第6話 事務方の城主

 話が済むと、カスペルは腰掛けていたベッドからゆっくり立ち上がった。

 傍で立っていたルイザの肩を優しく叩くと、彼女もこくりと頷きを返す。


「さて、だいたいの話はこんなところだな。そろそろ行くぞ、ルイザ」

「はい、カスペル様」


 用は済んだ、という様子のカスペルに、レオンが深々と頭を下げる。それに合わせて俺も、彼に向かってぺこりと頭を下げた。

 実際、カスペルが部屋まで来てくれたことで、色々なことが分かった。早々に味方を得られたことも有り難い。


「カスペル……ありがとう、助かった」

「なーに、いいってことよ。ルイザの封印が解けたおかげで、料理のレパートリーも増やせそうだしな」


 頭を下げたレオンの後頭部を、カスペルの黒く大きな手がぽんぽんと叩いた。

 そのやりとりにどこか微笑ましいものを感じながら、俺もカスペルへと念話を飛ばした。


『ありがとうカスペル、頼りにしている』

『おう、途中で殺されたりすんなよ、ニラノ』


 そう返してくると、彼が俺に向かってにっこりと笑いかけてくる。隣でルイザも、うっすらと微笑みを浮かべていた。

 そのまま二人の背中を見送り、カスペルの手がドアノブにかかった時。不意にカスペルがこちらを振り返った。


「ああそうだ、レオン」

「なんだ?」


 カスペルに呼びかけられて、レオンが不思議そうに首を傾げる。

 その表情を見て彼は小さく笑みを零しながら、親指を立ててくい、とドアの向こうを指した。


「お前とニラノの味方はお前自身の手で探せ、と言いたいところではあるがな。俺から一つアドバイスだ。

 小太陽が沈む頃にルーペルトの部屋を訪ねろ。あいつなら助けになってくれるだろう」


 ドアを指さしたまま、カスペルがくいと顎をしゃくる。その視線が向けられるのは、カーテンのかかった窓の外だ。

 そこでは大小二つの太陽が空を明るく照らしている。小太陽が沈む頃、となると、あと幾らか後の時間。夕食は陽が沈み切ってから行うということだから、その前か。


「分かった、ありがとう」

「おう、じゃあな」

「それでは、レオン様、韮野君、失礼します」


 レオンが礼を言うと、それに短く答えて今度こそカスペルは扉を開けた。その後をルイザも付いていく。

 ぱたん、と扉が閉められると、何かを考えこむような表情になったレオンが腕を組んだ。


『そうか……確かに、ルーペルトに話を持ち掛けるのが一番手っ取り早いか』

『ルーペルトって?』


 カスペルが話し、レオンも口にした、ルーペルトという名前に、俺は首を傾げる。

 誰だったか、聞き覚えがあるような、無いような。

 念話を飛ばしてくる俺に、レオンは右手の指を小指だけ折り曲げた。その手のひらを俺に向けて見せながら、思念を飛ばしてくる。


『『薄明の旅団』第九席、ルーペルト・デ・ラウテル。この旅団の名簿を管理する人間だ。事務や雑務の責任者、というところだな。

 話も分かるし、いいやつだ……言動はちょっと、いや結構、変わっているけれど』

『変人なのか?』


 レオンの言葉に、さらに首を傾げる俺だ。

 いい奴だと言われるくらいにはいい奴なんだろうが、レオンがそう言うほどに、そんなに変な喋り方をするやつなのだろうか。


『そういうことになる、だろうな。やたらとこう、芝居がかった口調で話すんだ』

『あぁ……そういえば、さっき昼飯を食ってた時も、そんな奴がいたっけ』


 彼の話した言葉に、俺はようやくルーペルトの名前を聞いた時を思い出した。

 さっきの昼食時、アンシェリークという少女から肉をかっさらっていった、あの長耳人種ロンガーマンの青年だ。

 大きな耳をぴくりと震わせる俺に、そっと近寄ってきたレオンが手を伸ばす。そのまま俺の頭を撫でながら、彼は笑った。


『まぁ、会ってみればわかるさ。さっきも言ったが、悪い奴じゃない』




 時間は三時間ほど経って、大太陽が沈んで空がいくらか暗くなった頃。

 俺は例によってレオンの肩に乗りながら、城の廊下をレオンと歩いていた。目的地は勿論、ルーペルトの自室だ。話によれば彼の執務室も兼ねているらしい。


『しかし、なんでそいつが力になってくれるって、カスペルは断言したんだ?』


 「9」の文字が扉に掲げられた部屋が近づいてくる中、俺がレオンへと思念を飛ばすと、彼はにこやかな笑みを返してきた。


『簡単なことだよ。この旅団に誰がいて、どいつがどういう立場にいるのか、ルーペルトは全部把握している。

 頼めば名簿の写しも分けてくれるだろう。誰が味方にいるのか、ニラノも分かった方がいいだろう?』

『なるほど、そういうことか……』


 言われて俺は深く納得した。確かに、団員の一覧が見れるならその方が何倍も、味方を探しやすい。

 それに誰が味方で、誰が敵なのか、紙の名簿があれば書き込んで管理することも出来る。なんなら、誰にどの使い魔が付いているか、も見ることが出来るだろう。

 俺に言葉をかけながら、レオンが「9」の扉を叩くと。中から青年の声が返ってきた。


「ああ、そこで戸を叩く君は一体何者なんだい?」

「レオン・トラースだ。ルーペルト、入ってもいいかい?」

「勿論だともトラース、招かれし客人よ。扉を開け放って入るといい」


 返ってきた声の告げる内容に、思わず目を剥いた俺だ。隣でレオンがくすくすと笑っている。

 なるほど、これは随分と、わざとらしいと言うか、大仰と言うか。少なくとも凡人ではない。


『な?』

『確かにこれは……変な奴だ』


 俺が念話で短く零すと、レオンの手がドアノブを捻る。ゆっくり扉を手前に引くと、インクのにおいが鼻を突いた。

 事務の執務室を兼ねている、との言葉通り、部屋の中も執務机の上も書類の山。その山からひょっこり顔を出すようにして、大きな垂れ目をした銀色の髪を持つ長耳人種ロンガーマンの青年が、こちらを見ていた。


「邪魔するよ」

「ようこそ我が居城へ、レオン・トラース。何用だい?」


 銀髪の青年――ルーペルト・デ・ラウテルが、不敵な笑みを浮かべながらレオンと、肩に乗った俺を見た。

 それに答えるようにレオンの指が、言葉と共に一本一本折り曲げられていく。どうやら、この世界では指で数を数える時にそうやって折り曲げていくらしい。


「旅団の最新版の名簿が欲しいんだ。必要な情報は名前、性別、種族、席次、保有する使い魔の一覧。

 皆に使い魔がどっと増えただろう、把握しておきたくて」

「なるほどなるほど。無席次の者にしては殊勝しゅしょうな心掛けだ、トラース。今写しを作るから、そこで待っていてくれたまえ」


 不敵な笑みを一層深めながら、ルーペルトが頷いた。そのまま手元にある大きな石板のようなものに、トントンと指を押し付けていく。

 石板を軽快に叩くルーペルトの動作に怪訝けげんな顔を作りながら、俺はレオンへと声をかけた。


『この旅団の名簿って、どうやって管理しているんだ?』

『ベースとなる情報は、ルーペルトの机にある魔法石版に入っている。そこから必要な項目を抜き出して、印字魔法でイナクサの紙に印刷するんだ』


 レオンによると、あの机の上に据えられた石板は魔法の力で動くコンピューターのようなものらしく、情報を保存・管理したり紙に情報を印字したりすることに使われるらしい。

 結構高価で、扱いが難しい代物だそうで、主席のディーデリックですらも魔法石板を自室に導入することはしていないのだそうだ。

 と、石板を叩いていたルーペルトの手が留まった。手元に落ちていた視線が、レオンの方に向けられる。


「ああトラース、忘れるところだった。お前が来なければ、私が行くところだった」

「なんだ?」


 相も変わらず芝居がかった迂遠な物言いに、レオンが首を傾げていると。

 ルーペルトの細く長い指先が、レオンの肩に乗る俺へと向けられた。


「それだ。その肩に乗せているシトリンカーバンクル。それの名前を教えておくれ。使い魔名簿に登録する」


 その言葉に、レオンも俺も目を見開いた。

 そういえばレオンは、俺を使い魔として扱っていると話してはいたものの、名前を教えたのは今日になってから。その間に「ニラノ」の名前を伝えた相手と言えばカスペルくらいなものだ。

 ルーペルトに伝わっていないのなら、名簿に登録されていないのも無理はない。

 と、そこでレオンから思念が伝わってきた。


『どうする? ニラノ』

『どうするって……何をだ?』


 いまいち意図の伝わらない問いかけに、おうむ返しになってしまう俺だ。

 俺には「ニラノ」というれっきとした名前があるし、レオンもカスペルも、なんならルイザも普通にそう呼んでいたのに、その上で何をどうするというのだ。

 しかし、レオンはちら、と俺に視線を向けつつ目を細めた。


『ニラノの使い魔としての・・・・・・・名前だよ。今まで特に何の違和感もなくニラノと呼んでいたが、名簿に登録したらディーデリック老の目にも留まる。

 その時、ニラノの名前がそのままだったら、ニラノの人格がそのまま残っていることがバレるだろう』

『そうか……うーん』


 レオンの言葉に、俺は唸るしかなかった。

 確かに、俺が人間の頃からニラノという名前なのは、ディーデリックだって知っている。なにせ彼の目の前で名乗ったのだから。

 肉体喪失魔法をかけられ魔石となって、シトリンカーバンクルの身体に埋め込まれ、その身体と同化した今も、俺は韮野泰生のままではあるが、そこまでしたのに未だ人格が生きているのか、とディーデリックに知られるのも、確かにあまりよろしくない、ことのような気がする。

 悩んでいると、なかなか名前を告げない様子を不審がったらしいルーペルトが、眉根を寄せつつ口を開いた。


「なんだ? まさか使い魔契約を結んだのに、まだ名前を授けていないのか?」

「あ、あぁ、実はそうなんだ……なかなか、いい名前が思い浮かばなくて」


 冷や汗をかきつつレオンが言葉を返すと、ルーペルトは大仰に肩をすくめて頭を振った。

 この青年、口調もそうだが身振りもいちいちわざとらしい。


「いかんなぁ、それはいかんぞレオン・トラース。お前も困るだろうが私も困る。それより何よりそいつが困る。

 契約が宙ぶらりんになってしまう前に、ここで名前を決めるんだ。さあさあ」

「えぇっ……」


 急かすルーペルトに、困惑の声を漏らすレオンだ。

 いよいよもって進退窮まった様子のレオンが、縋るように俺を見てくる。自分が主人なんだからそんな目つきで見ないでほしい。


『ということなんだが、どうしようニラノ』

『どうしようったって……俺は正直、ニラノのままでもいいんだけど。どの道俺の存在は、ジジイには伝わっているだろ?』


 諦めたように話す俺だが、それに対しレオンは小さく首を振った。


『君というシトリンカーバンクルに、ニラノの魔石が埋め込まれていることまでは、な。だがディーデリック老の中では、使い魔契約を俺と君の間で改めて・・・結んでいることになっているはずだ。

 契約を結んだ、という体で通すには、別の名前が無いと後々きっと困る』

『そうか……うーん』


 改めて説明するレオンに、俺は困惑の表情を浮かべた。

 「ニラノ」の名前で大っぴらに登録したら、ディーデリック含む強硬派の団員に何を言われるか分かったものではない。それは確かにそうだ。カスペルだって根木先生に「ルイザ」という新しい名前を与え、根木先生の人格の封印が解かれてもその名前で呼んでいるのだから。

 しかし、改めて自分の名前を考えろ、と言われても、困るというか、出てこないというか。

 しばしの間唸って、俺は呟くようにレオンに声をかけた。


『ニル……ニルとかどうだ。ニラノを縮めて』

『ニル、か。いいんじゃないか』


 ニル。ニラノを縮めて、ニル。我ながら安直だと思うが、あんまり気取った名前を考えるのもこそばゆい。このくらいがいいだろう。

 俺とレオンの間で同意が取れたところで、レオンが執務机に座ったままこちらを見ているルーペルトを見つめ返した。


「ルーペルト。この子の名前は『ニル』で登録してくれ」

「ニル。なるほどなるほど、愛らしい響きじゃないか。それでいこう」


 レオンの言葉に笑みを返しながら、ルーペルトの指が再び魔法石板を叩き始めた。俺の名前を名簿に入力しているのだろう。

 そして程なくしてから、ルーペルトが背後の棚から一枚の紙を取り出した。ほんのり青みがかった色をしたそれを魔法石板に乗せると、表面に指を押し当てて鋭く告げる。


『リヤンナ! 書き記せ!』


 と、ルーペルトの指を起点に、紙の上を光が走った。光が収まるとそこには、表計算ソフトで作った表のように文字が記されている。印刷されたその『名簿』を、彼はひらりとレオンに差し出した。


「ほら、ご所望の名簿がここにある。持っていくのは構わないが、悪用はしないでくれたまえよ?」

「分かっているよ、ありがとう」


 名簿の印刷された紙を受け取り、ちらと目を走らせたレオンが頷いた。

 記された情報が限定されているとはいえ、個人情報であることには変わりがない。

 俺がレオンの肩の上から、彼の手の中の名簿を覗き込んでいると、前方からルーペルトが声をかけてきた。


「ところでトラース」

「なんだ? まだ何か、登録情報に抜けがあったか?」


 レオンが名簿から顔を上げると、ルーペルトの大きな紫水晶の瞳がまっすぐこちらを見ている。その目をすっと細めながら、彼は指先をくるくると回した。


「別にお前がそいつをどう呼ぶかは自由だが、名前を『ニル』で登録したからには『ニル』と呼んでやれよ?

 登録した名前を使わないと、使い魔が服従してくれないからな」


 その言葉に、俺もレオンも小さく目を見開いた。

 地球でペットを飼う時にもよくある話だ、つけた名前をその通りに呼ばないと、覚えないで服従しないということは。

 そういうところは異世界でも同じなんだろうが、こちらは契約というものが絡んでくる。つけた名前を呼ぶ、ということは大きな意味があるのだろう。

 そして、この発言は俺が、レオンの使い魔だと認識されていることに他ならない。

 かくしてレオンは、しっかりと、大きく頷きを返した。


「……分かっているよ」

「ならいい。さあ、用が終わったら君の時間は終わりだ。用が出来たら、また来たまえよ」


 満足な答えを得たらしいルーペルトが、しっしっと手で払うようにして俺達に退出を促す。

 確かに、もう用事は済んだ。あまり彼の時間を使ってしまうのもよく無い。何よりもうそろそろ、夕食の頃合いだ。

 俺達は素直にルーペルトの執務室を後にして、自室に戻るべく廊下を歩いていくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る