第32話 高梨風樹

 その後は散発的にやってくる魔物を退治しながら放牧を続け、何事もなく日暮れまで来た。動物除けの結界魔法を張り直したカトーがパンと手を打つ。


「よし、今日はここまで。皆、テントを張ってメシにするよ」

「分かりました」


 彼女の言葉に、レオンもクロエもシグルドも動き出す。ブラーム、フェリス、オーケ、そして俺、という使い魔四匹は揃って待機、食事を準備するカトーの警護だ。

 ブラームはさすがカトーの使い魔というだけあって、変化魔法ヴェナスで獣人化しててきぱきと料理を手伝っている。俺も変化魔法ヴェナスを使って手伝おうとしたけれど、今はいい、と断られた。


『ようやく、今日が終わりか……』

『長かったな……これがあと二日かよ』


 変に動き回るわけにもいかず、火の番をするカトーの側で地面に腰を下ろしていると、隣でフェリスがぐっと両前脚を地面について伸びをした。あくびをしないだけまだ上等だが、退屈そうだ。

 集団念話に向かってぼやくフェリスに、苦笑しながらカトーが言う。


「そうだね、もうあと二日……明後日の朝方まで放牧をさせる。そうしてのびのびと草を食べた動物達は、いい肉質になってくれる。必要なことなんだよ、フェリス」

『まぁ、結果的に美味いもんを食えるって言うなら、俺も頑張れるけどさ』


 カトーの言葉に、組んだ前脚の上に顎を乗せながらフェリスが言う。随分気楽な警護もあったものだが、結界を張っている現状でどのくらい魔物がやってくるかは、昼間に体感できている。俺やフェリスだけではない、オーケもリラックスしているようだ。

 そんな俺達に、薪運びをしていたレオンが視線を投げかけてきた。同時に彼から俺宛てに思念が飛んでくる。


『ところでニル、どうするんだ。今はオーケがここにいるが』

『そうなんだよな……』


 その言葉に、小さく頷きながら俺はオーケに目を向ける。

 リラックスしているとはいえ視線はあちこちに散っている。この最中においても警戒を怠っていないのがよくよく分かった。声をかけられない、と言うほどではないが、俺とフェリスのように雑談に興じよう、という素振りもない。


『シグルドはテントを張っている。チャンスが有るなら今か、明日以降の食事の準備中だと思うぞ』


 レオンが運んできた薪を切り株の横に下ろしながら話を続ける。確かに、シグルドはクロエと一緒にテントを張っている。今ならオーケとのやりとりもしやすいだろう。

 ただ、俺はすぐさま取り掛かろう、と言う気に、どうしてもなれなかった。


『分かっている。ただ……いいんだろうか、という気がしてきた』

『ん?』


 オーケの方を心配そうに見ながら思念を漏らす俺に、レオンがふと動きを止めてこちらを見る。彼にちらと視線を返してから、俺はぽつりと零した。


『こんな荒野の中、テント生活して、魔物の肉しか食べるものなくて……それを、高梨君が耐えられるか、自信がない』


 そう、オーケの中にいる俺のクラスメイトの一人、高梨風樹が人格を消されているか、残されているかはこの際どうでもいい。俺が心配しているのは、もし高梨君が人格を消されていないで、俺が高梨君の人格を残したとして、彼がこの世界の現状に耐えられるか、ということなのだ。

 鉈を振るって薪割りを始めながら、レオンが言う。


『それほどまでか?』

『レオン、忘れるなよ。俺達四十人、全員が全員元々は都会育ちの中学生だったんだぞ』


 彼の反応に眉間にしわを寄せつつ、俺は返す。

 運動が得意か勉強が得意か、という程度の差こそあれ、俺達は全員が全員、現代の地球、それも日本の出身なのだ。帰国子女はいない、留学生もいない。全員が現代日本の、衣食住が事足りた世界からヴァグヤバンダに連れてこられたのだ。

 オーケに視線を向けながら、俺は思念を飛ばしていく。


『高梨君は特に、運動とか得意じゃなかったし、食いしん坊だった。食べるのが何よりも嬉しい、ってキャラだったのに、こんな食うにも困るのが普通の世界で、生きてられるか、俺にはわからないんだ』


 そう、俺の知る限り、高梨風樹はクラスで一番の巨漢だった。悪い言い方をすればデブだった。

 運動は不得意で、食べるのが大好き。食い意地が張っているという意味ではカスペルにも似ているが、カスペルほど自分の手で美味しいものを料理しよう、という気持ちはなく、よく中学校の購買部で菓子パンを大量購入したり、学食で何度もご飯をおかわりしていた姿を思い出す。

 そんな彼が、前線に立ってバリバリ戦うオーケになっているわけである。スリムになって身軽に動けるようになったのはいいことだが、果たしてこの食糧難著しい世界で満足できるだろうか。そこが、とても不安だ。

 俺の返答に、淡々と薪割りを続けながらレオンがふっと息を吐く。


『そうか……だが、どうする? このまま彼をそのままにして城に帰ったら、次はいつ接触できるかも分からないんだぞ』

『ああ……』


 レオンの言葉に俺は俯いた。彼の言う通り、この放牧の期間中が数少ないチャンスなのだ。シグルドは強硬派の人間だ、城の中で接触するのは難しいだろう。

 しばし、思考を巡らせる。高梨君の人格を解放するのが彼にとって幸せかどうかを考える。少しの間頭を悩ませて、レオンが一抱えの薪を割り終わった頃。俺は覚悟を決めた。


『決めた。やる』

『そうか。方法は任せる』


 端的に言えば、レオンも端的に返してきて二束目の薪に手をかける。

 すんなり俺に任せてくれることに有り難いと思いながら、俺はオーケに思念を飛ばした。集団念話のチャネルが開いたままだからそこから話す。


『オーケ』

『ニル、どうしましたか』


 俺の思念に、オーケもすぐに返事を返してきた。どうやら話をする気はあるらしい。ホッとしながら、俺は彼に質問を投げた。


『オーケは、シグルドのこと、好きか』


 ひどくシンプルな問いだと思うが、これが俺の一番聞きたいことだった。高梨君に聞きたいことなら山ほどあるが、オーケにはこれが一番気がかりだ。

 果たして、オーケは小さく目を瞬かせつつ俺に言う。


『ええ、いい主人だと思っています』

『それだけか』


 随分とドライな言葉に、小さく目を見張りながら俺は聞き返した。

 いい主人、そういう言葉なら付き合いの浅い使い魔でも言える。俺にはオーケの言葉が、ひどく他人行儀に聞こえた。

 念を押すように問う俺に、小さく首を傾げながらオーケが答えた。


『それだけですが、何か?』


 そのどこまでも淡々とした言葉に、俺は僅かに目を伏せた。

 きっとシグルドはそこまで、オーケと絆を結ぶことをしてこなかったのだろう。主人と使い魔、その関係性以上のものを築こうとしてこなかった、というのが今の発言で分かった。

 それなら、俺もそこまで気兼ねなく封印を解ける。決意を新たに俺は思念を飛ばした。


『分かった。唐突だが、質問を変えるぞ』


 そう前置きして、俺は淡々と、順を追って質問をぶつけていった。


『出席番号25番、韮野にらの泰生たいせい。聞き覚えがあるか』

『ん……?』


 俺の問いかけにオーケが僅かに目を見開く。不思議そうな表情をしながら、彼は俺に素直に思念を返してきた。


『覚えがあるような、無いような……』

『分かった。なら、出席番号20番、高梨たかなし風樹ふうき。この名前に、覚えはあるか』


 魔力が流れていくのが分かる。次の質問をさっさとぶつけると、オーケの表情が明らかに変わった。暗い色をした目の奥に僅かに光が見える。


『タカナシ・フウキ……何故でしょう、記憶にないはずなのに、とても引っかかりを覚える、そんな気が……』

『分かった。それじゃ行くぞ』


 準備は整った。俺は立ち上がってオーケの足元に歩み寄る。そして後ろ足で立ち上がるようにしながら、オーケに額を突き出した。


『ここに触れてくれ』

『え、ええ……』


 俺の思念に、おっかなびっくりオーケが鼻先を俺の額に寄せる。

 と、その時。テントを張り終わったシグルドが、俺達の方に顔を向けて目を見開いた。


「ん……? 二匹とも、何をして」


 その瞬間だ。オーケの鼻先が俺の額、魔石に触れた。

 触れた場所から、夜空を裂かんばかりの光が溢れ出した。その光に顔やら胴体やらを貫かれながら、オーケの苦悶の声が聞こえる。


「ア……ッ!!」

「オーケ!?」


 その有り様に、にわかにキャンプが混乱に包まれた。

 すぐにオーケがこちらに駆け寄ってくる。その後ろからクロエも様子を見るべくこちらに身体を向けた。レオンとカトーは動じた様子がない。ちらとこちらに目だけを向けている。


「オーケ、どうした!?」

「ア、ア……!!」


 困惑したような、苦しんでいるような声を漏らすオーケの身体をシグルドが抱く。そしてそのままオーケの前で静かに立っている俺を、睨みつけながら口を開いた。


「彼に何をした、ニル!!」

「シグルド、落ち着きなさいよ」


 俺に噛みつくシグルドを、クロエが後方から肩を掴んで抑えた。俺の封印解除を目の前で見て、レオンからも話を聞いている彼女は、当然のことだがそこまで動じていない。


「ニルはオーケを助けようとしている。その為の魔法を、今使っているの」

「何――」


 クロエの言葉に、シグルドが目を見開きながら彼女を見る。困惑した様子で頭を左右に振るシグルドに、カトーが立ち上がりながら話した。


「オーケが元々人間の少年だったことを、自分達がディーデリック老によって魔物の身体に変えられたことを、ニルは覚えている。人間に戻る術は得られなくても、人間の心と記憶を思い出させる魔法を、彼は持っている。今、そうしているんだ」

「なん、だと……」


 カトーの言葉に、信じられないものを見るような目でシグルドはオーケを見た。なるほど、大事に思っていないというわけではないらしい。

 だが、もう俺は決めた。淡々と、シグルドに思念を飛ばす。


『シグルド、悪い』

「ニル、どういう――」


 シグルドが何を言うより早く、俺はにまっすぐ声を飛ばした。


高梨君・・・、俺が分かるか』


 俺の呼びかけに、オーケの動きが止まった。彼の中に渦巻く魔力が急速に落ち着いていくのを感じる。ようやく目に光が戻り、焦点の定まったオーケが俺の顔を見た。


『に……韮野、君?』

『ああ……人格は、戻ったみたい、だな』


 集団念話に零されたオーケの、人格が高梨風樹に・・・・・定まった上での声。その言葉に、レオンがぽつりと声を発した。


そう・・したのか、ニル」

「どういう……オーケ、おい、オーケ」


 何が何だか分からない様子のシグルドが、ぽかんとしながらオーケの身体を揺する。それに対し、ゆっくりと顔を動かして俺達全員を見ていたオーケが、視線をシグルドに定めて目を細めた。


『ご主人様……大丈夫、ちゃんと分かるよ』

「ああ……」


 その呼びかけに、シグルドが顔をオーケの肩口にうずめる。どうやら記憶の統合も問題なく行われたらしい。

 これで、高梨君の人格が表に出た状態で人格の統合が行われたわけだ。もうオーケの人格は内に沈んだまま出てこないだろう。


『いいのか、ニル』


 シグルドがオーケの身体を撫でまわし、オーケがされるがままにしながら前脚でその背中をぽんぽんと触っている様子を見ながら、レオンが俺を見下ろしつつ思念を飛ばしてくる。

 それに対して、俺は小さく頷きながら言葉を返した。


『いいんだ、これで』


 この先、高梨君がどんな苦しみを味わうことになるかは、全く分からないでもない。けれど俺は、高梨君に助かってほしいからこの道を選んだ。

 それに、こうしたからこそ、シグルドとオーケにもっといい関係性を築いてほしい、という思いもあって。

 俺は膝をついて肩を震わせるシグルドの脚に、そっと優しく触れるのだった。

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