第25話 野獣と美女① ~バトルパート~
まだ小さな頃の話だ。
彩斗は近所に住む、可愛い女の子に告白をしようと試みた。その娘は運動神経も良く、賢く、近所の子供の中では人気者で通っていた。彩斗も何度も一緒に遊び、幸せな時間を過ごしていった。
ある日、憧れから生じた淡い恋心のもと、彩斗は彼女が一人のところを狙い、告白しようと近づきかけた。
けれど、それより先に別の男の子が彼女に話しかけた。
物陰から彩斗が見ている先で、女の子はとても嬉しそうに言葉を返している。二人は屈託なく笑い、時折お互いの手に触れながら、幸せそうな笑みを交わしていた。
相手の男は近所の子供の中での悪ガキだった。多くの子供から敵視されていたものだから、女の子もそいつは嫌いだと信じていた。
彩斗は槍で貫かれたような感覚を味わった。
心を委ねていた者が、じつは敵対者と心を通わせていたという事実。
裏切られたという感情を抱いた。
そのときに似た衝撃を何倍にも増幅し、なおかつ絶望感をも含ませた感覚が、いまの彩斗に伸し掛かっている。
† †
「彩斗~、もう大分時間が経ったよ~、そろそろ、練習を再開しよ?」
涼やかな声に覚醒を促されて、彩斗は目を開けた。
目の前には、にこやかに笑顔を振り撒くスララがいた。水色の髪をかすかになびかせて、半透明の房をひょこひょこと動かしている。
くりっとした瞳が彩斗の眼を覗きこんでいた。それは、麗しい湖のような輝きだった。けれど彩斗は、昨夜のことを思い出した瞬間――。
「う、うわっ、うああああっ」
怪物でも見たかのように、飛び退ってしまう。
「? 彩斗~、どうしたの?」
「よ、寄るな、来ないでくれ!」
リコリスのベッドから転げ落ちるようにして、彩斗は距離を取ろうとした。硬い床に肘が当たる。背中から落ちて、一瞬痛みが走る。しかしそれでも、彩斗は冷や汗の出た顔のまま、下がろうとする。
「どうしたの、彩斗~。何か、怖い夢でも見たの~?」
「寄るな、近づかないでくれ……あっちへ、行ってくれっ」
「そんなに慌てて、汗がすごく出てるよ。何か、」
「来るなよっ、あっちへ行けってっ!」
激しい口調で喚くと、途端にスララは悲しい顔をした。
けれど彩斗にそのことを気にする余裕はない。
脳裏には、昨夜見たスララとアルシエルの逢瀬が、悪い夢のように浮かんでくる。
鍵を開けるスララ。
恭しくメイドに礼をされるスララ。
アルシエルの親しげな笑み。ただいま。お帰り。お姉ちゃん。
「彩斗、あの……」
「こ、来ないでよ、や、やめてくれ。何もしないでくれ。ボクは何かされるほど価値なんてないんだ。何もしないから。ボクにも何もしないで」
「彩斗……」
スララは一歩だけ、近づこうとした。けれど彩斗は嫌な汗を出し、怖がった様子で見つめるのみ。
スララが傷ついた表情になる。胸に手を当て、痛ましそうに口元を結ぶ。
しばらくして。
「彩斗、わたし……」
「来るなって言ってるのに。こっちへ寄らないでくれ。頼むからボクに――」
だが、その直後に、二人はびくりと硬直する。
腕輪。
紅い光が、アルシエル・ゲームの次の戦いの開始を現す紅の輝きが、二人の手首の腕輪から溢れ出したのだ。
闘技の時間。それも最近続いていた黄色い光ではない。紅だ。それは観衆場での見物ではなく、相手ペアとの戦い。死闘の始まりを表していた。
「そ……そんな……こんなときにっ」
最悪のタイミングだった。彩斗は、愕然と腕輪を見つめるしかできなかった。
ガーゴイルに連れられ、彩斗は闘技場に向かわされる。
† †
「ちい、運がなかったであるか。まさか、今日の闘技に選ばれるとは……」
観衆がいくつもの視線を決闘の舞台へ注ぐ中、エルンストは苦い声を出す。
ガーゴイルに連れて来られて数十秒後、彩斗とスララの姿がないので見回してみれば、彼らは決戦の舞台にいた。
不運だった。最悪なことに、よりにもよって二人の相手は、知る限りでおそらく最強のペアだ。
人間と魔物、どちらも一流と呼ぶのに相応しい傑物。自分とフレスベルグが戦っても必ず勝てるかはわからない強者たちを見て、エルンストは低く唸る。
「フレスベルグ、彩斗とスララはどうなるであろう」
「……言いたくないけど、たぶん負ける。ううん、勝てる要素が見当たらない。今日の相手のペアはヤバイ。優勝するとしたら、フレスベルグたちか、あいつらだもの」
いつも文句かあくびを洩らしているフレスベルグですら、硬い口調で言う。
「あいつらには『千里眼』ですら見破られて
彼女が見つめる先、『最強』と目されるペアが、悠然と立っている。
「魔神ベリアルについて、新たな情報を得ることができたというのに。彩斗、スララ……無事でいてほしいのである」
言葉は虚しい響きを帯び、空気に混じっては消えていく。
エルンストたちにできることは、ただ見守ることだけだった。
† †
歯が小刻みに鳴っている。コロシアムの決戦舞台、岩と土だらけの只中で、彩斗は震えていた。
怖い。闘技を行うことではなく、隣に立つスララのことが怖い。
牢屋を抜け出し、ガーゴイルに見咎められることもなく、メイドに恭しく礼をされ、アルシエルと親しげに言葉を交わしていた昨夜のスララ。
彼女への好感は、疑念に塗り替えられていた。そもそもが初めからおかしかった。スララは彩斗がどんなに弱音を吐いても、萎縮しても、嫌な顔をせず優しく接してきた。普通なら、あそこまで友好的なのはあり得ない。
もしも、彼女の笑顔の奥に何かがあるとしたら。
火傷の痕が昨夜になかったのは偽りの証。エルンストたちに見せた火傷の痕は偽物で、リコリスを用いて『火傷の痕らしく』見せかけていたものだとしたら、辻褄が合う。
分離が可能で、なおかつ本体から離れても形を維持できるリコリスならば、全て説明がつく。スララは自分をアルシエル・ゲームに巻き込まれた魔物だと偽り、同じ被害者を装い、最も近くから鑑賞していた。
全ての前提からして間違っていたのだと、状況が説明している。アルシエル・ゲームが、アルシエル単独によって行われている保証などない。『複数』で企まれたと、どうして思わなかったのか。
「彩斗……いったい、どうしたの? わたし、何かしたかな……バカだからわからないよ~」
「キミは、スララはいったい……ボクは、キミのことがわからない――」
「なんじゃ、ワシらの相手は、何やら戦意に欠けておるのう」
途端に響いてきたしゃがれた声に、彩斗はびくりと体をすくませる。
対面から話しかけてきたのは、四足獣の魔物だった。
胴体は流線的な形をしつつも適度な筋肉に覆われていて、身軽そうな印象を抱かせる。体毛は基本的に氷色だが、所々が白く、加齢によって染まったのだと予想できた。
犬だ。それも、相当な高齢の犬。
だが、老いた獣という印象はない。その爪は剣のように鋭く、開かれた上顎と下顎から覗く牙は、鋼すら噛み砕くような鋭利さを帯びていた。何より、眼光から放たれる強い眼差しは、老獪という単語を思い起こさせた。
「まあワシらにとっては好都合だがの。老骨の身には戦いなど、しんどいだけだわい。すぐに終わるとなれば万々歳じゃ。のう、マルギット」
四足獣の目が、隣のパートナーへと移る。
氷の瞳を持つ美女だった。鮮やかな長い金髪に覆われ、雪のような白い肌が神々しいまでの艶を発している。睫は長く、踊り子めいた衣装から覗く理想的な線の体は、思わず息を呑むほどのものだ。
絶世の美女だが、表情に温かみは全くない。立ち振舞いは人形のようで、呼吸すらしているかわからないほどぴたりと静止していた。
その人形めいた瞳が、彩斗の方へ向く。
「……っ」
「敵対者αの状態を確認。極度の怯えと疑念を感知。戦闘行動において、多大な支障あり。危険度は十一と断定」
すくんで動けない彩斗を見つめた後に、少女はスララへと視線を移す。
「敵対者βの状態を把握。重度の動揺を感知。戦闘行動において、中度の支障あり。危険度は、三十三と断定」
感情の一欠片もないような声が冷たく響き渡る。
――マズい。彼らはマズい。直感で彩斗は悟った。
なまじ一回だけ闘技を経験し、数回の闘技を観たからわかってしまう。一定以上の強さを持つ者は、その気配が、眼光が、他者とはまるで違う。射抜かれただけで、動けななるその瞳。彼らは夜津木やサイクロプスを超えていた。いや、それより遥かに上、ワストーやグルゲンを超え、エルンストやフレスベルグすら超えるのではないかといった、強者の中の強者だった。
四足獣の魔物が、呵々と笑った後に言葉を吐く。
「ワシの名は【ガルム】。パートナーの名は【マルギット】。すまないが倒させてもらおうか。ワシは余生をまだまだ楽しみたいのじゃ。ゲームに負けて石像になることだけは、御免こうむる」
コロシアムが魔法の明かりで発光していく。
観衆場と決戦舞台を隔てる障壁が展開されていく。
観衆場の上、バルコニーで魔神アルシエルが、優雅に両腕を振りかざし、滑らかな口調で、戦いの始まりを宣言する。
「――これより、本日の闘技を行う。己の全てを乗せ、武闘せよ!」
天井より光の銛が流星のごとく飛来してきた。地面へ着弾し千々に乱れた光の渦の中――。
彩斗にとって、絶望的な闘技が始まる。
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