第23話 湯浴みのスララ
「今日は面白かったね。またやりたいな」
長丁場となった闘技がようやく終わり、牢屋に連れられてスララは振り返った。
「うん、そうだね。フレスベルグの新しい一面も見れたし。今日は……楽しかった」
こんな牢屋で、そんな言葉が出るなんて彩斗は自分を意外に思う。それだけ彩斗がゲームに順応してきたとおう事で、着実に前に進んでいる証だろう。
エルンストとフレスベルグという協力者も得て、彩斗の心は今まで以上に落ち着いていた。
「でもスララ、あんまりフレスベルグと張り合うときは、本気出したらダメだよ?」
「えー、どうして? わたしだって勝ちたいもの。勝負は勝負。いつでも本気~」
「いや、その後ボクが大変なことに」
まあ、平和でいいのだが。その収拾と言うか後始末は誰がするんだと彩斗はちょっと思った。
段々と心に余裕が出くて、そんな事を彩斗が思っていると――。
「雑談はそれまでダ、人間。スライムの娘。戦いの駒であるオマエたちが、楽しく過ごすなど意味がナイ」
不意に冷淡が声が聞こえ、ぎょっとして彩斗は背後の格子へ振り返る。
ガーゴイル。天空宮殿トルバランを徘徊するアルシエルの下僕は、石の牙を剥き出しにして、奇怪な笑みを浮かべていた。
「湯浴みの時間ダ。アルシエル様の駒として、清純な体を保ってイロ。わかったナ」
ガーゴイルが右肩に担いでいたのは大きな樽。それに、反対側の肩には木の桶だ。大小二つの桶。それらを降ろした後、ガーゴイルは格子の鍵を開けると、樽と桶を持ったまま牢屋に入ってきた。
思わず、壁際まで後退しながら、彩斗は問いを発する。
「湯浴み……?」
「そうダ。オマエたちはアルシエル様の戦闘人形。ゆえに数日に一回、体を綺麗にしておくことガ義務付けられてイル。この『レスラルの実』が混ざった湯に入り、清潔な体を保っておく事が必要ダ」
ギヒヒヒ、と奇怪な笑いを発して、ガーゴイルは出て行った。
後には大きな樽。それに木の桶が残される。
彩斗とスララは互いに顔を見合わせて、
「湯浴み……だって。そういえば、ここに来てから、風呂に入ったことなかった……」
「そうだね~。わたしはリコリスで毎日体を拭いてるから、汚くはないけど……こういうこともするんだね。へえ~」
彩斗は、何だか牢屋内が、芳醇な香りで満たされているのに気付く。
樽だ。その中を試しに眺めてみると、湯気の奥に親指ほどの木の実がいくつか浮いており、そこから香りが放出されている。
「……何か、木の実があるけど……これがさっきガーゴイルの言ってたやつかな?」
「うん、そうだよ。レスラルの実って言ってね、エレアントでは有名な木の実なの。体に塗ると、すっごく綺麗になるの。お湯に入れても効果があるんだよ」
「……そうなんだ。でも、なんだかな……」
普段は牢屋に押し込めるくせに、こういうところには気を払う。まさしく自分たちはアルシエル・ゲームの駒なんだと言われた気がして、彩斗は憂鬱な気分になる。
けれど、スララは違う感情を抱いたようだ。
「わーやった。湯浴みができる~。いつまでもリコリスで拭くの嫌だったから良かった~」
楽しげに体を跳ねさせて、喜びをあらわにする。水色の髪が躍り、リコリスが陽気に揺れていく。本当に嬉しいのだろう、見ているだけでうきうきとした気持ちがが伝わってくる。
「……スララは、入浴、好きなの?」
「うんっ。大好きだよ。集落でね、よく近くの川とか湖とかに行ってたの。多い時には一日に四回、多い時には八回、入浴してたよ。たまに気持ちよくて寝ちゃってね。そうしたら集落の人が探しに来てた」
「八回!? 多っ! そして平和すぎる……自由だねスララ……」
ちょっと乾いた笑みの彩斗だった。某国民的マンガのしず○ちゃんではないが、どうしてそこまで好きなのかちょっと判らない。
「じゃあ彩斗~、わたし先に湯浴みするね」
「あ、うん。心ゆくまで愉しむといいよ――」
言いかけてから、彩斗は固まった。
――あれ? でもこれ、マズいのでは?
湯浴みということは、当然体を洗うという事で、もちろん服は全部脱ぐことになる。
けれど牢屋には彩斗とスララ。二人しかいない。少年と少女――このまま全身の素肌を晒すのは、ちょっとマズ過ぎるだろう。
彩斗の脳裏にはスララの白い肌や、曲線美に長けた肢体、生まれたままの彼女の姿がありありと映されていく。
「う……!?」
思わず現実のスララにも目が行ってしまう。
普段は意識しないがスララはなかなかスタイルが良く、スカートも短い。白雪のような肌は美麗で、真っ白な太ももがいつも見える。闘技の間は激しく動いてもリコリスの鎧で覆われていたため、めくれはしなかったが、その白い太ももが、そして他の全ての素肌が、あらわになるのだと思うと――。
「げふん、げふん! スララ、ボクは円周率を数えてるから」
「えんしゅう……? それ何?」
「いいから! とりあえず仕切りがいるよね!?」
思わず声が裏返ってしまう。
我ながら情けないと思いつつも、彩斗は誤魔化すように、乾いた笑みを浮かべる。
「どうしたの彩斗。声が変だよ?」
「いや、なんでもないよ。それより、スララ、湯浴みする前に仕切りを作ろうよ。このままじゃダメだ、うん」
「え? どうして?」
きょとん、とスララは小首をかしげる。
一瞬冗談かと思ったが、本気で彼女は疑問らしい。
「いや、だって……お互い裸が見えたら嫌でしょ? 遮るものがないと」
「そう? わたしは別に気にしないよ~。故郷では男女両方、一緒に入ってたから」
「え、あ、そう、なの? でもそれは――」
スライム族が貞操観念とか羞恥心とか違うからだと思うのだが。
そんなことを彩斗は言いかけて、
「まあでも何故かわたしの体、よく見てくる大人とか結構いたけど」
「おいスライム族! 羞恥心とかそういう以前にただのスケベじゃないか!」
内心、スララの貞操観念というか色々心配になる。まあ、言動からしてラッキーくらいに見ていた輩が多いのだろうが。
「あ、彩斗は湯浴みが恥ずかしい派なの? だったらわたしは目を瞑っておくね。彩斗もわたしが湯浴みするときは目を瞑っていいから~」
「いやいやいや!」
彩斗は手を高速で振った。
「そもそもボクだって恥ずかしいし。だから仕切りを作ろう! ほら早く!」
「ん、わかった。彩斗がそう言うならそうする~」
彩斗はほっと胸を撫で下ろした。
仕切りと言っても、カーテンがあるわけではないので間に合わせである。鉄製のベッドを一つ立て、布団代わりの薄布を取り払い、その端を格子に巻きつけ、もう一方をベッドの足に結びつけるのだ。
即席のカーテンの出来上がりである。
「わ~、すごい。彩斗、器用だね~」
「器用というか、工夫にもならないような気がするけど」
ともかくこれで仕切りは整った。
晴れやかな笑顔でスララが手を合わせるのに彩斗は照れて、
「それじゃあスララ、ボクはこっち側で暇を潰しをしてるから。君は向こうで湯浴みして」
「うん、楽しみ。じゃあお先に失礼するね」
スキップでもするような勢いで、スララは薄布の向こう側に姿を消した。
しかし困ったことに、彩斗はすぐに己の浅はかさに気付いた。
衣服が落ちる音が聞こえる。
スララが自分の衣装を脱いでいく音が耳に入ってくる。それは小さな音なのだが静けさに満ちた牢屋内ではよく聞こえ、意識しなくとも耳に届いてしまう。
しかも光源が壁に取り付けられた篝火なのがまた問題だった。篝火の明かりに照らされたカーテンの向こうで、スララの艶めかしいシルエットが克明に映し出され、彼女が服を脱ぐ度に、魅惑的な曲線がこれでもかと浮かび上がっている。
丸みを帯びた肩。緩やかになびく髪。細い手足と誘惑するように動くリコリスの房。可愛く張り出した尻は楽しげに何度も揺り動かされ、その反動でなかなかに実った双丘が惜しげもなく弾んでいく。
「うわあ……スララ、意外とでっか……」
――じゃなくて!
見てはいけない!
そう彩斗の中では理性の叫び声を上げているのだが、心の奥で抗えない興味や衝動が大きな波となってみんなかっさらってしまう。
普段はケープを着てるからわからなかったが、スララは出るべきところは出て、引っ込むべきところは引っ込んでいる。
起伏豊かな曲線美に彩斗が見惚れていると、カーテンの向こうでスララは桶を拾い上げた。その拍子に果実がぷるんと揺れ、彩斗を惑わす。
そして楽しげに樽から湯を掬い上げ、ザバァッと、全身にかけていくスララの声。
「は~、気持ちいい~」
うっとりとしたスララの声が聞こえてくる。彩斗はうろたえた。桶から湯が掬われて、体に振りかけられるごとに、陶酔というか陶然というか、スララの甘い声が聞こえてきて彩斗の胸を高鳴らせる。
「やっぱりお湯はいいよ~、最高だね!」
るんるんと、鼻歌を歌いながらスララからご機嫌な声が奏でられる。カーテンの向こうで小さく踊りだした。盛り上がった双丘が何度もと揺れる。
「あががが」
もう無理だった。これ以上は見てはいられなかった。彩斗の中では理性がやっと戻ってきて、目を逸らすしかない。
「わ~、あったかーい。彩斗、凄く気持ち良いよ~」
「う、うん。そうなんだ」
「香りも良いし温かいし、凄くいい気分。ねえねえ彩斗~、これ最高!」
スララのとろけるような声が、
「は~、生まれてきて良かった~」
ボクもそうだよ。スララのシルエット最高! ――じゃなくて! 円周率数えよう、えっと、3・1413……
嬉しそうなスララの声に、彩斗の心が乱れに乱れる。生まれたままの姿のスララが、カーテンの向こうにいると思うと、心臓がバクバクと高鳴り、仕方がない。
お湯の跳ねる音が、スララの甘い声が、しびれるような感覚となって彼の中を走り抜けていく。
もっとこの瞬間が続いてほしい、でもそうすると身がもたない、でも続いてほしい……! と、考えては彩斗は身悶えし、スララのとろけるような声に翻弄されてベッドの上で身をよじった。
と、彩斗が、悶々とベッドの上で転がっていると――。
「きゃあっ」
スララの短い悲鳴が、カーテン越しに聞こえてきた。
「ど、どうしたのスララ!?」
「彩斗、ちょっと来て、助けて~っ」
思わず彩斗は体を起こし、カーテンの向こうへ走った。強張った表情で、拳を握りしめ、まるで風のように飛び出した彩斗は、
「う……っ!?」
直後、スララの真っ白な裸身を見て、硬直してしまう。
まるで雪のように綺麗でしみ一つない肌。顔はほんのり上気していて湯気がほのかに立ち上り、濡れた髪の毛が細い首筋にいくつも絡み合っている。胸や局部こそリコリスで隠されてはいたが、形の良い腰が目に入って、思わず彩斗は唾を飲み込んだ。
けれど――。
「彩斗、助けて~、蜘蛛が出たの!」
にハッとする。見れば、スララが指し示す方向、部屋の隅に拳ほどの大きさの蜘蛛がいるではないか。
「く、クモ!? でかっ、なんでこんなところに!?」
「助けて彩斗! わたし、クモが苦手なんだよ~」
怯えた様子のスララに、彩斗は庇うように前に出る。
蜘蛛は不気味だった。体表が何十本もの太い毛で覆われており、紫と黄色の模様が全身に行き渡っている。嫌悪感を煽るのは背中に無数にある球体。それらはぴくぴく蠕動し、不定期に光っている。
「『マダラコグモ』だよ、エレアントにいる毒蜘蛛なの。怖い~っ」
声をわずかに震わせて、スララが服の袖を掴んでくる。
彩斗は決然とコンバットナイフを抜き出す。腰を低くしていつでも対応できるよう、柄を握りしめ、空いた片手でスララの手をぎゅっと握りしめる。
刹那、マダラコグモが飛び込んできた。
「うあっ!?」
凄まじい勢いの跳躍に声が裏返る。マダラコグモは身軽だった。そして速かった。八本の足を盛大にたわめ、一瞬とも言える間に距離を詰めると、一直線に彩斗の顔面へ飛び込んできた。
「くっ……!」
とっさにコンバットナイフで弾いたが、それだけでは毒蜘蛛は諦めない。背中の球体をひくひく蠢かせ、横移動、縦移動を繰り返すと、淡紅色の眼が発光。またもや顔面へと迫ってくる。
「この……来るなっ!」
ナイフの刃が、マダラコグモの胴体に直撃する。
大きく弾かれた毒蜘蛛は格子へと激突。なおも彩斗が斬りかかっていこうとすると、小さく跳ねながら逃げていった。
格子の隙間を抜け、篝火の明かりで生まれたクモの影が、しばらくの間だけ映しだされていく。
やがてその跳ねる影も遠ざかり、苦難が去ったことを確認すると、彩斗はほっと息を吐いた。
「終わったよ、スララ……。撃退できた」
「彩斗、ありがとう~っ」
「うわっ!?」
安心しかけると、裸身のまま、スララが抱きついてくる。予期していなかったので彩斗は受け止めきれなかった。
そのまま押し倒される形になって、彩斗の姿勢が崩れる。どさっと背中で小さく音が鳴る。
「ぐあ! す、スララ……?」
「本当に怖かった~、でも彩斗がやっつけてくれた。ありがとう~」
湯浴み直後の頬を紅く染まらせて、スララは満面に笑顔を浮かべてくる。
前髪から数滴の雫が滴ってくる。剥き出しの濡れた上半身が押し付けられ、むにゅっと柔らかな感触が伝わってくる。
大きく、張りのあるそれに慌てて彩斗は手を振り回し、
「わ、わかったから! スララ、落ち着いて! そんな格好で抱きつかれると、その……っ」
彩斗が顔を真っ赤にしてまくし立てると、スララは自分の姿を思い出したらしかった。
至近距離で、柔肌をあらわにしていることを眺めると、
「わ、ごめん~」
少し恥ずかしそうに、リコリスで頬を染めながら離れていく。
どうやら、見られるのは平気でも抱きつくのは破廉恥らしい。
彩斗も顔を紅くしながら起き上がると、慌てて反転しすぐさま今起きた出来事を忘れようとする。
けれど――
しゅるっ、しゅるっ。
かすかな衣擦れの音が聞こえてきて、落ち着かなくなってしまう。彩斗はカーテンの向こうにいけばいいのだが、そこまで気が回らず、激しく高鳴る動悸のまま、スララの裸身を思い出してしまう。
「あ、えーと……そうだ、蜘蛛が……苦手なの?」
そのままだと間が持たなかったため、思わず浮かんだことを口にしてみた。スララも照れているのだろう、わずかな間を空けて、
「うん。集落で昔、『マダラオオグモ』っていう大きなクモに襲われたの。さっきのはその子供。あの独特のねばねばした糸でぐるぐる巻きにされて、それからだよ、蜘蛛を見ると、怖くて仕方がないの」
「そ、そうなんだ……」
天真爛漫で殺人鬼にも臆せず立ち向かう――そんな彼女にも苦手なものがあったんだな。
そう思って、またも脳裏に彼女の白い柔肌が浮かんできて、彩斗は頭を激しく振る。
彩斗が必死に雑念を振り払おうとしていると、
「……あのね、さっきの彩斗、カッコ良かったよ」
嬉しそうな声音で、スララがそう言ってきた。
「え?」
「すごく、彩斗がカッコ良かったよ~」
「いや……でも、必死だったから。とにかく何とかしないとって」
無我夢中だった。スララの悲鳴に、危機を抱いた。彼女は彩斗にとってかけがいのないパートナーで、苦楽を共にしてきた仲で、大きな心の支えでもあった。
初めて会ったとき助けてくれた。ゲームに巻き込まれで怯えているときは励ましてくれて。劣勢のときは諦めず声をかけてくれた。
それから、どんな時でも、彼女は常に彩斗の隣で、「がんばって、彩斗」「わたしがいるよ~、彩斗」と、かいがいしく言葉をかけてくれたのだ。
もう、彩斗は励まされるだけの自分なんて嫌だった。
スララが窮地に陥れば、進んで立ち向かう覚悟があった。
もしも相手がマダラコグモでなく、もっと親玉のマダラオオグモでも、きっと彩斗は挑んでいただろう。
「思わず、抱きついちゃった。彩斗って、とっても頼りになるんだね」
そのとき、スララが振り返ったときの表情は、今まで最高の笑顔だった。
胸がどきっと高鳴るのと同時、この少女のためなら、ボクはどんな敵が相手だろうと戦える――そう彩斗は思っていた。
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