第16話 怒りのカトー
フェリスから
『うっ、うっ……』
『フェリス、すまない。こればかりは完全に私の責任だ。責めるんならいくらでも責めてくれていい。
だが、それをする前にお前さん達、私に話があるんじゃないのかい』
『あぁ……そうでした』
カトーの言葉に、レオンが目元を
ゆるゆると首を振ってから、レオンがびしりと背筋を伸ばす。
『カトーさん、簡潔に言いますと……俺達四人はディーデリック老の思惑を阻止し、ニル達――先の事故で召喚された元人間の使い魔たちを一人でも多く、故郷の世界に帰すべく動くつもりでいます』
レオンの発した言葉に、思念に、それを投げかけられたカトーはフェリスの頭を撫でながら、無言でそれを受け取った。
次いでクロエが、ハーヴェイが、ヴィルマが、レオンの傍に立ちながら、一緒になってカトーを見下ろす。
『主席が、ニル達の故郷の世界に乗り込んで、食糧を
『俺達は、ラエルやフェリス、ニルが幸せになるように努力したいです。それが、元の世界に戻ることで幸せに暮らせるなら、そうしたい』
『さっきみたいな悲しみを、皆には背負わせたくない……だから、カトーさんにも力を貸してほしくて、今日はこうしてお話に来ました』
そうして話した三人が、ちらと俺の方を見た。
話の決着をつけるタイミングだ、そう受け取った俺が、ぴょんとレオンの腕の中から抜け出した。床を駆け、カトーの傍まで歩み寄り、顔を見上げつつ思念を飛ばす。
『俺達は、元の世界に戻りたい。だが、元の世界に
ジジイの
人生を歩む。そこに強調して俺は言った。
目を見開くカトー。その大きな栗色の瞳に、俺の顔と、同じくハーヴェイの腕から抜け出し、俺の傍に歩み寄ってきたラエルの顔が映る。
『私達には、召喚される前に送っていた人生がありました。召喚されなければ、そのまま送っていたであろう人生も。それを失ったまま、地球に帰っても意味がありません』
『今更、人間に戻りたいなんて言っても、意味が無いのは俺も、ラエルも分かってる。でも、人間として生きるはずだった人生を――俺達は諦めたくないっす』
ラエルが飛ばした思念の後を継いで、ようやく顔を上げたフェリスも言葉を投げた。
その言葉を受け取ったカトーは、何も言わない。カトーの子供たちもただじっと口をつぐんでいる。ただ、沈黙が部屋の中を支配していた。
やがて。カトーの肩が小さく震え始める。
「ふふっ……くふふふ……」
『母さん?』
『カトーさん?』
声を漏らして笑うカトーに、アントンも、フェリスも同時に目を見開いて彼女に顔を寄せた。
突然、声を殺して笑いだすのは、不気味で仕方がない。なにがそんなにおかしいのか、と問いたくもなる。
しかし相手は旅団の
やがて笑いが収まったカトーが、目の端に浮かんだ涙を拭いながら俺達全員を見た。
『いやね、私の部下達が、全員こんなに頼もしいだなんて思うと、嬉しくてね』
なおも口元に笑みを浮かべて、嬉しそうにカトーは言う。
その様子に一番面食らっているのは、彼女の部下四人と、ソファーの背もたれに止まったままのロヴィーだった。ロヴィーがそこまで驚いているということは、余程なことなのだろう、想像するに。
そしてカトーはゆっくり立ち上がると、彼女自身の大きな手を握るや、自身の厚い胸板をドンと叩いてみせた。
『勿論だ。アントンはやれないけれど、私も全力で事に当たる。
アントンとフェリスの仲を引き裂いたのは私だけど、そもそも強硬派の連中が手当たり次第に召喚儀式を行わなければ、こんな事にはならなかったんだ。
こうして意思統一が図れたんだ、あのクソジジイの思い通りになんて、絶対させてやるもんか!』
力強く、
その言葉の意味するところは、これ以上なく明白だ。
喜びがこみ上げるのを感じる俺の後ろで、主人たち四人が嬉しそうな声を上げるのが聞こえる。
「カトーさん……!」
「よかった……!」
そんな喜びの声を聞くべく耳を後ろに向けつつ、俺はカトーの顔を改めて見上げた。
こうして見ると、とても大きい。身体も、存在感も。
そのカトーがディーデリックを「クソジジイ」と罵り、
しかし、そんなに
『カトー……そんなにか』
思わず言葉を零す俺だ。と、静かな羽音を立てながら、ロヴィーがこちらに飛んで来た。アントンの背中の上に着地して、ピチチとさえずりを零す。
『やっぱりね。母さんが昨日の
『一桁会議……って、こないだ夜中までかかったっていう、あれか? 確かに今日の昼飯の時に噂になってたけど』
『ロヴィー、なんだその、一桁会議って』
ロヴィーの発言に、ブラームが不思議そうな顔をして問いかけてくる。
それに頷くロヴィーに視線を投げると、カラスの羽を持つ彼はばさりとその黒い羽を広げた。
『旅団の一桁台の席次持ちが集まって行う、『薄明の旅団』の方向性を決める重要な会議だよ。旅団の大事なことは、みんな一桁会議で協議されて決められる。
昨日のは凄かったんだよ、昼食後から始まって、夕食の時間になっても終わらなくて、夜中にとうとう母さんとラーシュ様が
『途中退席……』
『そんなにひどかったのか……』
曰く、旅団で行われる会議には、使い魔一匹を伴うことが許されているらしい。発言の証人としてだったり、万一出席者同士、使い魔同士で乱闘に発展しそうになった際に、止める役割を担うためにだったりとのこと。カトーはいつも、子供の中でも一番の古株なロヴィーを従えて会議に出ているんだそうだ。
それにしても、昼から始まった会議が夜中まで続くとは相当だ。それも一部の出席者が退出してまとまるという、相当後味の悪い終わり方で、である。
カトーだけならまだしも、第四席のラーシュまでもが席を立つくらいなのだから、穏健派の面々が腹に据えかねる内容だったことは、想像に難くない。
握った拳をブンと振りながら、カトーが猛々しく
『私ゃ常から言ってるんだよ、あるものを奪っていたらいつまでも飢えは終わらない、作って増やさなきゃならない、って。それをあの石頭のジジイと来たら、何度言ったって奪って急場をしのぐことしか考えちゃいない!
今回だって目の前に宝の山が転がり込んできたから、その山を切り崩して、あわよくば丸ごと自分のものにしようとしている。他の連中もそれに目がくらんで、冷静なのはラーシュとルーペルトくらいなもんだ。
あのジジイがどうやって、ファン・エンゲル式水生成器を考案したのか、一度本気で聞いてみたいね!』
もう、憎たらしくってしょうがないと言わんばかりの物言いだ。
きっとカトーも、「薄明の旅団」という組織を離れがたい理由が、何かしらあるんだろう。長年
しかし、この様子を見るにいよいよ彼女は、ディーデリックの為すことに我慢が出来なくなっている様子だ。
『カトーさん……』
『それは、その、心中お察しします、本当に』
自ら話を持ち掛けに来たレオン達も、このカトーの荒れようには何を言うことも出来ない。絞り出すように、
そんな中で、俺はアントンの背中で悠々と羽繕いをするロヴィーに視線を向ける。
『ファン・エンゲル式水生成器って、この城にも設置されているっていう、あれか?』
俺の発した思念に、ロヴィーの嘴の動きがぴたりと止まる。
ディーデリックが開発したという新型の水生成器の話は、レオンが昨日に自慢げに話してくれた。旧来の機器より格段に効率化されて、あの老爺の権威を支える柱の一つになっていると。
こちらを紅色の瞳で見ながら、カラスの使い魔がこくりと頷く。
『そうそう。うちの旅団の生命線の一つさ。
『呼び水』を入れた器に複製魔法の陣を描いて常時稼働させて、溢れ出した水を下のタンクに溜めていく方式の、最新の水生成器。旧型のフェルメーレン式とは比較にならないほど効率的……でもそうだね、確かにディーデリック様が一人で発明したとは、信じ難い方法だ。
おおかた、ラーシュ様が草案を書いて、ディーデリック様が形にしたとか、そんな具合じゃないかな?』
ロヴィーの説明に、ぽかんと口を開く俺だ。
確かに、噴水のように水を絶えず噴出させて、その水を溜めて使うようにすれば、元となる水を複製する量は少なくていい。その分、必要とするエネルギーも少なくて済むだろうから、常時稼働させることもできるだろう。
だがこの発想は、カトーが先ほど言った「育てて作って増やす」そのものだ。ディーデリック一人の発案とは、とても思えない。大きなプロジェクトとなれば共同研究者はいるだろうし。
ブラームが
『えー、それラーシュ様は案の出し損じゃねーか……特許の
『共同研究者として、結構な額の
兄弟の言葉に、小さく肩をすくめるロヴィーだ。
その発言を受けて、俺はため息をつくより他にない。これではあまりに、元となる理論を提唱したであろうラーシュが浮かばれない。
どっちにしろ、あの魔術師が
『やっぱり、根は
『あぁ、やっぱりニルもそう思うかい? どんなに世の中の役に立ってるように見せかけても、結局自分の権威を保つことで精いっぱいだ。
やだねぇ、無駄に長生きすると、あんな風になっちゃうのかねぇ』
俺の漏らした思念に、カトーも同調してくる。
それからというもの、念話で外に漏れないのと、カトーが率先してぶちまけてくるのをいいことに、ディーデリックの悪口大会が始まった。
人間五名、使い魔十四匹。総勢二十名弱での放言は、留まるところを知らなかった。
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