第0話・3 主人

「ン……」


 俺達、陽明館中学校三年C組の全員が異世界ヴァグヤバンダに召喚され、魔物に変えられてから、どれくらいの時間が経っただろうか。

 意識を取り戻した俺がうっすらと目を開けると、そこは召喚された際にいた巨大な部屋ではない、小ぢんまりとした、誰かの居住スペースのようだった。

 覚醒すると同時に、俺が今置かれている状況も頭に入ってくる。つるを編んだような籠の中で、柔らかい布を下に敷いて眠っていたらしい。

 視界の下の方に小さく湿った鼻先が見えるということは、魔物か動物であることに変わりはないのだろう。少し落胆する。起き上がろうとした俺が足元に目をやると、そこにあるのは随分小さな手で、指も小さく短い。まるで子犬か子猫の手のようだ。

 だが、程なくしてそれ以上の衝撃が俺を襲うことになる。


「ク、キュ……」


 ここは、と言おうとして俺の口から飛び出したのは、か弱く高い、小動物の鳴き声だ。

 まさか、しゃべれないのか。

 驚愕とショックで停止していると、視界の左側、テーブルがある方で人が動く気配を感じた。


「ああ、起きたか、よかった……どうだ、調子の方は。どこも悪くないか?」


 椅子から立ち上がって、俺のいる籠の方に近づいてきたのは、短い茶髪に翡翠色ひすいいろの目をした、一人の人間の青年だった。

 その顔立ちと目の色には覚えがある。あの時、俺を組み敷いて押さえつけていた、兵士の青年だ。

 ここは、あの兵士の自室なのだろうか。いや、それよりもまず、この身体だ。調子がいいも悪いもあったものじゃない。

 喋れないこと、伝わらないことはもうしょうがないにしても、とにかく話す。伝えようと声を出す。


「キュァ、キュキュウ……ク、クキュ?(どこも悪くないか、と言われても……なんだ、この身体は?)」

「やはり、喋れはしないか……翻訳魔法がかかっているのは魔石の側だからな、仕方がないか」


 必死に喋ろうとして、しかし犬のような猫のような鳴き声しか出せない俺に、兵士の彼は哀しそうな表情をした。

 その表情のままで俺にそっと顔を近づけて、俺の額に指を当てる。硬い何かに爪が当たるカチリ、という音がした。


「説明をする前に、一つ確認しよう。君の名前は、ニラノ・タイセイ……それで間違いはないな? その通りなら、右手を上げてくれ」


 彼の言葉に、俺はすぐさま右手を持ち上げた。手足が短いせいであまり上がらなかったが、それでも彼には伝わったらしい。指を戻して表情を少しだけ明るくして、こくりと頷いた。

 籠から俺の身体を抱き上げ、青年はベッドに移動する。その途中で鏡に彼と、彼の腕に抱かれる俺の姿が映った。

 橙色の毛並みをした、まさしく小動物だ。顔に比して大きな耳と、額に埋め込まれた山吹色の石、長くふさふさとした尻尾が目を引く。地球の動物に例えるなら、フェネックが近いだろうか。

 ベッドに腰かけながら、青年は俺へと笑いかけてくる。


「よし、定着は問題なし、と。俺は『薄明の旅団』無席次、レオン・トラース。よろしくな」

「キュゥッ、キュ……キュキュ、キュアウ(ああ、よろしく……それで、いい加減説明してくれ)」


 小さく返事をして、俺は青年――レオンへと視線を向けた。眉間にうっすら皺を寄せた俺の表情に、レオンもいい加減説明をしないとまずいと思ったらしい。

 だが、その前に。こちらも眉間にうっすら皺を寄せたレオンが、俺の前で首を傾げた。


「うーん、やはり会話が成立しないのは不便だな、ちょっと待ってくれ……」


 そう言うと彼は目を閉じて、再び俺の額に指を押し当てた。

 額に埋まった硬い何かと、その奥の頭蓋骨ずがいこつに、ぐっと圧迫感を感じる。その次の瞬間、レオンが小さく呟いた。


『キヤンナ! 伝えよ!』


 短く発せられた詠唱文句。俺の脳内に何か、パッと光が差し込んだような感覚を感じる。

 あの時に受けたような不快な感じは一切ない。むしろ心地よさを感じるくらいだ。

 程なくして俺の額から指を放したレオンが目を見開くと、微笑みを浮かべて俺を見た。


「よし……これでいい。ニラノ、俺の名前を呟くなり頭の中で思うなりしてから、頭の中で俺に話したいことを思ってくれ」

「キュウ……キュキュ?(レオン。……これでどうだ?)」

「うん、大丈夫だ。通じているよ」


 思わず鳴き声として口に出してしまったが、問題なく伝わったらしい。こくりと頷くレオンだ。

 会話が成立した。召喚された当初も普通に会話が出来て驚いたが、思考するだけでコミュニケーションが取れるとは、魔法ってやっぱりすごい。

 今度はちゃんと口に出さずに、頭の中で言葉を思考する。


『今のも、もしかして魔法か?』

「そう、念話魔法だ。君と俺との間でチャネルを繋ぎ、君の思考が俺に伝わるようにしたんだ。逆に俺の方からも君に思考で伝えることもできる。内緒話はこれでやろう。

 チャネルを繋ぎたい時は今みたいに俺の名前を呟いて、チャネルを閉じたい時は『閉じる』と思えばいい。

 翻訳魔法をかけられれば一番いいんだが、魔物には使えないんだ……手間をかけさせて申し訳ない」

『なるほど……すごいな』


 レオンの説明を受けて、思わず感心する俺だ。

 そこから、一度チャネルを閉じたり、もう一度繋ぎ直したりして使い方を確認した後、俺は改めてレオンへと問いを投げた。


『レオン、それで、俺は一体どうなったんだ? この身体はどうなっているんだ?』

「そうか、そうだな。まずそこと、ニラノたちの置かれた状況から説明しよう」


 状況整理は重要だ。今がどうなっているのか、確認しないことには動きようがない。

 そのことをレオンも理解していたようで、一つ一つ、順を追って俺へと説明を始めた。


「まず、君達四十人と一人は、俺達『薄明の旅団』によって異世界から偶発的に召喚され、事態隠匿いんとくの為に魔物化、我々の使い魔になった。本来ならばそれで何事もなく事が終息するはずだったのだが、何故かニラノには封印魔法、忘却魔法、そのいずれも効かなかった。

 だから最後の手段として『薄明の旅団』主席、ディーデリック・ファン・エンゲルの手によって肉体喪失魔法を使用され魔石化、旅団で飼育されていた一体のシトリンカーバンクルの肉体に埋め込まれることになった……これが一連の顛末だ」

『肉体喪失……魔石化……そんなことが』


 一連の話を聞いて、改めて俺は絶句した。

 クラスメイトの皆と根木先生が魔物に変えられたところまでは、俺がこの目で直接目にしていた。

 俺に封印魔法がかけられ、忘却魔法もかけられ、しかし俺には両方とも何故か効かなかったことも、俺自身がこの身で体験している。二度と体験したくないが。

 レオン曰く、ディーデリックは仮面を付けた段階で人格の上書きをしようとしていたらしいが、それも俺には効かなかったらしい。

 その果てに、俺は変化させられた肉体も失い、魔石として封じられ、こうして別の魔物に取りつけられたということか。

 あまりにもぶっ飛んだ展開に目を見開く俺の前で、レオンが苦悶の表情を浮かべて俯いていた。


「これは本当に最後の手段だ。事が明るみに出れば人間召喚の罪と同じくらいの罪を背負うことになる。

 だからディーデリック老は君を、何の力も持たない弱い魔物に封じさせ、抵抗できないようにしたんだ。いざとなれば、すぐに始末できるようにと……魔石を砕けば、その時点で封じられた魂が解き放たれるからね」

『あのジジイ……そんな悪辣あくらつなことを』


 彼の言葉に、俺は奥歯をぐっと噛み締めた。

 魔石を砕けば解き放たれた魂がどこか予期しないところに飛んでいく。人間に入れば人間召喚も肉体喪失魔法の使用も明るみにされてしまう。強大な魔物に入ればその力で蹂躙されてしまうかもしれない。

 だからディーデリックは弱い魔物に――このシトリンカーバンクルに――俺の魂を封じた魔石を埋め込むように指示したのだ。そうすれば気軽に始末できるし、ベラベラと喋られることもないからだ。

 何とも保身的で、悪辣なやり口である。レオンも苦しげな表情をそのままに、こくりと頷いた。


「そう、悪辣あくらつだ。自分の保身のために、君達四十人と一人の異世界人を犠牲にして、無為に消費しようとしている……俺も、出来ることなら君達を助けたい。

 本当なら、任された君の魔石をもっと強大な魔物に定着させて反逆できれば手っ取り早かったんだが……」

『いやいいよ、だってそんなことをしたら、レオンだって命が危ないんだろ』


 苦々しく話すレオン。俺はそんな彼を慰めるように言葉をかけた。

 レオン自身も、苦渋の選択だったのだろう。魔石を預かった身、本当ならそこで魔石を砕くことも、もっと強い魔物に収めることも出来たはずなのだ。しかしそうしたら十中八九、レオン自身の身が危うくなる。俺以外のクラスメイトや根木先生も助けられないかもしれない。

 俺の言葉に、ようやく表情が緩んだレオンが、俺の頭を優しく撫でた。


「ありがとう……そういうことだ。だから、しばらくはその小さな身体で我慢してくれ。

 君の力が高まれば、魔物として今より高い位階に到達し、喋ったり、手足をうまく使ったりできるようになる。魔法も使えるようになるだろう」


 レオン曰く、この世界の魔物は成長することによってその力を増し、新たな姿を得たり新たな能力を得たりすることが出来るそうだ。俺も今はこの小さくか弱いカーバンクルだが、成長すれば強力な魔法を扱えるようになったり、人間のような姿を取ったりすることが出来るようになるそうだ。

 一つの希望が見えたところで、レオンは俺の頭から手を放しつつ真剣な表情を作った。


「さて、次だ。ニラノの同郷の異世界人たちは、この『薄明の旅団』構成員の使い魔として、一人につき一体が付き従っている。まずはその彼らの所在を明らかにして、誰が助けられるのか、を明確にしないといけない」

『だが、あの時……水永君がされたみたいに、人格を上書きされていたら、もう助けられないんだよな?』


 レオンの言葉に俺がゆっくりと問いかけると、彼はしっかと頷いた。

 人格が上書きされ、心も体も完全な魔物になった水永君は、もう助からないだろう。俺もそれは覚悟している。

 だが、他の生徒たちは、根木先生は、もしかしたら記憶が封印されているだけかもしれない。


「そうだ。人格が上書きされ、完全に魔物の魂に塗りつぶされていたら、よしんば助けられたとしても人間の魂は取り戻せない。ただの魔物が解き放たれるだけだ。

 だから使い魔のうち、誰が記憶を封印されただけに留まっていて、その使い魔が誰の元に付いているかを調査しないと、何も始まらないんだ」

『そうか……分かった』


 レオンは言った。記憶が封印された使い魔が、何かのきっかけで封印される前の記憶を取り戻すことや、変身させられる前の人間の人格を取り戻すことは、無いことではないと。

 そもそも人間を召喚して魔物に変えて使い魔にする、という事例がどこまで多くあるのかは分からないが、魔物化刑という刑罰がある以上、人間が魔物に変えられることは多くあるのだと、レオンは言う。

 その元人間だった魔物が、人間だった頃のことを思い出す事例が実際にあるなら、望みはあるはずだ。もし魔物から人間に戻ることが出来なかったとしても、人間らしい姿に変身する魔法なんかを身に付けることが出来れば、あるいは。

 と、そこで、レオンが視線を逸らしつつ、恥ずかしそうにしながら声をかけてきた。


「ところで、今更な質問なんだが……その、ニラノのことは、どう呼べばいい? 異世界人の名前にはうとくて……ニラノとタイセイと、どちらが名前なのか……」

『ニラノでいいよ……そっちは名字で、タイセイが名前だけど、ニラノの方が呼ばれ慣れているし』


 そうして、俺は右手をレオンの方に向けて伸ばした。

 数瞬目を見開いたレオンだったが、すぐに何をしたいかを察したらしい。俺の右手に、そっと自分の手のひらを合わせる。

 伝わってくる体温が、心地いい。

 肉体を奪われ、小動物のような姿にされながらも、俺は絶対に皆を助けて地球に帰るのだと、決意を固めるのだった。

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