第23話 柚木功太郎
ラーシュと、クートが、ただ静かに俺に視線を送る中。
俯きながらもちらりと視線を持ち上げて、俺はラーシュの顔を見て、思念を飛ばした。
『ラーシュって、案外、意地悪だな』
「おい、ニル」
俺の思念を感知したレオンが、慌てた様子で声を発する。目の前にいて、大々的に協力してくれる人間相手にそんなことを言ったのを聞いたら、慌てるのも当然だろう。
しかし当のラーシュは笑みを浮かべながら、ゆるゆると頭を振った。
「いいよ、レオン。否定はしない。僕は意地悪さ、大人なんて大概そんなもんだ」
そう言って、しかし人のいい笑顔をそのままに、彼は俺に言った。
確かに、大人と言うものは得てして意地が悪い。騙すし、
諦めを含んだようなラーシュの物言いに、隣でクートも苦笑を浮かべている。
「ラーシュ様は意地悪ですし、ディーデリック様は
「クートぉー? いくらここに穏健派しかいないからって、なにぶっちゃけてるのかなぁー?」
と、そんな彼がさらりと発した爆弾発言に、ラーシュの頭がぐりんと動いた。自分の顔と同じ高さに浮かぶクートの頬を挟んで、ぐりぐりとやっている。
まるで幼い子供がペットの犬とたわむれるようだ。その微笑ましいやり取りと先程にクートがぶっちゃけた強硬派の人となりに、自然と笑みが零れていく。
「ふっ……」
「ふふ、確かに、実際その通りだ」
レオンとフォンスが、揃って笑みを見せながら言葉を漏らした。マティルダに至ってはむせて咳き込んでいる。
クートの評価は、シンプルにして的確だ。話した内容に一つの間違いもない。
そして俺は把握する。この二人が、いかに親密な関係にいるのか、ということを。
『クート……』
漏れ出た俺の思念に、彼は小さな頭をこちらに向けながら頷いた。
「はい、ニル。君には少し申し訳ないと思う話ですが、僕はラーシュ様と、一個人として交友を深めています」
「つまり……主従関係にあると同時に、友達でもある、ということか?」
驚きに目を見張るレオンが、クートへと問いかけを投げる。それにもう一度頷いてから、彼は自分の前脚を胸に当てた。
「はい。僕の正式名称はクート・アールストレーム。ラーシュ様は僕に、アールストレームの姓も授けられました。僕はこの青年の協力者であり、友人でありたいと思っています。ヒトだった頃の記憶を、取り戻したとしても」
そう話しながら、彼はふっと目を伏せた。
人間だった頃を思い出しても、クートのままでいたい。ラーシュの傍に在りたい。
予想していなかった彼の言葉に、俺は思念が震えるのを感じた。この出方は、正直考えに入れていなかった。
『それは、お前の本心なのか? 人間だった頃の記憶を思い出して、その頃に戻りたいとか、思わないのか?』
「なんだいニル、君、僕がクートにそう言わせているとか思っているのかい?」
やっとのことで思念を絞り出して投げかけると、それを聞き取ったラーシュがぐっとこちらに上半身を近づけた。そのまま、つん、と俺の額の魔石をつく。上半身がぐらりと揺れた。
俺が体勢を立て直し、ラーシュが再び身を起こすところで、クートがゆるゆると頭を振った。
「言いたくなる気持ちは、分かります……ですが、本心です。人間の人格に身体を奪われたら、ラーシュ様と友達ではいられなくなってしまうかもしれない……それが、嫌なので」
その言葉に、俺もレオンも、そっと目を細めた。
確かに、今の人格で主人と仲良くなっており、いい関係性を築いているのなら、その関係は維持した方がお互いのためだ。変に手を加えてぎくしゃくしたらよくないし、周囲も戸惑うだろう。
分かっている。分かっているのだ、俺だって。しかしどこか、踏み切れない気持ちもある。あるけれど、やるしかない。
『……分かった。じゃあ、やるぞ』
俺は心を決めた。クートと改めて念話のチャネルを繋ぎ、思念を飛ばしていく。
『まず、俺の人間だった頃の名前は、出席番号25番、
『うっすらと……そんな名前のヒトがいたな、くらいですが』
順番通りに問いかけをすれば、想定通りに反応が返ってくる。しかし今の段階でも、俺の名前に聞き覚えがあるとは予想外だ。記憶をさらわれた影響もあるのだろう。
『分かった、次だ。お前の人間だった頃の名前は、出席番号38番、
『……はい、こちらはハッキリと。既に思い出し、ラーシュ様にも伝達したことです』
次の問いを投げれば、返ってくるのは明瞭な答えだ。そうなるだろう、ラーシュ自身にも伝わっているらしいから。明確な記憶が既にあって当然だ。
『分かった。ラーシュ、どうだ?』
打てば響くような反応に頷きながら、俺は念のためにラーシュに思念を飛ばす。しかして、彼もこくりと頷いてきた。
「うん、大丈夫。しっかり結界は解除されている。解けるよ」
『よし……じゃあクート、ここに触れてくれ』
『はい』
それを確認した俺が身を乗り出せば、クートが小さな翼を動かして俺に近づいてくる。そして、彼の手が俺の魔石に触れた途端、その接触点から眩い光が溢れ出した。
これも、想定通りだ。今ここに、柚木君の人格の封印は解かれる。
「……っ!!」
光に目がくらんだのだろう、クートが小さく声を漏らす。その声は明らかに震えていた。
光が収まった時、俺の目の前の床には落下し、床に両手をつくクートがいた。今、彼はクートの記憶と柚木君の記憶が混在し、混乱している真っ最中だろう。
「クート、大丈夫かい?」
「ラーシュ様……僕は……あの……」
主人のラーシュが優しく抱え上げながら声をかけると、クートは弱々しく、所在なさげに口を開いた。戸惑いを隠せないでいるようだ。
「……」
「ニル?」
『分かっている。分かっているよ、レオン』
それを無言のままにただ見つめる俺に、レオンがそっと声をかけてきた。意図的にクートの方には思念が行かないようにして、俺はレオンに言葉を返す。
ここで、俺がクートに……あるいは柚木君に思念を飛ばせば、それが彼の今後を定める決定打になる。俺の思念一つが、彼の形を決めてしまう。
分かってはいても、どうしたって慎重にならざるを得ないのだ。
しばし逡巡したのち、俺はレオンに、縋るように声を発した。
『レオン、いいか』
『なんだ』
『俺は、クラスメイト全員を助けることは、最初から諦めてる』
独白するように、自分の考えを整理するように、俺は思念を吐き出していく。
それを受け取ったレオンの目が、すっと細められた。
『分かっている』
『封印された後に構築された人格が、主人と大概いい関係を築いているのも分かってる』
目の前のラーシュがクートの頭を撫でながら優しく声をかけているのを、じっと見ながらさらに発する。後方でレオンが、静かに息を吸い込む音が聞こえた。
『……それも、分かっている』
『だよな……そうだよな』
その返答に、内心脱力しながら俺は言葉を漏らした。この男、本当にいざという時に頼りにならない。
俺の内心を知ってか知らずか、レオンが俺に不思議そうな言葉をかけてきた。
『ニル、どうした? 君らしくもない』
『レオン、あのな。俺はまだ十四歳だぞ。その俺が、友達の生殺与奪権を握ってるんだぞ。生まれも育ちも一般人の俺が、スパッと切り捨てられると、本気で思っているのか?』
ぶーたれながらレオンに言葉を返せば、彼は小さく肩を竦めた。
『いないに決まっているだろう、そんなこと。当然じゃないか』
『そうだろう。だから……悩んでいるんだ』
さも当然のことを当然のように言いながら、彼が俺の頭を撫でてくる。ラーシュがクートにするそれよりはだいぶ心の篭もっていない撫で方だが、それでも気持ちはいい。
「まあね、気持ちはとても分かるよ、ニル」
『ラーシュ……』
そんな俺と、俺を撫でるレオンに視線を向けながら、ラーシュが苦笑を見せてきた。当然、俺とレオンの会話は彼に筒抜けだ。
俺が悩んでいる様をしっかりと見ていた彼が、ゆっくりと俺に向かって頷く。
「君はまだ若い。自分一人で判断することが難しいこともあるだろう。君は年の割に、あまりに多くのものを背負うことになっている、と思う。それは僕も分かる」
そう話しながら、ラーシュは優しく、柔らかく笑った。それまでの屈託のない笑みとは違う、年齢を感じさせる穏やかな笑みだ。
「だけど、そういう時は、遠慮なくレオンに相談すればいいさ。君に決定権があるからと言って、君が全ての判断を一貫して抱え込むことは無い」
『そうか……』
その言葉を聞いて、俺は肩の荷が下りたような気がした。
確かに、俺にはレオンがいる。ふがいなくて頼りない男だけれど、俺の抱えるものを一緒に抱えるくらいの度量はある男だ。俺が一人で抱えきれないものは、彼にも抱えてもらえばいいのだ。
ほっと安堵の表情になる俺だが、次いでラーシュが容赦のない言葉を頭上の主人にぶつけ始める。
「まあ、だけど、レオンの言葉が何の助けになっていないのも分かるよ実際。あの返答は駄目だよレオン。もっとこう、ニルの判断の助けになることを言わないと」
「うぐっ」
『お前……本当に大丈夫か、そんなんで』
彼にズバリと切り込まれ、俺は呆れた視線を上に向けた。言葉に詰まったレオンだが、すぐに俺へと視線を返してくる。
『ただ……ニル、その、俺も君の、友人を助けたいとは思う。ただ、人格が内に沈んでも、記憶が引き継がれるなら、それは君の友人では、ないだろうか』
おずおずと、途切れ途切れになりながら話されるレオンの想い。それを聞いて、俺は目を見開くほかなかった。
何と言うか、そういう発想はなかった。というか、そういう捉え方もあると気が付かなかった。
俺が無言でいるのに居心地が悪くなったか、レオンが急にまごつき始める。
『……えっと』
『ずるいぞ、お前』
そうして、俺はぶっきらぼうに主人に声を投げかけた。
本当に、この男はずるい。愚鈍な風でありながら、たまに核心をついたことを自然に、ぽろっと言ってくる。
その言葉を聞いて俺の心は決まった。封印を解いてからそれなりに時間が経っている。あんまり時間を置いては、『
まっすぐ前を見ると、
「考えは、まとまりましたか、ニル」
『あぁ……待たせたな、
そして、俺は
その思念を受け取ったクートの瞳が、急速に光を取り戻す。そしてうやうやしく、彼は俺に頭を下げた。
「……ありがとう、ございます、
『俺より、レオンに礼を言ってくれ……記憶の統合は、どんな様子だ』
久しぶりにその名前で呼ばれることにむず痒さを感じながら、俺はそっと視線を逸らした。なんか、感謝されるのも違う気がする。
思念を投げ返すと、彼は天井を仰ぎながら口を開いた。
「多少の……時系列の混乱があります。中学での生活が、何となく昔のことのように思えて……それでも、山野さんの顔や、
『あぁ、確かに豆生田君と仲が良かったものな、柚木君』
何名かのクラスメイトの名前が挙がったことに、そっと安堵する俺だ。記憶の統合は、自然な流れで出来ている様子。時系列については、まぁ、ごっちゃになるのも分かるし、しょうがない。
ラーシュがクートの顎の下を撫でながら、笑みを向けつつ声をかける。
「
「僕自身では、それを改竄された記憶だと認識できないので、なんとも……ただ、そうですね」
顎を撫でられ、気持ちよさそうに目を細めるクート。言葉を区切って、しばし黙り込んだ後。
彼は静かに、おずおずと自分の記憶を明らかにした。
「元の世界でも、ちらほらと魔物を見たような……そんな記憶があります」
「ふーん?」
その言葉にラーシュが小さく目を見開く。
魔物はヴァグヤバンダでは一般的に見かける生き物だが、地球ではそうではない……はずだ。少なくとも、『ちらほらと』見るようなものではない。全くそう言う生き物が、いないわけではないのだが。
「ニル、どうだい?」
『いや……うーん、全くいなかった、って言うとウソになるけど……そんな、そこら中をほっつき歩いているわけじゃなかったしな。やっぱり、その辺は
興味深げにラーシュが確認を取ってくるのに、俺は首を傾げた。
なんか、
とはいえ、それもそれで、彼の記憶だ。正しく封印が解かれ、正しく人格が統合された。
今ここにいるのは、クート・アールストレーム。
『でも、よかった。とんでもない記憶になっていなくて』
「ああ……そうだな」
安堵するように目を細める俺の頭を、レオンがもう一度、くしゃりと撫でた。
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