第33話 疑念

 高梨君ことオーケの気持ちが落ち着いて、オーケと呼ばれることにも納得してもらって、そこで俺達はようやく夕食を取った。既に日はとっぷりと暮れて、空にはたくさんの星達がまたたいている。

 火を焚いて灯りを取りながら、俺達はカスペルから渡された弁当の革袋を紐解く。昼の弁当にと渡されたものだが、いくらかを夕食用に残しておいたのだ。

 中身は岩イモの皮を塩漬けして干したもの、ミノタウロスの肉を使った干し肉、コカトリスの卵を使ったゆで卵だ。干し肉と岩イモの皮は、別の革袋にカスペルが持たせてくれた、カラスムギと岩イモを使って作った堅パンと一緒に湯を沸かした鍋に入れて、スープにして食べる。

 今回はこれに加え、先ほどの放牧の最中に襲ってきた魔物たちの肉を串焼きにしている。キャンプ時のバーベキューと考えれば、この世界の夕食としては上等だ。俺もフェリスも納得している。

 だが、人格を取り戻した高梨君こと、オーケの場合はそうは行かない。


『えぇっ、そんなぁ』


 自分の前の木皿に置かれた、串から外されたオーク肉の焼き肉を前にして、なんとも悲しそうな声を上げた。

 彼の隣で、同じオーク肉の焼き肉を頬張るフェリスが鼻息を鳴らした。


『しょうがないだろオーケ、これでもカスペルが必死になって、美味く食えるように料理してくれたんだぞ』

『でも、こんな味気ないのがお肉だなんて……硬いし……』


 オーケも、別に食べようとしていないわけではない。空腹は空腹なのだ。同じようにオーク肉を噛んでいるが、不満たらたらと言った様子だ。

 地球の、日本で流通している、畜産物としての豚肉を想像すると、高梨君の不満も分からないではない。比較的柔らかい腹側の肉、いわゆるバラ肉を渡しているとはいえ、脂は少ないし筋張っているし、焼いてから削った岩塩をかけただけでは、どうしたって限界があるのだ。


『やっぱり、そういう反応をすると思った』


 俺は串焼きを作る時に端材として出たオーク肉を焼いてもらったものを食べながら、小さく息を吐きだした。正直、予想できていた部分である。

 俺の念話を聞いたレオンが、干し肉と堅パン、干したイモの皮を入れたスープを取り分けながら、あからさまにため息を吐く。


「こうなることが分かっていたのに、人間の人格を表に出させるとは、なかなか酷なことをするな、ニル」

「オーケ、ほら。毒なんて入っていないぞ、食べないと明日に障る」


 オーケの隣ではシグルドがつきっきりになって、食の進まない彼にオーク肉を食べさせていた。大事な主人のすすめる今日の夕飯、オーケだって食べたくないわけではないだろうが、やっぱり味気ないのが気になるらしい。

 そんなオーケに視線を投げながら、俺はレオンに思念を飛ばした。


『分かってこそいたけれど、俺はなるべくたくさん、俺のクラスメイトを助けたいんだ。助けられる状況なのに助けないのには、クートの場合みたいに相応に、俺自身が・・・・納得できる理由が欲しい』


 俺の目的は、元の世界に――地球に帰ることだ。召喚に巻き込まれたクラスメイト達と、根木先生と一緒に帰ることだ。一人でも多くの仲間とともに、地球に帰り、自由を得て、元の生活に戻ること。それが最大にして最優先だ。

 だから俺は、一人でも多くのクラスメイトを助けておきたい。人格を完全に消されてしまったパターンはどうしようもないから諦めるしか無いが、消されていないで封印されている状況なら、なるべく人格を救い出したいのが正直なところだ。

 俺の言葉に、レオンも静かに頷く。彼も彼で、分かっていないわけではないのだ。それを見ながら、俺はきっぱりと言った。


『それにな。俺は高梨君だからこそ・・・・・、大丈夫だと思って高梨君を助けたんだ』


 俺が飛ばした思念に、スープに口をつけ始めた面々が一様に目を見開いた。カトーがスプーンで掬ったスープを啜ってから、不思議そうに口を開く。


「タカナシ……だからこそ、って?」

「どういうことなの、ニル」


 クロエもなんとも、要領を掴みかねている顔つきだ。彼女らにちらと目配せしてから、俺は自分の目の前にある木皿を飛び越えた。そのままオーケの前まで歩き、なんとも言い難い表情をしている彼の木皿に前脚で触れる。


『オーケ、この世界は食糧に乏しい、腹いっぱい食うにも困る世界だ。パンを作るにもカラスムギと岩イモを使って作るしかないし、こうして岩イモの剥いた皮だって食材として使うしかない』


 俺の言葉に、オーケは驚きに目を見開いた。弾かれたようにシグルドの顔を見つめると、彼はコクリと頷いてから、スープの中に入っていた岩イモの皮を持ち上げた。

 塩漬けにされて、カラカラに干からびたイモの皮。それさえも食材として使わねば生きていけない。その事実がよほど衝撃的だったのだろう、オーケはしきりに俺の顔とシグルドの顔を交互に見ていた。

 このヴァグヤバンダは荒野の広がる世界だ。この場所のように草が生える土地はあっても、それはごく僅か。土地は痩せ、育つ作物も少ない。城の中に畑と牧場を構えて、牧畜を行っている『薄明の旅団』は、まさに特権階級だ。そんなレオン達でもこの有様なのだ。

 だが、だからこそ。俺はオーク肉のバラ肉をつんとつつきながら言う。


『でも、だからこそ。腹いっぱい食うためには魔物の力・・・・が重要なんだ。魔物を狩ってそれをたくさん食えば、腹いっぱいになれる。分かるよな?』

『う、うぅーん……確かにそうだけど……』


 諭すように俺が言うと、オーケは小首をかしげながらも唸った。長い鼻先にシワが寄っている。

 この世界に生きる生き物は、大概が魔物を狩ってそれを食べて生きている。『薄明の旅団』でデ・フェール王国の中に派遣されている団員も、国外に派遣されている団員も、魔物を倒したらその魔物を喰らい、いくらかは宿を取るなどしている周辺の村に提供しているのだそうだ。そうやって食料を分け与えることが旅団の維持に繋がっていると、ラーシュやカスペルが話してくれた。

 魔物を狩る、その能力は俺には無い。しかしオーケには、間違いなくそれがあるのだ。


『オーケにはそれだけの力があるんだ。シグルドも傍についている。人間だった頃の運動音痴で体育オール赤点の高梨風樹じゃないんだ』


 シグルドの傍に近づき、その足に前脚で触れながら俺は言った。俺の思念を聞いたシグルドもこくりと頷く。

 高梨君は運動音痴だった。体育ではいつもお荷物だったが、この世界ではお荷物は俺の方だ。俺の言葉を聞いたオーケが、自分の足元を見ながら、確認するように思念を飛ばしてくる。


『つまり、僕がたくさん頑張ったら、たくさん食べられるってことだよね?』

『そういうこと』

『だな。頑張れば頑張るだけ腹いっぱい食えるし、他の皆も助かる。いいことだろ?』


 俺が頷くと、話を聞いていたフェリスも同調して頷いてきた。今のところ、この場にいる元中学生は俺、フェリス、オーケの三人だけだ。そのうち二人が言葉をかけてくることに、ようやくオーケも安堵したらしい。

 こくりと頷いて、皿の上に乗ったオーク肉にがぶりと食らいついた。何度も噛んで咀嚼して、ごくりと飲み込んでから彼は言う。


『分かった、僕頑張るよ! それにお腹が空いている方が美味しく食べられるし!』

『そう、それが一番いいんだ。しっかり労働した後のメシは美味いもんな』


 俺が小さく笑みを見せながら、もう一度オーケの木皿に触れて自分のところに戻っていく。と、俺をじっと見つめていたシグルドが、何やら思いつめた表情で口を開いた。


「ニル」

『どうした、シグルド?』


 シグルドの問いかけに、キョトンとしながら俺は皿の上のオーク肉に口をつける。すると彼は、視線をさまよわせてから言葉を選びつつ、問いかけてきた。


「君は……本当に、一体何者なんだ?」

「何者、って?」


 その問いかけに、誰もがキョトンとなる。レオンが確認するように問いかけると、シグルドは空を見上げつつ言葉を零していく。


「ディーデリック老の魔法を跳ね除けただけでも只者ではないというのに、幾重にも魔法を内包した肉体、少年とは思えないその観察力、頭のキレ、論理立てられた説明……ただの、平和な世界で生きてきた人間の少年だとは、とても思えない」


 シグルドの発した言葉を聞いて、疑問を呈するものは一人もいなかった。フェリスオーケもそうだ、俺も何も言えないでいる。


『……』


 俺は、地球の、日本という平和な、争いごとや飢餓とは無縁な環境からやってきた。安全が当たり前で、生命の危機に晒されるようなことなんて無くて、日々を安穏と過ごすのが当たり前の環境から、いきなりこんな荒廃した危険な世界に放り込まれたのだ。

 もし、俺以外のクラスメイトが俺みたいに人間の人格を残したままだったとしたら。魔物の姿に変えられて、日々飢えと戦う日々を送ることを強要されてもなお、中学生の心を失わないままだったとしたら。

 九割がたが、絶望のままに死ぬか、現実を見られなくなって心が死ぬかのどちらかだろう。

 その点俺は異常・・だ。死にもせず、状況に絶望もせず、何とかして元の世界に帰ろうと足掻いている。普通じゃ考えられない。

 シグルドの話を聞いて、顔を見合わせながら眉間にシワを寄せる主人たち。と、フェリスが前脚を組みながら、おもむろに思念を飛ばしてきた。


『ジジイの魔法を跳ね除けたのと、ニルが魔法を内包しているのは俺にも分かんねーけど、観察力とか、頭のキレとか、そこまで言うほどのもんか? 確かにニルは頭がキレるやつだけどさ』

「フェリス、十分特筆すべきレベルなのよ、私達の環境の中では」


 フェリスの言葉に言葉を返したのはクロエだ。フェリスの背中を優しく撫でながら、彼女は嘆息しながら言う。

 俺もそこは思っていた。この世界の人々は結構、無気力だ。自分の力でどうにかして、状況を改善に向かわせよう、という意欲があるのはごく少数。きっとそういう人間の集まりである『薄明の旅団』の中でも、意欲的ではない人間が多数派なのだ。

 するとスープをぐいと飲み干したカトーが、ぺろりと舌をなめずりながら口を開いた。


「全くだね、レオンの使い魔でいさせておくのが勿体ないくらいだ。席次持ちの連中の……それこそグスタフやヨーランの下にいたら、とんでもなくいい働きが出来るだろうさ」

「ちょっ、カトーさん」


 カトーの発言にレオンが思わず口を挟む。レオンはもう旅団の中で立場が弱くいじられキャラだ、ということはよくよく分かっているが、ここでもいじられるとは思っていなかったのだろう。

 その反応に、カトーもクロエも笑みを零した。見ればブラームやフェリスも、オーケも笑っている。ただ一人、シグルドだけが難しい表情を崩していない。


「俺は……お前がよく分からない。どうしてそんな力を得て、そんな知恵を得るに至ったんだ?」


 シグルドがまっすぐに俺を見てくる。藍色の瞳が、炎の色を反射してかすかに揺らめいた。彼の視線をまっすぐに受け止めて、俺はちくりと胸が痛くなる。


『……』

「ニル……」


 レオンが心配そうに俺に声をかけてきた。彼の手が俺の頭に触れ、大きな耳を伏せさせるように撫でてくる。

 俺が、何者か。どうしてこんな力を持って、こんな知識と精神を持つようになったのか。

 どう説明すればいいだろうか。知識は一般的な中学生相応だと思っているし、精神に関してはずっと傍観者に徹していたから、というのはあるだろうが、力に関しては俺自身、全く何も分からない。

 だから頭を下げながら、俺は素直に思念を返した。


『すまない、シグルド。それを説明する手段を、俺は持っていない』

「っ……そう、か」


 俺の思念に、シグルドが言葉に詰まりながらも声をかけてきた。彼としても、対応に苦慮していた部分はあるのだろう。

 すると串焼きもさっさと食べ終えていたカトーが、パンと強く手を打った。風が起こって焚き火がかすかに揺れる。


「ほら、さっさと夕食を終わらせちまうよ。明日も早いんだ、食ったらさっさと寝ちまいな!」


 カトーの言葉に、その場の全員がハッとした。二つの月のうち、大きい方がもうだいぶ高い位置まで来ている。

 早く寝ないと本当に明日に差し障る。俺は急いで、冷めかかっていたスープの椀に鼻先を突っ込んだ。

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