第15話 魔法使い、はじめて魔法を使う

 使いこなせないという意味では、EXAMSよりも使いこなせていないものがあった。杖だ。魔法の杖だ。たしか名称はサイコスタッフだったと記憶している。魔法の鞄とともに砦へと持ちかえり、食堂の椅子に座りながら、しげしげと眺めていた。


 テーブルのうえで死体の真似事をしていたペルシアも、硬すぎる寝床はさすがに身体に堪えたのか素直に寝台のうえに戻ったらしい。あと7日で放棄するというのに、それでも汚れていることが許せないのか、シーラだけが食堂に残り掃除をしていた。


 しかし――、さっぱりだ。

 握ってみた、振ってみた、話しかけてみた、魔法の杖は無言を貫いている。


 つま先から胸のあたりまで丈のある長い杖なので、振り回すぶんには十分だが、それならただの木の棒で良い。


「杖よ、杖、この世で一番うつくしいのは誰?」

『…………』


 寡黙な杖だ。

 美の基準など人それぞれであるし、世界中の人間で人気投票をおこなったところで一位の女性を選んだ人間はよし、二位以下を選んだ人間には異論が残るだろう。その点では正しい回答だ。


 賢者は多くを語らず、沈黙は金という。


 で、そんなことはどうでもいいのだ。俺がいま必要としているのは、この杖の取り扱い説明書であり、こんなことなら『かくみさいる:いっぱいうてます。』のスイッチを選ぶべきだったかと大きく後悔しているのだ。


「さきほどからずっと、何を悩まれているのですか?」

「魔法の使いかたがわからないのだ」


 ともすれば、自分が魔法使いだと思い込んでいる頭のおかしな人間の言動だったが、この世界はいまだ科学万歳ではなく、魔法の存在が信じられている程度には迷信の残る余地もある。


 産業革命後でさえ、魔術師の結社というものが存在し、ナチスドイツのなかにはオカルトを専門とする部署があったという伝説もある。科学技術の恩恵にどっぷりと肩までつかりながら、その一方で、人は神秘的ななにかを最後まで信じたがる生き物であるらしい。


 地球における魔法の歴史を思い浮かべながら、どこかに手がかりがないかと記憶を探り続けていた。


「どうした?」


 シーラが掃除の手をとめて、俺の無駄なあがきを眺めていた。


「私は魔法を使えませんが、使いかたなら知っています」

「そうなのか?」


「はい、まずは発動体となる杖や指輪に魔力を込めます」

「魔力か。そうか、魔力か……」


 いきなりだが、無茶を言ってくれるものだ。

 携帯電話に電力をこめろと言われても、それを実行できる人間はいない。

 いや、この世界の人間ならばそれも適うのかもしれないが、俺には無理だ。


「つぎに精神を集中し、魔力に命令を与えます。火なら火、水なら水を思い浮かべます」

「水だな、わかった」


 水とは、H2O、一酸化二水素、ジヒドロゲンモノオキシド、それら分子の集合体だ。

 俺の知る水について思い浮かべる、いや、知識を羅列する。


「最後に、杖の先から魔力を解放すれば魔法が発動します」

「解放か」


 俺は期待なく杖を振った。すると杖の先端からまるで捻りすぎた蛇口から飛び出したかのような水流がほとばしり、そして、食堂の床を凍らせた。


「氷だな」

「氷ですね。これは氷撃の魔法でしょうか?」


 考える。

 理解した。


 俺は、純粋なH2Oの分子集合体を思い浮かべた。超純水だ。そしてそれは熱を持たない分子の集まりであったから、出現後、即座に結晶化をはじめて氷になった。こうして俺は初めての魔法を使ったわけだが――、喜びは薄かった。


「すごいですよ!! 氷の魔法は水属性の魔法使いのなかでも一握りの人間しか扱えないのに!!」

「ふむ、そうか。凄いのか、ふむふむ……」


 わかりやすく、ハシャいでくれているシーラには悪いが、床に散った氷を見つめる俺の視線は冷ややかなものだった。


 拳銃が、構える、狙う、撃つの三拍子だから、近接戦闘ではナイフに勝てないという謎の理論を俺は思い出していた。標的が目前であれば、拳銃は打つの一拍子だ。ボクシングのジャブに近い。腕を伸ばしたついでに引き金をひく。それで終わりだ。


 杖に魔力を込める、つぎに精神を集中する、イメージを頭のなかで想起し、それから狙いを定め、杖を振ってようやく発射だ。敵が手にした武器がアサルトライフルであれば、2秒とかからずハチの巣になれることは間違いない。


 どれだけ操作手順を速めたところで、分速600発の領域には追いつけないだろう。


 便利な道具ではある。多機能万能ツールのようなものだろうか。缶切りから栓抜きまで、なぜだかコルク抜きさえついているツールナイフだ。あれば便利で、無くても困らない、そういった程度のなにかだ。


「…………シーラ、おまえが使うか?」

「え? 私がですか?」


「三人のなかで唯一戦闘能力に欠けるのが、おまえだ。魔法のひとつも使えれば、少しは役に立つだろう?」


 酷な言いかたであるのはわかっていた。彼女の足手まといを真っすぐに指摘したのだ。だから、戦闘とは関係のないところで彼女は努力する。だがしかし――、だ。それらの努力は、実際の戦闘の場では欠片も役には立たないのも事実なのだ。


 自身の立場を理解はしていたのだろう。

 シーラの表情に苦々しいものが走る。


「私は、魔法を使えませんから……」


「そうなのか、わかった」


 使えない、というのなら、彼女は魔法を使えないのだろう。もしも魔法を使えるのなら、彼女は掃除のために井戸から水くみなどしなかったはずだ。


 だが、この杖は違う。俺は魔力の扱いかたなど知らないし、魔力を込めたつもりもなかった。それでも魔法は発動したのだ。


 サイコスタッフであれば彼女も魔法を使えるようになると俺は判断するのだが――、魔法を使えないと口にした、彼女の重く暗い表情を前にして強くは薦められなかった。


 なにか、あるのだろう。たとえば、この世界の支配階級は魔法が使えることが条件である、とかだ。肌の色でさえ選民思想に容易くつながるのだ。能力の有無ともなれば、さぞかしひどい人種差別が発生することだろう。


「私は、足手まといですか?」


「どう答えてほしい? シーラ、俺は、おまえが望むままの答えを口にしよう」


 本来ならば、守られるべき対象が戦闘能力をもつ必要はない。ハリウッド映画の大統領ではないのだ。戦闘は戦闘のプロに任せるべきであり、要人はただ、避難の指示に従えば良い。むしろ、勝手なことをされたほうが迷惑なくらいだ。


 だが、現状が現状だった。人員が不足しすぎている。

 最低限の護身術くらいは身につけさせておくべきだと俺は考えた。


「お願いです。私に、戦い方を教えてください。足手まといのままでは居たくないのです」


「いいだろう。時間がない、いますぐに始めるぞ」

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