12.術式・封印解除

「なんで、森に逃げなかったんですか? 勇者様」


 呆れたようにラシャーラは言った。

 彼女は、自分たちの粘りは何だったのかと思う。


「いや…… 裏をかいて―― それに俺、元勇者だし、まさか、それは無いというような感じで……」


 食堂の床に正座して、ウェルガーが言った。

 ちなみに、正座は自主的にやっているのだった。


「それでも、あれはないですよ――」


 カクンと肩を落として、ラシャーラは「ふぅ~」とため息をついた。


「でも、ちょっとかわいかったです♥」


「そうですか――」


 リルリルはウェルガーが何をやろうが、プラス思考になってしまうほど、彼にガチ惚れだ。

 それに、寝室を覗かれる前に見つかったことも、彼女を「ホッ」とさせていた。


「アナタは小さいころから、風呂桶に隠れる癖があります。何度も繰り返しています。本能に刻まれているのかもしれません」


「そ、そうでしたっけ…‥」

 

 そもそも、追い詰められて逃げたときというのは、記憶が無いのだ。

 無意識で逃げているので、全く覚えていない。


 今回はその無意識の罠にかかったようだった。


 ウェルガーは森へ逃げると見せかけ、偽装の足跡を作った。

 そして、足跡を残さず、家に戻り、巨大竹製の風呂桶の中に潜んだのだ。

 身長一八〇センチ以上のウェルガーが身を小さくして、辛うじて全身が入った。

 そして、ふたをして息を殺していた。


 結果、彼は三分で発見された――


 その時の彼の絶叫は大地を震わせ天を貫いた。


 人の限界を超えた絶叫は、海辺の街でも聞こえた


「何があったんだべ?」

「勇者様の家のほうだな」

「んだなぁ、こりゃいってみっか?」


 ってな感じで、何人かの野次馬までやってきたほどであった。


 まあ、全員既にお引き取り願っているのだが。

 この絶叫は、話題の無い島の中でしばらく話題になり、様々なうわさが流れたがそれは別の話だった。


「さて、ウェルガー」


 ニュウリーンがクマムシでも凍死する温度の視線をウェルガーに送りながら言った。


「はい。お姉さま」


 彼は、出会って一八年間全く容姿の衰えの無い彼女の顔を見て震えていた。

 本能と精神が完全に、彼女に対し屈服している。


 更に――

 ウェルガーが精通してから彼女に強制された「青少年保護条例」触れるよう数々の行為。

 あの性的虐待は、暗黒のトラウマとしかいえない。

 現世であれば、実刑確実の変態女なのだ。


 そのような体験をしているからこそ一〇歳の幼妻に対して優しくいちゃラブして無茶をしないとも言えた。

 しかし、ウェルガーが精通して後に受けた仕打ちは絶対の秘密だ。

 リルリルにばれた場合。

 彼女が許し、彼を慰めても己の精神がズタズタに崩壊するだろうとウェルガーは思っている。


「まず、勇者を引退しましたね――」

「はい」

「その理由は?」


 引退の理由の説明は簡単だった。

 それでもパニくった頭では、時系列がよくまとまらないのだった。


「ああ、王様とか大臣とか、いろんな生き残ったエライ人たちが、もう勇者はいいんじゃないのっていって感じで。俺もいいかなーって思ったんですよ。ほら、魔族も滅んだし。もう、人類はやはり人類の手でこの星を守っていかなければいけないというか、勇者の力に頼るのは、人類の退廃を招きかねないし、社会文化的な成長曲線を留めるのではないかという意見が、マルサスの罠的な。でもって、そんな空気が主流となりまして、スケジュール的にも、厳しい中、説得コストを鑑みまして勇者は引退していくという方向で―― 私もそれを忖度せざるえず――」


 もはや、彼は自分でも何を言っているのかよく分からなかった。

 

「ふむ…… 国家が個人の力に頼ることなく、自分たちの力で立ちあがるのを目指すため、勇者を引退させたと―― そういうことですか」


「はい。お姉さま、その通りです」


 相変わらず重力に逆らい続ける巨乳を揺らし、彼女は「ふむ」と頷いた。


「筋は通っていますね――」


(今の説明でいいのかぁぁぁ――!!)


 心の中で突っ込みながらも、ウェルガーの緊張はまだ解けない。

 彼女の眼がスッと細くなり、嗜虐の色を見せてきたからだ。

 精神に深く刻まれたトラウマに、ぶっとい針が刺さってくる予感がした。


「で、結婚ですが――」

「はい」

「新婚生活は、楽しいですか?」


 瞳に嗜虐の炎を燃やしながら、ニュウリーンは言った。

 口元だけが笑みを浮かべている。

 

「は、はい――」

「そうでしょうね…… こんなに若くてきれいなエルフのお嫁さんで。私は、もうババアですから――」


 ふぅ~と憂いを見せつけるような、ため息をついて、彼女は言った。


「そんなことないです。師匠様は、本当にお綺麗で――」


 リルリルは言った。お世辞ではなく本気の本心からの言葉であることは、ウェルガーには分かった。

 うんうんとウェルガーは首を激しく縦に振る。


「いつまでも若いエルフに言われても……」

 

 彼女はそう言って、悲しげな顔をする。


(つーか、アンタも何歳なんだよ。俺が赤ん坊の時から全然歳をとってないんだけどぉぉぉ)


 ウェルガーは心で突っ込むが師匠に年齢を聞けるわけがない。死ぬ。死にこまされる。


「ウェルガー」

「はい、お姉さま」

「私も結婚したいわ」

「そ、そうですね。いい人はいつか見つかります。お姉さまほど美しければ、いくらでも――」

「バカ――」

「へ?」


 すっと、ニュゥリーンは正座するウェルガーの近くに歩み寄った。

 そして、細く滑るヘビのような仕草で腕を首に回した。


「アナタと結婚したいの―― ああ、アナタはずっと私の物なのだから」


「ええええええ!!! ダメでです!! ダメです!! ダメですぅぅ!!」


 リルリルがブワッ涙を流して、抗議した。

 イスを蹴って、褐色エルフ少女のラシャーラがきつい顔で、ニュウリーンを睨んだ。


「ぬぅ…… し、師匠――」

「あれ? お姉さまじゃないのかしら?」


 スッと怖い目で、弟子の眼を覗きこむニュウリーンだった。

 ウェルガーの歯がガクガクと鳴っていた。それを食いしばり止めた。

 本能的な原初の恐怖。

 精神に刻まれた深い暗黒のトラウマ。

 心ががんじ搦めになって、絶対に逆らえない師匠。


「うぉぉぉぉ!! ダメだぁぁぁぁ!!」


 バーンと正座の体勢から弾けるようにして、ウェルガーが飛んだ。

 そして、泣きじゃくるリルリルをギュッと抱きかかえたままだ。

 今、この瞬間。心の中の鎖が引きちぎられたような感覚があった。


「師匠――」

「なにかしら―― ふふ、ちょっとショックだわ……」


 スッとニュウリーンも立ち上がり、彼から間合いを空ける。

 女でありながら、勇者の育成を任せられるほどの年齢不詳の達人。

 そう言った存在だ。

 ビリビリと空気がプラズマ化するかのような雰囲気になってきた。


「師匠のことは、恨みもあるけど、尊敬だってしている―― でも、結婚はできない」


「あら、別にそのエルフ娘(こ)と別れなくていいのよ。私は二番目―― どうですか? ハーレムみたいでいいのですよ」


 優しげな声でありながら、まるで喉元に切っ先を突きつけられるような感じだった。


 ウェルガーはそれでも前に出た。間合いを詰める。抱いていたリルリルを手から離し守るように背中に回した。


「俺の妻はリルリルだけだ。今も、これからも、永遠にだ―― ハーレム? 師匠だけじゃねえ、誰もいらねぇよぉぉ!!! この世界にどんな美女がいても俺には関係ないんだ。俺にはリルリルしかないんだ! このリルリルが俺にとっては最高の妻だ。世界一なんだよ! 意地でも離さないし、不幸にもさせない。絶対に幸せにする! だから、俺は勇者を辞めたんだ。俺の命は、彼女を守るためだけにあるんだ!」


 キュッと背中に可愛い力がかかる。リルリルが背中にしがみ付いたのだ。

 彼は「大丈夫」と小さくリルリルに言った。

 

「ふーん、そんなに、私をお嫁さんにするのは嫌なの? 傷つくわ――」


 バラ色の唇が笑みの形の弧を描く。

 ニュウリーンは、空気が固形化し刃になるような気を彼に向かって放っていた。


 彼女がスッと前に出た。


「殺すぜ、師匠―― もし、それでも、いいっていうなら、ここからは殺し合いだ」


 ウェルガーの言葉に、リルリルはまた泣いた。今度は別の意味で涙が出てきた。

 リルリルは、大きな背中に回していた腕にキュッと力を込めた。絶対に離れないと思って力を入れた。

  

「ふふ…… ははははははははははは―― いいわ。ウェルガー、らしくなったじゃない」


 すっと、彼女の全身からヤバい気が消えて行った。

 そのまま、優雅な所作で、イスに座り、ウェルガーを見やった。


「結婚はさすがに冗談よ――」


 その言葉を聞いても、ウェルガーの気は緩まない。

 罠の可能性もあるからだ。


「本当に…… その素材で、勇者の力を封印するなんて、バカなことを……」


 彼女はため息をつくように言うと、大きな胸の間から、何かを取り出した。


「もし、私と結婚しますと答えていたら、ぶち殺していたかもしれません」


 彼女は恐ろしいことを口にした。


「いったい……」


 ようやく少しばかり、気を緩め、ウェルガーは話を聞いた。


「勇者の力の封印。まあ、人間が持つには大きすぎる力―― それは分からないじゃないわ」


「俺だって納得して、封印したんだ―― もう魔王も魔族もいないんだ」


「でも、これから先、勇者の力が必要になることが絶対に無いと言える? 本気で無いと言えるかしら?」


「しかし、それはもう―― 皆が力を合わせ乗り越えて行くのが正しいと思う」


「それも一つの正論ね。でも、魔族との戦争で、その正論は通用しなかったのよ――」


 そう言って彼女はヒュンと手に持っていた物を投げた。

 不意にだ。予備動作の全くない動きだった。


 ウェルガーは空中でそれを受け止めた。


「ん? なにこれ? ペンダントか……」


 それは女が首にかけるようなペンダントだ。

 水晶のようなモノがついていた。


「術式・封印解除」

「え?」

「それは、そのための魔道具よ」


「はぁ?」

「それを使えば、勇者の力の封印を解除できるらしいわ―― そのための魔道具なの」

「封印の解除だって」

「ええ――」


 ウェルガーの師匠――

 ニュウリーンは静かに頷いたのだった。

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