第15話 朝槻悠人

「キュ……(えっ……)」

「ガゥ……(消した……)」


 ラエルとフェリスの口から、愕然がくぜんとした声が零れた。

 人間の人格を消されたということ。それはつまり、その人間がもう、何をどうやっても戻ってこないということ。魔物となって生きているにしても、人間としては死んだも同然だ。

 十四歳や十五歳の俺達にとって、その現実はあまりにも絶望的すぎる。

 眉間に深くしわを刻みながら、俺も吐き捨てるように言葉を発した。


『……そうか』

『おや、ニルは意外と動揺しないんだね? お前さんが一番、愕然がくぜんとすると思ったんだが』


 俺の言葉に、ふんと鼻を鳴らしながらカトーが視線を投げてくる。称賛か、呆れか、あるいはその両方かもしれない。

 そんな感情を受け止めながら、彼女の視線に真っ向から視線を返した。なるべく平坦に、波立たないようにしながら、思念を投げる。


『俺だって、ショックなのは一緒だ。ただ俺は、既に全員を助けることが叶わないことを知っている』

『……はーん』


 俺の言葉に、一層感心したような表情をしたカトーだ。まるまるとした顎を撫でつつ、俺を抱くレオンに目を向ける。


『レオン』

『はい』

『お前さんは、ニルのことを終始押さえつけていたから、あの日にディーデリック老が話したのを聞いているんだろう?』


 彼女の発した思念に、俺とレオン以外の全員が、きょとんとした顔をする。

 ディーデリックがあの話・・・をした時、既に皆はあの地下室を離れていた。無席次の団員も含め、話が聞こえていなくても仕方がない。

 しかして、俺の頭を見下ろすように目を伏せながら、レオンが小さく首肯しゅこうした。


『……はい』

『ねえレオン、どういうことよ?』


 項垂れるようなレオンに喰いつくように、思念を飛ばしてくるのはクロエだ。レオンの肩に掴みかかり、厳しい視線を向けてくる。

 そちらに顔を向けながら、レオンの瞳が寂しそうに細められるのが、俺からも見えた。


『第八席のヨーランのところに、新たに黒い毛並みのスタンドキャットが加わったことは知っているだろう。ダーグという名の……あれも、元はニルたちの仲間だ。人格は、上書きされて消されている』

『なっ……』


 思念で告げられた言葉に、クロエの表情が一気に愕然がくぜんとした。同時に、ハーヴェイも、ヴィルマも、信じられないと言いたげな表情をしている。

 第八席のヨーランはディーデリックの側近だから、彼のところに加わった新しい使い魔の存在は、旅団内に広く知られている。その使い魔が元は人間だったことは今更言う話でもないが、その人格が無情にも消されていることなど、よくよく知れる内容では無い。

 カトーが小さく頭を振りながら、ため息交じりに思念を投げてくる。


『まぁ、普通はお前さんたちじゃ知る由もないことだ。私だってヨーランに直接話を聞いて知った。加わったばかりにしては、随分と自然に立っていたから、気になってね』


 カトーの発言に、四人の視線が彼女に集まった。

 確かに俺が見ていた限り、魔物化されてダーグの名を与えられた水永みずなが君は、魔物にされた直後から自然に、まるで生まれついてそうであったかのように身体を動かしていた。

 しかし、引っ掛かりを覚えた俺は首を傾げながらカトーに視線を投げる。


『だが、封印するにせよ、上書きして消すにせよ、魔物の人格が表に出ている点では一緒だろう。振る舞い方に違いがあるのか?』


 俺の言葉を受け、真っすぐに俺を見つめ返してきたカトー。その目がうっすら細められては、口元が笑みを作った。


『微妙にね。直接その子と話をしていると、分かるんだ……私は一桁席次になって長いし、色んな子を見てきたから』


 そう話すカトーは、しみじみとした様子で天井に目を向けた。

 レオン曰く、カトー・デ・ヤーヘルは『薄明の旅団』の中ではディーデリックに次ぐ古株で、入団してから四十年余り、ずっと旅団の畑と牧場の仕事に関わってきたらしい。

 共に働いた仲間も、従ってきた上司も、自分についてくる部下も、数多くを見てきて、それらに付き従う使い魔も数多く見てきたとのこと。研究者肌で技師畑のディーデリックとは比較にならないほど、人脈が広いのだそうだ。

 ルーペルトとはまた別の意味で、旅団内を隅から隅まで把握しているというわけだ。


『……そうか。ラエルとフェリスが、人格が封印されているだけだと、カトーは知っていたのか?』

『フェリスは分かりやすかったね、体重がどうしても後ろ脚に乗っていたから。自分では気が付いていなかっただろう?』

『えっ、そうなんすか。全然気付かなかった……』


 俺がふと問いかければ、鐘を打つようにカトーが返してくる。水を向けられたフェリスが、びっくりしながら尻尾を立てた。

 カトーがニコニコしながら、フェリスを見つつ人差し指を振って見せる。


『二本足で立つ生き物から、急に四本足で立つ生き物になったからね。封印された上に構築された表面上の頭では分かっていても、残っている深層意識しんそういしきが眠りながらも混乱する。だから体の動かし方がどうしたってぎくしゃくするわけ。

 人格が消されていたら、そもそも深層の人間の意識も記憶もなく、完全に魔物のそれが行き渡っているから、混乱もないってわけだ』


 そこまで説明すると、カトーの掌が天井に向いた。そのまま指先を揃え、フェリスに向かって伸ばすと、くいくい自分の方に引き寄せる。つまり、こっちに来いと言いたいらしい。


『フェリス、ちょっとこっちおいで』

『うん? そっち?』

『そう。ここまで来な』


 呼ばれたフェリスがのそりのそりと、ゆっくり部屋の中を進む。そうして部屋の真ん中あたりまで歩いたところで、カトーの声が飛んだ。


『はいそこで止まって、そのまま。アントン、フェリスの横に並びな』

『……ああ』


 次いでカトーに呼ばれたのはアントンだ。ソファの横から立ち上がり、部屋の真ん中で立つフェリスの隣に進む。こちらもゆったりとした足取りだが、何となしに迷いがない。

 しかしてアントンがフェリスの横に並び、同じ方をまっすぐに向くと、満足そうにカトーは頷いた。


『ほら、見比べてみると微妙びみょうに、フェリスの方が腰が下がっているのが分かるだろ? 後ろ脚に体重がかかって、重心がズレてる証拠しょうこだ』

『そんな見分け方があったのか……』

『さすがカトーさん……全く気付かなかった』


 そう、事も無げに言われて、俺もレオンも揃って呆気に取られた。

 改めて、フェリスとアントンの立ち姿を見てみる。よーく見てみれば、確かに何となく、微妙びみょうに、フェリスの腰がアントンに比べて下がっている、ような気がしないでもない。ぶっちゃけ、言われてみればそんな気がする、程度にしか分からない。

 ポカンとする俺に、ソファから立ちながら両手を腰に当てたカトーが笑った。


『数をこなして知識を付けて、よーく観察しないと一発で見破るのは難しいから、私の真似しようとするんじゃないよ、ニル』

『分かってる……出来る気がしない』

『ニルってば、『観察する力はある』とか、言ってたのにねぇ?』

『なんだよヴィルマ、魔物の知識も何もない俺に、やれって方が無茶だろう』


 俺が早々に白旗を上げると、何やらヴィルマが俺を茶化してきた。むっとしながら視線を返す俺である。

 実際、カトーは四十数年も魔物を見て、使い魔を見てきたのだ。こっちの世界にやって来て数日の俺とは、知識の土台が明らかに違う。比べるのがバカバカしくなる話だ。

 少し場の雰囲気が和んだ時、ラエルがおずおずと、俺の名前を呼んだ。


『ねえ、ニル君』

『どうした?』


 ぽつりと零れた思念に俺が声を返すと、ラエルの緋色の瞳が、俺を見た。僅かにうるんでいる。


『その……アントン君が、元は誰だったか……ニル君は、覚えているの?』


 彼女のすがるような声に、俺の胸がチクリと痛んだ。

 アントンの中にあった人格が、もう戻らないことは今更変えられない。その人格が元は誰だったか明らかにするのは、果たしていいことなのだろうか。

 しばしの間、逡巡しゅんじゅんする俺だったが、意を決して顔を上げた。座っていいとカトーに言われ、フェリスと並んで腰を下ろしていたアントンに思念を向ける。


『そうだな……アントン、今更する質問でもないが、これだけは聞かせてくれ。

 『朝槻あさつき悠人ゆうと』という名前に、少しでも……ほんの少しでも、心当たりは、無いか?』

『アサツキ・ユウト……?』


 俺の発した思念を、告げられた名前を、復唱するアントン。それと同時に、彼と並んで床に寝そべっていたフェリスが、がばりと顔を上げた。

 ああ、やはりか。

 そう思い、眉間を寄せながら、俺は俺の頭に残る記憶を引き出した。


『陽明館中学校三年C組、出席番号1番、朝槻悠人。座席は教室の左端、一番前。

 部活はサッカー部。クラスの中でもお調子者で、よく辛島からしま君や弦巻つるまき君とつるんでいたな。授業中の居眠り常習犯でもあった』

『なっ……おい韮野、お前、こいつが悠人だって言うのか!? 嘘だろ!?』


 俺の告げた話に、俄かに反応したのはフェリスだった。

 そうだ、朝槻君と辛島君は、部活が同じだったこともあって日頃から仲が良かった。

 明るくお調子者な朝槻君と、実直でいつも真剣な辛島君は、正反対の性格ながらウマが合うらしく、よくつるんでいたのだ。サッカー部内での立場も、レギュラーと準レギュラーという違いがあったが、関係はなかった。

 今まさに隣にいて、似たような魔物に変えられ、人間だった頃の人格を消された使い魔が、地球では無二の友人だったのだ。

 その事実を突きつけられて、フェリスは狼狽ろうばいした。大いに狼狽ろうばいした。

 ばつが悪そうに視線を外し、黙りこくるアントンの首元にフェリスは自分の前脚をかけ、ぐっと顔を近づけながら必死になって呼びかける。


『……』

『そんな……悠人、俺だよ祥太だよ、昼休みも放課後もずっと一緒にいただろ!? 合宿で相部屋になって一緒に寝起きしただろ!?』


 懇願するような、涙交じりの思念。呼びかけるような吠え声も同時に聞こえる。

 今にも泣きだしそうなフェリスにちらと視線を向けて、アントンは耳を静かに伏せた。そして、告げる。


『……すまない、フェリス・・・・。一つも、身に覚えがない』

『そんな……嘘だろ……』


 アントンの力ない言葉に、フェリスの尻尾がぺたりと床に落ちた。首の上に置かれていた前脚もずるりと落ちる。そのまま脚の間に顔を埋めて、彼は肩を震わせ始めた。


「グ、ウ、ウ……(うっ、うっ、うっ……)」

『辛島君……』

『フェリス……』


 押し殺すように泣き始めるフェリスに、ラエルも、クロエも、目尻を潤ませながら声をかけることしかできない。

 堪えきれなくなったクロエが前に出て、フェリスの震える肩をそっと抱き締める中、アントンが顔を静かに擦り寄せながら、申し訳なさそうに言った。


『フェリス、その……すまない』

『……ちくしょう、もう悠人とバカ話が出来ないだなんて……一緒に机並べて昼飯も食えないだなんて……』


 謝るアントンの声に小さく頭を振りながら、泣き続けるフェリスが思念を零す。

 溢れ出して止まらない悲しみの声に、その場にいる誰もが、そっと目を伏せた。涙が零れ落ちるのを、全員がこらえられていなかった。

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