3.朝ごはんを食べたら――
テーブルの上には朝食を並べるリルリルをウェルガーは締まりのない顔で見つめている。
煮炊きする#竈__かまど__#は小柄なリルリルでも使えるように作った。
しかし、さすがにテーブルはどうしようもない。
身長差が四〇センチ以上ある新婚さんだ。
エルフの幼妻が料理を「よいしょ」って感じで運んでくる。
その可憐なエプロン姿をみているだけで、ウェルガーが悶え死にそうになる。
現実と非現実の狭間に生じた詩的な極限美が、エプロンを着て歩いているのだ――
(俺の嫁だし、マジで)
キラキラと光そのもので創り上げたかのような黄金色の長い髪――
寝乱れた髪型も、姿も萌えるが、完ぺきなウェイブを描くそれはもはや人知を超えている。
「今日はきちんと出来たと思うよ」
自分の細い指と指を絡め、ちょっと自信がありそうで、それに確信を持てないようなそんな感じの声。
うつむき加減の顔から、上目づかいに自分の夫であるウェルガーを見つめる。
この角度だと、長いまつ毛が際立って見えるのだった。
「いや、いつも美味しいよ。リルリルの料理は」
己の幼妻に一瞬見惚れていたウェルガーは、きっぱりと言った。
彼女が作った物であれば、臨界量のプルトニウムだってたいらげただろう。
まあ、この世界にそんな物騒なものはないのであるが。
「本当?」
「いや、マジ。最高だよ」
白いリネンの布がテーブルに広げられ、その上には質素な料理が並んでいる。
小麦を水で溶いて焼いたパン。
山の方で採った山菜や木の実。
そして、なぜか煮ても焼いても極彩色の魚だった。
ウロコが古代魚のように頑丈なのだ。
南の島であるこの辺りではよく獲れる魚だった。
実際、彼女の料理の腕はそれほど悪くない。
ただ、一点、不思議なことがあったが……
「一生懸命作りました。アナタのために」
朝飯前に、理性ドカーンだった。
ウェルガーは、イスから立ち上がり、エプロン姿のリルリルを抱きかかえた。
「おぉぉぉぉぉ! なんで、そんなに可愛いんだよぉぉぉ♥、チュッチュしたい」
「もうぉ! 朝ごはん! 朝ごはんなのぉぉ! ああん、顔を舐めないでよぉぉ♥ あ、ア、ああ、耳はぁぁぁ、耳はらめぇぇ~」
パタパタと手を振って抵抗していたリルリルだが、長い耳を舐められ、幼い吐息が喘ぐように変わる。
ウェルガーは幼妻の耳を舐めた。舌先を幼妻のエルフの耳に這わせていく。
エルフの耳という幻想が、リアルな味と温度と質感としてウェルガーの体内に流れ込んでくるようだった。
彼の鼓動は高鳴り、オスという生物としての激情が尾てい骨の底にある肉の奥から湧き上がるのだった。
(ヤバい!! いかん! いかんぞぉぉ!)
「ぬおぉぉぉぉぉぉぉ!!」
肺の中の空気を全て絞り出したような鋭い呼気を上げ、ウェルガーはゆっくりと自分の妻を床に立たせた。
「ごめん…… つい…… リルリルが可愛すぎて……」
「べ、別に謝らなくてもいいけど夫婦なんだし――」
耳を舐められ、白い肌を朱に染め、彼女は言った。
幼くフラットな胸が早いリズムで上下する。
「と、とにかく朝ごはんだ。いただきます!」
ウェルが-はパンを口に入れた。
それは、言ってみれば具の入ってないお好み焼き。
前世のイタリア料理チェーン店で食べた「フォッカチオ」にも似ている。
ただし、それは「形」においてのみである。
(か、硬てぇぇ…… どうやったら、水と小麦粉でこんな固いモノを焼けるんだ……)
勇者を引退し、魔力により発動する能力を封印されたといっても、身体能力は人並み以上ある。
その彼をして、食いちぎるのが至難の業のパンなのである。
彼はふと正面を見やる。
高いイス(まるでレストランの幼児用のイス)にチョコンと座った嫁がそれをポリポリ食べていた。
平然とビスケットでも食べるようにだ。
(エルフの交合力は人と違うのか。あんなにアゴが細いのに……)
小さな手でパンを持つその姿――
まるで、ハムスターのような小動物を思わせる可愛らしさだ。
ポロポロと粉をこぼしてしまうのも許せる。
いや、むしろそのこぼした粉を、集めて食べたいとウェルガーは思った。
「本当は、オイルや蜂蜜があればいいんですけど……」
「まあ、しょうがない。この島の開発はこれからだし、王国だって、それほど余裕があるわけじゃない」
「そうですね…… 今はまだ、皆が我慢をする時期なのですね」
「この南の島は、マシな方だよ。魚も獲れる。森には食料もある――」
そう言ってウェルガーが極彩色のウロコを持った魚にかぶりついた。
固いウロコを果物の種のように口の中で選り分ける。
しかし、その身は程よく火が入り、脂ののったこってりした味がする。
今、この世界ではご馳走といっていいだろう。
「開墾、種まき、収穫―― 街の整備―― まだまだ、時間がかかる」
「もっと、この島を豊かにして、多くの人に住んで欲しいです。餓えに困っている人を少しでも助けたい…‥」
「そうだな」
彼の幼妻のリルリルは、ときどき一〇歳とは思えぬような言葉を口にする。
美貌、可憐さ、可愛さだけでなく、頭がよく、そして優しい性格の少女なのだ。
魔王の率いる魔族軍団との戦争に人類は勝利した。
しかし、人類の負ったダメージも大きい。
多くの都市は破壊され、豊沃な大地は蹂躙された。
餓えに苦しまず生活ができるということだけで、感謝すべき状況なのだ。
確かに、この島を開拓し、更に多くの人を呼び寄せるのは、人類復興にとってひとつの道だ。
「ここだけではなく、他にも魔族に襲われなかった島が残っているかもしれません」
「ん~ そうだな…‥ しかし、そいつを探すのはこの島をちゃんとしてからだろう」
ウェルガーは言った。
彼もこの世界ではまだ一八歳になったばかりなのだ。
しかし、前世の知識で、破壊された社会機構の復興の難しさをよく知っている。
この世界の文明水準は、地球でいえば、平均すれば十六世紀前後かと彼は思っている。
ヨーロッパではようやく中世が終わろうかというような時期だ。
「魔法使いも戦いで、かなり死んでしまったしなぁ……」
前世にはない「魔法」というものがこの世界にはあった。
しかし、それが使えるのは一部の人間だけであり、彼らもまた戦争の犠牲になっていた。
生き残っている者は復興に大きな力を発揮するだろうが、その数は少ない。
ウェルガーが最終決戦のときに、その場所を間違えなければ――
――という意見も無いではないが、過去のことをとやかく言うのは所詮後知恵である。
結果、彼により人類は救われたのだ。これ以上望むのは贅沢というものだ。
(ま、俺はもう勇者じゃねぇし、終わった事はしょうがねぇよなぁ)
元々、彼は平凡なブラック企業の中間管理職だったのだ。アラフォーのおっさん。
無理な大規模プロジェクト失敗の後始末をさせられ、過労死で死んだ。
で、何の因果か異世界で勇者に転生させられ、全人類に対する責任を負わせられた。
勇者というか「人間兵器」になるための修行に明け暮れたのだ。
もう、あんな生活はコリゴリというのが、彼の正直な思いだ。
(だいたい、前の世界でも上の方は俺に責任を押し付けて、結果、俺は過労死したわけだ――)
前世の過酷なサラリーマン生活も思いだしてしまう。
「勇者―― いえ、アナタはもう魔法は使えないのですよね」
それは、何度か聞かれていたことだ。会話の流れの中の再確認みたいなものだった。
「勇者を引退したときに、余計な力は全部封印したからな」
「少し、残しておけば、復興に役立ったかもしれませんね」
リルリルは別に夫を責めているわけではなかった。
ただ、この世界を早くなんとかしたいという思いで言っているだけだ。
「まあ、そう思わないではなかったが、俺の力はあまりにもチートすぎだしなぁ」
数百万の魔族の軍団を一撃で葬り、超巨大な魔王を瞬殺する勇者だったのだ。
その言葉は決して言い過ぎではない。むしろ、その危険性に関し言い足りないくらいだった。
「今、島には魔法を使える方はひとりですが……」
「ああ、確か、治癒魔法を使える尼僧がひとりいるって話だが」
ウェルガーもリルリルも島に来てから、病気も怪我もしていない。
だから、噂で知っていたが、その尼僧に会ったことはなかった。
治癒魔法は治癒魔法で、この上なく貴重だ。
ただ、島の開発に直接役に立つわけではない。
それを支援する力になっているのは、間違いないだろうが。
「俺は、さほど宗教には興味もないしなぁ―― 今のところ、会う用事はないし」
「私たちエルフの、信仰は人とは違いますし」
この島の領有者は、一応ウェルガーだ。
しかし、彼は島の住民には自由にやらせている。
相談事には乗るし、今は開発に必要な木材の伐採をやっている。
この世界は宗教が世俗権力に干渉し、力を持つまでになっていない。
治癒能力者という点では重要だが、宗教ということでは、さほど重要ではない。
信者でなければ、治療しないということはないのだから。
宗教の影響力という点で、地球の歴史、文明の発達段階とこの世界は少し違いがあった。
ウェルガーは「魔法」という存在が、現実にあるということが、宗教の力を弱めているのではないかと思っている。
奇蹟の専売特許は、宗教だけではない世界ではないのだ。
◇◇◇◇◇◇
「今日は山にはいかない日ですよね?」
食事が終わり、リルリルが食器を片づけながら言った。
ふたりの愛の巣は、上等に言えばログハウスと言えるものだった。
食堂とふたりの寝室しかない家だ。
「ん、そうだけど――」
ウェルガーは返事をする。
家には、調度品も少ない。
食事をするテーブル、イス。
そして、ベッド――
大きなものはそれくらいだ。
テーブルに座ってなければ、ベッドに行くしかない。
しかし、朝ごはんを食べてすぐベッドに戻るというのは、新婚とはいえいかがなものかとウェルガーは思った。
トコトコと、リルリルは、ウェルガーの方に歩み寄った。
「よいしょっとッ」
彼女は夫の膝の上にチョコンと座った。
小さな体が、ウェルガーに包み込まれるようだった。
彼女は、大きな(身長一八〇センチほど)の夫の膝の上が大好きだったのだ。
「なんだ、また、甘え子さんだな―― リルリルはぁ~」
「いいのぉ♥ だって夫婦なのですからぁ!」
チョコンと座っているリルリルが振り向いて言った。
大気の中に溶けてしまうのではないかと思うような柔らかな髪の毛が顎の先に当たった。
長い耳をパタパタさせている。まるで、喜ぶ犬の尻尾のようだった。
(くぉぉぉ、な、なんで、このリルリルの身体は、柔らかいんだぁぁ、おまけにいつも良い匂いするしぃぃ)
彼は、後ろからキュッとリルリルを抱きしめた。
「もう! そっちも甘えっこですよね♥」
「だって、リルリル可愛いんだもん。しょうがないだろ――」
くんくんと鼻腔に流れ込む、エルフの幼妻の甘い香りを堪能しながら彼は言った。
「あの、アナタ……」
「ん? なんだ?」
「あの…… 一緒に出掛けたいです。海…… 海岸まで一緒に――」
リルリルは自分を抱きしめている夫の手をキュッと握った。
「ん、それはデートに行きたいということかな?」
「ダメですか? アナタ」
上目使いで、リルリルは自分の夫を見つめる。濃藍色をした大きな瞳だ。
思えば、島に来てから忙しく、一緒に周囲を散歩することすら、ほとんどなかったのだ。
家では散々、乳繰り合いモドキを繰り返していたのであるが――
「ダメなわけないだろぉぉぉーー!! おおおお!! 行くぞぉぉぉ!! どこへだって連れていってやる!!」
ウェルガーは、キュッと妻を抱きしめながら立ち上がった。
幼妻・リルリルの脚が完全に宙に浮いていた。
そして、彼女をお姫様抱っこの状態にした。
「じゃ、今からすぐ行こうか!」
「はい。アナタ。――でも、抱っこされながら…… は、恥ずかしいです……」
その可愛さに、元勇者の脳神経が焼き切れそうになった。
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