第25話 新魔法の開発
「よし、これだ!!」
しばらくの後。俺とレオンとクートが、ここに来てからの数日間の話を聞いたり、したり、雑談に興じていたところ。テーブルに向かってペンをガリガリ走らせていたラーシュが、
何やら書きなぐった一枚のイナクサ紙を手にして、喜びを露わにしてこちらに歩み寄ってくる。
「出来た出来た。多分これなら、ニルの話したことが出来ると思う」
『早いな。魔法の開発って、そんな早く出来るのか?』
そう言いつつ紙に書いたあれやこれやの古ヴァグヤ語の単語のうち、一つに大きく丸を付けたものを見せて来ながら話すラーシュに、首を傾げながら俺は念を飛ばした。
しばらくとは言ったが、その実二時間も経っていない。新魔法の開発なんてことだから、もっと時間がかかるのではないか、と思っていたが、随分早く終わるものである。
俺が問いかけると、ラーシュは自慢げにこくりと頷いた。
「詠唱に使う古ヴァグヤ語を見つけられれば、九割がた終わったようなものだからね。今回は既存の魔法の使い方を変える形だから、魔力式は流用できる」
話しながら、別のまっさらなイナクサ紙を取り出し、そこにも何やら色々と書き始めるラーシュだ。図形が書かれたり、読めない文字が書かれたり。この魔法に関する何かが書かれているんだろうが、何が書いてあるのかさっぱり分からない。
なんかよく分からないものをつらつら書いて、それをファイルらしきものの中に
「一応、理論が正しく組まれているか、見てみようか。マティルダ、実験用の魔物、何か一匹連れてきて」
「分かりました」
彼の言葉を受けて、さっとマティルダが動き出す。そのまま研究室の結界を解除し、外に歩いて行った。
もう今日に何度傾けられたか分からない俺の首が、またも傾ぐ。
『実験用の魔物?』
俺の思念を受けて、答えるのは俺を抱くレオンだった。俺の頭を優しく撫でながら、声をかけてくる。
「ここの旅団では、開発した魔法の実験に使う小型の魔物を飼育しているんだ。俺がカトーさんのところで世話をしている……ニルの身体になっているシトリンカーバンクルも、元はそういう魔物の一体だったんだぞ」
『ああ……そういえばそんなことを言ってたっけな』
レオンの言葉を聞いて耳をピコピコ動かしながら、俺は小さく喉を鳴らした。この主人、ポンコツではあるが動物の扱いは本当に上手い。
彼の言葉を聞いて頷きながら、ラーシュが右手を動かす。
「うん。君にいきなりかけて、失敗しましたじゃお話にならないからね。実証実験は必要なんだ……まぁ、結局ニルに
そう話していると、結界を解除してマティルダが戻ってきた。手には一匹の、紫色の毛皮をしたカーバンクルの入れられた、小さな檻を抱えている。
「お待たせしました」
「ありがとう、そこに置いて」
マティルダが檻をテーブルの上に置くと、その中で小さく縮こまっていたカーバンクルの身体がびくっと跳ねた。ラーシュの手が檻の鍵を外し、蓋を開いて中のそれを抱えあげてからも、カーバンクルはずっとおびえている。何かを警戒しているかのようだ。
「さて……それじゃやろうか」
抱き上げたカーバンクルを腕の中に収めながら、ラーシュがその額の魔石に指先を触れる。
『キヤンナ! 伝えよ!』
念話魔法の詠唱文句が発せられると、途端にカーバンクルが落ち着きを取り戻した。きっとラーシュが、今回の実験の内容を説明しているからだろう。
しばらく沈黙の時間が続いた後、ラーシュが笑顔を浮かべながらカーバンクルの頭を撫でた。そうして、テーブルの上にそれを下ろす。カーバンクルは座ったまま、逃げる素振りもない。
「……うん、オッケー。このアメジストカーバンクルが、カーバンクルの獣型
ざっくりと俺達に説明をしてから、彼の右手がカーバンクルに翳された。
そして。
『ヴェナス・カルマヤー! 姿を変えよ!』
詠唱文句が発せられると同時に、カーバンクルの身体が眩い光に包まれた。俺とレオンが、思わず目をつむる。
『わっ……!』
「ん……!」
「アア、ア、ァ――!!」
耳には、そのカーバンクルのものであろう叫び声が、途切れ途切れに聞こえていた。他者に変身させられているのだ、肉体にも相応に負担がかかり、痛むのだろう。
程なくして、視界を覆う光が収まる。目を開くと、テーブルの上にはカーバンクルを一回り大きくした程度の、しかし獣型
「うわぁ……!」
「すごい……本当に他者を変身させるなんて……」
パウリーナが歓声を上げ、フォンスも感動の表情でカーバンクルだった生き物を見た。ラーシュも満足げな顔をして、その生き物に声をかける。
「おはよう、25番。気分はどうだい?」
25番。随分無機質な呼ばれ方だ。しかし実験動物なんて、どんな場所であってもそういう扱われ方をするものなのだろう。
果たして呼びかけられたその生き物が、ラーシュを見上げながら口を動かした。
「ら、しゅ、さま?」
「うん、ヴァグヤ語の発声も大丈夫そうだね。いい子だ」
たどたどしいながらも、確かに発せられたヴァグヤ語。その結果にラーシュが25番の頭を撫でると、彼か、あるいは彼女は嬉しそうに耳を伏せて笑った。
その愛らしい姿と、確かに変化した肉体に俺が目を見開いていると、ラーシュが25番の頭に手をやりながら、にっこりとこちらに笑いかけた。
「とまあ、見ての通り。結果は成功だ。彼はまだ子供だから、変化してもこのくらいだけどね」
『すげえ……』
「まさか、本当に出来るなんて……」
感心する俺の上で、レオンも信じられないと言いたげに声を漏らした。彼からしても、今回の話は随分と衝撃的だったようだ。
と、研究室が感心と感激の空気に包まれたところで、俺はふと首をかしげた。
『あれ、でも、待てよ? 俺達が初日に結ばされた従魔の契約も、人間を魔物に変えてたよな。あれがあるのに、変化魔法を他人にかけるのは今まで出来なかったのか?』
俺の飛ばした思念に、ラーシュがちらり、とクートを見る。視線を向けられたクートも、少々困っている様子だった。
多分、何かしら互いに念話で話をしているのだろう。しばらく沈黙と目配せが続いた後に、ラーシュが首を傾けながら言った。
「うん。
曰く、変化魔法は自在に姿を変えられるもの、という位置づけで運用されるそうで、その為には自分が本来どんな姿か、を明確に持っていないと扱えないのだそうだ。自在に姿かたちを変える分、負担も大きいのだという。
クートがラーシュ同様に詠唱文句を唱えて、竜型
「僕達にかけられた従魔の契約には、『
『転生魔法……なるほど。魔物にしている、というより、魔物に転生させている、ってことなのか』
クートの説明に、俺は口をへの字に曲げた。なるほど、確かに元に戻ることを考慮しなくていいのなら、理屈は大きく変わる。方法が似ているようで違うのも道理だ。
「そう。間を置かず、その場で、無理やり――そういう仕組みなんだ。その転生の過程で、肉体を組み替えている……その様子が、変化魔法と同じように見えているだけでね」
そう話しながら、ラーシュが25番の身体を持ち上げた。蓋を開いたままの檻の中に、彼を座らせる。
「さ、結果は分かった。ありがとう25番、戻すよ」
「や……やだっ、た、たすけ、て」
と、25番がラーシュの腕に縋った。目の端に涙を浮かべながら、懇願する言葉をたどたどしいながらも吐き出す。
しかし、ラーシュはそれにゆっくり頭を振った。拒否を示しながら、彼の鼻先をつつく。
「だーめ。今日はおしまい……また今度、使ってあげるから、ね?」
「……うぅ」
そう、優しく言うと、観念したのか25番が腕を離して
そのままかざされるラーシュの手。再びその身体を光が包み、25番が元のアメジストカーバンクルの姿に戻る。
檻の蓋を再び閉めるラーシュへと、俺は鼻を鳴らしながら言った。
『本当に、実験動物なんだな』
「可哀想だと思ったかい?」
苦笑しながら言ってくる彼に、俺は答えない。答えられない。
可哀想だ、と思わなかったかと言えば、嘘になる。しかし、その感情が俺のエゴでしかないことも、何となくだが俺は分かっていた。
実験動物が実験に使われるのが可哀想だ、と部外者が思うのは勝手だろう。しかし、当事者から見たら大きなお世話だ。
俺の反応に小さく肩をすくめて、ラーシュがゆるゆると頭を振る。
「でも、彼はまだ幸運だ。
『やっぱり……容易く死ぬのか』
俺の思念に、彼はこくりと頷いた。
それはそうだ。魔法の実験に使われるような魔物が、安穏と生き続けられる保証なんてない。ラーシュがこめかみに指を当てながら話す。
「うちの旅団は魔法技術の研究開発だけじゃなく、戦闘技術の提供も行っているからね。戦闘用魔法の効力を確認する際にも、実験用の魔物は使用される……そうしたら、その魔物は死ぬことを望まれる。生きることは許されない」
そう話しながら、ラーシュはマティルダに檻を手渡した。それを元あったであろう場所に戻しに行く彼女と、彼女の持つ檻の中で小さくなる25番を見るようにしながら、ラーシュは話を続ける。
「ニルも……いや、その身体の本来の持ち主だった18番も、そんな運命を辿るはずだった。それが、君の魔石の『器』になることでその道から外れた。そういうものなんだよ、彼らの運命なんて」
そう話しながら、彼の視線は再びこちらに向いた。俺の頭をくしゃりと撫でながら、寂しげな笑みを向けてくる。
結局、俺の魂を受け入れたシトリンカーバンクルも、あいつと一緒だということだ。レオンが世話する魔物の一体で、たまたま彼によって俺の器として選ばれて、たまたま俺が身体を使うに至っただけの、幸運な実験動物だ。
そんな俺を、俺の身体をいとおしむように撫でて、ラーシュがこくりと首を前後させる。
「じゃ、いいかい? これから君に
『ああ……やってくれ』
俺が思念を飛ばしながら頷くとほぼ同時に、レオンが俺の身体を椅子の上へと下ろした。そうして俺の身体に触れる誰かがいない状況にしてから、ラーシュの手が俺へと向けられる。
そして。
『ヴェナス・カルマヤー! 姿を変えよ!』
「……ッ!!」
途端に、俺の身体が光に包まれる。というより、俺の身体そのものが、眩い光を発していた。
身体が解ける。骨が消える。俺の脳も魔石も一切合切が形を失い、光の塊になった俺自身を、俺のイメージが別の形に組み替えていく。
苦しい。痛い。ものすごく痛い。無いはずの喉から叫び声が漏れる。
「ウ、ア、ア……!!」
苦痛に満ちた声を上げながら、俺は俺の身体が作り替わるのを感じた。
体重が後ろ足にかかるのが分かる。背骨が起立し、脳の位置が高くなるのが分かる。耳や鼻が形を持って、レオンやラーシュが上げる声も、研究室のインクのにおいも分かるようになってきた。
「ニル……!」
「シッ、レオン、待つんだ」
俺の身体から発する光が像を結ぶのを見たか、レオンがこちらに一歩足を踏み出す。それをラーシュが制止して、しばし。
俺は発光が収まった自分の身体を――
「あ……」
「ふぅ……ヒヤリとさせてくれる」
「肉体の変化は大丈夫そうだね……どうだいニル、気分は」
声が漏れて気が付く。確かにヴァグヤ語が、人間の使う言葉が口から飛び出した。どうやら、もう話せるようになっているらしい。
レオンが息を吐き、ラーシュが俺へと問いかける。そちらに顔を向けながら、俺はこくりと、小さく頷いて言葉を吐いた。
「ああ……だいじょうぶだ、なにも、もんだいない」
ちゃんと話せた。自分の声で話せた。まだ喋りはたどたどしいけれど、十分だ。
満足そうな表情で、ラーシュが大きく頷く。
「そうか……よかった。今の感覚を、しっかり覚えておくんだよ」
「ニル……!!」
レオンが感極まった様子で、目を潤ませながらこちらに駆け寄ってきた。ひざまずいて、俺の身体を抱き締めて、頬を寄せて。
そうしてぽろぽろと涙をこぼしながら、俺が言葉を取り戻したことを、彼は喜んでくれた。
「ニル……よかった、本当によかった……」
「れおん、くるしいよ」
胸を締め付けられて、苦しかったけれど。久しぶりに自分の声を、直接誰かに届けることが出来た。
それはとても、嬉しく思うのだった。
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