第31話 幸せのアルシエル
静寂に包まれた部屋で、アルシエルは腰掛けていた。ほのかに灯った暖炉の明かりが、彼女の横顔を照らし、物憂げな顔を照らす。
思考は薄ぼんやりとして、意識はまどろみの中。殺意も、敵意もそこにはない。
珍しくも、穏やかな時間帯。
静かな海に身を委ねるように、まどろみの中にありつつ、アルシエルは過去の夢を見ていた。
『やーい、やーい』
それは、遥かな過ぎ去りし記憶だった。もう十何年も前。まだスララが生まれる前のこと。当時子供だったアルシエルは、生まれ故郷の村で、三人の魔物に囲まれていた。
「臆病なアルシエル。弱虫なアルシエル。やーい、やーい」
囃し立てる声は、村の中でもやんちゃな魔物だった。
複数の『魔物』が暮らすその村において、彼らはいつもアルシエルを取り囲み、にたにたと笑い、からかいの声をかけていた。
「洞窟の中にも入れない。森の奥にも入れない。本当にお前は魔物? 劣等種のスライム族ごときが、俺たちと一緒の村に住むなんて笑っちゃうぜ」
一人の魔物がそう言うと、ケタケタと他の魔物も笑いをこぼす。
雪男のイエティ。狼獣のコヨーテ。そして火トカゲの魔物サラマンダーが、アルシエルを取り囲んでいた。いずれも子供だ。アルシエルと同年代の彼らは、自分たちよりずっと弱いアルシエルを、虐めいていた。
「この前も、村の川で溺れそうになったんだって。情けなーい」
「ほんと、ほんと。アルシエルは根性無し。なんてドン臭いんだろう」
「そのくせ、滅多に泣かないときている。弱き者は泣く姿がお似合いだ。ぴーぴー泣いて、弱い姿を晒し続けてろ」
イエティの子供が冷気を吐き、コヨーテの子供が周囲を回り、サラマンダーが小さな火を吹いて、アルシエルの服の裾を炙った。
「やめて」
そうアルシエルが言っても、彼らは止める事をしない。唇を噛んで睨むアルシエルに、一層楽しそうな声を向ける。
「いくじなし」「弱虫ー」「悔しけりゃかかってこいよー」
彼らは笑う。アルシエルはスライム族の中でも、『フレイムスライム』と呼ばれる、炎のリコリスを操れる所属だった。
希少性があり、育てばなかなかの強さを誇るが、今はその力をうまく使いこなせない。いつも、村の広場で特訓をする彼女に、三人はこぞって嘲笑を浴びせる。
「臆病者のアルシエル」「愚鈍なアルシエル」
「なにをしているの! やめなさいっ!」
そのとき、一際大きな声が響いて、三人は一斉に目を向けた。
「やべ、エレーナだ」
「耳を引っ張らられる」
「逃げろ、逃げろ」
助けに来たのは、アルシエルの隣の家に住む女性の魔物だった。
アルシエルにとっては姉のような存在で、若く綺麗なセイレーンだ。その厳しく鋭い声に、イエティらは一目散に逃げていった。
冷気や熱風が止む。
後には口元を引き結ぶアルシエルが残された。セイレーンのエレーナが、心配そうな様子で近づいてきた。
「またあいつら? 困ったものね、彼らにも」
「ごめんなさい、エレーナ。また助けてもらって……」
アルシエルが悔しそうにそう呟くと、エレーナは聖母のように抱きしめた。基本的に魔物は強者にしか好意を抱かないが、エレーナはアルシエルに優しく振る舞っていた。
「馬鹿にする者がいればあたしに言いなさい。アルシエルは生真面目すぎるわ。いつも自分だけで何とかしようとする」
「だって、エレーナにはいつもお世話になってる。これ以上は、頼れない」
「真面目さは重要だけど、時と場合によるわ。あのねアルシエル、自分でどうにもできないときは、あたしに頼りなさい」
それでもアルシエルは俯いたまま返事をしない。イエティたちに怒りを感じているではなく、やり返せない自分に苛立っているのだ。
子供ながらにアルシエルはわかっている。いつまでもエレーナの世話になってばかりはいられない。魔物は、一定以上の知性があるものは、人間のような集落を作って、そこで暮らす。けれどその力関係は、人間以上に冷酷で、残酷なのだ。
「自分の身は自分で守れ。私はそう教わった。強者だけが明日に進むことを許されるんだ。単純だけど、魔物にとっては当たり前の常識だ。そうでしょ、エレーナ」
「それは、そうだけど……」
セイレーンの女性は深くため息をついた。これまで、何度も繰り返された会話だった。
しかし、アルシエルはその考えを曲げるつもりはない。
――弱者が生き延びられる世界ではない。
弱い者は食い物にされ、強者はますます繁栄する。
――それが、魔神アルシエルの過去。
子供の頃のアルシエルは、自分の身一つも守れない、弱い魔物だった。
† †
「イータたちがいない?」
焦るような声に気がついて、アルシエルは振り返った。
「そうだ。いつもの洞窟にも、森にもいない。いったいどこに行ったのか。遠くに行けば、無知性種も多いというのに」
イータとはいつもアルシエルをからかって遊ぶ、イエティの名だった。彼を含むいつもの三人、イエティのイータ、コヨーテのヨーテ、サラマンダーのサダラーが、昨日からどこにも見当たらない。
村を治める上級悪魔が、苦い声を発して言う。
「仕方がなかろう。手の空いている者は、探しに行け。ただし四人一組となって行動せよ。無知性種は、頭の足りない愚か者ばかりだ。同胞殺しを防げ」
上級悪魔である長おさの命令が下り、村にいる半数以上の魔物が探しに向かった。
全ての魔物が高い知性を持っているわけではない。中には本能のみで生きているものも存在しており、むしろ人語を話し、人間的な思考のできる魔物の方が、数は少ない。
無知性種と呼ばれる、本能だけで生きる魔物たちは、人間だろうが、魔物だろうが、自分より弱いものを見れば、たちどころに襲い掛かり、自らの血肉とするべく行動を起こすのだった。
「イータ、ヨーテ、サダラーっ!」
森の木々と蔦の中に大声が響き渡る。しかし消えた三人の返事は、返ってはこない。
小枝を踏み、木の根を跨ぎ、鬱蒼と茂った葉を手でどかしながら、アルシエルは不満顔で救出に向かっていた。
よりによってあの三人を探しに向かわなくてはならないなんて。大嫌いで、愚かな連中だ。そう思いながら、苦虫を噛み潰したような表情になる。
「アルシエル、きちんと探せ」
「そうだ、ただでさえこの組は、お前のいるせいで実質三人の戦力しかないんだから」
「……」
返事をするのもおっくうなアルシエルに、探索の同行を命じられた他の魔物たちが冷たい視線を送る。
しばらく探した後だった。
森の奥底から、鋭い悲鳴が聞こえてきたのだ。
「――今のは、イータたちの声か?」
「どこからだ? 反響して位置がわからない」
無言で、アルシエルは両腕を突き出した。次の瞬間、彼女の爪が伸びる。元の何十倍にまで伸長していく半透明の爪は、アルシエルのリコリスだった。
本来ならフレイムスライムの特性で、アルシエルのリコリスは伸縮自在かつ火炎で覆われるのだが、能力の低い彼女の爪は、わずかな熱を帯びるだけだった。
だが、それでも探索の道具にはなる。リコリスは感覚器官でもあり、足跡やわずかな血などに触れれば、後をたどる事も出来る。
徐々に、その爪が伸ばされていく。まるで、橙色の蛇のようなものが10本、森を這っていった。
「アルシエル、それで位置はわかるのか」
「……さあ。彼らの運が良ければ、あるいは」
見ていた魔物たちが、期待の薄そうな眼で見ていた。
だがやがて、確かな痕跡を発見してアルシエルは呟いた。
「イータの吐いた氷の息の痕を見つけた。誰かと戦ったらしい」
「何? この森で戦闘だと?」
「……急ぐぞ、無事に発見できれば、村長から褒美が貰える」
翼や馬並みの脚力で進む他の魔物たちが、意気込む。けれどアルシエルの脚はそこまで速くない。アルシエルは置いて行かれた。爪型のリコリスを辿って、イータ達の痕跡がある場所へ向かっていく。
やがて――。
「む、無理だ、あれは無理だ! 勝てない!」
先に向かっていったはずの魔物たちが、血相を変えて駆け戻ってきた。 眼が尋常ではない。血走り、恐怖に染まった瞳のまま、彼らはアルシエルのことなど無視し、一斉に森の外へと逃げ帰っていく。
アルシエルは迷った。しかしそれでも、同胞を見捨てるわけにはいかない。彼女は奥へと進む。生真面目に、歩いて行く。
しかしその先で発見した光景――それはアルシエルに、後悔と恐怖を呼び起こさせた。
「ヒュドラ……」
九つの首と再生力に秀でた上位種。水の力を操り、大洪水すら起こすことのできる強大な水棲蛇が、イータたちを追い詰めていた。
「や、やめろ!」「離せ! さっさと解放しろ!」
泉のある開けた場所だった。周囲は魔法で編んだ水柱で覆われており、イータたちはヒュドラの九つの首のうち、三つにそれぞれ締め付けられていた。
「――縄張りに入ったのか!? 愚かなことを!」
状況を見て即座にアルシエルは真相を悟る。ヒュドラは強大な魔物ゆえに、縄張り意識も強い。弱者だろうが強者だろうが襲いかかる。
そして吐息は生物の皮膚を溶かし、寝息ですら浴びれば人も下級魔物も毒に侵され死ぬという。しかしその鱗を加工して飲めば、魔物は力を増すことができ、下級の魔物がより強大になるための手段として広く知られていた。
――まさか。
アルシエルは怖気に襲われる。
イータたちは、今より強くなるために、ヒュドラの鱗を手に入れようと縄張りに入ったのだ。
しかし失敗して、捕らえられた。そして一晩中、生かさず殺さずの報いを受けている。
おそらく、それはそう外れていないだろう。イータたちの性格から推察するに、妥当なところだ。。しかし助けようにもヒュドラは、アルシエルはおろかイータたちが全力で挑んでも到底勝てない、強者の中の強者。
アルシエルは覚悟した。同胞殺しを見逃した愚か者か、魔物として戦いイータたちを救出した英雄か、二つに一つの選択に迫られる。
時間はない。道具もなく、仲間であるはずの他の魔物ですら逃げ出してしまった。
何もかもが足りない状況の中で、アルシエルは模索する。そして、選択した。
「そいつらを離せっ! 貴様の相手は私がする!」
朗々と響いたアルシエルの声に、ヒュドラの首の一つが反応する。
「SYAAAAAAAAAAッ!」
その眼は弱者を見る瞳。力量も考えず近寄った愚か者を見下ろす、絶対的な強者の傲りが、その瞳に見え隠れする。
アルシエルは勇敢に突撃した。
勝算など考えない。今必要なのはイータたちを助けるための行動であり、アルシエルは大声を上げながらリコリスの爪を鎌のように伸ばす。
絶望的な戦いが、繰り広げられた。
高熱を帯びたリコリスの鎌がまったく通じず、熱も通らないう。ヒュドラの鱗はそれ自体が強固な鎧だ。人間の名剣も、魔物の爪牙も、ヒュドラの鱗を破壊することは極めて困難。何条ものリコリスの斬撃が放たれ、けれどその度に弾かれ、アルシエルは疲弊していった。
けれど一つだけ幸運だったのは、捕まった三人の中に、サラマンダーであるサダラーがいたことだ。アルシエルは叫んだ。最後の、手段として。
「私のリコリスに、炎を吐け!」
振り絞った大声に、サダラーが反応した。ヒュドラの首に巻きつかれながらも吐出された火炎の息に、アルシエルは自ら突っ込んだ。
「お、おい!?」
「アルシエル何を!?」
リコリスが燃える。
高熱を帯びただけの爪が、火炎の爪へと進化する。
三日月のごとく軌道を描いて、アルシエルは雄叫びを上げて突っ込んでいった。
時間の感覚が消失していた。痛みはどこかへ吹き飛び、ただ、目の前のヒュドラだけがアルシエルの意識にあった。
どこをどうやって攻めたのか覚えていない。傷だらけになりつつもアルシエルは我武者羅に攻め続けた。
どうして、そこまでしてイータたちを救おうとしたのかアルシエルにはわからない。
強いて言うなら、イータたちのためではなかった。その戦いはアルシエル自身のためだった。いつまでも落ちこぼれとして蔑まされる自分。その日、何もせずヒュドラの前から逃げ出したなら、きっといつまでも自分は弱いままだと、頭のどこかで確信していたからこそ、アルシエルは勝利も敗北も考えず、ひたすらにリコリスの鎌を振るった。
「はああ、はあああああああ!」
弱い自分なんて消えてなくなれ。命を燃やせ。ただ目の前の敵を倒す事だけを考えろ。
無謀で、無茶で、けれど勇敢な――アルシエルの孤独な戦いだった。
――そして、次に気がついたとき。
アルシエルは、かすかな振動に見舞われているのに気づく。
イータたちが、肩を貸しながら、森の中を歩いていたのだ。
「……お、気がついたか?」
「やった、アルシエル、生きてんじゃん!」
「良かった、本当に良かったっ!」
口々に彼らは言う。主に背を貸しているのは、イエティであるイータだった。コヨーテのヨーテは目の前の草を掻き分け、サラマンダーのサダラーは、アルシエルに精気を分けるべく、かすかな熱風を吐いていた。
傷だらけになりながらも懸命に身を寄せる三人に、アルシエルは短く聞いた。
「……私たちは、助かったのか?」
「そうだよ! お前のおかげだ!」
「まさか見捨てずに戦ってくれるなんて――アルシエル、ありがとう!」
「お前がいなければ俺たちは死んでたよ。アルシエルは命の恩人だよっ!」
口々に彼らは称賛と感謝を述べる。
聞けばアルシエルはあの後、執拗にヒュドラの眼を狙って、攻撃していたらしい。
結局、ヒュドラに決定的な傷を与えることはできなかったが、アルシエルが戦ったおかげで、ヒュドラはイータたちへの締め付けを緩め、その隙に三人は逃げ出せた。アルシエルの逃走は三人全員が冷気や熱風を使って手助けし、今に至っている。
おかげで、四人ともぼろぼろだった。
おぼろげどころかまったく覚えてないと返事するアルシエルに、イータたちは笑った。
「まったくよー、無茶し過ぎだぜ」
「死んだらどうすんだよ。命知らずにも程がある」
「鬼みたいな顔だったよ。アルシエル。やべー、怖えー」
茶化すようにしゃべるイータたちだったが、その口調はとても温かい。いつもいじめてばかりで、良いことなど何もしていなかったのに。そんな自分たちを、アルシエルが救ってくれた――イータたちの目には、後悔や罪悪感の他に、感謝の念がある。
「……あのヒュドラ、すごく強かったよな」
「でも明らかに舐めてかかってきてたよな、あれ」
「それなのに俺たちより遥かに強いなんて、俺ら魔物ってのは、つくづく力だけが重要だよな」
口ではそう言うが、彼らの口調は嬉しさで溢れている。アルシエルに助けてもらったことに、最大級の感謝を抱いている。
「……あのさ、アルシエル。今まで悪かった」
イータがまず言った。
「力をぶつけられる恐怖を、俺たちは知った。もうお前をからかうことはしない」
「むしろお前を馬鹿にする奴らは、俺たちがぶっ倒してやる!」
「だからこれからは、俺らを頼りにしてくれよな!」
「……は?」
アルシエルは思わず目を瞬かせた。
少しばかり話がおかしな方向へ向かっている。
「そうだ、そうだ! 俺たちが一生、お前を守るんだ!」
「たとえ悪魔だろうと、巨人だろうと、竜族だってアルシエルを陥れるなら許さない!」
「アルシエル! そうだ俺たちはこの瞬間から――お前の騎士になるっ!」
「おい。おいおいおい」
アルシエルは呆れた。特大の溜息と共に半眼を向ける。
「……お前たちは馬鹿だ。どこをどうすればそんな話になる」
アルシエルはやれやれと呟く。
けれど、悪い気はしなかった。何かが胸のうちに湧いていた。嬉しい――という感情を、久々に思い出した気がした。
「……まあ、それならよろしく頼む。私は、弱いから。精々守ってくれ」
自然と、笑うことができた。自分でもいままd絵浮かべた事のない、素直な笑顔だった。
その瞬間――三人の魔物たちは。
「え? や、やべえ……なんか、アルシエルって、可愛くないか?」
「あり得ねえ。俺、乳のでっかい姉ちゃんが好きなはずなのに……」
「あのさ、じつはさ、俺、前々からアルシエルのこと……」
平和な光景だった。雨が振り、地が固まった。幸せな光景。
それ以降、アルシエルはイータ、ヨーテ、サダラーの三人と、親友になることができた。
† †
翌日、アルシエルは、村の別の魔物の子供に囲まれていた。
「おいアルシエル。ヒュドラに戦いを挑んだって、どうせ嘘だろ?」
「そんな根性、長にだってあるものか」
「証拠を見せてみろよ、スライム娘。ぷるぷる震えてるだけしか能のない、雑魚のくせに」
「今度は嘘つきか。どうしようもない奴だな。お前なんて、」
「――俺たちのアルシエルに、手を出すなっ!」
囲っていた魔物たちが吹き飛ばされた。跳んできたのはイータ達、三人の魔物だった。
冷気が、熱風が、牙と爪が囲っていた魔物達に翻る。
「うあ、な、何をするんだ、イータたち……」
「気でも触れたか!?」
驚く魔物にたちに、イータ、ヨーテ、サダラーは闘志を剥き出しにする。
「いいか、アルシエルに手を出すな! そんなことをすれば、俺たちがぶっ飛ばすぞ!」
「そうだ、そうだ、アルシエルこそ我が主君!」
「……は? お前たち、何を言ってんだ? どうかしたんじゃないのか」
当然だが、周りの魔物たちは呆気にとられていた。昨日までアルシエル塵と言っていた彼らが、信じられない。
「それ以上アルシエルに近づくな。おいサダラー、火炎を吐いてやれ!」
「おうっ!」
「ぐああ、熱っ!? く、くそ、逃げるぞ、いったいどうなってやがるんだ……」
熱風に炙られ、散り散りになって逃げていく魔物たち。それを見て、イータたちはにたりと笑い合った。
「ほら、やったぜアルシエル!」
「お前の騎士だ、これからも守る!」
「……お前たち……」
呆れたアルシエルだが、嬉しさに頬が緩みそうだった。
それから、似たようなことが、数日間続いた。
「アルシエルに近づくんじゃねえぞ!」
「そうだ、そうだ、けなす奴は追い払う!」
「アルシエルは俺たちの天使だ、女神だ、お姫さまだっ!」
「……おい、お前たち。あのな、それはちょっと言いすぎだ」
村の外れの丘地帯。
人間の作った物語に出てくるような単語をまくし立てる彼らに、さすがにアルシエルは呆れ返った。
「私を守ってくれるのはありがたいんだが……もう少し言葉を抑えてくれないか」
「は? 何を言ってるんだ? 俺たちはお前の騎士だぞ!」
「そうだ、アルシエルはおれたちのお姫さまだ! お姫さまを守るのは騎士の勤めだぜ!」
「だからおれたちは、四六時中離れないんだよ! ――アルシエル! アルシエル!」
連呼するイータたち。
騎士気取りもここまでいくとちょっと鬱陶しい。
アルシエルは呆れた声を洩らした。
「あのな、お前たち。そう言ってくれるのは嬉しいが。そろそろ恥ずかしい。村中にそう言いふらしてるらしいじゃないか。噂になってる。感謝はしているが、控えてくれ」
「……え、何だって? もう一度……」
「だから、恥ずかしいから少し抑えてと言っている」
「もう一度!」
「恥ずかしいと! そう言っている! ……これでいいか?」
「はぁぁぁぁぁぁ!? 恥ずかしがるアルシエルって、何かいい! もっと、頬を赤らめてくれ!」
「おお、おお、頬を染めるアルシエル……やばい、夢に出てきそうだ!」
「やっべえ。なんてこった、俺、アルシエルに首ったけ」
「……なんてことだ、馬鹿がもっと馬鹿になった」
アルシエルは顔がひきつった。
平和になったのはいいが、別の意味で面倒になった。嘆息して、けれど半分だけ笑って、アルシエルは家に戻る。
まあ、鬱陶しいが、悪くない気持ちだった。何をしても、イータたちはアルシエルを慕ってくれる。守ってくれている。小さな相談事にも応じてくれるし、一緒に遊ぶ事も少なからずあった。
楽しい。
素直に、アルシエルはそんな風に思えた。
強い魔物だけが正しいのではなくて、たとえ弱くとも、能力が低くとも、心を通じ合わせることはできることを知った。絆と、誰かを想う喜び。優しさ。そんなものを知った。
――幸せだ、私は、今、幸せなんだ。
やがてアルシエルは、洞窟の探険、森の探索、古代の遺跡や、清らかな入江など、男三人の魔物たちと一緒に、色んな場所へ回っていった。
そうして、数ヶ月が過ぎて。
涼やかな風が吹く。空から降り注ぎ、温かい陽光が里を照らし出す。草花が細かに揺れ、遠くから、かすかに藁の匂いが漂ってくる。
村の魔物の家において普遍的な、土と藁からなる芳しい香りを楽しんで、四人は歩いていた。
ふと、アルシエルは自分の家の方で、父親が大きく腕を振っているのに気づいた。
「父さん? どうしたんだ、そんなに嬉しそうな顔をして」
寡黙な父が珍しい事もあったものだ。
アルシエルが近くまで寄ってみると、父親は顔をほころばせた。
「来たか、アルシエル。よく聞け、我々に――新しい家族が増えた」
その瞬間、仰天してアルシエルは目を丸くする。三人の友人たちも、一斉に顔を見合わせた。
「え、マジで?」
「新しい家族ってことは……」
「父さん……それは、まさか」
「そうだ。今日からアルシエルは、『お姉さん』だな。優しくしてあげるんだぞ」
父の笑顔が印象的だった。
古のスライムならともかく、進化の末、スライム族は人に近しい姿と、人間と同じ方法で子を為すことが可能になった。魔物の間では医術がさほど発達していないため、致死率は人間より高いが、無事に生まれる事もある。
新たな家族の誕生に、アルシエルは初め唖然として、次に真顔になり、最後には華やかな笑みを浮かべた。
「おめでとう、父さん」
「ありがとう。さあこっちだ。イータたちもどうぞ。来なさい」
木材と布で建てただけの簡素な家の中に入る。治療や医療を司る村のユニコーンが寝床で待機していた。人間ならば医師に相当する彼に促され、アルシエルは母のところへ向かう。
水色をした美しい母に抱かれていたのは、珠のような赤子だった。
ベッドの上、母に抱かれながら、小さな手足を丸め、すやすやと眠っている。小さく呼吸し、凄く可愛らしい。
すでに小指ほど伸びている頭髪の色は、アルシエルと対照的な水色だ。母に似たのだろう。まだ短いが、リコリスもきちんとある。姉と違って、髪の一部が半透明になっている。性別は、女の子。
「この子が……私の妹」
赤子を抱きながら、母が優しく微笑んだ。
「そうよ。この子の名は、『スララ』。隣のセレーナに名付け親になってもらったわ」
その瞬間、アルシエルは不思議な感覚に覆われた。綿のようにふわふわとして、どこか夢のような浮遊感が全身を包み込み、ほのかに胸が暖かくなる。
あどけない寝顔だった。まだまだ儚い命だった。たくさんの未来が待っている幼い妹に向けて、アルシエルは柔らかに声をかける。
「私はアルシエル。お前の姉だ。よろしく、スララ」
それが――スララとの出会い。
あるいはアルシエルが最も幸せだった頃の記憶。幸福の絶頂に包まれていたアルシエルは、けれど数週間後、悪夢を見ることになる。
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