36.異世界をシャンバラと呼ぶ者

「連絡が途切れ、10日か……」

「はい、そうであります! ギースラー中佐」

「長すぎるな……」

「捜索艇は出しておりますが。何分数が足りません」

「まあ、それは分かる。君の苦労は分かっているつもりだよ」

「ありがたく思います」


 木造の建築物の中の一室だった。

 壁の木材はむき出しである。壁紙などは張られていなかった。

 ただ、壁にはニスか何かが塗られているのだろう。木目の紋様が光沢を放っている。


 大きなテーブルが中央に置かれ、複数のイス。

 そして、壁には彼らの真の指導者の写真がかけられていた。

 更に、重厚な布に染められた黒い鉤十字の紋章がかけられていた。


「遭難したか―― いや、であれば通信があるか……」


 黒っぽい軍服を着た男が言った。それはもう何度も口にしたことを繰り返すものだった。

 彼の姿――

 七〇年ほど前の軍事的なものに興味のある人間が見れば、何者であるか一発で分かるであろう。

 世界を二つに分けた凄惨な戦争を戦い、そして国土を蹂躙され敗れた国の一つ。

 その軍人の姿がそこにあった。


 背の高い、額にかかる程度の長さの金髪。緩いウェイブがかかっている。

 青い瞳が大きなテーブル上に広げられた海図をみやる。

 それは、まことに持って不完全な代物ものだ。


(#異世界__シャンバラ__#に来て数年…… まだ手持ちの外洋船は少ない)


 シャンバラ――

 彼が心で口にしたこの世界の名前。

 それは、元々はチベット仏教の中で考えられた理想郷のことだ。

 それが西洋に入り、神智学と結びついた。

 そして、それは世界のどこかに存在する理想郷であるという説が唱えられる。

 

 ギースラー中佐は、口をゆがめ笑みを浮かべた。


(シャンバラか……)


 彼の属する集団、組織は、シャンバラこそが民族の故郷であると主張していた。

 世界一優秀であるらしい「我がアーリア人」はこの世界が発祥ということだ。全く懐かしい感じなどしないが。

 その主張に対してギースラー中佐は、色々と思うところがあった。

 いや、端的に言ってしまえば、与太以外何物でもないと思ってはいた。


(ただ、もう我々にはここしかない――)


 しかし、祖国を脱出した彼らの艦隊がこの世界にやってきたのは事実だった。

 ここがシャンバラかどうかは分からない。ただ、彼らはこの世界で生きのび、そして再起せねばならなかった。


 恐るべき奮戦を見せ、最後まで戦うと信じていた東洋の同盟国が単独講和した。

 それを「裏切り行為」と怒る者もいたが、ギースラー中佐はそうは思わない。

 国同士の同盟など、国益に優先するものではないと、冷めた思いがある。


(ただ、あの国の潜水艦―― これが我が国を訪問していたのは幸運だった)


 この世界にやってきた潜水艦の内三隻は、その同盟国が造り上げたものだった。

 模倣の才能はあっても、あのような巨大な潜水艦――

 しかも、航空機を三機搭載可能な、潜水空母というべき潜水艦を造り上げたのは信じられないことだった。

 確かに、細かい儀装面や電子機器、ソナーなどでは遅れている。

 しかし、造船設計に限っていえば、我が祖国すら凌ぎかねないという思いがある。


 軽巡洋艦クラスの巨大な船体と、航空機を搭載できる格納庫は、膨大な物資を搭載することを可能とした。


 東洋の戦いが終わり――

 その巨大な艦隊戦力が我が祖国の周辺を取り囲むようになった。

 

 二〇〇〇機以上の航空機を運用し、三〇ノット以上で航行する空母を中心とする機動部隊。

 四〇サンチ砲を備える高速戦艦群。


 東洋の同盟国は、四年以上もコイツらと戦ってきたのかと思った。

 こんな相手によくぞ、引き分けに近い単独講和などできたものだ――

 ギースラー中佐は「裏切りへの怒り」よりもむしろ「感嘆」すら覚えた。

 そして戦争を――

 敵を独占できることに歓喜すら感じた。


 そして、東から西に向け膨大な戦力が流れ込んできたのだ。


 そして、我が祖国は世界の全てを相手に戦った。

 敵にも相当の出血を強いたはずだ。


 しかし、国土はほとんど#灰燼__かいじん__#に期した。

 女や子どもや老人まで銃をとり、戦った。


(戦争は負けたと思った方が負けだ――)


 彼は、ふと有名な軍学書に書かれた一節を思う。


 そして事態は一変した。たった二発の原子核分裂式爆弾。

 最新の量子力学が生み出した、原子核分裂式爆弾が祖国で炸裂したのだ。

 それも、他の連合国の同盟国がすでに占領している東部の都市に対してだ――

 

 連合国も一枚岩ではなかった。そして、その戦争は大きく局面が変わったのだ。

 

 彼らはその混乱時乗じて、祖国を脱出した――

 降伏すべき国家はもうそこにはないのだ。


 今では敵であった連合国同士で、国家の残骸の上で殺し合っているのではないか?

 本当に愉快なことだ。


 そして、我々は再び立ち上がる。必ずだ。 


(さて、そのとき#連合国__やつら__#はどんな顔をするのだろうか?)


「戦争とは、度し難い程に愚かで、だからこそ面白い」


 彼は#諧謔的__かいぎゃくてき__#な笑みを浮かべ、口の中だけでそう呟く。

 近くに立つ部下はただ沈黙をもって上官である彼を見つめるだけだった。


「U-400であれば、広域探索を――」

「あれは、貴重な船だ」


 彼は部下の進言を却下すると、再び不完全極まりない海図をみやる。


 この世界に来てまだ数年、そして自分たちの手持ちの船は少ない。

 そして、測量技術を持った人間は更に少なかったからだ。


(#大凡__おおよそ__#の位置は分かっているが…… あまりに広すぎる)


 この世界で徴用した者を使い、作戦を実行するのは時期尚早だったかと思う。

 しかし、我らの人材もまた少なく貴重なのだ。


「逃げるとすれば―― 大陸だろう…… 戦争が終わった」


 不完全な海図であるが、彼らの島から北東に大陸があり、この世界の国家群が存在することは分かっている。

 そして、彼らが「魔族」と呼ぶ存在と戦争状態にあったこと。

 その戦争が人類国家群の勝利で終了したことなど、大雑把ではあるが、知識は得ていた。


 この世界(シャンバラ)で徴用した者たちからの聞き取りや、彼ら自身で調べたことだ。


「しかし、大陸の混乱状態はかなり酷いと、潜伏連絡員より報告が上がっています」

「冬の東部戦線よりは、幾分マシだろう」


 彼らは数名の精鋭を大陸に上陸させ、情報は探っていた。

 ただ、積極的に動けるものではない。現地の情報をこちらに伝えるだけでも精一杯だ。

 なにせ、ここは元の世界とは全く違う#異世界__シャンバラ__#なのだ。


(しかし、最初から逃走する気であったならば、こちらに『姫確保』の無電を入れる必要はないが…… 海上で何かに遭遇した可能性もある……)


「この世界の船に発見され可能性。それも考慮にいれねばならんな――」

「確かに、沿岸を航行する帆船型の商船の存在は次第に多くなっています」


 それも、潜伏報告員からの報告だ。

 手回し式の発電機と無線を持った要員。辛うじて届く細い糸だった。


「Sボートを出す―― この地で組み立てた船の運用試験も兼ねてだ」

「油の問題は? 中佐殿」

「U-401もしくは402より供給させろ。この二隻は動かす予定はない」

「分かりました。ギースラー中佐」


 今、彼らが展開している相当に島は大きいことは分かっている。

 航空機は分解して持ち込んだが、部品の供給すらできないこの地ではうかつな運用はできない。

 

 鉄の骨組みと木材で組み上げた、現地製造のSボートを出すのが精一杯だ。

 それでも、こちらに持ち込んだSボート用の高性能ジーゼルエンジンは指で数える程度しかない貴重品ではある。

 しかし、U-400を動かすわけにはいかない。


 島からは鉄が出るのは幸いだった。木材も豊富だ。

 しかし、それだけだ。

  

 近代科学の兵器を支えるための原材料、燃料は持ち込んだ備蓄を取り崩すしかない。


「魔法石が埋蔵されている場所を発見すること、それがなによりも優先される」


 その一部の力を解放するだけで、巨大なU-400潜水艦の機関を稼動させることができた。

 単に水に漬ければ、高熱を発するというだけのものだが、それでタービンを回転させることができる。

 持ち込んだ希少な工作機械により、U-400は真宝石を動力とする潜水艦に改造されていた。


 それはU-400を「可潜艦」から「完全な潜水艦」に変えることになった。

 

 彼らが、この世界で「魔法石」の存在を知り、その結晶を入手できたのは、まさに#僥倖__ぎょうこう__#だった。


「『E=MC^2』を実現する存在か――」


 彼らの祖国が追放した、ユダヤ人科学者の頭脳が生み出した公式を彼が呟く。

 Eはエネルギー。

 Mは質量。

 Cは光速。


 それを表す。

 つまり、質量持つこの世の全てのものは、光速の二乗を掛け合わせたエネルギーを持つということだ。

 質量はエネルギーであり、1グラムの質量ですら、膨大なエネルギーを生み出すという公式だった。


 連合国が生み出した原子分裂爆弾とて、この公式の生み出すエネルギーの0.1%を作りだしたにすぎないという。

 この世界に共に来た科学者からの受け売りではあったが。否定する材料が、ギースラー中佐には無かった。


「どこかにある―― この世界の。あの長耳の亜人がその場所を知っている――」


 ギースラー中佐は心底楽しそうな笑みを浮かべそう言った。

 彼は、このような事態ですら楽しんでいる自分がいることに気づいていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る