第35話 灼熱の魔神③ ~バトルパート~
フレスベルグは、天空宮殿の暗い牢屋の中で、闘技の様子を見ていた。
千里眼の橙色の球体の向こう、死闘が行われている。
代理としてアルシエルが参加している以上、エルンストの正規ペアのフレスベルグに出来ることは何もない。
精々が千里眼で様子を眺め、戦況の推移と結末を知ることぐらいだろう。
もどかしい、という気持ちはある。
あの中に、自分がいればもっと優位に勝負を運び、アルシエルをきっと負かすことができたのに。
けれど、運命はフレスベルグを選ばず、暗い牢屋の中での鑑賞を余儀なくさせた。
「あり得ない。ふざけてる。なんでフレスベルグだけこんな役目なの。アルシエルをぶちのめしたいのに。一人だけこんな薄暗い所なんて冗談じゃない。あり得ない、あり得ない」
仮にも共に協力し合った仲間たちだ。彼らの危機に何も出来ないのは悔しいし、寂しい。
強者であるがゆえに、独りで戦ってきたフレスベルグは、仲間の大切さを知った。協力と、それに伴う連帯感を知った。
それは、故郷では感じる事の出来なかった心情だった。
フレスベルグは、知らず知らずのうち、彼らを同志と思うようになったのだ。
「だから負けたら許さない。絶対に戻ってこい。フレスベルグはまだ何も出来ていない。あんな炎に焼かれたら許さない」
口をついて出たのは、けなし文句にも似た言葉だ。
だが、それでも結末だけは見ようと思った。もどかしさを覚えつつも、彼女の目は死闘の様子から離れない。
「どうせ、ボロボロになって帰ってくるんだろうけど。そしたら労いくらいはかけてやるから。だから――」
こっそりつぶやく。それは誰の耳にも聞こえず、残らず、そよ風のような声量だったが、確かにささやかれた。
「彩斗。スララ。エルンスト。頑張れー」
フレスベルグの応援のもと、闘技は、熾烈を極めていく。
† †
紅蓮を翻し、八つの火柱が上がる。
灼熱の熱波が、周囲を炙り、焼き焦がしていく。
その上空、浮遊しながら悠然と滑空するのはエルンスト。彼の履いた靴には羽が生えている。それによって彼は飛行能力を得ており、短剣や短槍と同じく、自動で動き、能力を発揮している。まさに自律式魔法具(インテリジェンスウェポン)――その靴は、エルンストが致命傷を負わないよう滑空し続ける。
「スララ、右からである!」
「うんっ!」
鋭利な先端を持つ岩が振り上げられ、リコリスが大きく弧を描き出す。
先んじてエルンストが飛び込み、翡翠色の剣をアルシエルの後頭部へ叩き付けられる。
確かな手応えが、柄越しに伝わった。颯爽と靴の飛行能力で身を翻し退避する。
直後。
膨大な質量と共に、スララの岩の叩き付けがアルシエルへ直撃した。
粉塵が盛大に舞い、振動が周囲へ行き渡る。
何十メートルという高さの土煙が、濛々と立ち上がる。
さらに攻撃は続く。
好機を得たエルンストとスララは波状攻撃を仕掛けるべく、打撃を、斬撃を、豪雨のように解き放つ。
エルンストの自動攻撃武装たる短剣や短槍やナイフが次々とアルシエルへと殺到――上方、右方、左方、後方……様々な確度から飛来する銀閃が音速を超え怒涛のように突き刺さる。
追随するかのように、スララがリコリスで持ち上げ、新たな巨岩を振り下ろす。
巨人の鉄槌のごとき轟音が空気を震わせる。
破片が舞い、大気は激震し、荒れ狂う衝撃波に着弾点がひしゃげ、土が弾け飛んだ。
エルンストが短く命じた。
「
エルンスト、が言霊と共に、白衣のポケットからガラス管をぶち撒けた。
するとたちまち深緑色の液体が霧状になり、地表へ拡散、。染み渡った岩の破片群がうごめき、宙へと浮遊していく。
ふわりと虚空に浮いた破片群は――刹那、幾十幾百という破片の群れとなり、驟雨のような勢いでアルシエルへ猛進する。
凄絶な、光景だった。
機銃の斉射もかくやという数と速度の破片弾が迫り、、息つく間もなく直撃し、猛撃し、乱打してアルシエルを釣瓶打つ。
粉塵の嵐が巻き起こる中。
さらなる大きな巨影が、コロシアムを支配する。
スララが、リコリスを巨大な棍棒へと変じ、天井高くにまで振り上げたのだ。
彩斗が氷のコンバットナイフを添えて、リコリスを氷結させた塊だった。ガルムの遺した永遠の魔法の冷気――リコリスを最強の氷の棍棒へと昇華させた鈍器、魔神を打つべく、叩き降ろされていく。
轟音が闘技場を揺るがした。
巨大な半月を描いて、スララが氷結棍棒をアルシエルへ炸裂させ、彼女を陥没させる。。
それも、時間差を置いて二つ。
立て続けに巨大な氷の棍棒が叩き降ろされ、大音響が周囲に満ち溢れていく。爆裂した地面が盛大に吹き飛び、破壊の渦を撒き散らす。
それでも追撃は終わらない。
エルンストの自動攻撃武装の群れが、槍衾を思わせる布陣で、アルシエルへ突っ込み、銀閃を幾度も刻み込む。
円状、線状、螺旋状――一度宙を奔った刃たちは、自動で陣を組み飛来する。
たちまち銀の刃の花が咲いた。限界を超えて酷使された武器たちが、粉々に砕けて四散する。
それらの欠片さえも、エルンストは利用する。
「
深緑の液体が再び放たれ、蠢いていく。
地表で拡散し染み渡る液体は、砕けた自動攻撃武装の欠片を操作、濁流めいた勢いで突撃し、アルシエルへ猛撃する。
刃の流星雨のように、降り注ぎ、荒れ狂い、踊る軌跡群。
そして、それらの猛撃をも上回る攻撃が、彩斗の手から放たれる。
「ゲヘナ――っ!」
高く朗々と、彩斗の声が響き渡った。
黒い業火がまるで大蛇のごとくうねり、くねり、空間を突き破って進撃する。
地面が抉られながら焼き尽くされた。軌道上にあった岩の破片も何もかもを巻き込んで、破滅的な業火が迫りゆく。
――勝った。
誰もがそう思った。
彩斗とスララとエルンストの波状攻撃は、いかなる魔物をも屈服させ、魔神にすら敗北を与えるだろう。観衆場の人間、魔物、千里眼で見つめるフレスベルグ――全ての者たちが、間違いなく確信した。
けれど――。
「ウウゥ、アアァッ!」
数々の猛攻を受けてなお、アルシエルの怒気は衰えない。
灼熱の猛火が、天井へと突き抜ける。
紅蓮で染め上げ、超高熱を撒き散らしてアルシエルは、大きく跳躍。長く凶悪な赤の輝きの爪を翻させる。
アルシエルの体に傷はない。全くない。全身全霊のスララとエルンストの連撃ですら、彼女にはかすり傷一つ付けられなかった。
彩斗のゲヘナが、アルシエルの遥か下を通り抜けていく。
かわされた。痛恨の光景に彩斗は追撃をしなければ――と思い、エルンストが。白衣の裏地に手を伸ばし、追撃しようとした瞬間。
アルシエルの爪が瞬く間に変化する。
槍だ――と思った時にはもう遅かった。
烈火の軌跡が、猛進して迫り――エルンストの全身数ヶ所を貫いた。
とっさに翡翠色の剣で一本は弾いたがそれで剣は砕け散る。四散した刃の欠片と共に、白衣の青年は猛火に抱かれ、地面へと墜落していった。
「エルンストさ――」
彩斗が叫びかけたとほぼ同時、アルシエルは彼に向かって、大きく腕を振り回す。
紅蓮の分体が空中に飛散した。
数は六百五十八、烈火がたちまち膨れ上がる。
死を呼び寄せる灼熱の触手が、彩斗に轟然と突き進む。
――あ。
かわせる数ではない。防げる速度ではない。
本気だった。紛れも無いアルシエルの本気だった。わずかに残っていた彼女の理性――。
彩斗を本当に殺せば、スララが悲しむというぎりぎりの理性すら駆逐され、魔神は憎悪に心を喰われた。
「やらせはせん! ゲヘナ――ッ!」
寸前、落下し地面へ激突したエルンストの業火が、窮地の彩斗を救った。
彩斗が人間なら、エルンストも人間だ。当然、切り札は使える。
黒い業火が、空を斜めに奔り横断した。彩斗の眼前の触手を全て消滅させらせる。
しかし、アルシエルはそんな光景は些細な延命だとばかりに、吠え猛る。
「ウウァ、ウアァァアッ! 意味など無イ、貴様ラに勝ち目などなイ、見よッ!」
アルシエルが、自らの背中にリコリスの分体を付着させた。
その部分から紅く激しい『火炎の翼』が形成されていく。
火の粉が舞い、宙が紅色に染まり、羽ばたくごとに高熱が辺りに吹き荒れる。
飛行能力すら得た魔神アルシエルが、両手の爪を、長く、長く、長く――戦場の両端に届くのではないかというほどに伸長し続けていく。
「わたしは最強の力ヲ手に入れタ! 私がエレアントの端マデ捜して手に入れタ『ダジウスの輝石』は、歴代の魔神たちの死骸を集めテ造られたモノだ! この力の前には、いかなる存在も灰燼と化ス!」
アルシエルの首元で、茜色のペンダントが強く妖しく輝いていく。
その光が、魔神へさらなる力を与える。
「この輝石にハ、歴代の魔神の力が込められてイル。かつての覇者が用い、覇権を担った、大いなる力。ソレはエレアントの歴史を収めテいるに等しイ。破壊と混沌、恐怖と絶望――その歴史を収めていル私に勝つ者は、皆無!」
ダジウスの輝石が猛然と煌めく。アルシエルに破滅の力を与えるべく、世界の終焉をもたらすべく、力を注ぎ続ける。
「エレアントの歴史がベリアルを滅ぼス! 私ガ背負い滅ぼす! 奴の破壊と遊戯を私は忘れなイ。ベリアルは殺さねばナラない。そのタメに、アルシエル・ゲームを続けなけれレバならない。だから、アアアッ、そうダ、それが私の使命ダ! だから、だかラ……っ」
両端にまで伸長した両手のリコリスが、荒々しく火炎を迸しらせる。
腕が振られる。分体が次々と地表に注ぎ、幾万の輝く星のように降り注ぐ。
着弾した分体が膨張し、灼熱の火柱となる。
火柱は結集して一つの巨大な壁と化した。地上を、彩斗たちを、戦場全てを焼き尽くすべく――どこまでも広がっていく。
「もうやめて、お姉ちゃん!」
スララが悲痛に叫んだ。
「それはダメ、それは放っちゃダメだよ。みんな、みんな焼き尽くされちゃう……っ」
「投降セヨ! 殺してやル、ベリアル! スララ、投降してくれ。死ね死ね死ネ、ベリアル! スララ、今すぐ敗北を認めてくれ! ベリアルを殺すんダ、そのために私はここまできたんダ。早く、諦めてくれ、スララ。ベリアルを殺したい、殺さなければならない。アアッ、アアアッ! スララ、私は正気を保てない。こうしてる間にも自分が憎悪で死ぬのがわかる。ベリアル死ネ。死ネ。スララ、お前たちの負けだと、叫んでくれ! 自分たちの負けだと、認めてくれ! 私はもうダメだ、ベリアルを殺す殺ス殺す殺ス殺ス! お願いだ、スララ。投降して……っ」
もうアルシエルは限界だ。砂粒しかない理性が激情に飲み込まれようとしている。
必死に足掻く姿は、痛ましいを越えて悲痛の域だ。
美しい顔は歪みに歪み、苦痛に満ちている。
スララを案じる優しさと、ベリアルを憎む憎悪――それが一瞬ごとに入れ替わってはさらに歪み、見るに耐えない形相となっている。
「こんな……」
彩斗は、震える。
ゲヘナを彼女に当てなければ勝てない。
だが、ゲヘナでは遅すぎて当てることが叶わない。
これまで何度も試そうとした。だが駄目だった。あの魔神、仕留めるには絶対的に戦力が、足りていない。
「お姉ちゃん! お姉ちゃん!」
スララが涙をこぼしながら必死で声を上げている。エルンストが虫の息のまま体を起こそうとしている。彩斗は歯を食いしばりながら、視界の向こう、灼熱の巨壁を睨んだまま見上げるしかできなかった。
無理だ――これはさすがに防げない。全力で戦った。打てる手は全て打った。それでも魔神アルシエルには、どうやっても勝つことができない――そう、無力感が彩斗の中を這いずり回っていく中。アルシエルが。
「スララ! 早く、早く、投降ヲ! 私はお前をベリアル殺す殺ス殺ス目玉を繰り抜き心臓を抉り首を焼キ私は、私は世界を、歴史ヲ、魔神ベリアルを、滅ぼしてスララと一緒に、平和な、日々を送っテ幸せになりた――早く投降を! もう、もう、駄目ダ、ウウグッ、ウァア、アアアッ、スララ――――ッ!」
何かが切れた。
一線を超えてしまった。
万物を焼き尽くす紅蓮の巨壁が、彩斗たちへと解き放たれる。
地表の岩々が――次々と飲み込まれては消えていった。
火の粉とアルシエルの絶叫が散る中、空間が真紅の狂乱に染まっていく。
世界が終わるというならば、まさに今がその光景だ。
誰もが終焉を予感した。灼熱が何もかもを滅ぼし、溶かし、終わりをもたらすと予感させる。獄炎が猛り狂い、大気を焦がし、猛進し、そして――。
刹那、スララだけが動いた。
二本のリコリスが、風を切り走る。二つの岩を持ち上げる。
それを彩斗とエルンストのそばへ、そられを叩き付ける。
衝撃で地面に、二つの穴が空いた。
スララはそしてリコリスでそれぞれ彩斗とエルンストをその穴へ押し込み――岩で上部の蓋をする。
そして――。
「ごめんね」
直後、スララが灼熱の巨壁に飲み込まれ――
穴と岩に守られた彩斗と、エルンスト以外の全てが、紅蓮の輝きに消えていった。
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