第20話  スララの笑顔

突き出した夜津木のコンバットナイフの切っ先が、リコリスの鞭で弾かれる。

 続くナイフの薙ぎ払いが、容易くそらされる。


 体重を乗せた、一撃だった。けれどもあっさりと防がれてしまった。

 彩斗は態勢を崩され、なんとか攻撃の続行をしようと、コンバットナイフの柄を強く握り締め、視線を前へと向けようとする。けれど二条の半透明の房が攻撃を阻む。


「えいっ」


 スララの掛け声と共にリコリスが大きくしなる。形は鞭のごとく、長さは通常の倍、遠心力を乗せ、大上段から猛然と彩斗の肩へ振り下ろされる。


「うわっ」


 対して彩斗の動きは遅れた。振り下ろされたリコリスの鞭こそ命中しなかったものの、かわした後に脚がもつれて姿勢を崩し。立て直す間もなく追い打ちのリコリスの鞭が襲いかかる。

 命中する。脇腹を狙った伸縮自在の鞭は、ヒュっという軽い風切り音と共に、彩斗に当たった。


 彩斗は転がった直後、に何とか起き上がり、コンバットナイフを構え、続くリコリスの鞭の軌道を見極めようとするが――無駄だった。右に、左に、うねりながら巧みに動く半透明の鞭にどう対処していいかわからない。



「く、うう……」


 再び鞭がしなる。結果として彩斗は左胸に攻撃を当てられ、さらに鼻っ面にも一撃を当てられて、大きくのけぞった。


「彩斗~、動きが悪くなってるよ~。今日はもう、やめにした方がいいと思う」


「……はあ、はあ。……うん、そうだね。終わりにしよう」


 肩で息をしつつ、彩斗はどかりと冷たい床に、大の字になる。

 体がだるさを訴えている。手足は石にでもなったかのように重く、脱力感が全身を覆っている。こめかみから汗が噴き出して、耳元を伝った後に、雫となって垂れていく。


「やっぱり、まだ夜津木のようにナイフをうまく扱えない……か。これじゃ、次の闘技は……」


 悔しさが彩斗の声音に滲む。

 絶叫しながら石化したあの男の闘技が終わって、すでに数時間が経っていた。

 再びガーゴイルによって牢屋に連れてこられた彩斗は、スララに組手を頼み込んだ。けれど、いまいち成果は出ない。


 脳裏には、今日の闘技の記憶。負けた男の悲痛が忘れられない。

 石化を止めようと必死に魔法を行使し、それでも止まらず、大声を喚き散らし、最後には絶叫と共に石像へと成り果てた筋骨隆々の男性。彼の苦悶の表情が、頭に焼き付いてしまっている。


 恐怖と無念。憤怒と諦観。

 様々な感情を浮かばせた男性の表情は、彩斗にとって焦りを生み出させるものだった。もしも自分たちも闘技で破れたら――そう考えただけで、怖くなる。

 そこで夜津木のコンバットナイフをうまく操れるように、スララと練習したのだが――。


 そもそも刃物を持って、相手に向ける勇気すら彩斗にはなかったのだ。

 練習中、彩斗はコンバットナイフの刃を晒さず、ずっと鞘の状態で振り回していた。

 それでも相手に向かっていくとき、どうしても及び腰になる。集中力も十分とは言えず、ずっとスララに一撃も当てられないまま、数時間が経っていた。


 心配そうに、スララが彩斗の顔を覗き込む。


「彩斗、いきなり使いこなすなんて、無理だよ。焦らないで、大丈夫だから」

「いや、焦らないと、ダメなんだよ」


 思わず、疲れた息を吐く。

 今日の聞き込みの時もそうだった。自力では満足のいく成果を出せず、スララのおかげで話を聞けることが多かった。

 エルンストとの情報交換も似たようなもの。彩斗はいくつか報告したが、彼の方がずっと情報の質も高かった。情報の交換というより、ただ譲渡してもらっている――そんな感覚を彩斗は抱いていた。


 もちろん、人には適材適所がある。集落で曲がりなりにも活躍していたスララと、科学者のエルンストと同列に自分を扱うのは、彼らへの侮辱だろう。

 けれど理屈はそうでも感情がついていかない。役立たずという言葉が、脳裏をよぎってしまう。


「ボクはまだ、実力が足りていない。だから頑張らないといけない。けれど、この有り様だ。悔しいよ、スララ。ボクは、何にもできないかと。足手まといではないのかと。もどかしくてたまらない。なんでボクは、こうなんだって」


 胸の奥から、泉のように悔しさが溢れてくる。

 衝動的に、コンバットナイフを振り上げた。けれどどうすることもできずに、下ろしてしまう。


「彩斗……」

「もっとちゃんとしないとダメだ。闘技で勝たないと。そのための手段がいるんだ。でもボクは弱い。頭も良くない。運動神経もないし、色々と足りていない」


 言葉は止まらず吐かれていく。悔しさと情けなさ、それらをにじませて。


「もっと力が欲しい。アルシエル・ゲームにいる、誰よりも強い力が欲しい。……ボクはエルンストさんのようになりたい。夜津木のような凶悪さが欲しい。サイクロプスみたいな腕力が欲しい。フレスベルグみたいな度胸が欲しい。でも、全部願望だ。ボクは何も持ってないんだ……空っぽなんだ。これでは、いつか負ける……」


 想像して、彩斗は体を大きく震わせる。奥歯が小さく鳴り、視界が暗く霞んでいく。


「負けたくない。石になんかなりたくない。でも今のボクはナイフ一本すら使いこなせない。悔しいよ……」


 至りたい理想はあるのに、それに手を伸ばそうとしても届かない。それがどうしようもなくもどかしくて、彩斗は唇を噛みしめる。

 けれど、そのとき。スララは、はっきりとした声音で言った。


「でも、彩斗は前より強くなってるよ」

「……え?」


 優しい声音に、彩斗は顔を上げる。

 スライム族の少女は、少年の瞳をしっかりと見つめながら、


「最初に会ったときの彩斗、すごく怯えてた。すぐに帰りたい、元の世界に戻りたいって、そればかり言ってたよ。でも、今は違うよ~」


 彩斗の手を握りつつ、スララは言う。


「武器ナイフを持って、悔しいって言って、今は勝ち抜きたいって言葉にしてるもの。それは、最初の彩斗にはできなかったことだよ? わたし、全て言っているから。これでも驚いてるの。だって彩斗が自分から戦う練習するって、今まではなかった。これは、大きな第一歩だよ」


 優しく、労るように、包み込むスララの手の温もり。


「もう最初の彩斗じゃない。彩斗は確実に前に進んでるよ~。だから、焦らないで。体を壊しちゃう」


 ことさらに強い口調ではない。けれどそれは彩斗の胸に優しく、染み渡るようにして広がっていった。


「わたしだって、一人で何でも出来なくて悔しいよ。でも、そこで止まってる。なんとかなるなる~って、のんびり構えてる。けれど彩斗は違ってる。ちゃんと前を見て、進みたいって思ってる。そして実際に進んでるよ。これは、すごい事だと思う」


 彩斗の手を両手で包み込んだまま、晴れやかな笑顔でスララは言う。


「……でも、スララ」


 彩斗はそんな彼女が眩しくて、つい顔をそむけてしまう。


「このペースで強くなっても、すぐ負けると思う。スララの言うとおり、ボクは最初よりは良くなってるかもしれない。けれど、相手はそれ以上に強い。それが、たまらなく怖いんだ」

「それでも、わたしがいるよ~」


 自信たっぷりに笑顔を作り、スララは弾んだ声を響かせる。


「彩斗は一人じゃない。わたしもいるんだよ~。たとえ悪魔が相手でも、英雄が相手だろうと、わたしが彩斗に指一本触れさせない。どんな相手だって、跳ね返しちゃうすら~。だから彩斗は、その間にもっと強くなって。進みたいっていう気持ちがあるなら、彩斗はもっと前に進めるよ。きっと大丈夫、二人でアルシエル・ゲームを、勝ち抜いていこうよ!」


 にっこりと、まるでひまわりのように、スララは微笑んでくる。

 そこまで言われて、立ち直らないわけにはいかなかった。どんな時でも明るい声を振りまいてくれる彼女を、がっかりさせたくはない。


 彩斗は頬を緩ませて、


「……わかった。スララの言うとおりだよね。ボクは、少しずつでも強くなっていく。スララには負担をかけると思うけど……」

「平気だよ。頑張る彩斗を見るの、好きだよ。わたしは気にしないから」


 小躍りするように、彼女はくるっと一回転してみせる。スカートが揺れ、真っ白な太腿が見えた。彩斗は少し赤面しながら、けれど笑ってしまった。


「ありがとう、スララ。君がパートナーで良かった」

「わたしこそ、彩斗がパートナーで良かったよ~。明日もまた、頑張ろうね」

「そうだね。……今日はさすがに疲れた。少し眠りたいんだけど……」

「あ、わたしも寝る~。いつ闘技が始まるかわからないから、休むことも大切だよ」


 しかし、彩斗は牢屋にある鉄製のベッドを見て、わずかに考え込んだ。


「……そういえば、ちょっと思ったんだけど」

「なぁに?」

「このベッド、もう少し寝心地良ければいいのにね。毎日硬い感触で、嫌になっちゃうよ。背中が痛くてさ……」


 すると、スララは急に思いついた表情になった。


「あ、それならちょっと待って。わたしが寝心地を良くしてみせる~」

「え?」


 言うと、スララはリコリスをふよふよと動かした。数秒ほど準備運動するかのようにうごめかせると、次の瞬間、ワッと大きく広げてみせる。

 それはまるで、傘のようだった。いや、それ以上に広がっていく。傘状から長方形に変わっていった半透明の房は、ベッドとほぼ同じ大きさにまで広がっていく。


「……そ、それは?」

「リコリスのベッドだよ~」


 にこやかにスララは言い出した。


「いや、え……は?」

「リコリスのベッドだよ~」

「いや、それは判ったけど。は? ベッド……?」


 スララははにかみながら説明する。


「うん。あのね、わたしのリコリスは形態を変化出来るの。それは武器みたいなものだけじゃなくて、こうして寝具にも使えるんだよ。前に、集落にいた時は、森で道に迷った時があってね。そういうときはリコリスで寝所を作って、皆が探しに来るまで一晩明かしたんだよ。そのときのベッド、作ってみたの」

「いや、うん。まあ……」


 どこから突っ込めばいいかわからなかった。奔放というか、なんというか、スララの行動力とリコリスの応用力に、彩斗は感謝するしかない。

 試しに彩斗は、スララが作ったリコリスのベッドに触れてみる。


「あ、すごく柔らかい。それに、ひんやりとして気持ちいい。すごいよ、スララ」

「ありがとう~。あ、リコリスのベッドを切り離すね。もう一つ、わたしの分も作らないと」


 そう告げると彼女は、リコリスのベッドを分離させて新たに房を伸ばした。先と同じように広げさせ、二つ目のベッドも作り出す。

 あっという間に、ひんやりとして柔らかなベッドが完成する。


「なんか、スララって、すごく頼りになるね……」

「すらすら~。快眠ならお任せ~」

「あはは……」


 褒められて軽やかに小躍りするスララ。


「ボクも頑張らなきゃいけないな。……それにしても、少し柔らかすぎるかも。もう少し、弾力落とせる?」

「うん。やってみる」


 二つ目のベッドも分離させたスララは、彩斗の乗るベッドに向けて、何やら念じ始めた。数秒の間、彩斗がじっとしていると、徐々にベッドの弾力が減っていく。

 数秒ほど経った後、彩斗にとってはちょうど良い、理想的な弾力となる。


「……断言できる。ボクは、最高のパートナーを得たって」

「ありがとう~、彩斗」


 軽く鼻歌を歌いながら、スララは二つ目のベッドも弾力性を調節する。それで二人して、それぞれ寝転がってみる。

 鉄製のベッドとは雲泥の差の寝心地だった。彩斗はリコリスのベッドの上で体を弾ませ、


「スララ、本当に助かった、何から何まで」

「どういたしまして~。これで今日からはぐっすり眠れるよ。次の闘技も、頑張ろうね」


 晴れやかな笑顔はいつもよりも二割増し魅力的に見える。褒められるとスララはどんどん愛らしい笑みを見せるらしい。


 ――その時、ふと彩斗は脳裏で閃くものがあった。


「スララ、一つ思いついたことがあるんだけど……」

「どうしたの?」

「いま、ベッドを作った後に、リコリスを分離させたよね?」

「うん、そうだよ。数日間は維持できるよ」

「それと、分離させた後でも、弾力性を変えられた……と言うことは、リコリスって、分離しても自由に操れるの?」


 スララはすぐさま頷いた。


「そうだよ。だから集落にいたときは、いくつもベッドを作って、弾力性も増やして、小さな子どもたち向けに作ってあげてたよ」


 彩斗の顔つきが変わる。


「――リコリスは、分離させることができる。そしてその後も操れる。スララ、これはすごいことだよ。ボクだけじゃない、スララも、もっと強くなれると思う」

「本当?」


 小首をかしげて、スララはよくわからないといった顔をしていた。

 けれども彩斗は両拳をぐっと握り締め、思わぬ収穫と希望を前に、目を輝かせていた。


 ――いける。理論上は、不可能ではない。 

 あとはどれだけ実践向けに挑戦出来るか。

 どうやら戦闘において上達出来るのは自分だけではないのだと、彩斗は確信していた。


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