第34話 オーケの奮闘
翌朝、俺はテントの中で目を覚ました。
焚き火の火を消してからは当然、辺り一帯は真っ暗だ。星と、二つの月がよく見えた。
クロエとカトーで一つのテントを使い、レオンとシグルドも一緒に寝ているはずだ。俺の隣ではオーケがすぴすぴ寝息を立てていた。魔物組の俺達四人は、一緒にテントを使って寝ていたわけだ。
ブラームとフェリスも目を覚ましたようでぐ、と身体を伸ばしていた。その向こうでオーケは未だに寝息を立てている。
と、そこで俺はテントの中に明かりが差し込んでいるのを見た。入口を見ると、レオンがテントの入り口をめくって、こちらを覗き込んでいる。
「おはよう、ニル」
『おはよう、レオン』
レオンに念話を飛ばしてから、未だ起きてこないオーケの頬を叩く。何度か前脚でぺしぺしして、やっとオーケも目を覚ました。
念話で声をかけて、本格的に起こしていく。
『フェリス、ブラーム、オーケ、おはよう』
『おう、おはよう』
『おお、ニル。おはようさん』
『んん、もう朝?』
俺の声に、フェリスとブラームもこくりと頷きながら念話を返してきた。オーケも前脚で目をこすろうとして、仮面に阻まれて目をこすれないでいる。
四人揃ってテントから出ると、主人達も起きて朝の準備をしていた。シグルドがこちらに目を向けながら、くいと顎をしゃくる。
「起きたか」
『ああ、問題ない』
シグルドに声を返すと、コクリと頷いたシグルドが、まだ眠そうなオーケの肩をぽんと叩いた。
「よしオーケ、今日も仕事に行くぞ。動物避けの結界は張っているが、魔物は入ってくる」
『えぇっ、もう行くの?』
と、主人の言葉にぎょっとした様子でオーケが返した。
日本では一日三食が基本だし、高梨君はただでさえ食いしん坊だ。しかしヴァグヤバンダでは一日二食、朝食をとる習慣がない。起きたらすぐに動き出すのだ。
フェリスがオーケの肩を優しく叩いた。
『仕方ないんだよ、この世界は朝飯を食うって習慣がないからな』
『うぅー、しょうがないかぁ……』
慰められて、肩を落としながらオーケが零す。そのままシグルドについて歩くオーケを見送る俺の傍に、カトーがやってきた。
「どうする、ニル」
『そうだな……今日はさすがに、なにか仕事がしたい』
声をかけられて、上を見上げながら俺は返した。さすがに今日も、何も仕事をしないというのはいい気持ちではない。フェリスでさえも、荷物運びという仕事をしているのだから。
俺の言葉に、にこりと笑ってカトーが口を開いた。
「そうだね、じゃあニル、
『分かった』
ようやく俺も仕事が出来る。指示を受け取って、すぐに俺はここ数日何度も練習していた魔法を使う。
『ヴェナス・カランナ! 姿を変えよ!』
詠唱を唱えると、すぐさま俺の体が光に包まれる。すぐに俺の身体が後ろ足で立つ形に変形し、獣人になった俺がこくりと頷いた。
「よし」
「すんなり変化出来るようになってきたな」
すぐに変化出来るようになった俺に、レオンも満足そうだ。そして俺の姿を見たオーケが、驚きに目を見開いている。
『ニル、すごいね。僕もそうやって変身できるようにならないかなぁ』
『勉強すれば出来るようになるらしいぞ。俺もラーシュから教わることになるとか聞いたな』
驚くオーケに、フェリスが尻尾を振りながら言った。
確かに、ラエルとフェリスには既に
ともあれ、まずは今日の仕事をやらないといけない。カトーの傍に寄って料理のために手を洗わせてもらいながら、俺はシグルドとオーケに目を向ける。
「じゃあ、オーケ、シグルド、まものたいじ、よろしくたのむ」
「ああ、任せろ」
俺の言葉に、振り返りながらシグルドが言うが、シグルドの向こう側に動く影が見えた。
それと同時に聞こえてくるのは虫の羽音だ。だが、その羽音がいやに大きい。
「む」
羽音を聞きつけたシグルドも振り返った。同時にオーケもそちらを見る。と、近づいてくる巨大なハチが数匹、あるいは十数匹いた。だがでかい。でかすぎる。
「キシャァァァ!(人間が何の用だ!)」
「おっと、キラービーか」
「こんな近くまでやってくるとはぬかったな」
俺がビビっている間に、レオンとカトーが前に出てきた。クロエはフェリスを遠ざけようと三人から距離を取っている。俺もフェリスも戦う術を持っていないし、レオンと違ってクロエは剣を使えない。空を飛ぶ魔物相手では、こうするしかないのだ。
カトーが包丁を手にしながら強い口調で言った。
「レオン、クロエ、ニルとフェリスを守りな! ブラーム、前へ!」
『あいよ!』
カトーの指示に従ってブラームが飛び出した。シグルドと一緒にキラービーへと飛びかかり、その爪で羽を砕いていく。レオンも剣を振るってキラービーの羽や針を切り落としながら、俺に声を飛ばした。
「ニル、下がれ!」
「ああ」
言われなくても。元々戦うつもりなんて無いし、戦いに加わるつもりもないのだ。フェリスの傍に寄って、安全な位置から皆の戦いを見る。
今も、カトーが手を前に出して構えを作りながら前方に声を上げていた。
「
「私もいきます、カトーさん!」
見れば、シグルドやオーケの横をすり抜けたキラービーが、一匹こちらに飛んできていた。すぐさまクロエも動き出し、キラービーを二方向から挟むように立つ。
そしてその手から、火の玉が詠唱文句とともに放たれる。
『ギニデ・ウンデヤ! 燃やせ!』
二人分の
『う、うわ……』
その、燃え続けるキラービーの姿を見たオーケが、明らかに慄く声を上げた。
今まではこんなことはなかっただろう。一瞥したら何の声もあげず、そのまま次の魔物に向かっていたはずだ。だから、シグルドもレオンも驚いた顔をしてオーケを見ている。
「オーケ!」
「オーケ、どうした!?」
シグルドも心配そうな声を上げつつ、手にした剣を振るっている。だが、オーケの身体が小さく震えているのを見て気が気ではないようだ。
それはそうだろう、自分の相棒であり、使い魔である魔物が、魔物が倒される様に怯えるなど、普通なら考えられない。しかし今、オーケの中にいるのは戦いなんて無縁だった中学生男子だ。
『怖い……でも……』
恐れ震えるオーケだが、自分が動けないままでいたら主人たるシグルドにもよくないだろう。事実、オーケを気にかけながら戦うシグルドは安定した戦いが出来ていない。レオンが率先してキラービーを斬っている有様だ。
これは、よくない。俺はそっと、オーケに念話を飛ばした。
『オーケ、心配するな。今のお前は、強い』
『ニル……』
オーケに声をかけると、少しホッとした様子でオーケが応えた。緊張や恐怖が和らいだのだろう。改めて前を、キラービーを睨みつけたオーケがぐ、と地面を踏みしめた。
『うう、え、えーいっ!』
そこから一気に地を蹴って、空を飛ぶキラービーに爪を一閃。羽も、針も、その身体さえも切り裂いて砕かれたキラービーが、悲鳴を上げながら地面にバラバラと落下した。
「ギャピ……!(ぐわ……!)」
「よし、いいぞ!」
シグルドも快哉を上げる。オーケの爪なら一撃で倒せることに、彼も満足しているようだ。当のオーケは、一瞬で巨大なキラービーを粉砕できたことに目を見開いている。
『で、出来た……!?』
『いいぞー、そのままどんどんやっつけろ!』
ブラームも嬉しそうな声を上げながらオーケに声を飛ばし、同時に魔法をばらまいていった。既にキラービーの数は半分以下になっている。これならすぐに片付くだろう。
『やるな、オーケ』
『やっぱり、実力はあるもんな』
その後も、四人と二匹が総力戦で武器や魔法を振るい、瞬く間に地面にはキラービーの死体が転がった。全員が無事で、怪我もないことを確認したカトーがぱんと手を叩く。
「よし、お前達! キラービーの羽をもいで毒針を抜いたら、その身体を回収しな! こいつも食えるからね!」
「うげっ」
だが、カトーが発した言葉に俺は思わずうめき声を上げた。
キラービーはその名の通りハチの魔物である。見た目はまんま、でっかいスズメハチである。それを食うのか。気持ちが悪い。
「カトー、くうのか、あれを」
「食うよ。炒って塩振って食うと美味いんだ」
げっそりしながら俺がカトーに言うと、当のカトーは全く気にしない様子で答えた。ますますげっそりした俺の耳が、イカのようにぺしょっと伏せられる。
俺の肩を、剣の血を拭って収めたレオンが叩いた。
「諦めろ、ニル。この世界はどうあがいたって、食うに困る世界なんだ」
「いや、まあ……そうだけど……」
レオンの言葉に、俺は何とも言えない表情を隠せない。たしかにこの世界、食糧難はどうしようもない。虫の魔物だって貴重なタンパク源だろうが、だとしてももうちょっと、こう、あるだろう。
クロエも肩をすくめながらため息をついた。
「分かっていても、ゾッとするわよね。キラービーを食べるってのも」
「カトーのように丸のまま食べるのはだいぶ特殊だぞ。普段は乾かして粉にして、薬なんかにするものだ」
シグルドも困ったように腕を組んで話した。聞けば、キラービーの羽や殻は、乾かして砕いてすりつぶすと薬になるんだそうだ。肉も食べられはするが大きくないので、一部の物好きしか食べないらしい。
と、オーケが地面に落ちたままのキラービーの死体に目を向けた。
『食べれるんだ……へー……』
「お、おい、オーケ」
興味深そうに言うと、自分が倒して引き裂いたキラービーに顔を近づけるオーケだ。シグルドが何かを言うより先に、オーケがキラービーの死体を咥え、そのまま口の中に放り込む。
バキリ、バキリと甲殻の砕ける音がオーケの口から響いた。あの様子だと針まで一緒に食べたっぽいが、気にしている様子はない。
『あ、プリッとして美味しい』
『おい、生のままいったのかよ、やるなお前』
そして呑気に感想など述べ始めるオーケを、その場の誰もが信じられないものを見る目で見ていた。フェリスもびっくりしながらオーケに念話を飛ばしている。
ともかく、せっかくの魔物、せっかくの肉だ。旅団の面々はすぐさまキラービーの肉の回収を始める。俺も再び、昼食の準備にとりかかるのだった。
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