第29話 初めての戦闘

 オアシス・オーサを離れてから数分歩いた頃。先頭を歩くカトーが、彼女の傍らを歩くブラームの頭に手をやりながらこちらを振り返った。


「ここらへんからそろそろ魔物が出始めるよ。三人とも、用心しな」


 その言葉に、俺とフェリスが身を固くする。シグルドのオーケとは違い、日本の中学生メンタルな俺達二人だ。そんな俺達が、魔物の肉体の中にいるとはいえ、魔物のうようよするエリアに踏み込んだわけである。当然、怖い。


『いよいよか……』

『なんか、怖いな。俺達も魔物なのに、こう言うのもあれだけど』


 俺がレオンの肩の上で呟くと、俺より何倍も身体の大きなフェリスが身震いした。

 俺よりもよっぽど戦える戦いをしているだろうに、存外に気弱なものである。今までのクラスでの姿とは、大きく違って見えた。

 フェリスの横を歩くクロエが、その首元を撫でながら優しく言った。


「心配しなくていいわ。ニルは元々戦闘員にカウントしていないし、フェリスも今回は荷運び役だから。基本的には、シグルドとカトーさんに任せればいいわ」


 そう言いながらシグルドの方に目を向けると、彼もこくりと頷きながら前髪を指でいじった。


「ああ、俺はお前達と違って、オアシスの外に何度も出て魔物と相対している。この辺りの魔物に遅れを取ることはない」

『そうか……』


 その自信満々な物言いに、何とも言えない気持ちになって曖昧な答えを返す俺だ。確かに俺はシトリンカーバンクル、直接戦闘なんてとてもじゃないけど出来ない。魔法も生活に必要なものしかまだ使えないし。

 とはいえ、何だろうこの上から目線は。馬鹿にされている気がしないでもない。

 そんな俺の心情など気にする風でもなしに、シグルドは傍らのオーケに声をかけていた。


「オーケ。いよいよお前の初陣だが、お前のことは信用している。いつも通りに動けばいい」

『かしこまりました、ご主人様』


 オーケの返答には淀みがない。集団念話を繋いでいるからその言葉は俺にも届いていた。

 彼の言葉には、自分が戦闘に駆り出され、魔物と殺し合いをすることに対する躊躇など一切無かった。地球で暮らしていた頃は高梨君も、俺や辛島君と同じように命のやり取りなんてすることなく暮らしていたのに。

 こうも変わってしまうのか、いや、変えられてしまうのか、ということをまざまざと見せつけられた感じだ。


『……』


 そしてそのことは、俺だけじゃない、フェリスも思っていたらしい。悲しそうな目をして、主人に静かに従う狼を見ている。

 その様子を不思議に思ったのか、クロエがフェリスの顔を覗き込んだ。


「フェリス?」

『いや……何でもない』


 主人の言葉に、顔を背けながら答えるフェリスだ。明らかに何か、言葉にしにくいものを抱えているように見える。

 不思議に思った俺は、既に繋いでいる集団念話のチャネルとは別に、一対一のチャネルをフェリスと繋いだ。その上で、一対一のチャネルに向かって思念を送る。


『フェリス、どうしたんだ』


 俺の思念に、フェリスが一瞬ハッとした表情を見せた。ちらりと俺に目を向けてくる。まっすぐ見つめ返してやると、彼が俺に念を飛ばしてきた。


『なあ、ニル。お前に助けてもらうまでは、俺もああ・・だったのかな。魔物と戦うことを何とも思わないで、平気な顔をして……』


 その声色は、明らかに悩んでいる声色だった。

 辛島君と高梨君は、お互いに人間だった頃、別段仲がよかったとか、そういうことはない。俺が高梨君とそうであったように、彼もただのクラスメイトの一人だと思っていたはずだ。

 それでも、見知った顔が、こんなにもあり方を変えてしまうことについて、何とも思わないほど薄情ではないだろう。何しろ多感な中学生なのだ。

 俺は、辛島君が『フェリス』だった頃を、ちょっとしか知らない。だから何とも言えないところはあった。


『……どうかな』

「お前達、構えな。お客さんのお出ましだよ」


 そして俺が言葉を濁した時、カトーが立ち止まって牛達を隠しながら強い口調で発した。

 見れば、前方の茂みの中に光るものが見える。俺でも分かる。動物の瞳だ。

 果たしてその茂みの中から、大柄な猫のような生き物が三匹ほど姿を見せつつこちらに鳴き声を上げる。


「ニャーッ!(人間だ!)」

「フシャーッ!(その牛を置いていけ!)」


 背中の毛を立てながら、こちらに向かって牙を剥き出し鳴く猫。どう見たって魔物だ。地球にいるヤマネコと同種だったとしたら、こんな平原にいる筈がない。


『ネコ……にしては大きいな』

『ヤマネコ、ってやつか?』


 俺とフェリスも一緒になって身構えた。牛の引き綱を短く握ったクロエが表情を硬くする。


「リンクスね、そんなに強い魔物ではないけれど……仲間を呼ばれると厄介だわ、早く倒しましょう」

「ああ、行くよお前達!」


 彼女の言葉にカトーが頷くと、彼女はすぐさま飛び出した。同時にブラーム、シグルド、オーケも飛び出していく。そしてレオンも、既に前に出る準備を整えていた。

 肩に乗っかった俺を優しく抱き上げて、フェリスの頭の上に乗せる。そうして俺の顔を覗き込むと、うっすら笑って彼は言った。


「ニル、ここでフェリスと一緒に待っていてくれ。いいな?」

『あっ、ああ……』


 俺が返事を返すより先に、レオンは俺から目を離して前線に飛び出していった。

 そして始まるリンクスとの戦闘。カトーとブラームが同時に魔法を唱えた。


『ギニデ・ウンデヤ! 燃やせ!』

『ナヴァト・ヴァンナ! 止まれ!』


 カトーの手のひらから炎の弾が何発も発射され、同時にブラームの頭上から黒い針が射出された。その針が地面に突き刺さり、火炎弾と相まってリンクス達の足を止める。その瞬間を狙って、シグルドが剣を振り抜いた。


「はっ!」

「グ……!(ぐっ……!)」

「ッ!」

「ギャ……!(あっ……!)」


 オーケもシグルドが狙ったのとは別のリンクスに噛みついた。毛皮に牙が食い込み、血が溢れ出す。オーケの口の中は、きっとリンクスの血の味に満ちているんだろう。

 レオンもレオンで、剣を振り抜いてリンクスの足を切り裂いていた。


「そこだっ!」

「ギャ……!(ぎゃっ!)」


 その太刀筋には迷いがない。旅団の中では底辺も底辺、どこまでポンコツなのかと思わされるレオン・トラースも、剣での戦闘においてはなかなかの活躍を見せていた。


「アー……(はー……)」

「ガルゥ……(すごいな、皆……)」


 思わずぽかんとして、戦闘の様子を見守る俺とフェリスだ。その横でクロエが自慢げな表情を見せている。信頼しているのだろう。

 あっという間にリンクスは戦闘力を失った。シグルドが相手していた一匹は喉を切り裂かれ、血を噴き出して絶命している。そのことに慄いたのだろう、残った二匹が大きな声を上げ始めた。


「ニャ、ニャッ!(こいつら、強いぞ!)」

「ニャォォォーゥ!(皆集まれ、ここだ!)」

『あっ……!』


 その言葉の内容は、魔物同士、俺も理解できる。明らかにあいつらは仲間を呼んでいた。すぐさま集団念話に思念を飛ばす。


『あいつら、応援を呼んでいるぞ!』

「やはりか! レオン、喉元を狙え!」

「分かってる!」


 俺の声に即座に反応したのはシグルドだった。すぐに飛び出してリンクスの喉を潰しつつ、レオンにも声をかける。だがその時には既に飛び出して剣を振りかぶっているレオンである。

 結果、二匹のリンクスは続けざまに喉を切り裂かれ、激しく鮮血を噴き出しながら地面に倒れ伏した。


「ギギャ……!(ぐわ……!)」

「ガ……(あぁ……)」


 剣を振り抜き、返り血を浴びた姿勢のままレオンとシグルドが視線を巡らせる。一緒になってブラームとオーケも周囲に目を配った。

 先程にリンクスの一匹が高らかに鳴いたが、それに対してリンクスが返事を返してくる声は、聞こえない。すぐにこの場所にやってくるということはなさそうだ。

 それを確認して、ようやく二人は剣に纏わる血を払う。


「ふぅ……」

「これで何とかなったかな」


 レオンとシグルドが剣を鞘に納めるのを確認して、ようやくカトーも肩の力を抜いた。これでひとまず、戦闘終了ということらしい。


『お疲れ様、皆』

『かっこよかったぜー』


 見ているだけだった俺とフェリスが念話で声をかけると、皆ようやく笑顔を見せる。レオンが服で拭った手で、俺の頭を撫でてきた。ちょっと血なまぐさかったけれど、悪い気分じゃない。


「さあ、先に進むよ。まだまだ歩かなきゃならないんだ」


 リンクスの死体を近くの荒れ地に運んできたブラームの頭を撫でながら、カトーがさっと手を動かす。そうして、俺達はまた放牧先の場所に向かって歩き出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る