第16話 怒りのカトー

 フェリスからあふれ出す悲しみの念にその場にいる誰もが沈鬱ちんうつな表情になる中、カトーが大きくため息をついた。泣きじゃくるフェリスに歩み寄り、かがみこんで頭に手を置く。


『うっ、うっ……』

『フェリス、すまない。こればかりは完全に私の責任だ。責めるんならいくらでも責めてくれていい。

 だが、それをする前にお前さん達、私に話があるんじゃないのかい』

『あぁ……そうでした』


 カトーの言葉に、レオンが目元をぬぐいつつ思念を飛ばした。そう、今日カトーの部屋にやって来た主目的が、まだ切り出せていなかった。

 ゆるゆると首を振ってから、レオンがびしりと背筋を伸ばす。


『カトーさん、簡潔に言いますと……俺達四人はディーデリック老の思惑を阻止し、ニル達――先の事故で召喚された元人間の使い魔たちを一人でも多く、故郷の世界に帰すべく動くつもりでいます』


 レオンの発した言葉に、思念に、それを投げかけられたカトーはフェリスの頭を撫でながら、無言でそれを受け取った。

 次いでクロエが、ハーヴェイが、ヴィルマが、レオンの傍に立ちながら、一緒になってカトーを見下ろす。


『主席が、ニル達の故郷の世界に乗り込んで、食糧を略奪りゃくだつする心算だということを聞いたら、私達も黙って見ているわけにはいきません』

『俺達は、ラエルやフェリス、ニルが幸せになるように努力したいです。それが、元の世界に戻ることで幸せに暮らせるなら、そうしたい』

『さっきみたいな悲しみを、皆には背負わせたくない……だから、カトーさんにも力を貸してほしくて、今日はこうしてお話に来ました』


 そうして話した三人が、ちらと俺の方を見た。

 話の決着をつけるタイミングだ、そう受け取った俺が、ぴょんとレオンの腕の中から抜け出した。床を駆け、カトーの傍まで歩み寄り、顔を見上げつつ思念を飛ばす。


『俺達は、元の世界に戻りたい。だが、元の世界に侵略しんりゃくだの略奪りゃくだつだのしに行くためにじゃない。元の世界でまた『人生・・』を歩むために戻りたいんだ。

 ジジイの思惑おもわくに乗っかって、主人と一緒に暴れまわって奪いまくってヴァグヤバンダに嬉々として戻る、なんてことは、したくないし、させたくない』


 人生を歩む。そこに強調して俺は言った。

 目を見開くカトー。その大きな栗色の瞳に、俺の顔と、同じくハーヴェイの腕から抜け出し、俺の傍に歩み寄ってきたラエルの顔が映る。


『私達には、召喚される前に送っていた人生がありました。召喚されなければ、そのまま送っていたであろう人生も。それを失ったまま、地球に帰っても意味がありません』

『今更、人間に戻りたいなんて言っても、意味が無いのは俺も、ラエルも分かってる。でも、人間として生きるはずだった人生を――俺達は諦めたくないっす』


 ラエルが飛ばした思念の後を継いで、ようやく顔を上げたフェリスも言葉を投げた。

 その言葉を受け取ったカトーは、何も言わない。カトーの子供たちもただじっと口をつぐんでいる。ただ、沈黙が部屋の中を支配していた。

 やがて。カトーの肩が小さく震え始める。


「ふふっ……くふふふ……」

『母さん?』

『カトーさん?』


 声を漏らして笑うカトーに、アントンも、フェリスも同時に目を見開いて彼女に顔を寄せた。

 突然、声を殺して笑いだすのは、不気味で仕方がない。なにがそんなにおかしいのか、と問いたくもなる。

 しかし相手は旅団の重鎮じゅうちん、カトー・デ・ヤーヘル。そんなことを問える者などいるだろうか。

 やがて笑いが収まったカトーが、目の端に浮かんだ涙を拭いながら俺達全員を見た。


『いやね、私の部下達が、全員こんなに頼もしいだなんて思うと、嬉しくてね』


 なおも口元に笑みを浮かべて、嬉しそうにカトーは言う。

 その様子に一番面食らっているのは、彼女の部下四人と、ソファーの背もたれに止まったままのロヴィーだった。ロヴィーがそこまで驚いているということは、余程なことなのだろう、想像するに。

 そしてカトーはゆっくり立ち上がると、彼女自身の大きな手を握るや、自身の厚い胸板をドンと叩いてみせた。


『勿論だ。アントンはやれないけれど、私も全力で事に当たる。

 アントンとフェリスの仲を引き裂いたのは私だけど、そもそも強硬派の連中が手当たり次第に召喚儀式を行わなければ、こんな事にはならなかったんだ。

 こうして意思統一が図れたんだ、あのクソジジイの思い通りになんて、絶対させてやるもんか!』


 力強く、殊更ことさらに力強く宣言する彼女。

 その言葉の意味するところは、これ以上なく明白だ。

 喜びがこみ上げるのを感じる俺の後ろで、主人たち四人が嬉しそうな声を上げるのが聞こえる。


「カトーさん……!」

「よかった……!」


 そんな喜びの声を聞くべく耳を後ろに向けつつ、俺はカトーの顔を改めて見上げた。

 こうして見ると、とても大きい。身体も、存在感も。

 そのカトーがディーデリックを「クソジジイ」と罵り、気炎きえんを吐く姿は、威圧感が凄まじかった。怖い。

 しかし、そんなにしざまにののしる老爺が首魁を務める旅団に、この女性は四十年以上、身を置いているわけである。それもちょっと、腑に落ちなくて。


『カトー……そんなにか』


 思わず言葉を零す俺だ。と、静かな羽音を立てながら、ロヴィーがこちらに飛んで来た。アントンの背中の上に着地して、ピチチとさえずりを零す。


『やっぱりね。母さんが昨日の一桁会議ひとけたかいぎで、ディーデリック様に『奪えばいつまでも足りない、分け合えば余って次に繋がる』って啖呵たんかを切った時から、そんな気はしていたんだ』

『一桁会議……って、こないだ夜中までかかったっていう、あれか? 確かに今日の昼飯の時に噂になってたけど』

『ロヴィー、なんだその、一桁会議って』


 ロヴィーの発言に、ブラームが不思議そうな顔をして問いかけてくる。

 それに頷くロヴィーに視線を投げると、カラスの羽を持つ彼はばさりとその黒い羽を広げた。


『旅団の一桁台の席次持ちが集まって行う、『薄明の旅団』の方向性を決める重要な会議だよ。旅団の大事なことは、みんな一桁会議で協議されて決められる。

 昨日のは凄かったんだよ、昼食後から始まって、夕食の時間になっても終わらなくて、夜中にとうとう母さんとラーシュ様が激高げきこうして途中退席して、それでようやくまとまったらしいから』

『途中退席……』

『そんなにひどかったのか……』


 曰く、旅団で行われる会議には、使い魔一匹を伴うことが許されているらしい。発言の証人としてだったり、万一出席者同士、使い魔同士で乱闘に発展しそうになった際に、止める役割を担うためにだったりとのこと。カトーはいつも、子供の中でも一番の古株なロヴィーを従えて会議に出ているんだそうだ。

 それにしても、昼から始まった会議が夜中まで続くとは相当だ。それも一部の出席者が退出してまとまるという、相当後味の悪い終わり方で、である。

 カトーだけならまだしも、第四席のラーシュまでもが席を立つくらいなのだから、穏健派の面々が腹に据えかねる内容だったことは、想像に難くない。

 握った拳をブンと振りながら、カトーが猛々しく憎悪ぞうおの念を撒き散らす。


『私ゃ常から言ってるんだよ、あるものを奪っていたらいつまでも飢えは終わらない、作って増やさなきゃならない、って。それをあの石頭のジジイと来たら、何度言ったって奪って急場をしのぐことしか考えちゃいない!

 今回だって目の前に宝の山が転がり込んできたから、その山を切り崩して、あわよくば丸ごと自分のものにしようとしている。他の連中もそれに目がくらんで、冷静なのはラーシュとルーペルトくらいなもんだ。

 あのジジイがどうやって、ファン・エンゲル式水生成器を考案したのか、一度本気で聞いてみたいね!』


 もう、憎たらしくってしょうがないと言わんばかりの物言いだ。

 きっとカトーも、「薄明の旅団」という組織を離れがたい理由が、何かしらあるんだろう。長年せきを置いている組織だし、飼育している動物や魔物に愛着があったりするのかもしれない。

 しかし、この様子を見るにいよいよ彼女は、ディーデリックの為すことに我慢が出来なくなっている様子だ。


『カトーさん……』

『それは、その、心中お察しします、本当に』


 自ら話を持ち掛けに来たレオン達も、このカトーの荒れようには何を言うことも出来ない。絞り出すように、おもんばかる言葉を投げていた。

 そんな中で、俺はアントンの背中で悠々と羽繕いをするロヴィーに視線を向ける。


『ファン・エンゲル式水生成器って、この城にも設置されているっていう、あれか?』


 俺の発した思念に、ロヴィーの嘴の動きがぴたりと止まる。

 ディーデリックが開発したという新型の水生成器の話は、レオンが昨日に自慢げに話してくれた。旧来の機器より格段に効率化されて、あの老爺の権威を支える柱の一つになっていると。

 こちらを紅色の瞳で見ながら、カラスの使い魔がこくりと頷く。


『そうそう。うちの旅団の生命線の一つさ。

 『呼び水』を入れた器に複製魔法の陣を描いて常時稼働させて、溢れ出した水を下のタンクに溜めていく方式の、最新の水生成器。旧型のフェルメーレン式とは比較にならないほど効率的……でもそうだね、確かにディーデリック様が一人で発明したとは、信じ難い方法だ。

 おおかた、ラーシュ様が草案を書いて、ディーデリック様が形にしたとか、そんな具合じゃないかな?』


 ロヴィーの説明に、ぽかんと口を開く俺だ。

 確かに、噴水のように水を絶えず噴出させて、その水を溜めて使うようにすれば、元となる水を複製する量は少なくていい。その分、必要とするエネルギーも少なくて済むだろうから、常時稼働させることもできるだろう。

 だがこの発想は、カトーが先ほど言った「育てて作って増やす」そのものだ。ディーデリック一人の発案とは、とても思えない。大きなプロジェクトとなれば共同研究者はいるだろうし。

 ブラームが憮然ぶぜんとしながら口を開いて言う。


『えー、それラーシュ様は案の出し損じゃねーか……特許の褒賞金ほうしょうきんだって貰えただろうに』

『共同研究者として、結構な額の褒賞金ほうしょうきんは出てるけどね。女王様にも直々に表彰ひょうしょうされてる……でもやっぱり、提唱された論理を実現にまでこぎつけたディーデリック様に、世間からの注目と尊敬の念が集まっているのも確かだ』


 兄弟の言葉に、小さく肩をすくめるロヴィーだ。

 その発言を受けて、俺はため息をつくより他にない。これではあまりに、元となる理論を提唱したであろうラーシュが浮かばれない。

 どっちにしろ、あの魔術師が老獪ろうかいで狡猾であることは確かなようだ。


『やっぱり、根は悪辣あくらつというか……卑怯というか』

『あぁ、やっぱりニルもそう思うかい? どんなに世の中の役に立ってるように見せかけても、結局自分の権威を保つことで精いっぱいだ。

 やだねぇ、無駄に長生きすると、あんな風になっちゃうのかねぇ』


 俺の漏らした思念に、カトーも同調してくる。

 それからというもの、念話で外に漏れないのと、カトーが率先してぶちまけてくるのをいいことに、ディーデリックの悪口大会が始まった。

 人間五名、使い魔十四匹。総勢二十名弱での放言は、留まるところを知らなかった。

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