第5話 老爺の真意
俺と根木先生の間のやり取りが落ち着いて、話がまとまったところで。
俺はふと、前々から脳内に引っかかっていた疑問があることを思い出した。
カスペル・ハールマンは第六席、この『薄明の旅団』の中枢部に位置する人間だ。問いかければ、あるいはぽろっと零してくれることもあるかもしれない、と期待を胸に抱いて思念を飛ばす。
『なあ、カスペル。すごく今更なことを質問してもいいか?』
『おう、どんどんしておけ。なんだ』
俺の問いかけに、カスペルが先程までと同様、明るい口調で返してきた。
その反応にどこか安堵しながら、俺はかねてからの疑問を口にした。
『ディーデリックは、どうして俺達を元の世界に帰すことについては、協力的なんだ?』
俺が思念を飛ばした瞬間、カスペルの表情が明らかに曇った。それまでの曇り方とは違う、一見して分かる程に険しい表情をしている。
表情を変えた彼の様子に首を傾げていると、カスペルは険しい顔つきのままで俺に視線を向けてきた。
『どうしてそう思った?』
『あのジジイ、俺達の魔物化を解除することについては騙していたけど、俺達を生きて元の世界に帰すことだけは、一貫してそうするって言っていたんだ。
俺達が魔物になっても、生きて帰ること……それに何か、ジジイなりの理由があるんじゃないかって思って』
カスペルの短い問いに、俺は地下室でのやり取りを思い返しながら答えを返した。
ディーデリックは何度も、俺達を元の世界に帰すと話していた。彼ら『薄明の旅団』の旅団員が俺達を魔物に変えている最中にも、俺に言い聞かせている。
だから、それまでに話していた内容にどれだけ嘘が混じっていたとして、その部分だけは真実だろう、と思うのである。
俺のまっすぐな瞳に、カスペルが目を伏せながらふぅとため息をついた。力なく首を左右に振りながら、諦めたように言葉を吐く。
『……そうだな、ここまで話したんだ。お前になら話しても、変なことにはならんだろ。
察しがついている通り、ディーデリック老にはお前たちを元の世界に帰すことに、ある目的がある。それはお前らに限った話じゃない、魔物や生き物を召喚することの理由でもあるし、ヴァグヤバンダにおいて人間の召喚が禁忌になっている、大きな理由にも絡んでくる』
意味深な、カスペルの言葉。俺だけではない、ルイザもきょとんとした表情で首を傾げていた。
確かに、この世界では人間を召喚することが禁忌に当たる。しかし、それが何故かと言うところは、レオンも説明してはくれなかった。
その理由と、ディーデリックの目的が、どう絡んでくるというのだろう。
『どういうことだ?』
『ニラノは、どうして俺達が、異世界から魔物を召喚しようとしているか、考えたことはあるか?』
俺の問いかけに、カスペルが質問で返してくる。そのことに目を見開きながら、俺は思考を走らせた。
ファンタジー小説やゲームにおいて、召喚士が魔物や精霊、神を召喚する理由は明白。戦闘の際に戦力とするためだ。低級の精霊を移動手段や家事を任せるのに召喚するケースもあるが、基本的に手駒が欲しい際、であるだろう。
そのことを言葉を選びながら答えると、カスペルは腕組みしながら大きく頷いた。
『ま、
だが、それだったら人間を召喚しちゃいけないってルールが、不自然だと思わないか? 魔物よりはずっと器用に働いてくれるのに』
彼の言葉に、俺の口がきゅっと結ばれた。
確かに、人間という生き物は殊更に器用だ。頭もいいし、手の指を細かく使うことが出来る。人間と同じように二足歩行をする魔物も色々といるとは思うが、人間を召喚して契約できれば、便利なはずだ。
カスペルの言葉に、レオンと一緒に頷きを返す俺である。
『そう、だな……家事とかさせるなら、人間の方がよっぽど働いてくれるはずだ』
『だろう? だのにどこの国も人間を積極的に喚ぼうとはしない。どこの国も喚んだら厳しく罰せられる。
何故か? 理由は明確。この世界にこれ以上
腕を解いて、肩をすくめるカスペルの言葉に、俺は目を見張った。
これ以上人間を増やさないため。
その発想はなかった、としか言いようがない。人口を減らさないように苦心している国こそあれど、人口が増えないように苦心しているなんて世界が、実際にあるとは。
『ニラノ、レオンから、このヴァグヤバンダについての話は聞かされているか?』
『ああ。荒れ地が広がる、荒れ果てた世界……そこに点在するオアシスに、人間は寄り添って暮らしていると』
『そうだ。アーテジアン平地はどこも荒れ果てて乾燥しているし、食糧事情はお世辞にもいいとは言えない。畑で育つ作物と言ったら岩イモとタチマメくらい。どこの国も、どの立場の人間も、日々の飢えをしのぐので精一杯だ。
そこに、別の世界から新たに人間を喚んでみろ。そいつらに食わせるものをどこから用意する?』
厳しい表情を作り、語り掛けてくるカスペルの言葉には、旅団の台所を預かる人間としての重みと共に、満足に食べさせられない悔しさがにじんでいる。
スキルがあるし、働き手もいるのに、料理する材料が無くて仲間に食べさせられない。何しろ、岩イモの剥いた皮すら食材として利用している有様なのだ。料理人として、悔しく思うのも無理はない。
しかし、食料が足りないというのなら、魔物をこれだけ召喚するのはどうなのだろう。その魔物にも食わせるのなら、本末転倒な気がする。
『なら、魔物を召喚するのだって同じじゃないのか?』
『ところがそれが大きく違うんだな。魔物ってのは人間よりも、食える物の幅が格段に広い。飯の問題を解決しやすいから、悩むことが少ないんだ。
俺は魔物連中にも美味いもんを食ってほしいし、うちのアピール材料にもなるから、同じ飯を食わせているけどな』
カスペル曰く、この旅団のように主人と使い魔が同じテーブルについて、同じ食事をするというのは、王国内でも一般的ではないそうで、基本的には使い魔には魔物の肉や骨をそのまま与えたり、荒れ地にたくさん生えるイナクサという植物を与えたりするのだそうだ。
使い魔の魔物にも人間と同じ食事を食べさせているのは、魔物にも美味しいものを食べてほしいからというのの他に、他の旅団に向けての示威行為も兼ねているらしい。『俺達は魔物にも芋と豆を食わせられるくらいに食料が潤沢だぞ』ということをアピールしているのだそうだ。
そういえば、レオンがこの旅団は、『東側諸国での魔術師旅団では最大規模』と話していたか。対外的に見ても、力のある旅団なのだろう。
鼻息をふーっと吐き出しながら、カスペルが後方に身体を傾けた。ベッドの上に両手をついて、天井を見つめながら口を開く。
『人間を召喚しちまった時、大概は今回みたく魔物に変えて人格封印を施すんだが……その大きな理由に、この食い物の問題があるんだよ。
人間の人格が残っていたら、魔物にしか食えないものを食うことに躊躇するかもしれねぇ。戦場に出た時に、食えなくなっちまうのも困るしな』
カスペルの話に、俺は心の中で頷いた。人間の人格が残っている状態で動物の食べるものを差し出されて、気持ちよく食べられるはずがない。
彼の言葉に、レオンも頷きながら口を開いた。
『諸外国と敵対して小競り合いが続いているのも、基本的には食糧問題解決の為なんだ。
国民を食わせるためには食い物がいる。その食い物を自国で作るのにも限界がある。ならどうするか、他国と融通し合うか、奪えばいい、って理屈でな』
レオンが話した内容を受けて、俺は小さく唸った。
食い物を巡っての戦争とは、なんとも低次元な争いだが、ここは地球ではなくヴァグヤバンダ。環境が大きく異なる以上、争いの火種だって違って当然だ。
しかし、そうなると俺達が『薄明の旅団』構成員の使い魔として、戦場に駆り出されるのではと言う懸念が、ますます現実味を帯びてくる。
『戦力ってのは、そういうことか……逆に、こう、口減らしみたいな感じで、国内の人間を減らしたりも、あるんだろ?』
『勘が鋭いじゃねぇか。ルイザ、ニラノは昔からこんなに聡かったのか?』
『いいえ……クラスの中でも、特筆して目立つことの無い子でした』
くい、と口角を持ち上げて頷いたカスペルが、傍らの根木先生に視線を向けた。
根木先生の言うとおり、俺は3年C組の中で特に目立つことの無い、ごくごく普通の真面目な生徒だった。
素行が悪いわけではない、しかし成績も優れているわけではない、集団に埋没するような、そんな生徒だった俺が『人格と記憶を消されない』というアイデンティティを確立するとは、皮肉なものである。
と、カスペルが俺に向かって右手を突き出してきた。三本、指を立てながら話を続ける。
『ディーデリック老が話していた、魔物化、封印、斬首延命の刑罰があるだろ?
生きることも死ぬことも許されないこれらの刑は、いずれも人間として食う必要のないように、と下されるものだ。犯罪者にメシを食わせるくらいなら、食う必要のない身体にしてやれ、ってな』
『あの刑罰に……そんな理由があったのですか』
カスペルの説明に、根木先生が思わず口元を押さえた。
生きることも死ぬこともない、食べる必要のない状態にする刑罰。惨いものだと思ったものだが、なるほど、確かに犯罪者にまで貴重な食料を分け与える理由は無い。死刑が軽いと言われるのも納得だ。
驚く根木先生にこくりと頷きながら、カスペルの瞳が一層真剣さを帯びた。
『そう。全てはデ・フェール王国の民が飢えることの無いように、という一点に尽きる。だがディーデリック老は、他の連中とは違う、あることを考えた』
その言葉に、俺達三人ともが、ごくりと生唾を飲み込む。
いくらかの沈黙ののちに、カスペルが重々しく口を開いた。
『この世界で食えるものに限界があるのなら、
その、信じがたい内容に、全員の目が見開かれた。レオンに至っては椅子を蹴倒して立ち上がっている。廊下に音が響いていないだろうか、内緒話なだけに、そこが心配だ。
『カスペル……まさか、ここのところやたらと大規模召喚の儀式を行っていたのは、それが理由なのか!?』
『俺が話したってバラすなよ? 席次持ちの間でもこれを知ってるやつは一握りなんだからな』
レオンの叫ぶような思念に、カスペルの片目が鬱陶しそうに瞑られる。
しかし叫びたくなる気持ちもよく分かる。現に俺も、彼に掴みかからんばかりの勢いで思念を飛ばしていた。
『そんな機密事項を……念話とは言え、なんで今、ここでバラしたんだよ!?』
『バラすにきまってんだろ。ディーデリック老はとうとう見つけちまったんだぞ』
レオンから俺へと視線を映して、その表情を殊更に苦々しそうに歪めて。
カスペルの思考が俺へと流れ込んでくる。その悔しそうな、後悔するような感情と共に。
『何を――』
『
なおも問い返す俺に、彼はびしりと指を突き付けた。
俺の、根木先生の生きていた世界。飢えに苦しむ子供がいないことはないものの、ヴァグヤバンダよりも何倍も食料が豊富で、平和な世界。
地球出身、日本人の俺と根木先生の瞳が、揃って大きく見開かれた。
『あ……そうか!』
『そうです、私達が暮らしていた世界は、逆に食料が余って問題になる国がある程の世界です!』
『そんな……そんな世界から、君達は召喚されたというのか!?』
二人の言葉に、レオンがますます信じられないといった表情をした。
彼からすれば信じられないだろう、食料が足りないどころか余っていて、毎日毎日廃棄食品が大量に出て問題になっている、日本と言う国は。
驚きを露わにする俺達三人に、カスペルが一層真剣な表情をして声を飛ばしてくる。
『お前らがこの城の地下室に召喚されてきた時、俺は目を見張ったもんさ。
十五か十六かの子供だっていうのに、明らかに血色がいい。背丈もでかい。肥えてるやつもいる。それが四十人。一人も飢えている様子がない。
ディーデリック老も当然それに気付いていた。だからお前らを元の世界に帰すことに前向きなんだ』
『ってことは、あのジジイの目的は……!』
いよいよ、ディーデリック・ファン・エンゲルという老人の、真意が見えた気がして。声を上げる俺に、しっかりと彼は頷いた。
『そう、
略奪。征服。
その穏やかでない言葉に、思わず俺は根木先生と顔を見合わせた。
こんな飢えが支配するような世界から、日本に繋がる道が開かれたら。そこから俺達みたいな魔物が、支配する人間と共に向かったら。
間違いない。大騒ぎどころか悲惨なことになるに決まっている。
『そんなこと……そんなこと、させてたまるか!』
『だろ? ディーデリック老の手がお前らの世界に伸びたら、間違いなくお前らの世界は滅茶苦茶にされちまう』
真剣な眼差しで歯を食いしばる俺に、カスペルが腕を組みながら眉を寄せつつ答える。隣で根木先生も硬い表情で頷いた。
俺達が地球に帰ることをした上で、ディーデリックやそれに同調する団員を地球に来させない。難しい問題だが、やらねば日本が根こそぎ食料を奪われかねない。
俺も、レオンも、根木先生も、揃って覚悟を決めた。カスペルは既に決めていることだろう、こんな話を俺達に聞かせるのだから。
と、そこで根木先生が、自分の主人へと不思議そうな目を向けた。
『分かりました、これは重大な問題です……しかしカスペル様、どうしてそこまで、韮野君に協力的なのですか?』
『ん? そうだな……』
自分の使い魔からの疑問の声に、カスペルの肩の力が幾分か抜けた。ほんのりと和らいだ空気の中、クロヒョウの
『俺は魔術師であると同時に、一人の料理人だ。身の周りの奴らの飢えを和らげ、舌を楽しませるのが仕事だ。
だからお前らの世界……人が飢えず、食い物に困ることの無い世界ってのに、純粋に興味がある。なんならお前らを帰すついでに、一緒に行ってみたい。
お前らの世界の食い物で、俺達の世界の食糧問題を解決できるかもしれんからな、食い潰すなんて勿体ないだろ?』
その言葉に、俺もレオンも、いつの間にか笑みを浮かべていた。
この席次持ちの男は、こんな荒廃した世界に生まれ育っても、どこまでも料理が好きで、他人が料理を食べて美味しいと感じることが好きなのだ。
その欲求を満たせるのなら、自分の上司にも反目する。なかなかどうして、男気に溢れた人間だ。
『カスペル……』
『やれやれ……席次持ちの中でも穏健派だとは聞いていたが、ここまでとはな』
『なんだよ、心外だな。俺が強硬派だとでも思っていたのか?』
レオンの苦笑交じりの言葉に、反応したカスペルが肘で小突いた。
どうやら俺は根木先生を助けるのと一緒に、随分頼りになる男の協力を、得られるところまで来ていたようだった。
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