第3話 人格

 俺の目の前には、一つの皿がある。

 カットされた岩イモ、ミンチにされた何かの肉、ころころとしたマメ類が、一緒くたに煮込まれた料理が盛られた皿。

 それを前にして、俺はごくりと唾を飲み込んだ。


『美味そう……』

『美味いぞ、そこは期待してくれていい』


 俺が零した言葉に、レオンが小さく笑いながら返してくる。

 実際、こんな荒廃した世界で食べる食べ物としては、随分美味そうなのだ。この世界でどのくらいの位置にある料理かは分からないけど、地球人の俺が食べることに抵抗を覚えない程度には、美味そうだ。

 俺が溢れる涎を零さないよう堪えていると、並んだテーブルの前に立ったカスペルが手を打ち鳴らした。


「よし、全員目の前に飯はあるな? それじゃ唱和しろ。グレーズ・メーヒ・シティ」

「「グレーズ・メーヒ・シティ」」


 食堂に居並ぶ全員が、カスペルの号令に合わせて同じ文句を唱える。そうしてからカチャカチャと、食器の鳴る音が辺りから響いた。

 耳慣れない言葉に、俺は他の面子と同様に食器を取り、野菜の炒め物らしきメニューを食べ始めたレオンへと念話を飛ばした。


『レオン、今のは何だ?』

『うん? そうだな……言うなれば感謝の言葉だな。恵みをもたらしてくれた大地への、感謝を捧げる言葉だ』


 口に炒め物を運んでもごもごと動かしながらも、念話で届くレオンの思考は淀みがない。

 しかし、そういう文句が食事前にあるのはなんとなく親近感がある。日本で言う「いただきます」に当たる感じだろうか。


『そういう言葉があるのか……』

『この世界じゃ、日々の食物への感謝は欠かせないからな。ニラノも食え、他の連中に取られるぞ』


 さらりと思考しながら、レオンは食べる手を止めない。その視線こそまっすぐ前を向いているが。

 レオンの視線が向く方に顔を向けると、年若い少女が隣に座る大柄な男性の前に置かれた煮物の皿に食器を伸ばしていた。


「おいアンシェリーク、お前自分のに手を付ける前から俺のに手を出すんじゃねぇ!!」

「べーっ、油断している方が悪いんですー!!」

「と、言う傍から油断するアンシェリーク・デ・ブラウネなのであったとさ」

「あーっ、ルーペルト、あんたちょっとなにアタシの肉取ってるのよー!?」


 アンシェリークと呼ばれた少女が隣の男性の皿から食べ物を奪おうとして、その反対側に座るルーペルトと呼ばれた青年が同じようにアンシェリークの皿から食べ物を奪おうとして。

 なんとも浅ましい、年齢不相応な食べ物の奪い合いがそこで発生していた。


『あれは……奪い合っているのか?』

『その通り、奪い合っているんだ。皆なんだかんだ言って腹を空かせているからな。

 いくらカスペルや彼の使い魔が腕を振るっても、食材の量が限られる現状、作れる量には限界がある。日々あれこれとやりくりしているが、それでも足りない。

 この炒め物を見てみろ、さっきあれだけ剥いていた岩イモの皮ですら、ここでは立派に食材なんだ』


 呆れた表情をするレオンが、食器でトントンと炒め物の乗った皿を突く。

 その皿の上には太さも厚さも不揃いな、細長いものが茶色くなって皿に盛られていた。言われてみれば確かに、芋の皮に見えなくもない。


『岩イモの皮……を炒めているのか』

『そう。皮を細く切って炒めて、豆醤とうしょうで味を付けている。美味いんだが、そろそろこいつにも飽きてきたな』


 俺と会話を交わしながら、レオンが深くため息をついた。主食である岩イモの皮、という実情からも察しはつくが、日々の食事の定番メニューらしい。芋の皮を剥かなければならない以上、その皮を使った一品が出るのも当然というところか。

 しかし、その芋の皮の炒め物は随分香ばしくいい香りを出している。何となく懐かしく、馴染みのある香りだ。

 思わず俺は自分に与えられた煮物の皿の前を離れ、レオンの前の皿に鼻を寄せていた。


『美味そうだな、ちょっとくれ』

「おっ、おい……大丈夫か、味が濃いぞ」


 念話を飛ばしながら、有無を言わさず俺は炒め物に口をつけた。レオンが思わず声に出して俺に呼びかける。

 心配そうなレオンの声をよそに、俺は岩イモの皮を食んでいく。塩気があり、濃厚な旨味と香ばしい香り。醤油のような味がする。

 皮の歯ごたえも相俟って、なかなか食べさせてくれる味をしていた。


『あー……豆醤とうしょうって、要するに醤油しょうゆかこれ。きんぴらみたいな感じだな』

『ヒヤヒヤさせてくれる……大丈夫かニラノ、思わず声に出してしまったが』

「なんだレオン、お前さん皮炒めを取られちまってるのか。珍しいな」


 全く何でもないように岩イモの皮炒めに喰いつく俺を、レオンが驚いた表情で見ている。と、そこにカスペルが驚きを含んだ目をして声をかけてきた。

 未だに驚きの表情をしたままのレオンが、そっと視線を上方向に移す。そこにはクロヒョウの、太いマズルを持つ顔があって。


「カスペル……ああ、そうなんだ。変わったものを欲しがるなと思ったんだが」

「そうだなぁ。ルイザもさっき、随分真剣な表情で皮炒めを食っていた。変わったやつだと思ったもんさ」


 カスペル曰く、今日の昼食で出しているメニューを一通りルイザに食べさせたんだそうだ。その際に彼女は、この岩イモの皮炒めを食べた際に真剣そのものの表情をしていたらしい。

 レオンが「飽きてきた」と言うほどの定番メニューだ、どこにそんなに真剣になる要素があるのかと、カスペルも不思議なのだと言う。


「ルイザって、あの新入りのシルバーフォクシーだろう?」

「そうそう。つい昨日に仲間入りした、な。凄いぞ、タチマメの鞘もすいすい剥きやがる」


 カスペルの言葉に、レオンがますます驚いた表情をした。

 タチマメ、という聞き慣れない名前だが、マメというからには豆なのだろう。豆というからには鞘に入っているのだろうし。もしかしたらあの煮物に入っている豆が、タチマメなのかもしれない。

 岩イモの皮炒めの皿から、俺の食事である煮物の皿の方に移動すると、俺の頭上ではレオンとカスペルが会話を続けていた。


「凄いな……そんなに料理に熟達しているのか?」

「らしいな。今夜の夕食からは調理組に加えようと思っているよ。あんな凄腕にイモの皮剥きなんぞ勿体ない」


 ルイザの話をしながら、カスペルは随分と嬉しそうだ。やはり、戦力になる人材を確保できたのは喜ばしいのだろう。

 そんな彼の隣で、ふと俺とレオンの視線が交錯した。それと共に念話が繋がる。


『ニラノ、どうする?』

『記憶が消されているか否かは分かんないけど、確かめたいことは色々ある。突っ込めるか?』


 レオンの短い問いかけに、俺も簡潔に返していく。すると俺の思考を読み取ったレオンが、おもむろにカスペルの顔を見上げた。


「カスペル。その……ルイザに話を聞きたいんだ。タチマメの効率のいい剥き方とか……いいだろうか?」


 レオンの発した言葉に、思わず食事の手を止める俺だ。何というか、こう、随分と白々しい。今日の昼食の下ごしらえをサボタージュした人間の言うことじゃない。

 カスペルも一瞬だけ面食らったような表情をしたが、すぐに面白そうな顔つきになってにやりと笑った。


「ほーう……? はーん、お前さんもようやくやる気になったか。いいぞ、俺もどうやればあれだけ剥けるのか気になるからな。昼飯が終わったら俺の部屋に来い」


 そう言うと、カスペルはレオンの傍から離れて別の団員のところに向かっていった。

 彼の大きな背中をそっと見送ったレオンが、こくりと頷く。


『よし』


 そう短く思考したレオンが、再び食器を手に取った。

 本人は満足げだが、傍から聞いていた俺からしても全然「よし」じゃない。心配でしょうがない。


『レオン、まさかお前、本気でマメの鞘の剥き方を教わりに行くわけじゃないよな?』

『当然だとも、あれは方便さ。まぁ、タチマメの剥き方も教わるつもりではあるがね』

『お、おう……いいけど、本来の目的を忘れないでくれよ』


 謎の自身に満ち溢れながら食事を続けるレオンに一抹の不安を覚えながらも、俺は煮込まれた岩イモをその口に含んだ。

 やはりと言うか、よく味が染みていて柔らかく、美味しかった。




 昼食を終えて、食器をキッチンへと片付けて、レオンと俺はカスペルの部屋へと向かった。

 食堂を出て、廊下を往き、席次持ちの自室のあるエリアへ。予想はしていたが、やはりレオンの自室があるエリアよりも廊下が広く、装飾も華美だ。

 廊下を歩いていくことしばし、レオンは扉に「6」と刻印された部屋の前で足を止める。翻訳魔法の影響か、自然と扉の文字が数字だと認識できていた。

 扉に据えられたノッカーを動かしながら口を開いた。


「カスペル、邪魔するよ」

「おう、いいぞ」


 カスペルの声を受けて、扉を開ける。中に入ると部屋の広さも明らかに、レオンに宛がわれている部屋よりも広かった。レオンの部屋がワンルームだとしたら、この部屋は1LDKくらいの差がある。

 そしてその部屋の中央、一人がけのソファーにカスペルは腰掛けていた。傍にはルイザも立っている。仮面に隠れて視線は分からないが、こちらを見ていることだろう。

 中をざっと伺って、レオンが口を開いた。


「他の使い魔は……今はいないのか?」

「ああ、昼飯の後片付けを任せてきた。だからここには今、俺とお前とルイザしか……いや、その肩のチビ助もいたな。他には誰もいない」


 ひらりと右手を動かしたカスペルの視線が、レオンの肩に乗った俺を射抜いた。

 俺が小さく身を竦める中で、レオンがほっと息を吐く。


「それなら、都合がいい。実は――」

「レオン」


 そのまま話に入ろうとしたレオンの言葉を遮って、カスペルが口を開くと。

 彼はすぐに目を伏せて深くため息をついた。随分、呆れている表情をしている。


「はぁ……あのな、お前もうちょっとさりげなくやれよ。隠すにしてももう少しやり方があっただろうが」

「うぐっ」


 カスペルの言葉に、小さくレオンが呻いた。

 呆れ顔を隠さないカスペルの隣で、ルイザが小さく口を開く。


「カスペル様から聞き及んでおります。レオン様が私の出自と、契約の実情についてお伺いに来られるだろうと」


 ルイザの言葉に、レオンがますます目を見開いた。喉からカエルの潰れたような音が漏れている。

 俺の懸念通り、カスペルはレオンの方便を、全てお見通しだったわけだ。


『……レオン』

『……すまない、その、どうにもこの手の交渉事は得意ではなくて……』


 じとっとした目でレオンの横顔を見ながら思念を飛ばすと、何とも情けない答えが返ってきた。

 この先、この旅団の中で旅団員との交渉に当たるにあたって、先行きがものすごく不安である。

 言葉に詰まった様子のレオンを見ながら、カスペルが再び息を吐いた。


「まぁいいさ。お前もあの場にいて、あの契約の瞬間を見ているんだ。

 そのチビ助があの輪の中にいたことも、人格と記憶の保護・・がかかっていることも、ディーデリック老から知らされている。チビ助、喋れなくても、俺達の話すことは分かるんだろ?」

「……キュ(その通りだ)」


 明確に俺へと向けられた言葉に、俺は素直に鳴き声を返した。

 同時にこくりと頷いた俺の意図は彼へと問題なく伝わったらしい。カスペルのクロヒョウの頭が、大きく前後する。


「だろうな。だが結果がどうあれ先に言っておくぞ。

 人間の人格が封印されただけであろうと、上書きされて消されていようと、こいつはルイザ・ハールマンであり、俺の大事な使い魔だ。そこは変わらない・・・・・、どうあってもな。

 それは、覚悟できているんだろうな?」


 きっぱりと告げられた厳然たる事実に、俺は俯くしかなかった。

 目の前にいるルイザの中に根木先生が残っていようといまいと、今の彼女はルイザなのだ。そして、カスペルとの間に結ばれた契約は変わらずに有効なのだ。

 もし根木先生の人格と記憶が封印されているだけだとしても、根木先生が人間に戻れる保証はどこにもない。よしんば人格と記憶が戻ってきても、万一カスペルが契約を解消したとしても、シルバーフォクシーのままである可能性は十分にあるのだ。

 その事実に、俺は視線を上げられずにいた。


「キュアウ……(やっぱり、そうなのか……)」

「ニラノ……」

「なんだ、お前さん人間の時の名前、そのまま使っているのか?」


 思わず零れたのであろうレオンの言葉に、カスペルが不思議そうな顔をした。

 確かに俺はレオンから新しい名前を与えられるとかせずに、人間の時の名前をそのまま使っているし、レオンもそう呼んでくれている。傍から見たら変わっているだろう。

 それにしてもカスペルには、俺の人間の時の名前も知られているのか。もしかしたらディーデリックが、団員へと伝達したのかもしれない。

 と、その時。カスペルの傍らで静かに話を聞いていたルイザが、小さく首を傾げた。


「ニラノ?」


 復唱された、俺の名前。

 途端に俺達三人の視線がルイザへと向けられた。カスペルが鼻をすんと鳴らしながら、ルイザへと言葉を投げかける。


「どうした、ルイザ。記憶になくても、耳に覚えがあったか?」

「いえ……ただ、どうしてでしょう、不思議に耳に残る響きというか……」

「キュ、キュゥッ!?(まさか、先生!?)」


 自身へと投げられた問いかけに、不思議そうな、もやもやとしたような様子で首を傾げ続けるルイザ。

 その様子に、俺は弾かれたようにレオンの肩から飛び降りた。ルイザの足元まで一直線に駆けていく。


「おい、ニラノ!?」

「キュゥッ、キュア、クァクァキュゥッ!!(先生、俺だ、出席番号25番の韮野だ!!)」


 レオンが止める間もなく、俺はルイザのすらりとして、真っ白な毛に覆われた脚へと縋り付いた。伝わるか伝わらないかなど関係もなく、必死に鳴き声を上げ続ける。

 それをカスペルは、ただ静かに見つめていた。むしろレオンの方が焦っているようで、ルイザの脚に前脚をかける俺の身体を鷲掴みにする。


「ニラノ、やめろ! 彼女はカスペルの――」

「レオン様、結構です」


 大声で俺を制止しようとするレオンに、ルイザが言葉をかけた。同時にレオンの手へと、彼女の手が添えられる。

 予想外の反応に目を見開いたレオンの手を俺から離させて、ルイザはしゃがみ込んだ。そうして俺の頭を、優しく撫でてくる。


「可愛らしい子……そんなに、私の為に必死になってくれているのね」

「キュゥ……(先生……)」


 俺を想ってかけられる言葉と、俺を慈しむかのような手に、俺は彼女の為すがままだった。

 とても優しく、労わりを感じる手つきだ。乱暴さは一切ない。ただ、人間だった俺のことを認識している様子も、またなかった。


「でもね、以前の私がどうあったとしても、私はカスペル様の使い魔でいる以外の生き方を知らないし、今の生き方が幸せなの。だから――」


 そう、自分の想いと幸せを話しながら、俺に優しく言い聞かせるルイザの手が、ふと俺の額、埋め込まれた硬いものに触れた。

 次の瞬間だ。

 俺の脳内を高速で駆け巡る何か・・があった。

 同時にルイザの顔に付けられた仮面が強い光を放つ。途端に彼女は俺から手を放し、両手で顔を押さえた。


「え……あぅぅっ!?」

「ルイザ!!」


 突然の異変にカスペルもソファから立ち上がった。うずくまるルイザに駆け寄ってその肩を抱いている。同時にレオンが俺の身体をしっかと抱き寄せた。

 そうする間にもルイザの仮面から放たれる光はどんどん強くなっていく。


「これは……一体、どういうことだ!?」

「なんてこった……おいチビ助、お前今、何をした!?」

「ク、クキュァッ!!(わ、分からない!!)」


 困惑するレオンとカスペル。そしてカスペルが俺に鋭い声をかけてくるが、俺にも何が何だか分からない。

 特に何かをしたはずはない。念話だって繋いでいない。ただ、ルイザの手が俺の額に触れた・・・・・・・だけだ。

 すると、仮面から放たれる光が急速に収まった。そこにはうずくまり、顔を覆った手を僅かに離して、肩を大きく上下させているルイザの姿がある。

 カスペルが心配そうに、ルイザの肩を小さく叩いた。


「おい、ルイザ! しっかりしろ、自分が分かるか!?」

「カ……カスペル様、私は、一体……」

「これは……カスペル、ルイザはどうなったんだ」


 自身の主人の言葉に、途切れ途切れになりながらもルイザは言葉を返している。意識はあるらしい。

 驚愕に目を見開くレオンへと、カスペルはゆるゆると首を振った。


「俺にも分からん……状況を精査する、お前らは自分の部屋に戻れ。確認が取れたら報せに行く」


 そう、俺とレオンをまっすぐに見つめて告げると、カスペルは小さく顎をしゃくった。部屋を出ろということらしい。

 結局、そこから何を問い返すことも出来ず、俺達は大人しくカスペルの部屋を後にしたのだった。

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