第10話  勝利の証

実際に気を失っていたのは、数分の間だったろう。


 眼が覚めれば、彩斗はまだ牢屋ではなく、闘技の終わったコロシアムの中央にいた。

 先刻と違うのは、スララが膝枕をして彩斗を介抱していたことだった。



「あっ、彩斗、起きた~」


 目を開けた瞬間、彼女は嬉しそうに声を弾ませた。横になった姿勢のまま、彩斗は小さく声をこぼす。


「スララ……ボクたち、勝ったの……?」

「そうだよ~」


 スララは努めて明るく言う。

 彼女は疲弊していた。リコリスの鎧のおかげで外傷はない。しかし序盤と中盤を一人で凌いだ負担は相当なもので、強い緊張に晒された痕が残っている。

 それでも彼女の表情には、笑顔があった。彩斗は嬉しくなる。彼女の笑顔を守れただけでも良かった。そう思いながら。


「よう。お前たちの勝ちだ」


 見れば、夜津木が微苦笑しながら彩斗の近くへしゃがみこんでくる。コンバットナイフは出してはおらず、腰についている鞘に収めていた。あれほど狂気に染まっていた顔には、もう危険な色はなく、どこにでもいる普通の青年のように見えた。


「まさか俺が負けるとは思わなかった。完敗だ。判断をミスったぜ。あーあ、頭に血が登り過ぎてたなー」


 少し視線をずらせば、彩斗のゲヘナに焼かれたサイクロプスが、離れた位置で倒れているのが見える。ただし黒い火炎はない。黒い炎は闘技が終わると消えてしまうのか、大きな火傷の痕は見えたが、巨人の胸は動いていて、まだ生きているらしい。

 また、闘技が終わると腕輪の魔法によって、傷は自動的に治療されるらしい。彩斗はいくつかの擦過傷、夜津木も腕輪を顔にくらったはずだが、全て癒えている。何よりゲヘナを受けたはずのサイクロプスの火傷までものが完全に治療されていることを見ると、勝者や敗者に関わらず、闘技中で受けた傷は平等に治されるのだと、彩斗は思った。

 致死の傷でも、あるいは治してしまうのかもしれない。


「まったく、やれやれだぜー」


 肩をすくめる仕草をして、夜津木がぼやいた。


「楽勝だと思ってた戦いだったのにな。お前、思ったよりやるじゃねーか」


「……偶然が重なっただけ。スララには、ナイフも金属の棒も効かなかった。だから、初めから相性の良さに助けられた。ボクは最後だけしか動いてない」


「その最後がなけりゃ、俺がそのお嬢ちゃんにゲヘナを当てていた」


「……」


 夜津木は、犬歯を剥き出しにして、小さく笑う。


「殺人もそうだけどな、人間、何かをやれるか、やれねーかを分けるのは、結局は土壇場での度胸だ。最後の最後、その瞬間に行動を起こせるかどうかで結果は大きく変わる。お前が最後の一分まで岩陰で固まっていたとしても、最後に度胸を出したんならそれは偶然の勝ちじゃねえ。お前の実力が呼び込んだ、勝利だ」

「でも……それは」

「でももクソもあるか。『偶然』で俺が負けるかよ。お前たちは強いんだよ。腕力とかそういうものじゃねえ。ハートの方だよ。それが、俺たちより上回っていた。たとえ一瞬でも。だから勝った、それだけだ」


 言って、夜津木は急に空を仰いだ。そしてちくしょー、ちっくしょーと叫ぶと、しばらくぷるぷると体を震わせていたが、急に彩斗を見る。


「いいか、俺に勝ったんだから、負けんじゃねーぞ!」

「え……?」

「お前たちは相手を殺すことしか考えてねえ殺人鬼に勝った。おめーらはすげえんだよ。強いんだよ。何だか浮かない顔をしてるみてーだが、自信持ちな」


 そう言うと、夜津木はコンバットナイフを鞘ごと外した。彩斗とスララは反射的に身構えようとするが、夜津木はにやりと笑って、それを差し出す。


「どういうつもりだ……?」

「選別代わりに俺の『武器』をやるよ。殺人鬼――夜津木啓太に勝った証だ。受け取りな」

「いや、でも……」


 目を瞬かせる彩斗に、夜津木は真顔で言う。


「さっさと受け取れ。石化が始まっちまうだろうが。いいから、ほら」


 言うと彼は彩斗の手を取って、無理やりコンバットナイフを持たせた。

 思ったよりは軽いナイフだった。包丁と大して変わらない。ローラーブレードと同じく、改造してるのか、特注なのか、知識のない彩斗にはわからなかったが、その柄を握るだけで、自分が強くなった感覚が沸き起こる。

 そして彩斗は気付いた。夜津木の右手――甲の部分に、火傷の痕があることを。


 ――え? そ、それは……


「最後に、名前を聞いておきてーんだがな」


 びしびし、という音が聞こえて彩斗が視線を投じると、夜津木のつま先が灰色の石になっている。


「あ……夜津木っ」


 彩斗の声にも大した感慨を見せず、夜津木は、


「教えろ。お前らの名前を。ザコだと侮ったのに、俺を破った強えお前らのことを」

「……及川、彩斗」

「スララだよ~」


 離れた位置では、サイクロプスが倒れたまま石化していくのが見えた。つま先から始まり、脛、膝、腿、下半身から徐々に、頭へ向かって、灰色の侵食は進んでいく。

 自らも石化しながら、夜津木は最後に、犬歯を剥き出しにして笑う。


「カッコいい名前じゃねーか。俺も啓太ってよりそっちが良かったぜ。――スララお嬢ちゃん」

「なぁに~」

「そいつはまだ悩んでる。自分が価値あるのかどうか決めあぐねてる。サポートしてやんな。もっと強くなれ。このゲームには、俺よりもっとヤバイ奴が溢れてる。人間も、魔物も、どいつもこいつも本物の怪物だらけだ。そいつらに勝ちたければ、強くなるしかねえ。自分を鍛えて、鍛えて、度胸を身につけて、這い上がれ。そして最後には――俺すら超える、二人組の殺人鬼に進化しろ」

「殺人鬼なんてやだよ~」


 ヒヒ、と夜津木は声を洩らした。石化は胸を越え喉に至り、全身に渡りかけていた。


「残念。じゃあ頑張れや。あばよ、及川彩斗。スララ」


 そうして、夜津木は石像と化した。

 ――満足したような表情を浮かべながら、どこか嬉しそうに。

 凶刃を閃かせ、死の気配をばら撒いた殺人鬼は――。

 猛威を振るった一つ目の巨人と共に、石化したのだった。


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