アホ、バカ、間抜け。どれがいい?」
「アホだな。これから先、おまえのことはそう呼ぼう。アホのペルシア」
「それでは、セヴァリオス、なんていかがでしょうか?」
馴染みのない響きではあったが、シーラの挙げる名前にしては、短い。
さらに短いのが……アルファやブラボーが良いのだが、そこまでは望めんか。
「意味はなんだ?」
「意味は、秘密、です」
「秘密か……たしかに、俺には似合っているのかもな。なんだ、アホ、その眼は?」
「……アホって言ったから教えてあげない」
シーラはにっこりとほほえみ、ペルシアは顔を向こうにやってしまった。
「わかった。セヴァリオスだな。これからは、そう呼べ」
「はい、セヴァリオス様」
「様はやめろ。目立つ」
「はい、セヴァリオス」
シーラはことさらに笑みを深めた。ようやく俺の名前が決まったことに満足がいったらしい。この世界において、誰かに名前をつけることは、特別な名誉だという。彼女自身、初めての経験だと言っていた。
「では、セヴァリオス……いえ、セヴァ、これからもよろしくお願いいたします」
「そーね、セヴァ。悔しいけど、アンタのバカと力だけが頼りだからね」
「……シーラ、ペルシア。俺もおまえたちのことを頼りにしている。頼むぞ?」
なにが、おかしかったのか、彼女たちは視線を交差させて、笑った。俺だって、見知らぬ土地では人を頼るというのに、人殺し以外のことはなにもできないというのに、彼女たちは互いに視線を交差させて大きく笑った。
空は青く、雲は白く、この世界でもミー散乱とレイリー散乱は元気にやっているようだった。まさか、この白い雲たちが綿アメでできているということはあるまい、まさか、乗れるということはあるまい。だがしかし――ここは幻想が支配する世界だ。もしも雲に乗れるというのなら、乗ってみたいものだ。そう、俺は思った。
人の文化にあふれた街へと辿りつくには、もう少しだけ歩く時間が必要だった。
第一部:山賊砦の三悪人(了) 初出:小説家になろう/カクヨム 2020/01/17
マギカ・タクティカ ~戦術武装の魔法使い~ 髙田野人 @takadaden
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