第5話 魔法使いの性能評価試験

 木箱のような馬車はすでに横倒しになっていた。

 縦も横も無いような長方形の立方体だが、車輪の有無で天地がわかった。

 一方の車輪は軸からはずれ、半月のかたちを残して土のうえに転がっていた。


 これらの破壊を為したのは、たった一本の荒縄だ。

 馬車の走る進行方向の先、左右両脇の木にまたがるように固く張れば良い。

 速度が乗っていれば、脚であれ首であれ、縄にかかった馬はたまったものではない。


 馬車というものは馬が荷車を牽引するものだ。

 二台の自動車をワイヤーで結んで走らせ、牽引し、急ブレーキをかけたなら追突事故が発生する。前の車が急停止したからといって後ろの車は止まらない。それと似た、さらに悪質な事故現場がそこにはあった。


 二頭の馬は転倒したうえに車に引きつぶされ、血を流している。おそらくは脚の骨も折れているだろう。弱弱しく身体を震わせているが、起き上がる気配はない。これはもう、どうしたところで助からない。手遅れだ。


 手綱を握っていた御者のほうは、まだ生きていた。素直に放り出されたからだろう。したたかに打ち付けられ、苦悶の声を挙げてはいるが、即座に命にかかわる状態ではなさそうだった。そこかしこ、骨の一本や二本が折れてはいるのだろう。


 俺は距離をとり、バイザーの望遠と収音の機能を使い、状況を観察していた。

 現時点では戦闘の邪魔になる杖と鞄は土のなかに隠しておいた。


 御者の男は中肉中背で、これといって目立つような特徴はない。

 変装しているのかもしれないが、高貴な身分であるようにも見えない。

 なにかの偉大な運命を背負った、助けるべき特別な人間であるようには思えなかった。


 彼を囲むバンディットたちも同じだ。

 命乞いする彼を囲んで、暴力でいたぶり、明らかに自身の優位性を楽しんでいる。

 男所帯が野や山に生きているのだ、娯楽には飢えているのだろう。


 自然、俺は自分の胸に手を当てていた。

 EXAMSの表面装甲は、望むなら痛覚や温感を再現できるようになっている。


 宇宙空間で、着たり脱いだりを繰り返さず済むように、人間の強化された皮膚アドバンスド・スキンを目指して造られたからだ。二十四時間、ずっと着用したままでも皮膚の清潔は保たれ、排泄等も内部で処理が可能とされている。まだ、その機能を試してはいないが。


 手のひらから伝わる心臓の音は、平静を保っていた。

 これだけの惨状を目にしながらだ。


 俺という人間は、相当に薄情であるらしい。

 助けることは簡単でありながら、助けたいという欲求に欠けていた。


 善悪に関する一通りの記憶はある。このような状況では、賊に対して義憤を抱くのが通常の反応であるはずだ。だが、俺の心は、犠牲者にも加害者にも平等に無関心の表情を向けている。流血や破壊、悲鳴、それを嘲笑う声、どれに対しても、だ。


 それらが、見慣れたもの――の、ような気がした。

 状況観察、終了。



 敵戦力の分析ならば、すでに完了していた。

 おもに鉄を素材とした剣と、穂先のみが金属である槍、それから木材と動物の腱から作られた弓、これらが主要な武装だ。ボディアーマーに関しては雑多なもので、一番良いもので動物のなめし皮を重ねた鎧であり、一番に下等なものなど上半身の裸を晒していた。


 思うに彼らの戦術は、罠と奇襲を主体としたもので、正規の軍隊と戦うことは想定されていないのだろう。同数、あるいはそれ以下でも、十分な装備の相手に対しては逃走を選択することが容易に想像できた。勝てない相手とは戦わないのだ。それは賢い選択だ。


「EXAMS、エンゲージ」


 敵との接触を知らせると、黒地に入った赤のラインが輝きを増した。夜間戦闘時には自分の存在を知らせるスピーカーにしかならないと思うのだが、そのあたりはフィクションのサダメとして目を瞑るべき事柄なのだろう。


 すべてのロボットやスーツが、敵も味方も黒一色の光沢のない夜間迷彩色では、なにがなんだかわからなくなる。


 彼等には悪いが――、いや、悪いとはまったく感じていないのだが、スーツと俺の性能を試すための標的になってもらおう。駈けだした。


 接敵までは5秒とかからない。あえて身を晒し、彼らの前に立った。唐突に出現した黒尽くめに困惑を隠せないようだった。


 賊のひとりが声を張り上げた。


「誰だ、おまえは!?」


「俺は――、誰だ?」


 誰だ、そう聞かれても困る、俺は記憶喪失の身の上なんだ。


「しいて言うなら、おまえたちの死神だ。かかってこい」


 言葉が理解できるのは不思議な感覚だった。

 ここは新世界だ、なら、言葉も未知の言語であるはずだ。

 だが、理解できる。――まぁ、便利なぶんには構わない。


 EXAMSを装着していても、人間の反応速度までもが向上するわけではない。ましてや、戦闘技術が勝手に身につくこともない。スーツはあくまで肉体の出力を倍化してくれるだけの道具だ。実際に戦うのは装着した人間であり、そして人間の意思だ。


 賊のひとりが右手の剣を大きく振り上げた。テレフォンだ。振り下ろせる有効角が決まっている。右肩の直上を0°として、左右にプラスマイナス25°といったところか。頭部が邪魔をしているので、外側から弧を描く軌道で剣先は振り下ろされるのだろう。


 肉体は予測し反応した。


 振り下ろされる軌道上に前もって左腕を差し込む。剣を受けるためではない、剣を握った手や腕を受けるためだ。大きく振りかぶりすぎだ。振り下ろすまでに猶予がありすぎる。こうして距離を詰められては有効な斬撃は繰り出せないだろう。


 腕を腕で掴まれたことに彼は困惑を浮かべた。次の手はなんだ? いや、なかった。身体が迷いに固まってしまっている。彼は、もういい。右手の鉤打ちで胃袋を突き上げる。腹についた贅肉がわずかな抵抗を示したものの、しまりのない筋肉を拳は易々と貫いた。


 彼の右手からこぼれおちた鉄剣を、絡ませた俺の左手でそのまま奪い取る。順手、逆手と握りを変えてみて、どうやら俺は、逆手の構えに慣れていることを知った。


「すこし、長すぎるな」


 奪った剣に対する感想だった。

 長すぎる刃渡りは、脚に触れかねない。

 これが素足であったなら、慣れない刃で自分の太腿を切ってしまうところだ。


「どうした? 次はこないのか?」


 逃げるべきか戦うべきかを迷っている表情だった。

 どちらにもつかない心は、どちらにもつかない行為を生み出すものだ。


 さらに一歩、大きく踏み出して、左手の剣で殴りつける。刃の切れ味には期待していなかった。そもそも、手入れさえ怠っていたようだった。わずかに錆びの色が浮いた汚れた剣は、ある意味で悪質だ。傷口からの感染症が狙える。


 だが――、その心配はない。頚骨がポキリと折れてしまえば。

 攻撃とも防御ともつかない迷った剣は、そのどちらの役にも立ちはしなかった。


 襲うことは想定内でも、襲われることは想定外であったらしい。二人、仲間をすでに失いながら、彼らはいまだに襲うか逃げるかの進退を決めかねていた。――なぜだ?


 考える。

 理解した。


 そうだ、最初に声を挙げた彼こそが、この賊たちの頭目ヘッドリーダーだった。彼らは正規の軍人というわけではないが、それでも、指揮官を失ってしまえば命令系統は喪失する。喪失したあとには予備となる指揮官がそれを引き継ぐものだが、そこまでの用意はなかったのだろう。


 ――失敗だ。

 すでに彼らは戦闘集団として瓦解している。囲んで襲うにも、蜘蛛の子を散らすにも、命令がなければ一斉には動きだせないのだ。


 彼らは彼らなりに、自身たちが弱者であることを理解しているのだろう。正規の軍人を相手にしたなら一対一では敵わないし、集団で襲うにしても、タイミングが合わなければ最初に襲い掛かった自分が犠牲になってしまう。自己犠牲の精神までをも彼らに求めるのは、少しばかり欲張りすぎだろう。


 もはや、興味が尽きた。

 これでは俺の性能試験にもならない。


「立ち去れ。逃げろ。早く。俺の気が変わる前に」


 言われて、彼らはお互いに顔を見合わせる。

 数の上では勝っているのだ。

 自分たちがなぜ逃げなければならないのか、いまだ理解できないという顔をしていた。


 そんな、注意散漫だから――、また一人、犠牲になるんだ。

 左手にもった剣を投げつける。


 回転する剣先がちょうど相手の側を向くのか不安だったが、俺の身体はその技能を持ち合わせていた。投げつけた剣先は、速度もあって、のどぼとけの骨を簡単に突き破った。これは即死ではないから長く苦しむことになるだろう。


 ようやくだ。

 彼らが必死の形相で逃げ出した。


「――反応が遅い」


 暴力や残酷、それらを通り越した殺人にさえ動かなかった俺の心が、なぜだか彼らの鈍さには強く反応した。苛立ちだ。不出来な戦闘集団に対する大きな失望感があった。すると俺の過去とは、教導士官であったのかもしれない。

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