夜津木とサイクロプスの日常
*まえがき*
今回は彩斗たちが最初に戦った相手、夜津木とサイクロプスの話になります。
本編では彩斗たちの前に敵として立ちはだかった彼らですが、こういうこともあったのかと楽しんで頂ければ幸いです。
*****
暗く、湿った、院内な空気の牢屋の中。
「ひゃっはーっ!」
陽気に猛々しく叫ぶ、青年がいた。
歳は十九か二十歳。ドレッド状にした髪型が特徴的で、歯のいくつかが欠けている。
背は高く細い体型。華奢に見えるが必要最低限の筋肉が衣服の中に隠されており、寝技、関節技、格闘技など一般人を容易くねじ伏せられる技能も備えている。
アルシエル・ゲームに召喚された人間の一人だ。そして――『殺人鬼』の異名を持つ人間でもある。
「なんつーかさ、なんつーかさ、ドキドキしねえ!? どいつもこいつも奇人変人、強者、覇者、聖者、賢者っ! 凄そーな奴らばっかじゃん!?」
彼は叫ぶ。牢屋の中で。巻き込まれたゲーム、その参加者について興奮する。
「切り裂きてーっ、削ぎ落としてーっ、ああっ、うずうずする。胸がっ! 心臓が! 高鳴る! うひはーっ!」
じつにテンション高く喚く夜津木だったが、相方である魔物はそっけない。
「……眠い。うるさい。もう少し、静かにしてもらえないか」
緑色の体表を持つ魔物だった。
溢れんばかりの筋肉が目を引く。腕は太く、脚も太く、胴体はちょっとした岩山のよう。
拳銃をぶち込んでも効かなさそうな、鋼の肉体。口には剣山めいた乱杭歯が生えていて、胸と腰周りには魔獣の毛皮。いかめしい顔つきと野太い声も相まって、粗野という言葉がよく似合う。
「お前の興奮もわかるがな、夜津木。さすがに夜通しキンキン声で喚かれると眠れない」
サイクロプス。正体は単眼巨人の魔物だった。
現在は待機時間のため、宮殿の魔法によって人間の姿に変えられている。
彼は床に横になったまま苦言を呈するが、夜津木はにやりと笑うと、
「なんだ何だ景気悪ぃ顔だなサイクロプスー。魔物ならもっとこう、殺そうっ! 犯そうっ! 剥がそうっ! 捻ろうっ! ってな具合に、熱くたぎらねえ!?」
「魔物でも眠いときは眠いし、疲れるときは疲れる。夜通し叫ぶお前が異常なんだ」
「なんだよつまんねーな。お前ほんとに魔物かよ? 他人の手足を潰し目を繰り抜き体を引き裂くのが、魔物と思ってたのに!」
「そんなものカロリー使うから、いつもやってるわけがない」
サイクロプスは呆れ声のまま、
「お前は起きてから寝るまで、そんな疲れることばかりするのか?」
「するね! 俺は体が動く限り殺すね! 俺はこのコンバットナイフで、じーさんばーさんねーちゃんにーちゃんも、かわいー女の子も男の子も赤ん坊もイケメンも! 美女も美熟女も美魔女も、おっさんやおばちゃんもみんな! 全部! 平等に! 叩き斬る! ひゃっはーっ!」
物騒かつ猟奇的な発言だった。これが、夜津木が殺人鬼と言われる所以だ。
当然だが、付き合いきれないというように、単眼巨人(サイクロプス)は反対側に寝返りをした。
――その瞬間だった。
彼の首元に、コンバットナイフの刃が、勢いよく振り下ろされたのだ。
「っ!」
銀の刃が、硬い床にぶち当たり、金属音が奔る。
火花が散った。
赤と橙色の小さな粒子が虚空に飛んでは消え、一瞬だけ、静寂が落ちる。
「――何の真似だ、夜津木?」
冷えた声音でサイクロプスが問いかけるのも、無理はないだろう。
彼の首元は、浅く斬られていたのだ。あごのやや下、完全に刃が通る直前に、彼は拳で刃を弾き、防いだのだ。
これには眠気に襲われていたサイクロプスも眉を潜めた。思わず上体を起こし、目を眇める緑色の魔物に、夜津木が嬉々とする。
「凄え! 今の防ぐかよっ!」
夜津木が目を尊敬に染めて言った。コンバットナイフの柄を支点にくるくる回す彼は、上機嫌そのものだ。悪気も、殺意も、あったものではない。呼吸をするように、ごく自然な流れでサイクロプスを殺そうとしたのだ。
さすがにサイクロプスの中で小さくない怒りが沸く。
「何の真似だと、聞いているのだが?」
「だってさー、思ったより全然、血生臭くねーんだもん。マジで魔物なのか、確かめてみた」
「馬鹿か……」
サイクロプスは盛大に嘆息した。
「いやいやだってさ、そんな温い魔物なんて興ざめだぜ。魔物ってのはこう、人間の悲鳴が好きで、悪夢の体現者で、人の体とかを裂いて、血みどろの光景見るのが大好きなんだろ?」
「それはお前の勝手な想像だ」
「え、マジで……?」
唖然として夜津木は問いかけた。
「魔物ってみんな、人殺しが好きだと思ってたんだけど……」
「そんなわけあるか。確かにそういう血なまぐさい魔物も稀にいるが、誰も彼もがそんなわけないだろう」
「嘘つけー……」
「三万匹に一匹だろうな。お前の想像通りなのは。少なくともおれがいた世界では、滅多なことでは人は殺さない」
「だ、だってさ、ちょろっと他のペアの魔物とも話したけどよ、結構みんな好きだぜ? そーゆーの。八つ裂き、引き裂き、噛み砕き、大好きだーって言う魔物も、いたんだけど」
「残念。偶然だな。お前の相棒は、そこまで血も悲鳴も好きではなかったということだ。諦めろ」
夜津木は頭を抱えた。
彼にとって魔物とはもっと天災か何かの具現のような扱いだったのだ。それが、三万匹に一匹。なんと夢のない話だろう。
「あ、でもさ、血ぃ見たら、衝動って起こるんだろ? こう、本能って感じで、ドバって血を前にしたら、『来る』ものがあるだろ?」
「別に。それほどでも。最近は人間も知恵をつけてきているから、傷を負っても回復してしまうし、そもそも戦っても勝てるとは限らないから襲わない」
「……マジで?」
「マジで。人間は、強く、恐ろしいな。おれたちが棍棒で薙ぎ払っても、すぐに立ち上がる。そして向かってくる。愛だの、友情だの、秩序だの、世界の平和だの、そんなものを叫び、凄絶な一撃を撃ってくる。……割にあわないんだよ。それこそ辺境の村でも襲うしか、最近はしない」
「マジか……」
しゅんとして、夜津木はコンバットナイフを取り落とす。
「魔物って、案外大人しいのか……」
糸が切れた人形のように、その場に崩れ落ちる。
俯いて、覇気の失せた溜息をする。
薄暗く、陰鬱な牢屋の中に、痛ましい静寂が訪れていく。
「……夜津木?」
返事がない。
まるで枯れ木のようだ。一気に生気が失せた様子で、夜津木は俯き続ける。
それほど、夜津木にとって魔物は畏怖の対象だったのだろう。殺人鬼、などと言われる夜津木だが、それは死が何よりも自身を興奮させるから。死の体現者だと思っていた魔物の現実の姿に打ちのめされ、絶望し、覇気を失ってしまった。
一秒が経ち、二秒が経ち、三十秒が経つ。それでも夜津木は、面を上げない。
両手で床に文字を書き、小さくぶつぶつ呟きながら、いつまでもそうしている。サイクロプスが顔を近づければ、彼は床に、ナイフや剣や槍の絵を書いていた。
まるで、玩具を取り上げられた子供だった。砂場でいじけるように、いじいじと、夜津木は自分を慰めている。
「……夜津木、お前の気持ちはわかるが、おれも、」
瞬間。
怖気が走り、サイクロプスは顔を仰け反らせた。
黒い色をした血液が、宙を舞う。
一瞬でコンバットナイフを手繰り寄せ一閃させた夜津木が、再びサイクロプスの首を狙ったのだ。
真一文字に走ったサイクロプスの傷口から、少なくない血が滴る。
「……お前……」
「マジかよ、これすら凌ぎやがった!」
一瞬で高揚状態に入った夜津木は、目を輝かせていた。
「凄え、凄え! なあ! やっぱスゴいよお前! 超ースゴい! 今めっちゃ速く斬ったのに! それでもかわすなんてっ?」
「……なるほど、殺人鬼とはよくいったものだ」
嬉しげに微笑む夜津木には、先ほどの鬱めいた様子など微塵もない。
サイクロプスが二度も難を逃れたことで、再び高揚していた。
油断させて命を狙った、彼の一撃。
さすがにサイクロプスの沸点にも限界はある。
「夜津木」
「あん?」
轟――と。
凄まじい風が飛ぶ。
今度は夜津木が避ける番だった。一瞬前まで彼の顔があった場所に、緑色の豪腕が振り抜かれたのだ。
刹那的に真空を生み出した一撃が、離れた壁にまで衝撃波を叩きつける。ズシンッ、と軽くない音が響き渡り、牢屋ごと大きく振動する。
「――あまり調子に乗っていると、殺すぞ、この殺人鬼が」
怒気もあらわにするサイクロプス。
濃密な殺意で周囲が覆われる。
常人なら窒息するだろう。
けれど、それでも夜津木は怯まない。
むしろ猿のように拳を避け、体勢を整えた彼は、にまあっと、笑みを浮かべていた。
「凄え……衝撃波だけでこれかよ!」
「……」
「なあなあもっと撃ってくれねえ? 命が輝く瞬間が欲しいんだ。生と死と、一瞬で入れ替わるその瞬間が、見たいんだ。頼むよサイクロプス! もう一度、俺の命を狙ってくれ! なあ俺に真の死の縁が見える瞬間を、見せてくれっ!」
「よかろう。死ね、この殺人鬼が」
「ひゃっはーっ!」
拳が舞い、ナイフの切っ先が虚空を躍る。
生と死の
サイクロプスの巨岩めいた一撃が、備え付けの鉄ベッドを打ち砕く。
その破片に紛れて、夜津木がナイフを一閃する。
互いに切り傷が増えた。サイクロプスは夜津木のナイフを受け、夜津木はサイクロプスの拳の衝撃波で斬り裂かれ、真空波によって二重三重に顔に赤を走らせた夜津木は、恍惚とした声を出す。
「生きてるって、スバラシーっ!」
顔の至る所を赤く染めながら、それでも彼の笑みは終わらない。
「この瞬間! この殺意! 俺は生きてる! 死の狭間で泳いでる! なんて天国っ! 俺のナイフで死なねえ奴がいる! 俺を殺そうとする魔物がいるっ! ひゃーう! 楽しーいっ! やべーやべーうれしーよ。ちょー嬉しい!」
やがて、刃と拳の応酬にも終わりが訪れる。
互いに体力の限界だ。底を尽いた体力で放つ夜津木のナイフは緩慢で、サイクロプスも似たようなもの。何百と繰り返した応酬の果てに、二人はどちらともなく床に崩れ、視線を交わす。
「……おのれ、殺し損ねた」
サイクロプスが、吐き捨てた。
「やべー、まだ心臓ばくばく言ってる」
嬉しそうに言う、夜津木の笑顔。
心底楽しんだ様子の殺人鬼を前に、サイクロプスは嘆息して、天を仰いだ。
そして諦めたように瞑目すると、脱力しささやいた。
「もういいわかった。お前に付き合おう」
「へ?」
夜津木はきょとんと聞き返す。
「お前の殺戮に付き合ってやると言った。殺したくなったらいつでもかかってこい。このサイクロプスが相手をしてやろう」
心底嫌そうに、不機嫌そうに、呆れも怒りも混ぜ合わせて、疲れたようにサイクロプスは言い切った。
瞬間、夜津木は見る見るうちに顔を輝かせる。
躁状態からさらに先へ、今にも幸せで空を飛びそうである。
「ひゃはははは――――! やったぜおい、サイクロプス大好きっ! これから頑張ろうぜっ!」
「嫌だ。頑張りたくない。だがお前のような馬鹿と、出会ってしまったおれの不運に、今さらどうこう言うこともできない。来るがいい夜津木。お前を、殺してやろう」
「いいねえ、その意気だよ。ひゃはは――っ、アルシエル・ゲーム! 最っ高っ!」
――そして、彼らは後日、敗北する。
相手は少年と少女。
及川彩斗とスララのペア。
最弱に見えてその実、誰より秘めた力を持つ彼らとの戦い。
夜津木は思う。
この世界に喚ばれて良かった。
アルシエル・ゲームに喚ばれて、幸せだった。
なぜなら彼はサイクロプスと共に、彩斗・スララのペアと挑むうちに――。
幸福のその先の、最高に心が躍る境地に至ったから。
彼らは、アルシエル・ゲームを勝ち抜くことは叶わない。
けれども彼らは間違いなく、殺人鬼として、魔物として、アルシエル・ゲームを謳歌していた。
「なあサイクロプス。もう一回、殺し合おうぜ?」
「はあ、はあ、いい加減っ、くたばれっ、この馬鹿がっ!」
――それは、語られることのなかった、殺人鬼と巨人のひと時。
彼らの意志は、コンバットナイフに込められ、今も彩斗のその手にある。
終。
*****
あとがき
お読み頂き、ありがとうございました。
本編ではヒーローでもなくアドバイザーでもなく、純粋に敵として立ちはだかった彼らですが、こういう、いつもと違ったキャラがじつはこうしていたという話を書くのは好きです。
(言動的にバランス整えるのが苦労しますが)
話の流れとしてあまり本編では描写を割けなかった二人ですが、少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます