第31話 放牧の開始

 それからまたしばらくして、休憩をはさみつつ歩き続けた俺たちが、ようやくしっかりと足を止めたのは、オアシス・オーサから歩いて三時間ほどの所に広がる荒野だった。


「よしお前たち、着いたよ」


 カトーが足を止めて振り返りながら示した荒野。そこは確かに荒野だったが、ただ荒れ地が広がっているだけの場所ではなかった。

 草が生えているのだ。まばらにだけど、青々とした草があちこちに生えている。


『おぉ……』

『すげえ……』


 俺とフェリスが揃って声を上げた。こんな世界で、こんな青々とした草が生える場所があるとは、思いもしなかった。

 レオンが目を見開いてカトーに声をかける。


「ここが、今回の放牧場所ですか」

「そうさ。下草がしっかり生えているだろう? 見つけるのに苦労したんだよ」


 レオンの言葉にカトーは大きく頷いて腕を組んだ。確かにこれだけ草が生えている場所、こんな世界ではなかなか無いだろう。苦労したという言葉にも重みがある。


『こんな荒野の世界にも、下草が生える場所、あるんだな』


 久しぶりに目にする草地に目を見開きながら、感動しきりの俺が声を漏らす。俺の顎を優しく撫でながら、レオンが答えた。


「他所の国や町から飛んできた植物の種が、たまに地面に根付いて広がることがあるんだ。見てみな、これとか小麦によく似ているだろう」


 地面に屈みながらレオンが示した雑草は、確かに麦によく似ていた。葉が細長く伸び、茎の先にはいくつもの種が付いている。

 曰く、この世界にも風は強く吹くようで、その風によってオアシス周辺の畑から種が飛ばされてきたり、よその国から種が飛ばされてきたり、ということがあるのだそうだ。そうしてこのような荒野に根付き、草を生やすのだと言う。


『ほんとだ』

『すげーな、こんな場所でも根を下ろして育つなんて』


 俺とフェリスが一緒になって小麦に似た雑草を見ていると、オーケもそばに寄ってきて一緒にその草を見ながら思念を飛ばしてきた。


『本当ですね。植物の力強さを感じます』


 オーケの言葉に、俺とフェリスが思わず視線を合わせた。こんな言葉も言うようなキャラとは、正直思っていなかったのだ。

 俺たちの会話をよそに、カトーたちは放牧の準備を始める。


「よし、レオン、クロエ、動物たちを放すよ。逃さないように囲いは作っておきな」

「分かりました」


 上司の言葉に、部下の二人が頷く。そして二人揃って大きく両腕を上に突き上げると、同時に声を張り上げた。


『シーマー・カランナ! 囲え!』


 呪文の詠唱を唱えた二人の手から、光が放たれて広がっていった。その光が荒野に広がっていったのを確認したクロエが、カトーに向き直って言う。


結界魔法シーマー、完了しました」

「よし」


 その言葉を確認したカトーが動物たちに繋いでいた紐を外した。紐を外され自由になった動物たちが、荒野に広がって草を食べ始める。

 そして俺とフェリスは、荒野に広がっていった光の行方を追いながら、感嘆の声を漏らしていた。


『おお……』

『結界とか、あるんだな……』


 俺が感動したように呟くと、クロエは肩をすくめながら口を開いた。


「動物避けの結界だよ。これを張っておけば動物たちが結界の外に出ていこうとしなくなるし、外から動物が入ってくることもない。ま、魔物は入ってくるからそいつらはシグルドに倒してもらうんだけどね」


 クロエの言葉にうなずきながら、レオンも説明を追加する。


「魔物ってのは魔法との親和性が高い。結界を張っても防げるとは限らないのが現状だ。種類によっては張った結界に惹かれてやってくるやつもいるからな」


 レオンの言葉に目を見開く俺だ。結界を張ったのに逆に魔物が寄ってくるのでは、果たして意味があるのか、と思ってしまう。

 しかしレオンとクロエ曰く、この結界は自分たちの連れてきた動物と荒野にもともと住む動物が混ざってしまわないように張るものらしい。結界の光が広がっていくにつれて荒野に元々いる動物は追いやられるように逃げていくから、これで混ざらないように出来るんだそうだ。

 ぐるぐると肩を回しながら、カトーが言葉を継ぐ。


「だから、ニルもフェリスも油断は禁物だよ。魔物が寄ってくるってことは食いもんが寄ってくるってのと同義だ。逃さないように殺して、食えるようにするんだよ」

『お……』

『おお……分かった』


 そのきっぱりとした言葉に何も言えず、俺とフェリスが頷いたところでだ。ずっと結界の方を見ていたシグルドが声を上げる。


「カトー、早速来たようだ」

「おっと、了解。レオンとクロエは一旦、ニルたちの傍にいてやっておくれ」

「分かりました」


 シグルドの言葉に従って、カトー、シグルド、ブラーム、オーケの二人と二匹がその場を離れる。俺はその背中を見つめながら、ふと胸がチクリと痛むのを感じた。


『……』

「どうした、ニル」


 俺の様子を見たレオンが、もう一度俺を撫でながら言う。俺はレオンの方の上から、彼の顔を見ながら思念を飛ばした。


『いや……食いもんが寄ってくる、ってさっきカトーが言っていたのを思うと、やっぱりこの世界、魔物を食わないと生きていけないんだな、って……』


 俺が力なくこぼす言葉を聞いて、レオンとクロエがうっすらと目尻を下げた。その様子に俺が目を見開いていると、レオンが思念を飛ばしてくる。


『そりゃあな。俺たち『薄明の旅団』が恵まれているに過ぎないんだ。カスペルが毎日美味い飯を作ってくれるし、弁当も持たせてくれるし、城には畑も備わっている』


 レオンが話す言葉に、俺は何も言えなかった。

 確かにこの荒れ果てたヴァグヤバンダで、『薄明の旅団』は恵まれすぎているくらいに恵まれているのだ。食うには困らないし、一日二食栄養のあるものを食べさせてもらえる。

 だが、一度城の外に出たらその恩恵は受けられないのだ。この世界の人々が普段からそうしているように、魔物の肉しか食らえない生活が待っている。


『だが、城を離れたら途端に、この世界の一般的な食事をしないとならない。つまり、魔物の肉を狩って、それを焼いて食う、それだけの食事だ』

『どこの国でもそうだけれど、オアシスを離れたら野菜なんて望むべくもないからね。肉を食って、たまにイモを食って……それでおしまい。それが普通なのよ』


 レオンの思念の後を継いで、クロエも落胆するかのように言った。

 この二人は間違いなく、この世界の標準的な食文化を知っているのだ。そして俺はともかくとして、フェリスは人格が封印されている時なら、その食生活に何の疑問も抱かずに暮らしていたのだろう。

 この世界は俺たちの世界とは違い、食うことに困る世界なのだ。


『やっぱ、そういうもんなんだな……』

『うぅっ、大丈夫かな俺、肉だけとか生きていける気がしねーよ』


 俺とフェリスが顔を見合わせ、心配になって息を吐きながら言った。

 こういう時は、自分の人格が守られて地球の人間の価値観で考えられることが悲しい。どうして俺には人格封印の魔法が効かなかったのだろう、そう考えながら俺が視線を向けた先で、カトーとシグルドが魔物を攻撃している様子が見えた。

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