第30話 決戦への希望
『なるほど……そんなことがあったのであるか』
彩斗が気絶から目覚めると、エルンストの声が聞こえてきた。
傍ら、感じるのはリコリスのベッドのひんやりさ。
場所は牢屋の中で、スララの柔らかな声も聞こえる。彩斗はわずかに身を起こしながら、小さく息をつく。
「ここは……」
「彩斗? 良かった、目が覚めたんだね」
スララがほっとして笑みをこぼした。
「スララ……? ボク、また気絶してしまったのか。……なんかここに来てから気絶ばかりしてるような気が」
「あはは、仕方ないよ」
ぼやくと、スララは華やかに笑った。なんだか久しぶりに見る、彼女の笑顔だった。
ガルム戦の前からずっと、張り詰めた気持ちの連続だった。
これからもこの笑顔のそばにいたい――そう思わせるような笑顔を横目に、彩斗は牢屋を眺め回す。
今はスララと二人っきりだ。
「そういえば今……エルンストさんの声が聞こえたような気がしたけど。何だったんだろう?」
『気のせいではないのである。ワタシの通信である』
「うわ?」
急に耳元へ聞こえてきた言葉に、彩斗は仰け反った。それだけではない。微風が彩斗の体に吹き付けている。
「風? どこから……?」
『フレスベルグの風の呪字ルーンを使って、ワタシの声を届けているのである。先日から練習はさせていたのだが、ようやく実用に至った。その成果である』
「すごい……そんなこともできるんですね」
感嘆の言葉を漏らす。
さすがといったところだ、フレスベルグの実力、彼女は底が知れない。
『それはそうと彩斗。要件を言おう。先ほど、スララから諸々の報告を受けていたところだ。結局、彼女は初めから全てを知っていて、私たちと調査したと。火傷の調査や牢屋の文字は元から知っていたと、そう聞いたのである』
「あ、それは……」
「あの……その事は、ごめんなさい」
スララは思わず謝った。
「知っていて、わたし全部黙ってた。皆に不安や大きな手間をかかせる事を判っていて、黙ってた……だから、本当にごめんなさい!」」
『いや、君の立場なら仕方がないのである。魔神ベリアルがペアの中に紛れ込んでいる。そこへ情報を全て開示するのは愚かな事だろう。君の行動は最善ではなかったかもしれないが、次善だとは思う。これまで……孤独によく耐えてきたな』
「エルンスト……あう」
スララが少し涙ぐむような表情になる。
ずっと独りで、胸の内に抱えていたスララ。
情報を全て明かせば、ベリアルに迫れるかもしれない。しかし一方で、万一相手がベリアルだった場合、何をされるか判らない。
最悪、スララが人質に取られアルシエルが殺される事もあっただろう。それでなくとも、スララがアルシエルと姉妹という事を知った場合、ベリアルが取るだろう行動は無数にある。
それらが、スララにとってリスクした生まないものだった。
「スララ、いいんだよ」
『そうだ。謝る必要はない。理論上、確かに我々に話してくれた方が早かったかもしれないが、所詮は結果論。あの時点で我々を信用し、全てを話す事のは愚者の選択だ。君が選んだ選択は正しい。私は気にしない』
「エルンスト……」
『ただまあ……牢屋の文字のことについて、ワタシが得意気に話していたのは、まったくの道化であったとか、火傷について真面目に語っていたのワタシは、馬鹿みたいだったとか、ワタシは結局何のために調査していたのだろう、意味なかったとか全然まったくこれっぽっちも怒っていないであるぞ?』
「あわわわわ、ごめんなさい~っ」
皆が笑った。スララがちょっと涙目だった。
『ふはは。まあ冗談だ。そんな事もあるだろう、貸しということで、いつか返してくれればいい。そうだな、具体的にはワタシの開発したグネグネグチャ草の実験対象になってくれれば』
「わたし、どうなっちゃうの~!?」
一同は、また笑ってしまった。
孤独に戦っていた、スララという少女。
けれどそれが少しでも緩和されて、彼女は以前よりずっと、柔らかな表情をするようになった。
あの調査の日々は、確かに、無駄な部分もあったかもしれないけれど。
スララにとって、こうして心を育んだ『仲間』として育んだ事実は、宝となってゆくはずだ。
あの時間がなければ、今はない。スララは一つ、大きな試練を乗り越え、頼れる人達を手に入れたのだ。
――だが、まだ全てが終わったわけではない。
むしろこれからが最難関で、最も辛く、険しい決闘が待っている。だから、彩斗はスララを見つめながら、なんとか決戦を乗り越え、本当の意味で彼女を解放したいと思っていた。
「エルンストさん、続きを」
『おっと。あまり時間はかけられないであるな。フレスベルグの魔法は便利だが、風の通り道にガーゴイルが通りかかると、怪しまれる可能性がある。手短に済ませよう』
エルンストが言った。フレスベルグが同意する。
『マジきついし。だらだら話してたら殴るよ』
冗談なのか本気なのかつかないフレスベルグの声が聞こえてきて、彩斗は小さく笑う。
そして、表情を切り替える。
『彩斗、スララ。キミたちに聞きたいことがあるのだが、良いかな?』
「はい、もちろんです」
『まず第一に、スララから聞いたのであるが、アルシエルと戦う事になったらしいな。……正直、勝算はあるのか?』
彩斗は数秒黙り込んだ。
「……厳しいと思います。アルシエルは魔神、ボクのコンバットナイフはガルムに強化されたとはいえ、戦力としては不十分だと思っています。勝率は高くない」
『だろうな』
ガルムの冷気によって、彩斗のナイフは極限まで強化されている。武器としては、一級品だろう。
それでも、魔神相手にどこまで通じるか判らないし、彩斗自身が戦いに秀でているわけでもない。
『現状、スララが戦闘の要だな。君が切り札の『ゲヘナ』で、どこまで対応できるか』
「それも判ってます。それでも……戦うべきだとは思っています」
彩斗は語気を強くした。
「アルシエルを解放するには、きっかけが必要なんです。それは、絶対条件です。このままゲームを続ければ、いつかはベリアルが姿を現すかもしれない。けれど、その前に数多の人々が絶望や恐怖に襲われる。何より……アルシエルは限界に近づいている。これ以上彼女が疲弊して、自我が崩壊するのは見過ごせません」
スララの姉として。大切な家族として、アルシエルが正気を保てるのは明日か、明後日までか?
彼女を取り巻く恨みの炎は確実に彼女を蝕み、今も身を焼いていることだろう。
現状を早く打破するには、戦うしかない。
それがどれほど無謀でも。決して楽観出来ぬ何行でも――可能性があるのならそれに賭けたい。そう彩斗は思っていた。
『その心意気は立派である。だがアルシエルの実力は相当なものだ。ワタシも元の世界では科学者の第一人者ゆえ、観察眼や分析力は持ってるつもりだが……彼女が全てのペアのどの魔物よりも強いことはわかる』
「……はい」
『単純な暴力の話だけではない。その意志が、感情が、ベリアル撃滅という目的へ強く向けられているのである。つまり、容赦が一切ない。油断のない敵は強いぞ、そこは覚悟しておくべきである』
「……判っています」
彩斗は思い返した。夜津木やガルムたちも、確かに強敵ではあったが、心のどここかで油断や侮りがあった。だから彩斗はそれにつけ入り、勝つことが出来た。
しかしアルシエルは違う。全力で、確実に彩斗を仕留めようとしてくる。
慢心のない敵ほど怖いものはない――それは事実だろう。
「だから、勝利の鍵は、スララです」
「わたし~?」
彩斗は頷いてから続けた。
「うん。アルシエルはどんな者をも容赦なく焼き尽くそうとするかもしれない。でも、例外が一つだけある。スララだ。アルシエルは、残された家族である彼女が目の前にいるときだけ、本気を出せない。いや、手加減せざるを得ない」
『……なるほど、スララがいない世界なんて意味がないと、アルシエルが言っていたらしいな』
「はい」
妹に対する愛情の言葉だけが、彩斗の脳裏に蘇る。
――スララ、お前だけが安らぎだ。いつまでも私のそばにいてくれ。絶対にこのゲームを勝ち抜いてくれ!
ベリアルを除けば、彼女は唯一、アルシエルを占める大事な存在。
「スララが前に出て、可能な限りアルシエルを牽制させる。その隙に、ボクがゲヘナを当てて勝利する。これしか道はないと思います」
『……そうだな』
夜津木・サイクロプス戦。ガルム・マルギット戦。それらもスララの前衛としての役割が大きかった。今回も、スララの役割は変わらないだろう。これまで培った彼女の技能、機転、そして彩斗との連携。全てを費やさねば勝利はない。
「綱渡りのような、命がけの闘技だと思います。でもボクは負けるつもりはありません。……夢ですから。スララとこのゲームを終わらせるのが。そのために、ボクは死力を尽くします」
「わたしも、頑張る」
己を鼓舞するような怖い顔になっていた彩斗に、スララは柔らかに笑う。
「彩斗を信じてる。それに、わたしだって成長したもの。もう今までのわたしたちじゃない。アルシエルの動きも、他の誰よりも判ってる。だから、きっと大丈夫。一緒に勝利を掴もう!」
「ああ!」
エルンストが、歓心したように言う。
『そもそもが、これまでアルシエル・ゲームは中断される可能性すら見出せなかった。牢屋の文字を解読するだけで精一杯、日に日に犠牲は増えていく。それを、彩斗は打開しかけている。聞けばアルシエルは、非常に不安定な状況らしいではないか。それに挑み、闘技のきっかけを作った君は、誰より功績を立てている』
エルンストは続けた。彩斗を、強く励ますように。
『人は常に、最高の状況で何かを進められるとは限らないのである。限られた時間、足りない道具、少ない人材。その中でやりくりし、いかに最善へ近づけるか、それが重要なのである。目の前にいつ爆発してもおかしくない爆弾がある――アルシエルという爆弾だ。焦りと不安と、使命感との折り合いをつけ、少ない希望を手繰り寄せ、終わらせる可能性を切り開いたのは君だ 及川彩斗。君たちなら出来る』
その言葉は彩斗の胸に、優しく、そして強く刻まれていった。
『ワタシには状況を打破できるだけの力も知恵も立場もない。ワタシはスララのパートナーには選ばれなかった。運命の鍵を握るのはワタシではなく、君である。君がスララと共に、アルシエルを止める――その事を期待する』
力強く語るエルンスト。
フレスベルグの声も、柔らかに声を届いてくる。
『彩斗は変わった。チューインガムくれたときは、まだ弱そうだった。でも今の彩斗は、少しは逞しくなったと思う。少なくとも、『影が薄い』なんて言う奴はいない。そういえば……知ってる? 彩斗、あなたは他の牢屋で、時々話題になってるよ?』
「え? そうだったの?」
思ってもみなかったことに、彩斗は目を瞬かせる。
『そう。千里眼と風の呪字ルーンを使って、何度か声を拾ってみた。かなりのペアが彩斗について話してる。上から目線な奴も多いけど。それでも名前が多く語られるくらいには、有名になってる』
「そうなんだ……」
エルンストが続ける。
『彩斗。君はゼロからの始まりでこのゲームに参加した。武術を持たず、戦術も知らず、魔法も何一つわからない――まっさらな状態だった。しかし殺人鬼を下し、神速の老犬を破り、さらには魔神との決戦までこぎ着けた。これはまさしく偉業だ。君は、誰よりも成長している事を自覚するべきである。昨日より今日、今日より明日。そしてその先にも、どんどん君は進んでいくだろう。『成長力』――何もなかった君が、持っていたただ一つ武器は――それだったのだ』
「ボクの……ただ一つの、武器……」
何の取り柄もないと思っていた。
成績は中の下、運動神経も頭の回転も良くはなく、外見だって平凡だ。
担任の先生にすら忘れられるほど影も薄く、特技と言えるものもない。
けれど、そうではなかったのだとエルンストは言う。
彩斗には限りない可能性が秘められていて、それに気づかず、今まで過ごしていた。
望めば彩斗は手に入れることができたのに。輝かしい成績や、頭脳や、その他様々な無数の可能性を持っていたのに。みんな気付かず、諦めていた。
けれどその成長力は、アルシエル・ゲームでようやく日の目を見た。だからこそ、今の彩斗がある。
『ワタシの世界では、人間や魔物の強さを、レベルで表すことが多い』
やや唐突に、エルンストは自分の故郷を説明する。
『その中で、たまにいるのだ。最初はすごく能力が低いのに、経験を詰めばどんどん実力を身につける存在。頑張れば頑張るほど凄まじく化ける者。そういった人を、ワタシの世界では、『レベル1の魔神』と名付けている』
「魔神……」
アルシエルやベリアルのような、力を無尽蔵に扱うのではなく、大きな可能性を秘めているという意味での怪物。
『君はまさしく、ワタシの世界では、英雄と呼ばれる資質を持っている。正直、こんな事態でなければ招待したいところであるな』
「あはは……」
嬉しかった。そんな軽口でも、心に染み渡るように彩斗は喜びを感じた。
これまで色褪せていた自分の光景が、急に鮮やかになった感覚がある。
けれど状況は、そんな彩斗の感激すら許さない。
決戦への時は確実に迫っている。
『やばい、ガーゴイルが風の道の近くに近づいてる。それに千里眼の力もそろそろキツい。あと十秒で切れるから』
フレスベルグから硬質な声が聞こえてきた。エルンストは早口でまくし立てる。
『彩斗。ワタシからできる助言はただ一つ。足掻け。今からでも、使える技を少しでも増やすのである』
「はい」
『君の成長は目を見張るものがある。同時に、スララの成長もかなりのものだ。リコリスは千変万化。アルシエルとの決戦まで、最善に近づける手札を増やせ。希望を忘れるな。ワタシたちは、君たちを信じている』
『負けたら許さない』
フレスベルグは強く激しく、声をかける。
『チューインガムのリベンジ、まだスララに果たしてない。いつかスララに勝ってやる。フレスベルグの方がすごいって、思い知らせてやる。だから、あなたたちは、負けないぜ。アルシエルに絶対に勝って』
「……うん」
「もちろん!」
『彩斗、君がスララの力になるのだ。彼女とアルシエル、そしてこのゲームに巻き込まれた全てのペアたちのために。己を出し切り、知恵を絞り、闘うのである……だから、頼んだぞ。ワタシ達は君を信じている』
そうして――通信は切れた。
フレスベルグの能力の限界が来て、牢屋内が静寂に覆われる。
自然と、彩斗とスララの視線が、交錯する形になった。渦巻くように、様々な感情が濁流のように溢れている。
けれども彩斗は、まずスララに、謝るべきだと思った。
しっかりと正面に向き直り、
「スララ」
「どうしたの?」
「エルンストさんと先に話してしまって言うのが遅れちゃったけど……ごめん。お姉さんと、戦わせる形になって……」
「ううん、仕方ないよ~」
彼女は朗らかに笑うと、彩斗を見つめる。
「わたしだけだと、またアルシエルを怒らせるだけだった。あのとき彩斗がいてくれて良かった、わたしはそう思ってる」
「でも、ボクらが負けたら、石化なんだよね。それもごめん」
「今までもそうだったよ~。何も状況は変わってない。ううん、逆に良くなった。わたしたちは次の闘技で、アルシエルに勝てばいい。それが出来ると、思ってる」
「スララ……うん、そうだね。頑張ろう」
彼女は微笑を浮かべて言ってくれる。その表情に彩斗は救われる。何をどうしても、スララに負担を強いることには変わりがない。それなら後はもう、アルシエルへの対抗策を考える事だけに費やすべき。
「よしっ」
彩斗は、気迫を声に出して、気持ちを切り替える。
そして決意する。最高のパートナーにして、可憐なスライムの少女と勝ち残ると。
「次の闘技を最後の戦いにしよう。そのために、全力を尽くすよ、スララ」
「もちろん! 彩斗、頑張ろうね!」
スララが向日葵のごとく綺麗な笑みを向ける。
この笑顔のためにも。
この少女の未来を守るためにも――彩斗は、迫る決戦を前に、強く願う。
「とりあえず、試してみたい事があるんだ。スララ、リコリスを出して」
「? こう?」
彩斗は、言いつつもコンバットナイフを取り出した。
そして、そのリコリスに近づけていく。
ガルムに強化され、冷気を放つようになったナイフ。
それを使った、『とある戦術』を彩斗は思いついていた。
今のままでは、アルシエルには勝てない。
だから切り札を作る。最強の魔神に勝つために。
まだまだ、自分たちは強くなれる。そう信じながら――彩斗とスララは、『決戦用の戦技』を、編み出した。
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