第12話 ジュースと間接キス
『天空宮殿トルバラン』内において、食事は一日に三度運ばれる。
正確に同じ時刻に運ばれてくるわけではない。ガーゴイルが牢屋にまで持ってくる食事の間隔はおおよそ五時間ごとであり、毎回質素な内容の料理が、ガーゴイルの石のこすれるような声と共に届けられる。
「人間。ソレとスライムの娘。アルシエル様のありがたい気遣いダ。精々感謝をして、食べるがイイ」
牙を剥き出しにして、キキハハと笑う石の番人。
けれど、彩斗は、さすがに初めてほどの恐れは抱かない。
ガーゴイルの役目は、闘技のときはペアの先導。食事と湯浴みのための湯を運ぶ以外は牢屋のある回廊の見回り。よほどの騒ぎを起こさない限りは皮肉を言うだけの石像で、慣れれば耐えることは可能な口うるさい番人だった。
むしろ毎回運ばれてくる質素な食事を、どうやって美味しく食べるか、ということに、彩斗とスララは気を費やす。
「スープは、あんまり味が良くないね……」
「そうだね~。このパンも、硬いだけで美味しくない。飲み物も温いお水が一杯だけだよ。もっと冷たい果実ジュースが飲みたいな」
木製の容器に木製のスプーン、錆びた鉄製の盆の上に並んだ食事は、豆や惣菜の入ったスープと、小魚、麦パンに、水が一杯だけ。小魚は場合によっては干し肉に変わる場合もあるが、質素な食事と言えた。
「ジュースって、この世界……エレアントにもあるんだ」
「あるよ。集落には木の実が成る樹がいくつもあって、そこから作ってたの」
「果実、果実のジュースか……」
ふと、彩斗は鞄の中に何かあったかと探してみる。
背負うタイプの鞄の底の方、硬い感触があったので、それを取り出してみた。
「これ、あるけど……飲んでみる?」
「なにそれ? 不思議な筒だね」
取り出したのは缶ジュースだった。学校の昼休み、校内の自販機で買ったのはいいのだが、間違えて買ったために飲んではいなかったものだ。
パイナップルの果汁五パーセントと容器に書かれたそれを、スララに見せる。
「これはね、缶ジュースって言って、開けると中にジュースが入ってるんだ。ちょっと温くなってると思うけど、美味しいと思う」
「わー、すごい~。飲みたいな」
彩斗はプルタップを開けて見せた。シュワっという軽い音に、スララは目を丸くして、
「いい匂い! 美味しそう」
「半分くらいまで、スララが飲んでいいから。その後はボクが飲むね」
目をきらきらとさせるスララに、彩斗は手渡しする。
一瞬、全部は飲まずにとっておくべきかと考えたが、確かあと一本だけ別のジュースも鞄に入っていたはずだ。そちらを大事に飲めばいいだろう、と彩斗は考えていたが――。
「うわ、とっても美味しいよ! 良い匂い、舌に染み渡る甘い味~。すら~、こんなに美味しいジュース、初めてっ」
ほっぺがこぼれ落ちた笑顔で、彼女は缶を差し出してくる。
「はい、残りは彩斗の分だよ?」
――あれ? これってもしかして、間接キスなのでは……?
硬直する。もしかしなくともこれは、噂に聞く間接キスではないか。だとしたら、素直に受け取ってはまずい……ような?
いや、しかしと彩斗は煩悶する。そんなこと考えてはダメだ。スララにはやましい考えなんて一切ない。心から嬉しそうな表情で、彩斗も美味しいと言ってくれないかな、一緒にジュースを満喫したいな、とうきうき顔で見つめているのだ。
それは純粋な共有感で、下心なんてもってのほかで、大きな期待だけを寄せる彼女に、きちんと応えるべきだ。
それでも彩斗の視線は、はにかむスララの桜色の唇に吸い寄せられてしまう。くりくりっとした大きな瞳。ほのかに覗く真っ白な鎖骨。彩斗の胸が高鳴る。顔が徐々に赤くなる。あまりに純真な眼差しに、思わず視線を逸らしてしまう。
「あれ、彩斗。少し顔が紅いよ? 大丈夫?」
スッと手を額に伸ばしてきたので、慌てて仰け反っていく。
「ぜ、全然平気だよ。何か変だったかな? ボク飲むから、そのジュース」
深く考えても仕方がない。彩斗は缶を受け取った。そして雑念を吹き払うように、一気に全部飲む。
「間接キスだね~」
「ぶほっ!」
げほごほげほっと、彩斗は咳き込んだ。
「スララ! 何てこと言うんだ!」
「あははは! やった、彩斗の怒った顔、見ることができたよ」
「いや、そこは笑うところでは……」
お腹を抱えて、楽しそうにスララは笑う。それでもう、何か彩斗も馬鹿らしくなって、釣られて頬を緩ませてしまう。
おかしくて、楽しくて、スララの笑顔を見るだけで、彩斗は幸せな気持ちに浸れていった。この瞬間が何よりも大切な一瞬に思える。今、この時の記憶を、大事に仕舞っておこう、ずっとずっと、忘れないと思った。
小さな声で、スララが口にする。
「……わたし、男の子と間接キスしちゃった。恥ずかしいなぁ」
「え? スララ、何か言った?」
「ううん、なんでも~」
リコリスは陽気に躍る。スララの照れを、隠すかのように。
くすくすと少女はくすぐったそうな表情で、いつまでも歌うように声を弾ませていたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます