19.白旗
エルフで一〇歳の幼妻の真っ白な肌に赤黒い傷ができている。
それを見ているだけで、ウェルガーは心配になり、そして血が沸騰しそうになる。
「痛くなかったか。クソ…… 本当に…… ああああ、こんなにすりむけてぇぇ!!」
ウェルガーはしゃがみこんで、細く真っ白なリルリルの膝に出来た傷を見た。
淡雪すらくすんで見えるほどの透明な白い肌――
それに、傷が残ったら、どうしくれようか……
ウェルガーの中で、兇悪な獣が猛り狂いそうになる。
「大丈夫、もうほとんど痛くないから」
「本当か? 大丈夫か? でも、治癒魔法―― あ……」
ウェルガーの脳裏に「なのでーす!!」という、あの甲高い声が響く。
ちょっと、それは保留にして、やるべきことに気持ちを切り替える。
すでに、リルリルの首には、チョーカーがかかっている。
水晶のような石が神秘的な光を放っている。
まるで、反射では無く、自身が光を放っているような感じだった。
「よし、膝小僧をペロペロしてあげるからね」
「はい。アナタ――」
ウェルガーはリルリルのその部分にゆっくりと舌を這わせた。
ヌルリとした感触がまだ残っていた。
「あ、ああああ―― アナタ―― あはぁ♥ すごく気持ちよく……」
渇ききっておらず、まだヌルヌルとしたその場所をウェルガーは軽く吸った。
「アッ―― あ、あ、あ、あ」
ウェルガーの中に途方もない何かが流れ込んできた気がした。
リルリルの血が、口の中から体全体に浸み込んでいく。
ただ、それだけのことなのに、尾骨の底が火にあぶられたよう熱くなった。
脳天に痺れるような感覚が走る――
「お、おおおおおおお!! 来た―― これは――!! なんだこれはぁぁ――」
勇者の封印を解く術式。
最愛の者の血による封印の解除。
それがなされたのだ。
ウェルガーの身体の中にある一〇〇〇の魔力核の一部が覚醒した。
それは、ほんの一部だったかもしれない。
しかし、しばらく普通の人間として過ごしていたウェルガーにとっては圧倒的な力の奔流に感じられた。
「いける―― これならいける」
彼はスッと立ちあがった。
リルリルが自分の夫を見つめていた
濃藍の大きな瞳には、彼の姿が映っていた。
無敵無双の勇者ウェルガーだ。そして、自分の最愛の夫だ。
「リルリル―― 大丈夫だ。勇者の力―― その片鱗をキミにも見せてあげるよ」
大量の魔力が筋肉の中に流れ込む。
肉体が一気に強化される。
(一〇分の一で、一〇分間か―― 十分だ)
「リルリル、一緒に探してくれないか?」
「え? なにを」
「石。これくらいの大きさでいいよ」
そう言って両手の人差し指と親指をくっつけて円を作る。
ウェルガーは、そのくらいの石を探すように言ったのだった。
◇◇◇◇◇◇
「姐さん!! ダメです!! メインマストが完全にへし折れました!」
ひょろりとした黒ずくめの男が揺れる船の上で、足を踏ん張りながら言った。
ラシャーラを拉致した男たちのひとり、リーキンだった。
「なんだっていうのよぉ! もう、何よぉ、いったい!」
姐さんと呼ばれた筋肉の塊のような男、カマーヌだった。
彼はこの理不尽な事態に対し、吐き捨てるように言った。
「折れたマストを投棄しなさい! 船が安定しないわよ」
へし折れたマストが上甲板に倒れている。それが船の重心を変え、バランスを崩していた。
転覆するほどのことはないが、揺れが激しく船足もガクリと落ちた。
手下の船員たちが、巨木のような船のメインマストの支柱を海になんとか、放り込む。
ゆれは収まったが、速度が出ない状況は変わらない。
小さな帆が残ってはいるが、それでは大きな推力を得られるものではない。
「兄貴…… なんだ? デピッグ!」
小太りの男がやってきて、震える声で
「お、俺、見たぜ。マストが折れる瞬間を――」
「ああ? なんで折れた?」
「なんか飛んできた―― 陸だ。島からなんか飛んできたんだ―― それがマストに当たってへし折れた……」
「バカな! 大砲か―― いや…… そんなこたぁあるわけ――」
「兄貴……」
「ん?」
「知らせた方がいいんじゃねぇか。あの念話ができる機巧でよ――」
チビのデブが言った。
「ダメよ! アンタたち、さっき、アイツらには『エルフを捕らえた』連絡してるのよ。それを、すぐに――」
轟んんんん――
カマーヌの言葉が途中で掻き消された。
船の上にまたしても破壊音が響いたからだった。
高速で巨大な何かがぶつかってぶち抜けたような音。
そして、メシメシと軋む音が続く。
「船首マストかがぁぁ!! 船首マストも折れましたぁぁ!」
船員が怒鳴るように叫んだ。
「なんだよ…… いったい…… なにが起きてやる」
リーキンはへし折れ、帆に風を受け、クルクルと宙を舞いながら海に落ちて行くマストを見つめていた。
「ヤバいわね…… なーんか、とんでもない化け物の尾でもふんじゃったのかしら――」
彼らのリーダーであるカマーヌが諦観を感じさせるような声で呟いた。
◇◇◇◇◇◇
「すごいです! すごい! また当たりました!」
リルリルが驚きと歓喜の声を上げ、その場でピョンピョン跳ねる。
どうやら、膝はもう痛くないようだった。
「念のため、最後のマストもへし折っておくかぁ」
彼は手のひらでポンポンと、握りこぶし二つ分くらいの大きさの石を弄ぶ。
そして、ギュッとそれを握った。
本気ではない。本気で握ったら、その場で石が砕けてしまうからだ。
「行くぞぉぉぉ!! リルリル、最後の一本!」
「はい♥」
彼は右手を背中の方に大きく回した。
野球で言うところのテイクバック。
その時点で、腕が風を斬り、唸りを上げる。
「どっしゃぁぁ!!」
彼は腕を真上から思いきり振り下ろす、最後に指で弾き出すようにして石をブン投げたのだった。
リルリルは長い耳を両手で塞いでいた。
衝撃波でリルリルの耳がキーンとなるからだ。
風圧でコバルトブルーの海の上に白い波が一直線に伸びて行く。
それで、石が飛んで言っているのが分かる。
そして、船尾に有ったマストが帆といっしょに吹っ飛んだ。
風にのって、紐が切れた凧のように飛び、海面に飛沫を上げた。
風に乗った破壊音が一瞬遅れて聞こえてくる。
「すッごい……」
「まあ、これなら、死んだ奴はいないかな―― 怪我人がいるかもしれないが…… 自業自得だ」
帆船はもはや船としての機能を失っていた。
ただ、波間にゆれる、木の箱になっていた。
「お、漁船だ。師匠―― 師匠もいるのか?」
島の港から出た一〇艘程度の漁船が、浮いているだけの帆船に向かって進んでいくのが見えた。
先頭を行く船の舳先、やたら髪の長い人物が立っているのが確認できたのだった。
「あれ? なんか振っています。 アナタ」
「え!」
漁船に気を取られ、船だったモノから目を離していた。
ウェルガーは慌てて、視線を船だったモノに戻す、何かまだ抵抗する気なのか?
「白旗だ……」
それは、白旗だった。パタパタ振られているのはそいつだ。
予備の帆か何かで急いで作ったのだろうか。
この世界でもその意味はウェルガーの前世と同じだった。
要するに、敵は降参したのだった。
◇◇◇◇◇◇
「全員血祭りにしてもよかったんだけど、さすがに、島の人たちの前じゃね……」
(師匠にそんな常識があったんですね)
心で、ウェルガーは思いつつ、血なまぐさいことにならないでよかったと思っている。
降参した相手でも、容赦なく血の海に沈めるのが、師匠だと思っていた。だって鬼畜だから。
しかし、これから島で暮らすにあたり、そのような兇悪非道なことはできなかったのだろう。
その位は気を回すことが出来るのだ。
「大丈夫ですか? ラシャーラさん」
「平気―― 助けてくれると思ってたから」
美しいエルフふたりが手を取り合っていた。
リルリルがラシャーラの無事を知って喜んでいる。
リルリルの笑顔を見るのは、ウェルガーにとっても至上の喜びだ。
優しい彼女のことだ。
ラシャーラを助け出したとしても、全員をぶち殺していたら、いつか後悔する可能性がある。
たとえ相手が悪人であったとしてもだ。
よって、この状況はベストといってよかった。
「まったく、とんだ化け物がいたようね――」
ラシャーラを狙っていた集団のリーダーが呟くように言った。
その目は、ジッとウェルガーを見つめている。
マッチョのオカマ、カマーヌだ。
降伏はリーダーである彼が判断した。
船が動かなくなったのでは、抵抗すること自体無意味だからだ。
彼は、すでに縄でグルグル巻きにされていた。
手下はだいたい三〇人。
全員、同じように縛られている。
抵抗することなく、全員が捕縛されたのだった。
「姐さん、アイツ……」
黒ずくめの男が言った。
彼の視線もウェルガーに向けられていた。
「多分ね―― アルデガルド王国の勇者よ。マジモンの化け物よ」
「勇者…… あいつが……」
彼らはマストの折れた船ともども島に連れてこられた。
漁船で曳航して、島まで運んだのだった。
彼らの物だった船は今、港に係留されている。
「ウェルガーの旦那、コイツらどうすんすか?」
その場にいる捕縛に協力した漁師の一人が訊いてきた。
陽は西に傾きかかているが、やじ馬が港に押しかけてきている。
まあ、人口三〇〇人程度の島なので、それでも大したことはないが。
「うーん…… 次に王国の船が来るのは三日後だっけ?」
「確かそうですなぁ~」
その言葉を聞いて、ニュウリーンもビクッと反応する。
彼女も王国に対し、色々不味い事情がある。
ウェルガーの封印を解く方法を知るために、王宮付の賢者に一〇発かましてこの島に来ているのだ。
「そのときに、引き渡しだな~ 後は王国の法によって裁いてもらうしかないだろ」
ウェルガーがその場にいる全員に聞こえるように言った。
ざわざわとした反応。肯定的な声が流れ、それでいいんじゃねという空気がその場に出来あがる。
「王国に引き渡すより、拷問して背後関係を吐かせたらどうかしら? その方が褐色エルフちゃんのためになるかもしれないわ」
ゾッとするような笑みをうかべ、ニュウリーンが言った。
王国に自分の存在が知られるのが不味いという極めて個人的な感情から出た提案。
それは、弟子であるウェルガーにはよく分かった。
ただ、なぜラシャーラが追われているのか?
それは知っておく必要があるかもしれなかった。
彼女には全く身に覚えのないことなのだ。
「言ってもいいぜ――」
その時、捕まっていた奴らの中から声が上がった。
「アンタ、勝手に!」
「姐さん、こうなったら、奴らに義理立てしてもしょうがねぇよ」
「そ、それはそうかもしれないけどね――」
それは長い脚を窮屈そうに折りたたんで、座っている男だった。
立てば、かなりの長身だろう。
「教えてくれるのかい?」
ウェルガーが言った。素直に言ってくれるならこんな楽なことは無い。
で、後は王国に丸投げしておけばいいだろう。
対魔族戦争の結果、人的資源も不足している。
おそらくは奴隷狩り。
美しいエルフのラシャーラを狙っているってことは、そっち方面の奴隷商人ではないかとウェルガーは思った。
(まったく、人類が協力していかねばいかんときになぁ……)
彼は潮風に当たり、ぱさぱさになった頭をポリポリとかいた。
いつの時代――
どんな世界でも、人々の心がひとつになるというのは、難しいものだと彼は思う。
「教える―― ただしだ」
「ん、条件ありか?」
男は、強い眼の光をウェルガーにぶつけていた。
「勝敗は関係ねェ。俺と勝負してくれねぇか。それで、全部話してやる。なあ、勇者さん――」
どよめきが起こった。
捕虜となった悪党が、勇者に対し決闘を申し込んできたのだった。
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