第21話 苛立ちのフレスベルグ
「――なるほど。それで今日は晴れ晴れとした顔をしているのであるな」
翌日。闘技の時間、観衆場にて。エルンストが感心した様子で彩斗に言葉を投げかけた。
「はい、おかげでずいぶんと戦術の幅が広がりました。これで勝算はずっと上がると思います」
「うん。わたし、もっと強くなれるみたい」
あの後、スララの新たな可能性を見出してから、彩斗はリコリスの新たな可能性を開拓していった。
その結果として、戦力の大幅な向上が見込めるようになったのだ。
まだ完全には至っていない。最低でも数日の練習が必要だと彩斗は思っている。だが習熟すればスララの戦術はより多様性を増し、敵にとっては脅威で、自分たちにはこの上ない強力な戦力となるだろう。
「それは何よりであるな。彩斗やスララとは闘技で当たらないことを祈ろう」
「それは――そうですね。そうならないことを願っています」
当然、その可能性もある。日々、ペアの数は減っている。いつまでも時間に猶予があるわけではない。
一瞬、想像したくない可能性を思い描いた彩斗だったが、考えても仕方がない。
とりあえずはスララの強化についてだけ、喜ぶことにした。
「それで――ベリアルについて、牢屋の文字の解読で新たに判明したことであるが」
「はい」
声音をやや硬く変えたエルンストに対して、彩斗とスララが身構える。
「どうやらベリアルは、約二十年前にこの世界を支配していた『魔神』らしいのである」
「二十年前……支配……」
呟きを洩らした彩斗にエルンストは軽く頷く。白衣がわずかに揺れた。
「性格は、残虐非道らしい。敵にも味方にも容赦はなく、ひたすら快楽を得るために、人や魔物に襲いかかっていた恐るべき魔神。その魔力は圧倒的に強く、黒い大蛇のような業火を放って、いかなる巨人も、精霊も、竜すら、一撃のもとに屠っていた。最悪なのは魔法の多様性で、黒い業火の他にも、『石化の魔法』、『変化の魔法』、『召喚の魔法』から『魔法具の作製』にまで、かなりの分野に精通していたと。そう、牢屋の壁には書かれていたのである」
「どんな魔物も倒す黒い業火……やはり、ゲヘナと同じですね……」
エルンストが頷く。
今日の闘技はすでに行われている。鞭とブーメラン使いのぶつかり合う音が奔る中、エルンストの声は明瞭に響いていく。
「それに、石化の魔法も得意であったという記述……これはベリアルの三つの異名のうち、『石像庭園』を示すのだろう。これで、『黒き大蛇』と『石像庭園』はほぼ確定と言っていい」
「ですね。……あと残る『円環の鎧』だけは、やっぱりわからないんですか?」
「うむ」
これにはエルンストはやや声音を低くした。
「今回の解読の中にも、それらしき記述はなかった。いったい、円環とは……鎧とは、ベリアルの何を示しているのだろうな」
黒き大蛇と石像庭園は判断の材料があったため予測出来た。しかし円環の鎧だけはヒントさえ存在しない。
これが必ずしも何かの役に立つかは不明だが、かといって無視する事も出来ないだろう。
しかし、それを異を唱える者もいる。
「そんなことどうでもいい。興味ない」
急に不機嫌な声を出したのは、フレスベルグだ。彼女は体育座りでむすっとした顔のまま、
「いつまでもこんな方法じゃ埒が明かない。解読薬をもっと速く作るように、その辺のペアから材用になるもの奪えばいい。それでさっさと解読進めれば、ベリアルなんてすぐにわかる」
「それはできない」
エルンストは強い口調で反論した。
「それは危険である、フレスベルグ。考えてもみるのだ、今はワタシの手持ちの鋼材や魔物の血液、体毛から解読薬を調合しているが、他者から奪うとなると、間違いなく不和を買う。歪みを生むことになる」
「だから? そんなものは蹴散らせばいい」
「ワストーやグルゲンの件を、知っているであろう? 彼らはいつの間にか、何者かに氷漬けにされていた。ワタシはこれを危険と判断する。利己的な行動は必ず自分に跳ね返ってくる。君は、奪われたペアが復讐しにやってきても平気なのであるか?」
彼の言葉は正論だった。
先日、彩斗のコンバットナイフを奪うべく襲ってきたワストーとグルゲンの二人は、全身を氷に覆われた状態で発見された。
パートナーの魔物共々、完全に氷の彫像となっての状態だ。不気味だった。コロシアムに無数に存在する石像と比べても、遜色ない異様さ。
一応、闘技で負けたわけではないので、今日もガーゴイルに氷漬けのまま運ばれて、コロシアムの隅に置かれている。
氷漬けにした犯人は判明していないが、ペア間のバランスを崩した報いとして、いずれかのペアに襲われたと一同は思っていた。
「ふん」
けれど、フレスベルグはそんな言葉を鼻で笑う。
「別に奇襲なんて怖くない。だってフレスベルグはこの中で最強の魔物だもの。相手が誰だろうと、鬼神だろうと、魔神だろうと、倒せる自信はある」
「では何故アルシエルには立ち向かわない。君なら、倒せるのではないのか?」
「口惜しい事に、ここではフレスベルグの力の源、マナが少ない。『人型』ならともかく、本来の『大鷲』の姿なら大量のマナを必要とする。……アルシエルは頭がいい。フレスベルグのような、燃費の悪い魔物対策として、コロシアムのマナ量を極端に減らしている。それがどんな方法かは知らないけど、少なくとも千里眼で見つけられるようなものでない事は確か」
「……それは初めて聞いた情報であるな。……なるほど、ここには君や君に匹敵する魔物もいるはずだが、『活力』を奪う何かをアルシエルは使用しているのか。厄介な」
「だから、こんなちまちました方法じゃ時間が掛かって仕方がないって言ってるの。帰りたくないの? エルンストは。自分の元いた世界に」
エルンストは眉を潜ませた。
「もちろん帰りたいである。ワタシにだって友もいれば家族もいる。『機械神天使』を倒さねばワタシの故郷は滅ぶ。ワタシは一刻も速く故郷に戻らねばならない」
「だったら話は簡単。解読薬の材料持ってるペアから、奪えばいい。それが一番楽で確実な方法。他のペアに下手に出て譲ってもらうなんて、周りくどい」
エルンストは首を横に振る。
「解読薬を作れば即座にアルシエル・ゲームが終わるわけではない。これはあくまでもゲームの裏を知るための行動である。そんな性急な行動は取れない」
彼の語気は強くなっていく。その声音の裏に、彼のかすかな焦りが感じられる。
「これ事態が不確実な未来への行動なのだ。解読薬を作ればゲームがすぐ終わるというならば、ワタシももちろん強攻策は考える。だが現状、解読薬を作って即時終結というわけにはいかない。……ゆえに、腰を据えて調査をし、アルシエル・ゲームを知り、その上でゲームを終わらせる方法を探るべきである」
「失笑。まるで話にならない」
フレスベルグの柳眉が、みるみる逆立っていく。
「つまりもっと我慢して我慢して耐えろってこと? 焦れったい」
「焦れるゲームなのだ、フレスベルグ。これは、アルシエル・ゲームは、闘技で勝つだけではない。己との戦いなのである。油断や慢心、焦りや恐怖……それらの感情をうまく制御し、自らの力を最大限保持し、闘技を勝ち抜かねば、未来はないぞ」
「黙って。臆病風に吹かれたの? 奪った相手が逆上してきても撃退すれば済む。フレスベルグならそれができる。フレスベルグの風の呪字(ルーン)は最強の力。かったるい状態が続くより、フレスベルグはそっちを選ぶ!」
「フレスベルグは短絡的過ぎるのである」
「エルンストはのんびり過ぎ!」
「ま、ま、待ってください!」
慌てて、両者の間に入って彩斗は言葉を止めさせた。
「喧嘩してる場合じゃないですよ。二人が仲違いなったら、調査も進まないです。大丈夫だから、フレスベルグ。エルンストさんはきちんと皆のことを考えてるはずだから……」
「どうだか」
フレスベルグの目は吊り上がっている。
「いきなり口挟まないで。そもそも誰だっけあなた。影が薄い顔して、話に割り込まないで」
「影薄……!? ひどい……じゃなくて!」
彩斗は精一杯落ち着かせようとした。
「いくら何でも、無理やり奪うのは乱暴過ぎるよ。それに、あまり無茶をすればアルシエルが制裁を加えるかもしれない。ワストーとグルゲンは、アルシエルにやられたのかもしれない。フレスベルグのやり方だと、制裁を与えてくる可能性が高い」
「それならそれでやりようはある」
フレスベルグはあくまで強情だった。
「あっちが襲ってくるならフレスベルグは迎え撃つだけ。短時間なら『大鷲』化も可能。もあの女、いつも偉そうに。自分は支配者だ、ゲームの皇帝だっていう顔して、目にもの見せてあげる」
どうやら火に油を注いだらしい。彩斗は説得の方法を間違ったと思った。
「大体、あいつ、フレスベルグより体の起伏があるのが気に入らない。なに、あの胸、あの腰。なに食べたらあんなになるの? 許せない」
「いや、それは今関係なくない?」
「確かに。フレスベルグはちょっと幼児体型であるな」
「があああ!」
フレスベルグから、地獄の底のような寒々しい視線がエルンストへと向けられた。
彼女は美しいが、体のメリハリについては今一歩……いやあと三歩くらい足りない。
「一回死んでみる?」
「でも事実であろう」
「そ、それはともかくとして!」
新たな火種になりそうだったので、彩斗は慌てて叫んだ。
「だとしても! アルシエルの事が気に入らなくても、彼女にはガーゴイルもついているよ。忠実な石の下僕。あの軍勢にも囲まれて、さらにアルシエルにも襲われて、フレスベルグは勝てるの?」
「だからそれは何とでもなる」
しかし、そこへ柔らかな声が割り込んだ。
「彩斗の言うとおりだと思う~」
スララが、おっとりとした声音でフレスベルグに語りかけていく。
「闇雲にやっていっても危ないよ、フレスベルグ。きっと、アルシエルは色んな事態に備えてゲームを開催してる。これは、一人や二人が好き勝手しようとしても、どうにもならないゲームだよ。フレスベルグ、今は抑えて」
「……ふん。アルシエルの奴、一人だと怖いから、ガーゴイルに自分を守らせてる。あいつ、やっぱり気に入らない」
ふてくされて、しかめっ面のまま、フレスベルグは少し頬を膨らませた。
機嫌は悪いが、スララの言葉を否定することもなく、座ったままむっつりとする。
それで一応は収束となったようだった。彩斗はほっと息をつき、小声で、
「……ありがとう、スララ。フォローしてくれて助かった」
「どういたしまして~。誰かが喧嘩するを見るの、わたし苦手~。みんな笑顔でいられたらいいのに」
「それは、そうだけどね」
思わず苦笑する。スララのように皆が穏やかならば、なかなか他人同士の衝突もないのだろう。けれど実際にはそうはいかない。
実力で闘技を乗り越えようとするペアもいれば、力づくで武器を奪うペアもいる。悩ましい問題だ。
そしてエルンストとフレスベルグ、どちらも考えとしては間違ってはいない。慎重さと迅速さ。どちらも一長一短あり、今は慎重さが重要なだけ。
場合によってはリスクを負ってでも打って出るフレスベルグの考えも、理解出来ないわけではない。
彩斗がそんなことを思っていると――。
「……今日はそれにしても、長い闘技であるな」
ふと呟きを洩らして、エルンストは決戦場の方を見た。
振り返った先、激しい武技が衝突していた。
今日の闘技は、鋼の鞭使いの少女と、燃えるブーメランを使うマントの男の戦いだった。
パートナーは奇しくも同じ魔物、ゴーレムという土でできた巨人。
互いに実力が拮抗した激闘は、先ほどから激しい震動を生み出し、いくつもの魔法を飛び交わしていた。しかし切り札であるゲヘナは一発も撃たれておらず、膠着状態だった。
まだまだ中盤戦。闘技はすでに三十分を超え、なおも続きそうだった。
「そういえば、彩斗たちは食事をどうしてるであるか?」
たまには雑談も必要だと思ったのだろう、気安い口調で、エルンストは話を振ってきた。
「食事……ですか? そうですね、いつも豆のスープと硬い麦のパンとか、干し肉だけです」
「自分で少し手を加えたりはしないのであるか?」
彩斗は少し考え、
「いえ……この前なんかは元の世界から持ってきたジュースをスララと一緒に飲んだりしたんですけど、そのくらいで……」
「あ、すごかったよ~、彩斗」
スララが声を弾ませる。
「とっても美味しいジュースを出してくれたの。あれは、すごく甘くて、ほっぺが落ちそうだったな~」
「あはは……」
間接キスがなければ良い思い出だったが、彩斗としては恥ずかしい出来事だった。
「それで、彩斗。話の続きであるが」
「あ、はい」
「大した話ではないのであるが……彩斗たちは牢屋での食事のとき、食事を美味しくする方法を知らないであるか?」
「え? えっと、どういうことですか?」
「いや、ワタシは牢屋でフレスベルグと食事をするとき、質素な食べ物ではつまらないだろうと、元の世界から持ってきた液体を入れようとするのだがな。しかし初日以来、いつもフレスベルグが止めるのである」
「えっと、それはどういう……?」
尋ねると、すぐさまフレスベルグが口を挟んだ。
「当たり前。あんな怪しい液体、食べられるわけないし。何考えてるの、ばか」
「……それ、一体どんな液体なんですか?」
「ふふ。よくぞ聞いてくれた!」
エルンストは怪しい笑みを浮かべ白衣のポケットに手を突っ込むと、いくつかの試験管を取り出した。
「例えばこの『ウネウネ草』から取った紫の液体――肉類にかければたちまち肉の歯ごたえが数倍にも良くなるというなかなかの逸品!」
「でもこれ、常にうねうね蠢くし、それで肉とか食べたくない……」
フレスベルグが嫌そうに言った。
「もしくはこの『ビンカン草』から抽出した錆色の液体! 豆類にかければ栄養満点、肌も艶めくという最高の逸品!」
「豆が常にビクッ、ビクッ、とか動くのあり得ない。きもっ」
フレスベルグは鳥肌が立ったように自分の腕をさすった。
「さらにはこの『ムラムラ草』から搾り取ったピンクの液体! スープに混ぜればどんなに苦い汁物もあら不思議! たちまち甘ーい味へ変化して至高の逸品へ早変わり!」
「それ最悪。それ飲んだエルンストが急に発情して、フレスベルグに迫ってきたときは本気で死ねと思った。マジ最低」
「うわあ……うわあ……」
「彩斗、君はいらないであるか? 食事が少しでも美味しくなると思うが?」
「え、え、いやいいです。間に合ってます」
神速で彩斗は首を横に振った。
エルンストは諦めない。
「そんなこと言わずに。ほら、じつはこれらの液体は量産したのだが、食事に混ぜるのをフレスベルグがちっとも許可してくれないのだよ。だから余っている。スララもどうであるか? 半分くらいなら良いぞ」
「面白そう~。うねうねだって。少しもらってもいいかも」
「いやいやいや! ダメだってスララ! 何かマズイって、すでに蠢いてる~!」
「さらには『シクシク草』というものもあってだな、パンにかければふんわりとした食感に加え、果物の味もするようになるというおすすめの逸品――」
「だから、それもだめだから」
フレスベルグが目を吊り上げる。
「それかけて食べると、一晩中涙が出て止まらなくなる。エルンストがしくしくベッドの上で泣きっぱなしなのはもう勘弁。二度と見たくない」
「でも美味しいのだが。さらにこの『ヌメヌメ草』などは――」
「いいつってんでしょうが! このばかっ、この発明ばか!」
「なべるは!?」
エルンストはフレスベルグの風で吹っ飛んだ。
観衆席の角とかに当たっているが大丈夫なのだろうか。
「あはは……」
もしかしてフレスベルグがいつも眠そうで、不機嫌なのは、エルンストのせいもあるのではと彩斗は思った。
しばらくして、エルンストが何かを思いついた顔で戻ってくる。
「閃いた! これら複数を混ぜあわせれば、更なる秘薬が生まれるのではないか!? そうだ、きっとそうだ。試しにビンカン草とムラムラ草とヌメヌメ草を調合して……」
「もういいっつーの!」
何やらガラス管を取り出し、「フフ……おいしくなれ、おいしくなれ」と小声で液体を混ぜ合わせる白衣の青年に、フレスベルグは白い目を向け、スララは応援し、彩斗は顔を引きつらせて後ろに下がる。
「うわぁ……なんというか、マッドサイエンティスト……」
研究魂に火が付いてしまった科学者に、乾いた笑いしか出てこない。
「ふふ。ここへ来てから、ろくな調合ができなかったであるが、久しぶりに着想が浮かんだのである。それ、おいしくなれ……おいしくなれ……フフ……」
スララだけはおかしそうに見ていたが、彩斗たちは呆れるしかなかった。
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