第3話  人と魔物の争うゲーム

「――静粛に」



 頭上から、冷たい声が降ってきた。

 彩斗や少女、夜津木や他の面々が仰いで見れば、そこに新たな人物が立っていた。

 階段状の足場、それより上からの声だ。まるでバルコニーのように突き出ている箇所から、黒いドレスを着た女性が全員を見下ろしていたのだ。



 それは、橙色の髪をした、美しい女性だった。

 紫に染められた唇が、きつく結ばれている。肉感的なシルエットの体を覆う衣装は、まるでウェディングドレスのように優美で、華麗だった。

 ドレスは黒い。どこまでも黒い。何者をも呑み込んでしまうような奈落の底のような色が、不吉な予感を抱かせる。

 首元には茜色のペンダントが光っている。女性の瞳は金色。氷の冷たさを持つ瞳、命を何とも思わない、冷酷な光がその奥に宿っている。


 女性は綺麗な顔立ちではあったが、彩斗はその女性を見た瞬間――ぞくり、と体が震えた。関わってはならない、話してはならない、本能的な恐怖と忌避感が、彩斗を襲う。 

 危険度だけで言えば、まだ夜津木と一緒の方がマシと思えるほど。それほど、女性は怖気を呼び起こす『何か』ををまとっていた。


「もう一度言う。――静粛にせよ」


 数多の視線が集中する中、そう宣言し、スッ――と、優雅な仕草で女性は両腕を広げる。


「ようこそ。我が城、『天空宮殿トルバラン』に」


 戸惑いの感情が全ての人々の間で広がる。突如現れた女性の言葉に、不信の目を向けていく。


「私の名は、【アルシエル】。様々な世界から、お前たちを召喚した『魔神』である。集まってもらったことにまずは感謝しよう。そして歓迎する。――お前たちにこれからやってもらう事はただ一つ――これから毎日、潰し合いをしてもらう」



「はあ?」

「何言っての?」

「おねーさん、それ冗談?」



 白けたような声がいくつも聞こえた。当然だろう、わけも分からず集められた、『潰し合い』をしろと言う。

 勝手かつ威圧的な女性の言葉に、皆は最初は呆けていたが、やがて全ての元凶は黒いドレスの女性と判り、険悪な空気がはびこる。


「なんだそれ、ふざけんな!」

「どういうつもりだ!?」

「元いた場所へ帰して!」


 険しい声がいくつかあがる。恨みのような声、怒気の声、負の感情が急激に膨れ上がっていく。

 だが女性は――『魔神アルシエル』は厳かに、何者をも平服させるような威圧感でもって、冷たく宣言した。


「私の行うゲームの『ルール』は至極簡単だ。お前たちは『人間』と『魔物』でペアを組み、毎日一組ずつ戦う。どんな武器を使っても構わない。連携を行おうが、仲間に戦闘に任せようが、ペアの自由だ。毎日、ランダムに選ばれたペア同士が戦い、死力を尽くし、抗い、勝利を重ねていく。――簡単だろう? そうして最後まで勝ち残ったペアに、最高の『褒美』を取らせよう」


 波紋の広がる面々の間に、氷のような冷たさでアルシエルは宣言していく。

 睨みつける視線、怒りの声、そんなものは彼女は歯牙にもかけない。ただ冷酷に、一方的に、彼女は語っていく。


「ふふ……激昂する声、恨みの怒号、結構。それでこそゲームは楽しくなる。――では、今からペアを定めよう!」


 宣言し、アルシエルはしなやかな動作で高く腕を振り上げた。

 直後、全ての人間と魔物たちの腕に、光る粒子が現れた。

 手首の部分に出現し、眩く明かりを放つと、その粒子は『腕輪』へと変化。銀に輝き氷のような光沢を持つ、装身具となる。


「な、なんだこれは!」

「は、外れねえ!」

「どうなってるの!?」


 叫びを上げる面々の中で、彩斗も困惑していた。

 彼の右手首にも、『腕輪』が現れたのだ。冷たく光る不可思議な金属。とっさに外そうとするが、どんなに力を込めても外れない。


 そして次の瞬間、全ての腕輪から、光の柱が立ち上がる。遥か遠い天井にすら届く光だ。その直後、それぞれの光の柱が、様々な色へ染まっていく。


「な、なんだよ今度は!?」

「見て! 腕輪の光が――」

「赤色に?」

「わ、私は黄土色に……」

「なんだこれ鉛色の、光? これがいったい、なんだっていうんだ?」


 アルシエルが優雅に微笑み、淡々と説明する。


「その腕輪はお前たちが『アルシエル・ゲーム』に参加している何よりの証。そして、ペアを決める光を発する魔法具。周りの光の色を見てみるがいい。お前たちと同じ色の『腕輪の光』――それこそお前達がこれから苦楽を共にする、『パートナー』となる」


 一瞬の、静寂の後。


「おあ!? パートナーだって?」

「何言ってるのふざけないで!」



 彩斗は、自分の腕輪が、深い闇色の光を発していることに気付いた。

 そして同じ光が、さっき助けてくれた『少女』からも溢れていた。


 思わず、振り返り、互いの顔を見つめ合う。


「き、キミが、ボクのパートナー……?」

「あなたが、わたしのペアなの?」


 少女の方も戸惑い気味に見返す中、アルシエルの冷淡な声が響いていく。


「その『腕輪』はどんな魔法を使おうと破壊することは叶わない。外すことも不可能。お前たちは私を楽しませる『道具』だ。生きた戦闘人形。力尽きるまで戦い、戦お、戦って、私のために最高の武闘を披露するがいい」


 動揺する皆の様子を見て、アルシエルは薄く笑みを浮かべる。


「なお、戦いに敗れたペアは、『石化』するということを、予め伝えておこう。敗者の罰である石化は、何をやっても防ぐことはできない。解呪の魔法具、回復の薬草、魔を祓う輝石――いかなる手段を用いても回避は不可能だ。お前たちは無様な石像になりたくなければ、勝つしかない。定められた『パートナー』と共闘し、最後の一人になるまで勝ち続ける。それが、お前たちの運命だ」


「――ふざけるな!」


 激情に駆られて前に出た者たちが何人もいた。 

 その中で、一際激昂するのは四人。

 いや、正確には二人の人間と、二匹の魔物たちだ。大剣を背負う大男、杖を携える女性、鋭利な牙と爪を持った狼と、獅子の顔をした魔物が、あまりに一方的に告げるアルシエルへ恨みを抱き、睨めつける。


「貴様、何様のつもりだ? 俺たちをこんなところに呼び寄せておいて戦えだと?」

「ふざけるのも大概にしろ! 外道めが!」

「その傲慢な態度を砕いてあげるわ! 私の魔法で、髪の毛一本までまで凍らせてあげる!」


 だが、アルシエルは彼らに視線もくれない。橙色の長い髪を優雅に掻き上げ、大きくなびかせるばかり。

 艶然と微笑を浮かべたアルシエルは、まるで聞こえなかったように、


「さて、ペアを組み、『闘技』を行うに当たって、いくつかの補足がある。お前たちは毎日、『闘技』の時間以外は、『牢屋』の中で過ごしてもらおう。もしも出ようとすれば、守衛の『ガーゴイル』たちがお前たちへ制裁を与えるだろう。お前たちは『闘技』を勝ち続ける事のみをを考えていれが良い。――ふふ、さあ私を楽しませてくれ。血と肉、技術と才能――アルシエル・ゲームは、武闘の極限だ!」


「ふざけるな!」


 突風が巻き起こった。

 大剣の戦士が、たった一瞬の間に跳躍し、アルシエルのいるバルコニーへと突貫したのだ。

 尋常ではない速度だった。周囲に衝撃波が巻き起こる。彩斗の眼には動いたとすら認識できない早業。音を切り、空を穿ち、まさしく旋風となって彼は突進する。


 杖を持つ女性がそれに呼応するように、杖を高く掲げた。一瞬で唱えられた呪文の後に出現したのは、無数の氷柱だった。虚空から現れたそれは、風切り音と共にでアルシエルへ放たれた。


「ふふ……」


 アルシエルが、片手を突き出して反応する。

 その手より生み出されたのは熱気振り撒く真紅の炎。大気を焦がし、空間を染め上げると、猛炎は巨大な牙のごとく大剣の男に襲いかかる。


「うおおおおお!?」

「だめ、避けて!」


 とっさに大剣を構えて凌ごうとした男だが、防ぎきれない。

 大剣が、融解する。

 業火の牙が大剣に触れた瞬間、どろりと刃が呑み込まれていった。

 その火炎はまるで地獄の炎。溢れ出た熱気が男を薙ぎ払い、小石のように吹き飛ばした。


「う、嘘でしょ……?」


 思わず動きを止めてしまった魔法使いの女性の前で、アルシエルは第二の火炎を発生させる。

 女性は、何か強力な術を使おうと試みたらしかった。杖に光が集まる。螺旋を描いて猛烈な力がみなぎる。おそらくは膨大な量の水を放出し、火炎を防ごうとしようとしたのだろうが、その防御すらアルシエルの業火は貫通した。


「きゃあああああ!?」


 猛獣の牙を思わせる業火が、放たれた水を押しのけて、膨大な熱と光と火の粉共に女性へ直撃。女性は呻き声を走らせ、倒れてしまう。

 灼熱に染まった大気の中、なおもアルシエルの猛威は止まらない。


「っ!」


 獅子の怪物が、狼の魔獣が、人間など遥かに上回る速度でアルシエルへと殺到したが、彼女が行った動作は、軽く両腕を振っただけだ。

 それだけで業火の牙がいくつも生まれる。膨れ上がった膨大な火の粉の渦が、魔物たちを巻き込み、吹き飛ばす。

 大きな放物線を描き、魔物たちが転がって落ちる。


 炎が猛々しくそびえ立ち、紅蓮で染まる空間で、アルシエルは冷ややかに語る。


「――手加減した。命を失うほどではない。だが数日は身動きできないな。もしも闘技に選ばれれば、彼らは脱落するだろう。まったくもって、度し難い」


 見れば、膨れ上がった業火の勢いに反して、二人の人間と二匹の魔物から、嘘のように火炎が消えていく。

 手加減というのは本当なのだろう。アルシエルは命をどうこうする気はないようだった。

 しかしその凄まじい攻撃に、皆が動けなかった。

 彩斗の膝はがくがくと震えてしまった。業火とその残り香を前に、硬直するしかない。


「さて! それでは今からアルシエル・ゲームを行おう! 栄えある、最初の闘技のペアは、いったい誰になるのかな? 武技を交わし、栄光への一歩を踏み出すがいい!」


 アルシエルのいるバルコニーの周囲から、ファンファーレにも似た音が飛び出した。光の渦が飛び散り、辺りを染め上げる。

 それで開幕という証なのだろう。

 アルシエルが黒いドレスの内から、白銀のオーブを取り出した。

 オーブを高く掲げると、天井が眩く輝き始める。続いて、何か歯車の音。乱舞する明かりと無骨な音にやや遅れて、オーブから一条の光の柱が立ち上っていく。


「ヒャッハ――――――っ!」


 奇声じみた声を上げたのは、殺人鬼、『夜津木』だった。その腕輪が紅く発光している。血のごとき光を発する腕輪を振り、夜津木は興奮して止まらない。


「何がなんだかわからねーけど、最高の祭りの始まりじゃんかー!? これは――っ!」


 興奮する彼へ同調するように、腕輪が強く発光している。


 次の瞬間、彼の足元に複雑な『紋様』が現れると、夜津木は細かい粒子となって消え失せた。


「あれは……っ」


 学校帰りに、自分の足元へ現れたのと同じ紋様だった。

 彩斗の背筋が凍る。体ががくがくと震える。

 夜津木はすぐにまた現れた。彼が出現したのは――『階段状』の足場の下にある広場フィールドだ。ごつごつとした石と岩ばかりの広場――そこへ、彼は何らかの手段で移動させられたのだ。


 同時に、その反対側にも、一人の少年が現れる。

 こちらは夜津木の高揚し切った表情と比べると哀れなほどに怯えた様子だった。しきりに肩を震わせ、しきりに辺りを見回して状況を把握しようとするが、混乱の極みにある彼は、滝のような汗を流すだけ。


 その構図は、古代のローマを知る者なら、誰もが思うだろう。

 ――まるで、奴隷同士が戦う、コロシアム――。

 

 夜津木が笑いながら叫ぶ。


「ひはは! 敵はなんだか弱そーだな。でもいいや。早く、早く、始めろやアルシエル!」


 殺人鬼は殺意に酔っていた。 

 そんな彼の隣へ、巨大な人影が現れる。

 夜津木の『パートナー』の魔物だ。


 身の丈八メートルは軽く超えた、深緑色の『巨人』。眼は一つのみ。大木のような腕に、手には巨大な金属の棒。鋭利な牙が腔内から見え、醜く唸りを上げる。

 その『単眼巨人』を見た瞬間、彩斗はゲームや漫画などで見たとある存在を思い起こす。


「あれは……まさか神話とかに出て来る――サイクロプス?」


 巨体で岩をも砕き、英雄たちに挑んだ暴力の化身。

 鍛冶を司り数多の武具を創生した武具の魔物。

 神話の壁画と同じ――いやそれ以上の凶暴さを備え、高く巨人は咆哮した。


「オオオオオアアアアアアアアアアッ!」


 一方――ほぼ同時に、『対面』にいる怯えた少年の傍らへ、ふさふさの毛を持つ小動物が現れた。

 それは、小さな魔物だった。

 額には赤い宝石が埋まっている。まるでリスのように愛らしい顔立ちの小動物だった。


「あれは……カーバンクル? まさか……本当に色んな世界から、魔物を召喚したっていうのか……」


 『神話』とは、異なる世界から来た者を記した物語だと言う説がある。

 現代考察では鼻で笑われるような説だが、仮に、それら本当でも、いや嘘でも、もう疑う余地はない。

 彩斗の知る世界とは別に、高度な知性、あるいは能力を持った者たちが、同じような文明を築いていたのだ。

 それは、あるいは剣と魔法が活躍する世界であったり。

 科学と汚染された大気の中暮らす世界であったり。

 あるいは、魔物と呼ばれる人外が大地を跋扈し、人を襲っている世界もあるのだろう。

 それら、無数の世界から召喚されたのが、ここ。アルシエル・ゲームに巻き込まれた、人と魔族たちなのだ。


 サイクロプスとカーバンクルが、前者は大きな金属棒を振り回す。

 後者は小さく跳びはね、前者は棍棒を振り回し、人ではない存在――『魔物』であることを示すかのように動きまわる。


 彩斗は思う。先ほどこの場所が闘技場だと思ったが、まさにそれが証明されている。

 たくさんの観衆に、円形に作られた戦いの場。これはまるで――古代のコロシアム。


「――準備は整ったようだな、それではこれより、最初の『闘技』を始めよう」


 アルシエルが低く厳かに宣言する。


「戦うのは人間と魔物、どちらでもいい。両者が共に戦うのも許可する。――だがもし魔物が倒れた場合、そちらを敗北と見なす。魔物を守って戦うか? それとも魔物と力を合わせ戦うか? ――あるいは人間のみが戦い、魔物は補助に徹するか? 全ては自由だ。

 ――『闘技』の制限時間は三時間。さあ戦え。存分に戦え! 魂を燃やし尽くし、私に、至高の武闘を見せてみろ!」


 それが開始の合図であるかのように、天井より黄金の光の矢が飛来してきた。

 闘技フィールドと観衆場を隔てる、魔法の『障壁』が現れる。それで戦う者とそうでない者を遮断するのだろう。


 中空で、黄金の矢が弾けて空気に溶けた。その瞬間――


「ヒャッハ――っ! 殺す! 殺すぜぇ!」


 人と魔族の織りなす闘争のゲーム。  

 夜津木が、鋼の刃を閃かせ、突進すると同時、開始された。


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