第12話 遠藤茉莉と辛島祥太
「キャァァァァ!!」
「ガァァァァ!!」
唐突に、二匹の魔物の甲高い悲鳴が部屋に響いた。
俺の額にある魔石に触れ、閃光に包まれたラエルとフェリスが、けたたましい声で叫んでいる。
光が収まっても尚狂乱し、大声を上げる二匹を、ハーヴェイとクロエがそれぞれ抱き竦めた。
「ラエル!?」
「フェリス、落ち着いて!!」
己の使い魔をぎゅっと、愛おしく抱きしめると、次第に落ち着きを取り戻してきた二匹が叫び声を止めた。
だが、その瞳孔は極端に小さく収縮して、細かに震えている。動揺していることは明らかだった。
「ア、ア……(あ、あ……)」
「ガ……グア……(俺は……ここは……)」
「フェリス……アタシはここよ、ここにいるわ……」
「ラエル、大丈夫、大丈夫だ……」
小さく、弱々しく声を漏らす二匹を、ハーヴェイもクロエも一層強く抱く。
二人が慰め、落ち着かせているその様子を、こちらも目を見開いて見つめていたレオンが、ゆっくりと俺の方を向いた。
「ニル……これは、どうなったんだ?」
「もしかして本当に、封印が……」
傍観していたヴィルマも、驚きに目を見張って俺を見る。
ラエルとフェリスから距離を取り、レオンの足元へと戻った俺が、努めて冷静に念話を飛ばした。
『確認してみよう、俺も状況を整理したい。
遠藤さん、辛島君。二人とも、俺の声は聞こえているか?』
俺の飛ばした念に、真っ先に反応したのは使い魔二匹だった。
即座に瞳に光が戻る。平静を取り戻した目で、揃って俺の方を見た。
『この声……韮野君?』
『そこにいるのか? ここは一体どこだ? ……俺に、何が起こった?』
二匹の発した言葉に一つの『
その場の全員が何が何だか分からない様子の中、前脚を持ち上げ、手のひらの肉球を見せながら話す。
『俺はここだよ。ここは『薄明の旅団』の城の中。俺とレオンの使っている部屋だ。
それ以外のことについては順に説明する。考えを整理する時間も必要だろうから、二人はしばらく、皆の話を聞いていてくれ』
俺の発言に、ラエルもフェリスも目を見開いた。他の面々も同様だ。
何しろ、状況説明をせずに皆の話を聞いていろ、というのだから。放置プレイもいいところである。
だが二匹には、考えをまとめる時間が絶対に必要だ。
二匹が小さく俯くのを見て、俺はその後方、二匹を今だ抱き竦める主人の方に目を向けた。
『クロエ、ハーヴェイ。フェリスとラエルの中にそれぞれ構築されていた、人格と記憶の封印は、解かれたと見て間違いない。念のため、二人の方でも確認してもらえるか』
ある種の確信を以て投げかけた言葉。それを受けてクロエもハーヴェイも、自分の手の中にいる存在の額へと手を触れる。
そのまま暫く、内部を探るように目を閉じていると。不意にクロエが大きく目を見開いた。
「そんな……信じられない。本当に封印魔法が解けているわ」
「なんてこった……ラエル、君は……確かにここにいるはずなのに」
次いで目を開いたハーヴェイも、信じがたいと言いたげに腕の中のラエルを見た。
ラエルも、フェリスも、視線を落としたままで口を噤んでいる。
反応に困っている様子の二匹へと、俺は思念を飛ばした。
『遠藤さん、辛島君……多分、二人の状況を見るに、
二人とも、今自分たちを抱き締めている人間が、誰だか分かるか?』
俺の思念を受けた二匹が、小さく目を見開く。
しばしの沈黙の後、フェリスの瞳がクロエを、ラエルの瞳がハーヴェイを、それぞれ映した。
そうして、呟くように。ぽつりと二匹は言葉を零す。
『……クロエ?』
『ご主人様? 私は……』
二匹が、名前を呼んで。呼ばれた二人が、同時に息を呑んだ。
クロエがフェリスの顔を両手で挟む。ハーヴェイがラエルの身体を両手で抱き上げる。
「そんな……フェリス、アタシが分かるの?」
「ラエルも……だが、精査してみた限り、封印してから構築した、君の人格は」
互いに互いが信じられないという顔をして。嬉しそうな、悲しそうな、複雑な表情をして。
その顔を見ながら、俺は敢えて断定的に、それを言った。
『そうだ。二人とも、
カスペルのところのルイザは、魔物の人格が表に出て、人間の人格と記憶がそれに吸収、統合される形で人格の封印が解けた。二人は逆に、人間の人格に魔物の人格と記憶が吸収、統合された……んだと、思う』
そうだ。ラエルは遠藤さんの中に統合され、フェリスは辛島君の中に統合された。
根木先生とルイザのそれとは、まるっきり逆だ。人間側の人格が、二匹の中で今まさに主導権を握っている状態なのだ。
でなければ俺の声に、あんなにハッキリと反応を返す筈がない。
「ニル……つまりどういうことだ。二匹は今、主人である二人のことをちゃんと分かっているのか?」
余裕と安堵に満ちた俺の顔を見下ろしながら、レオンがぐいと身を乗り出す。
その顔を下から見上げるようにして、俺はピコピコと耳を動かした。
『使い魔契約はそのまま有効だろうし、契約してからここ数日の間の記憶は引き継がれているだろうから、自分がフェリスとラエルという名を与えられて、クロエとハーヴェイがそれぞれ主人だ、ということは分かっているだろうな。
ただ、人間だった頃の記憶と、魔物に変えられた後の記憶……そのどちらかが、ルイザの時のように
俺の発した『
記憶が
クロエとハーヴェイが、己の腕に抱く使い魔を、一層強く抱き寄せる。
「記憶の、
「そんなことが……」
そう零す、二人の瞳は悲しげだ。ヴィルマは声も出ない様子で、口元を押さえている。
信じ難いだろう、あってほしくも無いだろう。だが一発目、根木先生のケースであんなに強烈な
『遠藤さんや辛島君からしたら、突然別の名前を与えられて、魔物の肉体になって、使い魔として契約を結ばされて……ってのが入ってきたから、何が何だか訳が分からない、ってことになっていると思う。
繋がらないんだ、自分の中で、自分の記憶と現実が。解放された記憶はそのまま続いていても、実際には三日が経っているわけだしな。
だから、話してくれ。自分が何者で、自分にとってクロエやハーヴェイはどんな存在なのか』
悲しみに暮れる飼い主たちの中で、大人しく抱かれている二匹。俺はそれぞれに、まっすぐ視線を向けながら、言い聞かせるように話をした。
俺自身だって、肉体喪失魔法をかけられてからレオンの部屋で目覚めるまでの間、意識を手放していたから何も覚えていない。レオンにすぐに説明してもらって、ようやく繋がったくらいだ。
それが二人は、もっと記憶に落差があり、説明もされず、知らぬ間に異なる名前と人格を与えられて数日を過ごしたのだ。
だから、話してもらう。整理がつくように、自分に言い聞かせてもらうように。
二匹はしばし視線を交わし合い、やがてため息交じりにフェリスが口を開いた。
『……分かった。まずは、俺から話す。
辛島祥太、陽明館中学校三年C組、出席番号10番。部活はサッカー部で、ポジションはサイドバック……今じゃあんまり意味は無いが、レギュラーだった。
根木先生の授業中、急に床が光って、皆と一緒にこっちの世界に召喚されて……そこでクロエと出会って、契約した。その時に、クロエの手でアースタイガーに変えられて、フェリスの名前を貰って……あとはクロエに付き従って、飯を食ったり、畑や牧場の仕事をしたりして、暮らしてきた』
フェリスの――辛島君としての記憶も多分に混じった記憶。
その内容を聞かせてもらった時、俺とレオンは自然と視線を交わしていた。
「おい、ニル」
『ああ、辛島君は覚えているようだな。やっぱり、人間の人格が主軸になっているからか』
俺の、喜び混じりに投げられた思念に、ヴィルマが首を傾げた。
「ニル、レオンも、どういうこと?」
状況を飲み込めていない様子の彼女に、レオンが顔を上げつつ左手を動かした。手の先で円を描くようにしながら、淡々とした口調で言う。
「カスペルのところのルイザは、自分が魔物に変えられたことを覚えていなかったんだ。彼女の中では、自分の生徒も含めて元から皆魔物で、人間に化けて暮らしてきたことになっているらしい」
『えっ』
レオンの発言に、声を漏らしたのはラエルだった。自分たちの先生がそんな記憶を持っているなど。そう言いたげである。
『根木先生……そうか。
ただ俺も、自分が元々は人間だったというところは、ハッキリと確証を持ててはいない。元はそうだったと覚えている、ってだけだ。
遠藤さんは、どうだ?』
ゆるゆると頭を振りながら話したフェリスが、そのまま視線をラエルへと投げる。話を振られた彼女は、数瞬目を伏せると、意を決したように俺を見た。
『召喚されてからの経緯は、私も辛島君と同じです……お城の地下に召喚されて、ご主人様と契約して、ルビーカーバンクルになって……私は身体が小さいから、辛島君のようにお仕事を手伝いはしませんでしたけれど』
ラエルの発した言葉を受けて、ハーヴェイの手が彼女の顎へと触れた。無意識のうちになのだろう、指先がラエルの柔らかな顎を撫でる。
それに心地よさそうに目を細めて、彼女の言葉は続けられる。
『人間だった頃の名前は、遠藤茉莉……神奈川県相模原市の、私立陽明館中学校三年C組で、出席番号は4番でした。
図書委員会所属で、辛島君のように、華々しい立場は、持ってなかったですけれど……』
そこで、区切られる言葉。
沈黙が部屋に満ちる中、全員の視線は、自然とクロエとハーヴェイに向いた。辛島君と遠藤さんの、今の主人へと。
視線を力なく彷徨わせながら、しかしラエルの顎を撫でる指は止めないまま、ハーヴェイが苦しげに言葉を吐く。
「……君達の、来歴と、状況は、分かった。じゃあ、それを踏まえた上で、君は……エンドウは、どうしたいんだ?」
「そうよ、アンタたちの人間だった頃の記憶も大事だけれど、アタシたちにとっては今の……アタシたちの使い魔になったアンタたちが大事なんだもの。
それに、アタシはアンタを、どう呼ぶのが正解なの? いきなりカラシマって名前を出されても、フェリスで名簿に登録しちゃってるし……」
二人の言葉に、ラエルもフェリスも、困ったように首を傾げた。
どうやらこの主人たちは、二匹の過去がどうあれ、主になる人格がどうあれ、使い魔として大事にする気持ちに変化はないらしい。
少しだけ、嬉しそうにしながら、まず口を開いたのはラエルだった。
『呼び方も接し方も、今まで通りでいいです……今ここで、人間だった頃の名前を出しても、ご主人様や皆さんが困るでしょうし、私はご主人様の使い魔ですし。
でも、私には……もう一つ、元々呼ばれていた名前があることだけは、覚えていていただけると……』
『俺もそうだ、呼ぶ時は今まで通り、フェリスで呼んでくれ。こんなナリで、辛島呼びされても、逆に戸惑うしな。
使い魔契約も、俺達の世界に帰るまでは、変わらずそのままでいい。いざ帰るって算段になったら、改めて相談させてくれ』
次いでフェリスも言葉を発し、そうしてから僅かに主人から目を逸らした。
その面持ちは、何となく、少しだけ恥ずかしそうで。
その様子を見たクロエも、ハーヴェイも。嬉しそうに、愛おしそうに己の家族を再び抱き締めた。
「……分かった」
「よかった……これからも、よろしく頼むわよ」
その言葉に、二匹は何も言わないで。ただただ静かに喉を鳴らしながら、主人に顔を寄せていた。
ずっと見ていたヴィルマが、ほんのり悔しさを滲ませながら目の端を拭う。
「あーあ、いいなぁホント、二人は自分の使い魔とそういう話が出来て」
羨みを隠さないヴィルマに苦笑を向けながら、レオンが嬉しそうに口を開く。
「これで、ひとまずはまとまった、と見ていいか、ニル?」
『そうだな。この後の話は、それぞれの間で整理がついてからでもいいだろう』
俺の主人の言葉に、俺も大きく頷いて笑う。
まだ二人。されど二人。今日というこの日に助けられたクラスメイト二人の存在は、きっと大きいだろう。俺はそう信じていた。
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