第1章 異世界

第1話 ヴァグヤバンダ

 意思疎通を行う手段を会得したところで。

 俺はベッドの上に座るレオンの膝の上で丸まりながら、この世界――ヴァグヤバンダについての話を聞いていた。

 何しろ、いきなり召喚されて、右も左も分からないままなのだ。この世界の常識とか、知らないと困ることは今のうちに聞いておきたい。質問攻めにするのは少し申し訳ないが、分からないままにしておくよりはいい筈だ。


『とりあえず、魔物がいて、魔法があって、ってところまでは分かるけれど、そもそもどんな世界なんだ?』


 膝の上から念話で問いかける俺に、レオンは優しく俺を撫でながら語り掛けてきた。


「ヴァグヤバンダは、二つの太陽と二つの太陰が空に浮かぶ、荒野の広がる世界だ。大陸は急峻な山脈で囲まれていて、外海に繋がる港はごく僅か。人々は乾燥したアーテジアン平地の上で、点在するオアシスや内海に寄り添うようにして暮らしている」


 レオン曰く、アーテジアン平地は荒れ地ではあるがしっかり人の営みがあるとのことで、他に人間が住んでいる土地は無い、もしくは確認されていないとのこと。外海に繋がる港も近海で魚を捕るためだけに使われており、外海に渡って行こうという船は例外なく平地の港に帰ってこないのだそうだ。

 そして人々は水源に寄り添うように町を作り、塀を作って暮らしている。四季らしい四季は無く、常に雨が少なく乾燥した気候をしているらしい。


『山に囲まれて、内部は乾燥している……盆地みたいになっているのか』

「ボンチの具体的な構造を俺は知らないが、きっとそう言うことなんだろう。雨もあまり降る地域ではないが、地下から湧き出るオアシスの水は豊富だ」


 そう話すレオンが、俺を見下ろしながらにっこりと笑った。

 オアシスも内海もいずれも地下からの湧き水で、有害な物質を含んでいない綺麗な水だとのこと。市民はこれを布製のフィルターを通して汲み上げ、そうして生活用水に使っているんだそうだ。今いるこの城には、魔法で動く水生成器も取り付けられているらしい。

 「生水をそのまま飲むな!」と言われて育った俺なので少しだけ不安がよぎるが、この身体は元々こちらの世界に住まう魔物の身体だし、大丈夫だろう、きっと。

 キュ、と小さく鳴き声を零しながら、俺が再び問いかけの文言を思考する。


『今俺達がいるここも、そういうオアシスの傍にあるのか?』

「ああ。大陸南東部、デ・フェール王国の北部にあるオアシス・オーサの傍に、俺達『薄明の旅団』の城があるんだ。ここで俺達は共同生活をしながら、世界各地で傭兵や魔術指南の仕事をして暮らしている」


 デ・フェール王国。オアシス・オーサ。授業でも聞いたことの無い、聞き慣れない地名に目を見張りながら、俺はレオンの話に耳を傾けた。

 この世界には『薄明の旅団』と同様に戦士や魔術師、治癒師や職人など、特定の才能を持つ人間が集まって作る『旅団』というものがいくつもあり、それらがそれぞれの国や都市に城を持って共同生活しながら、世界各国に赴いて仕事をするのだそうだ。

 いわゆる、ファンタジー小説なんかで出てくるギルドと同じ類のものなんだろう。

 話を聞けば聞くほど、ここが地球ではなく、異世界なんだと思い知らされて仕方がない。思わず俺の耳がへにゃっと伏せられた。


『分かってはいたけど、やっぱり異世界だな……どんな国なんだ? デ・フェールって』

「女王ピエトロネラを戴く、広大な国土を持つ王国だ。人口は三百万人程度だったかな。

 東側諸国の盟主的な立場にある国で、大きなオアシスが国土内にいくつもある。オアシス・オーサもその一つ……このオアシスの北には、デ・フェールを始め周辺諸国と敵対関係にあるアシェル帝国があるんだ」


 レオンの説明に、俺は少し驚いた。大きな国だという割には、人口がそこまで多くない……いや、地球にある国々の人口が多いだけかもしれないが、国全体の人口三百万人とか、地球だったらかなり順位が下の方だ。

 そこについて問いかけると、過酷な環境の為か世界全体で平均寿命がそこまで長くなく(ディーデリックのような年齢まで生きることは稀らしい)、魔物に殺されたりすることも多いため、なかなか長生きできないんだそうだ。

 しかし、魔物の脅威もそうだが、レオンは一つ気になることを言った。北にあるアシェル帝国と、敵対関係にあるという。


『敵対関係? 戦争しているってことか?』

「そこまで大っぴらに攻め込んだり、攻め込まれたりしているわけではないけれどもね。外交戦の真っ最中ってところさ。だが、そう安穏としてはいられない……オーサはアシェルにも近いしな」


 顔を見上げながら不安がって目を細める俺に、小さく息を吐きながら苦笑するレオンだ。

 経済戦争、外交戦争というやつか。直接ドンパチやっているわけじゃないにせよ、穏やかな話ではない。

 視線をまっすぐに戻して、少し頭の中で情報を整理すると、俺はもう一度レオンの顔を見上げる。


『傭兵や魔術指南の仕事……ってことは、国外に出たりもするのか? その、敵国に攻め込んだりとか?』

「ああ。俺みたいに無席次だと、なかなか国外の仕事は割り当てられないけどな。

 ただ今回の一件で、第五席のクンラートが除籍になるから……そこの枠に他の誰かが入るだろう。席次持ちの奴が持ち上がりになるかもしれないし、無席次から選ばれるかもしれない。そうしたらそいつは大手を振って、国外に仕事に行ける。アシェル帝国に攻め込みたがっている連中からしたらチャンスだろうな」


 レオンによると、この旅団で席次を貰うということは、それだけ名誉なことなんだそうだ。自分には優れた力があり、それを行使するだけの才能があることの、何よりの証左となるらしい。

 席次は主席のディーデリック、第二席から第九席、第十席から第二十席で分けられていて、その分けられている中で権力の差異はないとのこと。事実、ディーデリックの右腕を務めるのは、第八席のヨーランなんだそうだ。

 そして先に名前の挙がった第五席のクンラートが、今回俺達をまとめて地球から召喚してしまい、ディーデリックに叱責されていたあの男だそうで。除籍になるとは随分だ。きっと秘密裏に何らかの刑罰が下されるんだろう。怖い。

 それにしても、あちらこちらに行ってそこで仕事をするとは、異世界の仕事も世知辛いものである。


『ここの旅団の構成員は、魔法専門の派遣社員みたいなもんか……そのトップに立つのが、あのジジイってことか?』

「そう、主席のディーデリック老だ。彼を代表者として、第二席のアンシェリーク、第三席のグスタフ、第四席のラーシュ……一桁の席次を持つ者八名がその周囲を固め、旅団を運営している」


 俺の言葉に頷いたレオンが、指を折りながら説明を続けた。

 第二席から第九席は城に留まることが多く、第十席から第二十席は逆に国内外に出て仕事に当たることが多いという。第十席のドナは城に留まることが稀なほどに世界のあちこちを飛び回って、各国で英雄視されているのだそうだ。

 その後も俺はレオンから、無席次の仲間たちの話をいろいろと聞かされた。一緒に入団した少女の話や、同じ無席次だが高い実力を持ち、席次持ちを期待されている先輩の話を聞いているうちに、俺は気が付いた。

 随分と、話に出てくる人数が多い。


『俺達四十人と先生が、旅団のやつらに一人ずつ付いているんだよな……もしかして、結構大規模な組織なのか?』

「東側諸国の魔術師旅団では最大規模だな。大体八十人くらいが所属している。その中で席次持ちが二十人。

 これまでも使い魔はだいぶ潤沢だったが、それでも無席次の者にはなかなか使い魔が支給されない……今回の召喚事故でようやく、俺達にも使い魔が付いたような感じだ」


 そう言って話すレオンは、どことなく嬉しそうだ。経緯こそあれだが、自分にも使い魔がやって来たことは喜ばしいことなんだろう。

 そうして笑うレオンの表情に、俺も何となく嬉しい気持ちになる、が。

 浮かべた笑みを一瞬で消して、俺は首を捻った。


『……ん? ってことは?』

「そう、ニラノは俺の使い魔、ということになる。表向きはね。そうでもないと、ニラノが安全に行動できないから仕方がないんだ。だからその首に、首輪をつけさせてもらっている」

『あ、これか?』


 そう言いながら、俺は自分の首に巻かれた革製の首輪を前脚で触った。

 首元に宝石のような硬いものが付いている首輪だ。しっかり首に巻かれているが、息苦しかったり邪魔に感じたりはしない。レオン曰くクラスメイトの皆がつけられている仮面と同じ役割をするもので、成長すると自分の身体に合わせて勝手に伸びるのだとか。

 こうして首輪を巻かれた小動物の姿でいると、本当にレオンのペットになったかのような気がするが、話した感じレオンは嫌な奴ではないし、仮面をつけるよりは邪魔にならなくていい。


『ふーん、まぁ、俺がレオンの使い魔であることはいいとして。で、俺のクラスメイト達が付いているのは、無席次のやつらが多いってことか?』

「いや、どうかな。使い魔はいればいるほど困らないし、席次持ちの者は全員一人確保しているだろう。無席次の者にもある程度行き渡っているとは思うけれど……早い者勝ちな状況だったから」


 使い魔になることを気にしないままに問いを投げる俺に、レオンが小さく目を見開く。次いで問いかけに答えながら、小さく首を傾げた。

 曰く、今回の召喚の儀式にあたって国外で活動している第十席から第二十席までも呼び戻していたそうで、そうしたらあの召喚事故が起こって、という顛末だったらしい。

 全ての席次持ちが同席する中での大失態とあれば、クンラートが失脚するのもある意味当然だ。

 その後の流れは、知っての通り。それだけ力のある魔術師や戦士が集まっていたのなら、俺達が抵抗する間もなく魔物に変えられ契約まで持っていかれたのも、分かる気がする。

 俺をすぐさまに抑え込んで身動きを取れないように封じ込めたレオンが、入団してさほど時間の立っていない一般の団員だったということも、話を聞いた時は正直言って驚きだった。

 一つ納得したところで、俺はすぐさま次の質問を投げかけた。


『なるほど……そういえば魔物がいるとは知っているけど、やっぱり人間と敵対しているのか?』

「ああ、基本的に魔物は人間と敵対し、人間の生活を脅かすものだ。町や村が塀によって囲まれているのもそれが理由……そうしないと、魔物に侵入されてしまうからな」


 真剣な眼差しでレオンが頷く。やはりそこはイメージ通り、魔物という生き物は人間と敵対するものであるらしい。

 レオン達『薄明の旅団』の団員の仕事も基本的には魔物退治が中心で、一部の事務能力や指導能力に秀でたものが、文官というか、そういう仕事に就くことになっているとのこと。

 そして魔物の侵入を防ぐために、この世界の町や村は例外なく石製の塀と堀で囲まれており、防備を固めているのだという。


『それなら、俺みたいな魔物が町の中にいるのは、その殆どが使い魔ってことか』

「そうなる。そうでなければ大きな騒ぎになるからな」


 俺の言葉にもう一度レオンは頷いた。

 魔物が生活圏の中に侵入しないように手を尽くしているのであれば、生活圏に存在する魔物は全て人間の支配下にある、というわけだ。

 魔術師にとって使い魔は相棒であり、同居人であり、召使いであるとのこと。家事の一切を使い魔に頼りきりの魔術師なんてのも、レオン曰く珍しいものではないのだそうだ。俺達も、元が人間ということもあって、そういう役目を負わされる可能性は高い、とレオンは言う。

 しかし、家事か。俺のこんな小さな身体で、家事も何もやりようがないと思うんだけれど。


『ふーん……じゃあ――』


 次の問いかけをしようとしたところで。

 城の中にゴーン、ゴーンという鐘の音が鳴り響いた。俺の大きな耳が音を拾ってぴくり、と震える。


『ん?』

「おっと、昼飯の時間だ。食堂に行こう、ついておいで」


 俺をベッドの上に下ろして立ち上がったレオンが、微笑みながら手招きする。

 どうやら食事ついでに、城の中を見せようというつもりのようで。

 意図を汲んだ俺は差し出されたレオンの手の上によじ登り、腕を登り、肩までたどり着いてそこに腰を落ち着けた。何となく憧れだったのだ、肩に小動物を乗せたシチュエーション。小動物の側になるとは思っていなかったけれど。

 ともあれ、苦笑したレオンが歩き出してドアノブをひねる。木製のドアの向こうには、カーペットが敷かれた城の廊下が広がっていた。

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