第6話 魔法使いと奴隷商人?

 人間たちのあいだでどんな惨劇があろうとも、自然の森は風に枝を揺らすくらいで、ずっと静かなままだった。


 男の名は“ビッグル”と呼ぶらしい。


 胃袋ごと内臓をかき回されて死んだ男や、鉄剣で殴られ脛骨を砕かれた男、のどぼとけを貫かれてチアノーゼののちに死に絶えた男ではない。賊に囲まれ、暴力でいたぶられていた、馬車に乗っていた御者の名前だ。


 放り出された衝撃か、のちに加えられた暴力かで血を流していたが、手足の骨は無事だ。亀のように丸まっていたので、おおかたの内臓も無事だろう。代償として肋骨や胸骨を傷つけていたが、いまはまだアドレナリンの作用で、痛みを忘れられているようだった。


 激痛にのたうちまわるのは、今晩のことになるだろう。


 彼は、自分を奴隷商人だと紹介した。

 あきらかな嘘だった。


「旦那はお強いですね。おかげで助かりました。騎士様かなにかでしょうか?」


 俺は、しばらく考えた。

 自分が何者であるのか、それはすでに、わからないことがわかっている。

 かといって、無職の身と答えるのは、それはそれで癪だった。


「このあたりの文化では、魔法使いとは忌み嫌われる存在か?」

「いえ、そんなことはありませんぜ。むしろ、尊敬される賢人様でさぁ」

「ならば俺は魔法使いだ」


 嘘ではない。正確ではないだけだ。

 魔法の杖は所有しているし、杖の力で魔法は使える。

 問題は、杖の使い方がいまだに判明していないことくらいだ。


「魔法使いさまでしたか、それは納得のお強さです。欲をいっては何ですが、できましたら俺の怪我のほうを、ちょちょいと治しちゃくれませんかね?」


「俺は、それらの魔法を使えない」


 俺の使える魔法といったら、いまのところ、杖で殴打する程度のものだ。

 だが、俺の否定的な言葉を耳にしたビッグルが、使えない、という表情を一瞬浮かべたのを見逃しはしなかった。


 馬車が移動の手段となる文明だ。

 弓矢が攻撃の手段となる文明だ。


 魔法という言葉がどの程度の範囲を指すのか不明だが、専門家ではない彼にそれを問うのは賢くない選択だろう。間違った知識が増えるだけだ。彼が専門と自称するのは奴隷の売買なのだから、それについて俺は訊ねるべきだろう。


「奴隷商人というが、商品はあの転がった箱のなかか?」


 俺は仕草で、長方形の木箱のような荷車を差した。


 この形状には見覚えがあった。貨物用のコンテナだ。記憶しているのは金属製のものだったが、材質が木製になっても用途は変わらないだろう。ぎゅうぎゅうに隙間なく詰め込まれている人間の群れを想像した。不法移民というフレーズが頭をよぎる。その瞳も。


 新天地に向かう希望の光が半分と、逃げられない絶望への諦めが半分。夢見る瞳が半分と、現実を見つめる瞳で半々だ。それらの瞳が、いっせいに俺を見つめていた。箱詰めされた人間たちというフレーズから俺が想起するものは、そのイメージだった。


「開けて、確かめないのか?」


 相当な勢いで転がったはずだ。木箱には、造りが粗雑であるためにできた隙間があったが、ろくな光源も無いなかで、天と地が何度も入れ替われば、中に詰まった人間たちは堪ったものではないだろう。互いの身体がクッションであり、互いの身体が凶器になる。


 俺に促され、ビッグルはようよう腰をあげた。

 まだ痛みを感じてはいないが、違和感はあるのだろう。それに、脳内麻薬のカクテルに侵され、思考の冷静さを欠いているようでもあった。


 彼は木箱の背後に回り込み、錠を開け、かんぬきを外した。

 木箱の蓋がひらくと、なかにあった光景は、俺の予想したような、血袋の爆ぜた地獄絵図とは異なっていた。


 女性が二人倒れていた。若い。少女だ。カーテンの布地に頭を通すための穴をあけたような貫頭衣をまとっていた。布はツギの当てられたボロだ。衣服として最低限の効果しかもたらさないそれは、肌を隠すにも不向きだった。すらりとした生足の白さが、かなり際どいところまで光にさらされている。


 ビッグルは、奴隷の無事を確かめようとしたのだろう、手を伸ばす。


「待て」


 俺は、彼の動きを制止した。

 どうして? という表情を彼が浮かべる。


「せっかく助けた命だ。あっさりと死なれては道理に適わない。――おい、意識を失っていないのはわかっている。不意打ちならば失敗だ。素直に起きろ」


 ばつの悪そうな表情だった。

 見抜かれた以上、悪あがきをする気はなかったらしい。

 ゆっくりと上体を起こし、贅沢にさらけだした肌を布地のしたに隠してしまった。


 どうして? という問いかけが睨みつける視線には込められていた。


「身を固くしただけの人間と、意識を失った人間の区別くらいは簡単にできる。意識のない人間の呼吸はとてもゆるやかなものだ。緊張に身体を凍らせたおまえたちのそれは、起きている者の呼吸だった。つぎがあるとしたなら、もっと上手く演じることだ」


 俺の過去が教導士官であったのかもしれないという思いから、そのように振舞ってみた。が、あまり、しっくりとは感じなかった。どうやら、違ったらしい。


 どちらも若い女性だった。少女だ。髪の色は黒と金。肌の色具合からして、ビッグルとは異なる人種になるのだろう。おそらくは異邦人だ。この近辺を生まれとした人間ではないのだろう。


 どちらの少女も、それぞれに美しかった。人種を超えた共通の美はあるものだ。年齢のほどは正確に見分けることはできないが、いまだ成人にはいたっていない年齢だろう。顔立ちに幼さが残っている。


 黒い髪のほうが快活そうで、俺とビッグルへの敵意を隠さない。金色髪の少女のほうは彼女の影にでもすがるように、怯えの色を見せ震えていた。


「この野郎、俺を騙しやがったのか!!」


 ビッグルは怒りにまかせ拳を振り上げたが、


「やめろ。商品の価値が落ちる。傷つけるな」


 俺の説得に応じるだけの分別は残していた。振り上げた拳が、しょざいなさげに降ろされた。


「馬車が壊れた。ここからさきは歩きだ。俺のあとについてこい」


 ビッグルがその辺に転がっていた賊の剣を拾い上げ、木箱を叩きながら命令する。


 ここは仕方がない。次の機会を待とう。そんな、抵抗の意思を宿した瞳をして黒髪の少女は立ち上がった。少し遅れ、金色髪の少女も立ち上がる。ふたりはともに裸足だった。これでは、歩かせても、そう長い距離は歩けはしないだろう。


 脳内麻薬で冷静さを欠いているのかもしれないが、それにしても判断が愚かしい。

 そろそろ――良いだろう、この男の愚かしさには付き合いきれない。


「待て、ビッグル」

「なんですかい、魔法使いの旦那?」

「この二人は置いていけ、俺が預かる。おまえはひとりでどこかに逃げろ。せっかく生かした命だ。長生きしろ」


「――は?」

 さすがに、彼も気色ばんだ。

 命の恩人とはいえ、言って良いことと悪いことがある、そんな顔だ。


「そもそも、この二人は、ビッグル。おまえの奴隷ではないのだろう?」

「なにを言い出すんですか、旦那。いったいどこにそんな証拠があるってんですかい?」


 ビッグルだけではなく、ふたりの少女までもが驚いた顔で俺を見つめていた。

 そんなに難しい話ではないのだが、証拠を語れというのなら、俺は語ろう。


「まず、おかしいのは馬車に護衛がついていないことだ。奴隷を扱う商売なら、護衛はもちろん、奴隷を逃がさないための人員が居てしかるべきだ。たった一人で、二十四時間を見張ることはできない。それがビッグル、おまえを疑う第一の理由だ」


「護衛を雇う金が無かったってこともあるでしょうが?」


 いや、それはない。

 少女たちはそれぞれ美しい。この世界の奴隷市場がどの程度の相場なのかはわからないが、生きた芸術品にたいして、人は相応の金額を用意するはずだ。高級な奴隷を仕入れながら、護衛を雇う金はないと力説するのは無理があるだろう。


「つぎに、おかしいのは、賊とは場所を問わず人攫いを兼ねているものだ。荷物だけを奪う、欲に欠けた綺麗な賊など存在しない。金になるなら人間も奴隷として売り払う。だから賊と奴隷商人の関係性は蜜月であるはずだ。ほかの商人や旅人が襲われることがあっても、奴隷商人が襲われることだけはない。これがビッグル、おまえを疑う第二の理由だ」


「……たまたま、見間違えて襲われるってこともあるでしょう?」


 いや、それはない。


 奴隷商人の駆る馬車は、奴隷たちを閉じ込めておくための檻になっている。木箱のような特異な形状こそがそれだろう。商人は運ぶものに対して適切な乗り物を選ぶ。ただの荷物を運ぶなら幌馬車で良いのだ。天井も高く、荷物の積み下ろしも簡単になる。上下左右に前後の六面すべてが木の板で閉じられているのでは、荷揚げに荷下ろしが面倒になるだけだ。


 ただの馬車とは設計思想からして根本的に違うのだ。

 一応はプロである賊が、奴隷商人の馬車を見て、それを見間違えるということはありえない話なのだ。


「最後に、おかしいのは、奴隷を詰んだ馬車でありながら、賊に襲われたという事実だ。賊は、奴隷商人の馬車を襲わない。盗んだ奴隷を奴隷商人には売れないからな。当然だ。だがそれでは、奴隷商人に扮したほかの商人たちも取り逃がしてしまう。そこで使われるのが符丁だ。奴隷商人と賊、それぞれが秘密とするなんらかの暗号が存在しているに違いない。だが、ビッグル、おまえはそれを知らなかったんだ。だから、襲われた」


「…………」


 もはや、観念した。という、いさぎよい顔ではない。暴力でもって、この場を切り抜けようとする、怒りに満ちた賊と同じ、上品とはいえない顔をしていた。


「以上のことから、ビッグル。おまえが奴隷商人でないことはわかっている。あるいは、奴隷商人の下働きなのかもしれない。おまえは、このふたりの少女を、本来の持ち主から盗み出したのだ。彼女たちは盗品だ。違うか、ビッグル?」


「そうですよ。だからどうかしたってんですか? 盗んだからには俺のモンですよ?」


 彼は、開き直ったらしい。

 悪党、その言葉がとてもよく似あう顔になっていた。


「その通りだ。本来の持ち主、おまえの主人から逃げ延びられたらな。いまごろ、盗みに気づいたおまえの主人は怒り狂って、ビッグル、おまえを殺すために馬を走らせているはずだ。車を牽かない馬の脚は早いぞ。反抗的な奴隷をふたりも連れて、逃げ切れるつもりか? それは、賢い選択とは思えないぞ?」


 ビッグルの視線が、俺と少女たちのあいだを睨みつけながら彷徨さまよう。ここで口論している時間さえ、本来は惜しい状況なのだ。手に持った剣が震えている。怒りだ。なにに対するものなのかは、自分自身にすらわかっていないのだろう。


 暴力で解決するのは簡単だ。

 あっさりと俺に殺されてしまう未来が見えている。

 だから、剣先は震えるばかりで、たしかな標的を得られないでいるのだ。


「じゃあ、俺にどうすれって言うんですかいっ!?」


「ひとりで逃げろ。盗み出すときに自分の財布くらいは持って出たはずだ。あるいは、おまえに盗みを依頼した誰かから、前金くらいは貰っているだろう。それらを持って、逃げろ。身を隠せ。深すぎる欲は身を亡ぼすぞ。せっかく助けた命なんだ。俺の行為を無駄にさせるな」


「…………」


 ビッグルの沈黙を、俺は肯定の意として捉えた。

 彼に盗みをそそのかしたものが、背後に存在しているのだ。


 奴隷を扱う商人だ。そこにある規律や罰則の苛烈さは、なみの軍隊を超えるだろう。

 逆らう者には死を。あるいは、それ以上の苦痛を、だ。


 だが、ビッグルは盗みを働いた。


 雇い主を裏切るに足るだけの報酬の用意がそこにはあったのだろう。彼を動かすために前金を握らせたはずだ。受け取った時点で、すでに盗みの共犯者だ。即座に雇い主に報告したなら良し、わずかでも迷い報告が遅れれば、疑われる身の上になるのだ。


 ビッグルは、なにも言わなかった。

 ただ、俺に背を向けて、傷んだ身体を引きらせながら歩き始めた。


 場に残ったのは、俺と、ふたりの少女だ。彼女たちは身を寄せ合っていた。

 そして俺は、なるべく好感を得られるような笑みを浮かべて言った。


「では、おまえたち、いますぐに服を脱げ――、」

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