第11話 魔法使いは星を見る

 すべての処理が終わったとき、シーラとペルシアは砦の扉に寄りかかり、静かな寝息をたてていた。平和なものだ。


 だが、無理もない。奴隷商人のもとにあったときには心休まるときなどなかったに違いない。そこからの逃亡劇に、賊との対決だ。精神論を語ったところで、肉体の疲労が閾値を超えたなら、人間は意識を失う。それが道理であり生理科学だ。


 砦のなかの賊は一掃した。逃げた者もあったが、EXAMSの脚から逃れられる人間はいない。隠れた者もあったが、心音を拾い上げる聴力から逃げられるのは脈拍のない死体だけだ。つまり死体だけがのこった。それも砦の外に放り出した。


 剣を磨いていた、メインディッシュの彼以上の使い手はいなかった。


 性能の評価試験は終わった。

 ここから先は、純粋なる戦闘行動だ。


 EXAMSが備えた赤外線、音響、振動、動体の各種センサーを起動させる。森のなかを徘徊する、人間のすがたを補足した。走る。迫る。握った短刀で斬る。慣性を失わないよう駆け抜ける。つぎの標的の首筋が迫る。振りぬいた刃先が肉を裂く。


 刃物の用意が間に合わないときには、運動量をそのまま載せた足裏の蹴りで腹部を打ちぬく。地面が爆ぜるなら、人の内臓などもっとだ。彼の身体をひとつの足場として、慣性の方向を強引に曲げる。狙うは、つぎの標的だ。


 それを人数分、38名、38回繰り返す。

 状況、終了。


 森のなかにはほかにも動く生命反応はあったが、人間のそれとは違った。

 死体の処理は、彼らの食欲や雑菌たちに任せよう。


 そして俺は砦に戻り、死んだふり、から、自然に眠りに入ってしまったふたりの少女のことを見つめていた。


 彼女たちは肩を寄せ合い、互いに支えあうようにして寝付いている。


 起こすべきか、と、思い、躊躇ためらう。

 それは、平和な光景だった。


 苦手だ、と思った。

 どうしようもなく、苦手だ、と思った。


 彼女たちが見せるすがたは、俺のなかの一番に弱い部分だった。

 どうしても捨てきれない、一番に弱い、弱点だった。


 俺は、兵士だ。

 闘争のための性能しか持たない兵士だ。


 人間を殺す手段を記憶している。人間を騙す手段を記憶している。人間から情報を聞き出す手段を記憶している。人間の嘘を見抜く手段を記憶している。ほか、多数。人間と戦うための技能なら、星の数ほど習得している。


 なのに――、この様ときたらどうだ?

 ただ眠っている、敵ではない少女をまえにしたとき、俺は、あまりにも無力だ。


 適切とされる行動が、思いつかないのだ。

 思いつけないのであれば、俺は、その場に固まるしかない。

 誰かの命令をまつ機械人形のように、待機姿勢を維持することしかできない。


 ペルシアが、どうして戦いを望むのかと、俺に問いかけた。

 いまなら、答えがわかる。


 それしか、知らないからだ。

 戦うことしか、知らないからだ。

 戦っている瞬間にしか、俺は、俺でいられないからだ。


 平和な状況に、息苦しさを感じていた。

 浜辺に打ち上げられた海の魚は、きっと、こんな気分を味わうのだろう。


 日が、沈もうとしていた。

 世界が赤く染まっていた。

 この世界でも、夕焼けは赤のスペクトルを強く残すものらしい。


 誰かが言った、夕焼けの赤が血のようだと。世界が血を流しているようだと。

 俺は、彼の言葉を否定した。血液の赤は、こんなに薄くない。


 彼は笑った。じゃあ、どんな赤に見えるのか、彼は聞いた。

 俺は答えた。爆撃を受けた家々を焼く炎の光が、夜空の雲を照らすときの赤だ、と。


 短い、会話だった。

 彼は、哲学だな、と言った。

 回答に困ったとき、彼はそれを哲学だと答えるのだ。いつも、そうだった。


 ――夢か追想なのか、判断しかねた。

 まばたきのように目を閉じて、目を開くまでに頭のなかで見えた光景だった。


 きっと、これが適切だと判断した。

 シーラの身体に腕を回し、胸のまえに抱き寄せる。

 肩に担げば、ふたりをともに運べるのだが、彼女たちは人間であり土嚢ではない。


 砦の内部構造はすでに把握していた。

 一番に快適な居住空間は、やはり、頭目の部屋であったのだろう。

 立派な寝台が置かれていた。コンディションのほうはべつとしてだ。

 泥のように眠るシーラは、運んでいるあいだも、寝台に降ろすあいだも、ずっと目を覚まさなかった。


 ペルシアのことも両腕をまわして抱きかかえた。

 目が、覚めたらしい。

 だが、瞳を開けようとはしなかった。閉じたままだ。


 そのことについて、ここで指摘する意味はなかった。

 彼女もまた、不安と緊張のなかで限界にあったのだろう。

 それでも、差し伸べられた救いの手を疑って振り払うのが、彼女の役割なのだ。そう易々と、他者を信用したりはしない。あるいは、最後の最後まで。そのように訓練を受けてきたのだ。


 だが、彼女は、若い。

 少しくらいの休息は必要だろう。

 自身の本能を押し殺し、他者のすべてを疑い続けるというのは疲れることだ。

 寝台のうえ、シーラの隣に寝かしつけるまで、彼女は眠ったふりをやめなかった。



 もう、月と星だけの時間だった。

 空の星々から北極星を探しだそうとして、見つけられなかった。

 ここが南半球である可能性も考えたが、知りうる限りの星の配列は存在しなかった。


 無駄な努力だとわかっていた。

 なにしろ、空には月がふたつ並んでいたからだ。


 ひとつの月は赤味がかって、ひとつの月は薄い緑に染まっていた。


 赤いほうの月にはわずかに大気があるのかもしれない。表面を覆った鉄分を酸素が赤錆させてしまったのだろう。緑のほうは銅だろうか。あれは錆びると緑青と呼ばれるヒスイにも似た色に染まるものだ。


 だがそうすると、地球の月よりも何倍も大きいことになる。地球の月が大気をまとわないのは、単純に小さいからだ。重力が弱いからだ。せっかく発生したガスも、月の脱出速度を簡単に超えて宇宙に散ってしまうからだ。


 ふと、それらが、戦闘に関係しない知識であることに気がついた。

 どうして、月や星のことを知っているのだろうか。


 ――コミックだ。

 宇宙飛行士を目指した少年が、なりゆきで軍属となったヒーローコミックだ。


 きっと、過去の俺は、夢中になったのだろう。

 それこそ、戦闘のことさえ忘れるほどに。


 なんだ、あるじゃないか。

 こんな俺にも人間らしいところが。


 月と星を眺めていた。

 コミックの主人公のように、行きたい、とまでは思わなかった。


 コミックの主人公は、最後に、どうなったのだろう。思い出せない。

 宇宙飛行士になる夢を叶えたのか、あるいは、残酷な現実に呑み込まれてしまったのか。


 ――どうせ架空の物語なんだ。

 最後くらいは幸せであっても良いはずだ。誰も、傷つかないんだから、さ。

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